嫌な予感の行きつく先は
半ば強引に上がりこんだにも
ミランダは、グレイブ氏の葬儀の後で伝えた現在のヨーキ様の格好とよく似た服を着ていた。知る限りでは街にあんな服を売る店は無い。手ずから作ったのだろう。
ミランダの青く短いプリーツスカートの裾がさらりと揺らめき、太ももがのぞく。日に当たってないせいか真っ白い。ヨーキ様のどこか神々しさを感じるそれとはまた別の、妙な艶めかしさがある。
もっとも、ミランダとは仕事上の付き合いでしかないのだが。
特に以前はデーハーの服を愛用していたのもあり、むしろ気圧されるようだった。
だがしかし、いまはなぜか、ふつふつと湧き立つような感情がある。
いいかえれば、彼女が着ているヨーキ様曰く今後は流行るらしいセーラーとかいう衣装は、男を煽るための服なのかもしれない。かつてのデーハーと同じように。
「準備完了ッスよぉ」
ミルの声に我に返ると、すでにテーブルの上には真っ白いテーブルクロスが広げられ、パンのほのかに甘い香りが漂っていた。
そこに紅茶の香りが加わる。
ティーポットを置いたミランダは、ミルに笑いかけた。
「ずっとネイトさんも一緒に、って言ってたもんね?」
「ハイ! センパイと一緒に試食会ッスよぉ!」
昼食じゃなくて試食会なのかよ。
ミランダが並べられたパンを避けるようにして、ティーカップが置かれていく。そして俺の前には、件の手紙も。
手紙を手に取り、一応は確認のために、ミランダに目線を送る。
彼女は小さく頷いた。開けてもいいということ。
中に入っていた文面を目でなぞっていく。堅苦しい文面に目が滑りそうだ。
『ヨーキ=ナハル教団の繁栄のために、アンブロジアの依頼を避けられたし。
現在、王都では蘇生魔法の創始者アンブロジアが失踪し、混乱を極めている。また書斎より彼の知己であるグレイブからの書簡が発見されており、ライト・シハナミの葬儀ギルド員、ネイトの名が見られたとのこと。
察するにアンブロジアは、これを頼り死を望むものと思われる。これは阻止せねばならない。その死が蘇生魔法に与える影響は、はかり知れぬ。それゆえに感情、感傷を捨て、ヨーキ=ナハルの信徒として、また墓守として、汝の責務を果たされよ』
……アンブロジアが
「今のところ、うちにアンブロジアは来ていませんが……蘇生魔法への影響ですか」
「私もよくは知らないのですけど……使えなくなる、ということなんですかね?」
「センパイ! あーん、ッスよぉ!」
完全にこちらの会話を無視したミルの、間の抜けた声がする。おバカさんめ。
「ミル――ンッグォ!」
注意しようと顔を向けた瞬間、巨大クロワッサンの一片を口に突っ込まれた。
巨大さゆえにあまり味は期待していなかったのだが、なかなか歯触りの良いパリパリ食感だ。内側はしっかりしっとりとして、噛み応えのある弾力に富んでいる。わずかな塩気が甘みを引き立てて……。っておい。
俺は口に突っ込まれたクロワッサンを噛みちぎりつつ、ミルのデコをペチった。
「いま、大事な話をしているから――」
「むむぅぅ……このクロワッサン、なかなか美味しいッスねぇ……」
「……そうな。食べてからにするか」
満面の笑みを浮かべてパンを頬張る様をみて、俺の職務は一時放棄された。
ミランダの淹れた紅茶を飲んで、ミルの勧めたバターフレーキーを口に運ぶ。想像より甘みが強い。対してバターの香りは緩く香る。なるほど、確かに紅茶に合いそうではあった。……少しばかり、香りが強すぎる気もする。
しかし、まるで子犬か何かのような、ミルの期待混じりな視線に負けた。
「美味いよ。さすがに色々食べまわってるだけある」
ムフー、とドヤデコを披露するミルには釘を刺す。じゃないと調子に乗る。
「その調子で葬儀ギルドの仕事の方も勉強してくれ」
「んなっ! うぅ……了解ッスよぉ」
