死なせてあげたいけど、死なせられない人
鍵をこじ開けたジークの部屋に、アンブロジアがいた。それもベッドの上に半裸で寝ていた。バカがいつから酔い潰れているのかは知らないが、少なくとも昨晩の内には、街についていたのかもしれない。
アンブロジアは床に散らばる服を拾い集めて身に纏い、窓のカーテンを開けた。
まぁそうしたところで、窓からみえるのは隣の家の煉瓦の壁だけで、昼過ぎの街並みも見れなければ、部屋を明るくさえしてくれないのだが。
結果に不満だったのかアンブロジアは眉を寄せ、左手をこちらにかざした。
「おい! 変なことすんじゃ――」
「灯りをつけるだけですよ。それとも、僕に斬りかかってみますか?」
彼は困ったように苦笑し、そう言った。
もしこの場で仕留めるなら、どうする?
見た目はガキでも、グレイブ氏と同じパーテイで戦ってきた英雄だ。バカ正直に真正面からいっても勝てるわけがない。シャドウ・ステップだって簡単に妨害してくるだろうし、根本の魔力量が違いすぎて他の魔法じゃ勝負にならない。となると、頼みの綱はミルだが……相手に敵意が見えないからだろう。構えてすらいない。
「ふぉぉぉ……可愛い男の子ッスねぇ……ねぇ? センパイ?」
いま戦いを挑んだところで、勝ちの目はなさそうだ。……おバカさんめが。
「クソッ!」
空を仰ぎたくなるのをこらえたら、声が出ていた。
俺が諦めダガーをしまうと、彼の左手から淡い光を放つ、魔法の光球が放たれた。
自らの生み出した光球の明るさに目を細め、アンブロジアがこちらに歩み寄る。どうやら酷く疲れているらしい。今日見た他の客たち、つまり本気で死にたいとは思えない連中と比べると、萎れた花のような心もとなさがある。
アンブロジアは俺と視線を合わせたまま、ベッドに腰を下ろした。
「少しでいいので、話を聞いてもらえませんか?」
「……俺は聞きたくねぇんだけどな」
「センパイ?」
後ろからミルの不安げな声がした。言外に話を聞かないのかって抗議もしてる。
今日だけで何度ついたか分からない重い息を吐き捨て、俺は頭を切り替えた。
「聞きたくないですけどね。そうもいかないってのも、分かっちゃいますよ」
「僕の立場のせいで、ご迷惑を。あなたのことはグレイブから教えてもらいました」
「でしょうね。それで、立場とやらがおありなのに、なんで俺のところに?」
「頭で分かってはいても、我慢できなかったから、ですかね」
飄々と答えたアンブロジアは、服をはだけて両手を広げた。
「僕、何歳に見えます?」
「どうですかね。グレイブさんのお仲間だったというなら……」
間抜けなことに俺はそこまで口にして、ようやく容姿の不自然さに気がついた。グレイブ氏の仲間だったとしたら、いくらなんでも、若すぎる。
再び服のボタンを閉じつつ、アンブロジアは静かな声で答えた。
「一応言っておくと、僕は森にすむ
「元はってことは、今は違う、と?」
「私自身は、同じ生き物とは言えないでしょうね。ユーツ様に力を頂いてからは」
「……つまり、世界で初めて人が死を超えた日から、ですか」
アンブロジアは小さく頷き、薄笑いを顔に貼りつけた。
「グレイブに死を超えさせてしまった日、と言い換えた方がいいかもしれません。あの日、僕たちは全員死ぬはずだったのです。ユーツ様への祈りが、届かなければ」
彼がしてみせる乾いた笑みは、諦念なのか。もはや笑うしかないということか。
あの時と同じように、声も出にくくなる。俺は床の上の空き瓶を蹴り転がした。
「グレイブさんは、自分の中で死が軽くなっていくのに耐えられないと、そう言っていましたよ。あなたも、それが理由で死にたくなったんですか?」
「もっと悪いかもしれませんね。普通の方法では死ねなくなりました。それに、まさか若返ってしまうとは思わなかった」
「死ねない!?」「ふぇ!?」
アンブロジアは俺とミルの驚きを遮るように手をかざし、力無く