そうだ、葬儀ギルド。
和やかな昼食のせいで、完全に忘れかけていた。問題は俺のところにくるかもしれないアンブロジアの存在と、彼の死によって生じるという蘇生魔法への影響だ。
ジャム入りドーナツを頬張りご機嫌なミランダに、手紙を差しだす。
「蘇生魔法とアンブロジア本人にどんな関係が? 最初に作ったってだけじゃ?」
「あ、えーと、私も詳しくは……ただ教団から手紙が来ているんですから、ネイトさんのところにもギルドの方から何か連絡があるのでは?」
まぁ、ちょうど最近の仕事は葬儀屋というより、冒険者向けのお悩み相談って感じになってるし、疲れもきてる。
よし、決めてしまおう。
「ミル、やっぱ、しばらく事務所は閉めちまおうか」
「ふぇ!?」
「葬儀屋が人気でたとこで、ロクなことがねぇわ」
「でも、ボク。お仕事が無くなっちゃうと、お金が……」
「情けない声だすなよ。ちゃんと給料は出すし、家から出てけってわけじゃねぇよ」
「でもぉ……」
それでも不満そうなミルの頭を、ミランダが慰めるように撫でた。
「ミルちゃんは、ネイトさんと一緒に、お仕事してたいんだよね?」
「……」
俯いたミルは、黙ったまま。なんでだよ。
……ああ、前回、俺がなかなか蘇生しなかったからか。泣いてたもんなぁ。
ミルは元々蘇生魔法に――ついでに死ぬことにも――抵抗なさすぎだったから、多少は抵抗感をもってもらった方が都合がいい……が、この機会に教育するか。
取り分けられたジャムドーナツを、浮かない顔したミルに突きだす。
「それじゃまぁ、しばらく俺と、仕事についての勉強な」
「うぇぇ!? 勉強は嫌ッスよぉ!」
「そんなら、しばらく闘技場あたりでバイトでもするか?」
「うぅ……勉強するッス……」
そう言って俺が手に持つジャムドーナツに食いついたミルに、ミランダが言った。
「ミルちゃんはいい子だねぇ」
「あんま甘やかさないで下さいよ。こいつすぐ調子に――」
「甘やかしているのは、ネイトさんだと思いますよ?」
最近は少し自覚しはじめていただけに、ぐうの音も出ない指摘だった。
気恥ずかしさから、ついついティーカップに手が伸びる。しかし、それを手に取ることはできなかった。
その直前に、ミルが口を挟んできたからだ。
「センパイ、お茶、もう入ってないッスよぉ?」
「……そろそろ行くぞ。休業するなら、ジークのとこにも行かないといけねぇ」
席を立ちながら、ミランダに告げる。
「それじゃ、俺たちは、そろそろお暇します。あと、教団の方には、ネイトは休業に入った、とでもお伝えください。それなら多分、大丈夫でしょう」
ミランダが慌てたように立ち上がり、床を滑った椅子がギリリと鳴った。
「たしかにその方がよさそうですね。そうしておきます」
会釈をして部屋を出ようとすると、彼女はふたたび声をかけてきた。
「あの、ネイトさん。できれば休業中も、たまには、ウチに……」
「もちろん来ますよ。いつもウチのミルが、お世話になっていますしね」
他意はない。他意はないはずだ。
「また来てくださいねー」
「もちろんッスよぉぉ!!」
ミルの暢気な、しかしやたらとデカい声に合わせて、手を振り返す。
もっとも思考の方は、すでにジークの居場所に向いている。なにしろ奴は友達価格とかのたまって、結構な額を請求してきやがった。あいつのことだし、下手すりゃ、酒で死んでるかもしれない。
例の酒場にバカが居てくれれば世話はなかったのだが、悪い予感は当たるものだ。
ジークはいないし、店のバーテンダーに聞けば、
「あー、あのヨーキ様って頭に付けときゃ、何にでも金出す神官か。おととい来た時にしこたま酒買ってって、それから来てねぇよ。自分の家で、死んでたりしてな」
この物言いだ。どうやらジークは、いいように絞り取られているらしい。
俺はバーテンダーの面白くもない冗談の代金として、金を数えた。