「……なにより僕の作りだした魔法が、つまり僕が、世界を変えてしまった」
淡々と語られた内容は俺の想像を軽々と上回っている。眩暈がするようだった。
なんでも最初に蘇生の力を与えられたときには、すでに彼の肉体は壮年を過ぎていて、力に耐えられず砕けたそうだ。
そこで神――ユーツ=ナハル――は、彼の肉体を若返らせて蘇生した。つまり、本当に最初に死を超えたのは、アンブロジアだったというわけだ。
そして蘇った躰はすでに人のそれとは異なっており、死ぬほどの損傷を受けたとしても勝手に蘇生するようになっていた。当初は神の御技と考えていたそうだが、亡くした仲間を思う内に、神の呪いと思うようになったという。
鬱々とした日々を過ごす内に、アンブロジアは自らの躰を実験台に研究を始めた。つまり、続々と発見された蘇生魔法の簡略化は、全て死ぬための研究から生まれたものというわけだ。
しかし、彼が辿りついた結論は、ユーツの信徒である限り、決して死ぬことはできないというものだった。だから彼は、ヨーキ=ナハルに改宗し、死のうと考えた。
かける言葉が見つけられないでいた。
アンブロジアの顔に浮かぶ微笑みは、諦念よりも凄惨だった。彼は微笑みを貼り付けたまま、長く重い息を吐き出し、立ち上がる。
「とりあえず、ジークさんを起こしてあげましょうか」
「ああ……まぁ、放っておいてもいいんですけどね。おい、ミル、水を――」
「りょーかいッスよぉ!」
駆け出そうとするミルを制するように、アンブロジアが言った。
「それには及びませんよ」
「ふぇ?」
「お酒の飲み過ぎなんて、僕からすれば毒となんら変わりないですからね」
床で寝こけているジークの元に歩み寄ったアンブロジアは、そっと手の平をバカの頭にかざして小さな声で何事か呟いた。
仄かな光がジークの躰を包みこむ。青や緑の光輝く細かな砂粒のような何か――おそらく酒の毒――が舞い上がり、宙に浮かんで霧散した。
「ほわぁぁ……綺麗ッスねぇ……」
「綺麗なもんかよ。ありゃジークのバカの、業の深さを示してるんだぞ?」
「ブゴッ!?」
豚の鳴き声に驚くほど似た声をあげ、ジークが目を覚ました。
躰を起こしたジークはすぐに首を巡らせ、アンブロジアと視線を交わし固まった。
みるみる内にバカの顔が青くなる、
突然、床にひれ伏した。
「あ、アンブロジアさま! 昨晩は失礼いたしました!!」
「なにやってんだ、バカ。バカジークめ」
すぐにこちらに振り向いたジークは、アンブロジアを指さしながらこちらに叫ぶ。
「バカはお前だ! ミルちゃんも頭下げて! この方はユーツ様の愛人だぞ!?」
「ぼ、僕が、愛人……!?」
絶句し、顔を引きつらせるアンブロジア。そしてギリギリと筋肉を軋ませ、ユーツ様の愛人の方へと首を回していくジーク。
「ジークさん、おバカッスねぇ……」
「だな」
ミルまで感慨深げに言ったのだ。とりあえず、ジークはバカで、確定だ。
脱ぎ散らかしてあった服を拾って投げ渡す。
「んで? ジーク、なんでアンブロジア様が、この部屋に半裸でいたんだ?」
「半裸!? いや、俺はそんな……そんなことを……しました?」
「…………」
暗く、死んだような目で床を見つめていたアンブロジアは、聞こえないほど小さな声で、ぶつぶつ呟いてもいた。どうやらユーツ様の愛人というのが、心の傷を抉ったたらしい。寵愛が理由で死ねないのだから、それも当然なのかもしれない。
俺はついでとばかりに『ヨーキ様の口づけ』も投げ渡した。
「まぁ、経緯については、俺にとっちゃ、どうでもいいわ」
続けて言葉の向きを、呆然自失といった様子のアンブロジアに変える。
「申し訳ないですけどね。あなたの葬儀は請け負えませんよ、ウチは。絶対に」
「……ユーツ=ナハル教団から言われましたか?」
「言われたのはヨーキ=ナハルの教団ですよ。ってことは、その内、葬儀ギルドの本部からも、俺の所に釘を刺しにくる。あなたも、それは分かっているでしょう?」
アンブロジアは痛みに耐えるかのように両肩を抱いた。
「……僕は、僕が死ぬことで、蘇生魔法をこの世界から消したいだけです」
「あなたが死んだところで、蘇生魔法が消えるわけじゃないでしょう?」
「ユーツ=ナハル様は、僕に蘇生の力を与えて下さった。その僕が、与えられた力のせいで、ヨーキ=ナハルの元へ行くのです。ユーツ=ナハル様も、蘇生の力について考えてくれるはずです」
なんて無茶な考え方だろうか。しかしあるいは、そう思うようになるまで精神的に追い詰められていたのだろう。
考えてみれば、せっかく救ったと思った仲間も数年後に自ら死を選んだわけだ。それも家族を作り、幸せを手に入れた仲間が。
同情はする。同情はしてやってもいい。
しかし――
「ウチで引き受けたとして、そのあと俺達はどうなると思うんです?」
また盗賊ギルド時代に戻るのだけは、死んでも嫌だ。
アンブロジアは、その細い
「死に慣れきった人々も、大勢死んでしまうでしょうね……」
「それだけで済めばいいですけどね。少なくとも、来ました、分かりました、とはいきませんよ。適当にどこかで隠れ死ぬってわけにも、いかないんですから。それなら、まずはご自分で、周囲の人を説得することです」
いつになく真面目な顔をしたジークが、低い声で俺に言った。
「ネイトよぉ、少しくらいは考えてやっても――」
「なに言ってんだバカ神官。てめぇも今は、ヨーキ様の信徒だろ。それに蘇生魔法がなくなったら、お前何ができるんだよ。また盗賊ギルドの仕事でも手伝うのか?」
いつも以上にキツく言ったからか、バカ神官は反論もなしに、酒瓶を見つめた。
「……そうだよなぁ……」
蘇生魔法があるから、バカでも神官なんだ。なけりゃ、ただのチンピラになる。
俺の背中には、ミルの悲しげな声まで飛んでくる。
「センパイ……でも――」
「でもも何もないだろ。お前だってどうすんだ。ウチでこの仕事請け負って、死なせてみろよ。良くてギルド追放。下手すりゃ、俺らまとめて死刑かもしれねぇぞ」
「うぅ……でも、先輩、ちょっとヒドいッスよぉ……」
歳が変わらないようにすら見えるアンブロジアに感化でもされたのか、ミルがいつもより食い下がってくる。しかし、だからといって、甘くなってはいけない。
俺はアンブロジアの顔をできるだけ強く、蔑むかのように睨みつけた。
「酷いってのは、こいつの方だ。自分の都合で蘇生魔法なんてものを作って、世界を変えた。それが僕にとって辛いから、やっぱり戻しますって? 冗談じゃねぇよ」
アンブロジアは俯いたまま、顔を上げようともしない。
さらに強く、痛めつけるような言葉で、突き放す。
「死にたきゃ、勝手にやってくれよ。俺たちの世界を巻き込まずにな。俺はな、自分の周りの世界の方が、ずっと大事なんだよ。俺らに、関わらないでくれねぇか?」
それがアンブロジアでないなら、引き受けた仕事だろう。理由だけなら、これまでで誰よりも死なせてやりたい。世界が変わらずに済むのであれば、その苦悩を終わらせてやりたいとも思う。
しかし出来ないのなら、突き放してやるべきだ。
ようやく顔を上げたアンブロジアの目は、まさに死人も同然だった。
「……分かりました。僕は……僕は、王都に戻りますね」
アンブロジアは足を引き摺るように歩きだし、ジークの部屋から出て行った。
「センパイ……」
「ネイトよぉ……」
「そんな声出すな。仕方ねぇんだよ。俺だって……」
最後まで言えなかった。その言葉を言ってしまえば、ミルやジークまで巻き込むかもしれないと思ったからだ。
ヨーキ=ナハルよりも自分の世界を優先したことで、俺に起きるであろう惨禍に。
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