「次にバカが来たら、ヨーキ様は酒好きの男が嫌いだ、とか適当に言っといてくれ」
「んなこと言ってみろ、あいつは喜んで泥酔するよ。怒ってもらえるってよ」
バーテンダーは奪うように金を取り、言葉を継いだ。
「死んだら葬式あげてやったらどうだ? 昨日あいつを探しに来た神官に頼んでよ」
「縁起でもねぇ。それよりボトル一本くらい、つけてくれよ。奴のとこに持ってく」
「しょうがねぇなぁ。ほらよ、『ヨーキ様の口づけ』だ」
「安酒に神様の名前をつけんな。罰あたるぞ?」
俺はボトルを受け取って、ポケっとしていたミルとともに、店の出口に向かった。
不信心な店のバカなバーテンが、苦笑いもできない冗談を口にした。
「安い方が名前も売れて、ちょうどいいってもんだろう!」
名前が売れると大変だってことだけは、もう身にしみて分かったよ。
大通りを外れて、暗くて臭い、しかも安っぽい裏通りに入る。
もしそこら辺に冒険者崩れが蹲っていたりしたなら、まるっきり貧民街だ。そんな通りの中ほどにジークの住む集合住宅がある。はるか昔は宿屋だったとかで、住むためじゃなく寝るために作られている。俺なら絶対、住みたくない家だ。
そんな古ぼけた小汚い建物に入るとすぐに目に入るのは、階段に座る半分酔っ払ったようなオッサンの姿である。
ガラの悪い未来のジークは、ジロリと睨んできた。今も昔も変わらない、よそ者を見るための視線ってやつだ。後ろのミルから多少の警戒を感じるが、こんなオッサンならミルの拳で一撃粉砕だろうし、無視していい。
階段を登った右手側に、ジークの住む部屋の薄い扉がある。
さっさとノック。返事はないし、今度は人が動く気配も感じない。
テテテ、と駆け寄ってきたミルが、先ほどと同じように扉の前に左手をかざす。
「またボクが開けるッスかぁ?」
「いや、いい。ミランダさんの所ほど、気ぃ使わなくていいしな」
それに酔っ払って寝てるなら実際に扉を粉砕しても奴は起きない。
俺は左の腰に吊るしたツールポーチに手を突っ込んで、フックピックと直角のピンを取りだした。ミランダの家でやると信用問題、ジーク相手ならどうでもいい。
「センパイ?」
「扉、開けんだよ。見てな」
直角ピンで鍵の内筒を捻りつつ、ピックを鍵穴に突っ込み、軽く振る。すでに何度か開けているから、順番も知っている。二番ピンから順に、四、一、三だ。
順に押し上げるのに合わせて、直角ピンにかかる力が抜ける。鍵の内筒が回る。
「ふぉ!? センパイ、スゴ――」
「大声出すな、バカ。バレたらヤバい。それと、誰にも言うなよ?」
ミルは慌てた様子で両手で口を押さえて、コクコクと首を振っていた。
……ああ、クソ。
俺は自分の口元が自然と緩んでいるのに気付いて、少し恥ずかしくなった。葬儀ギルドの後輩相手に、盗賊の技を披露して得意になってる。何やってんだよ俺は。
扉を開くと、床の上に、空の酒瓶を抱えた半裸のジークが倒れていた。
「ふぉぉ……きったない部屋ッスねぇ……」
「ほんとにな」
薄暗い部屋に足を踏み込み、部屋中に散らばる大量の酒の空き瓶を蹴り転がしながら近づくと――ベッドの上に人の気配がある。
とっさに上着で隠した腰のダガーの柄に手をかけ臨戦体制を整えた。きたねぇ寝床に半裸の美少女……じゃない。男だ。つまり美少年がいた。
酔っ払いのジークが、とうとう酒で何かをやらかしたのかもしれない。バカめ。
ジークの部屋のベッドの上に座った美少年は、怯えたような目を向けてくる。一日続いた不吉な予感を象徴するかのようなその少年は、俺の知っている顔ではない。
空に浮かぶ太陽のように白く輝く金色の髪が揺れている。肌は薄暗い部屋の中のわずかな光さえ返すほど肌理が細かい。大きく丸い鳶色の瞳からはすで恐怖の色は失せており、ぼんやりとこちらを見つめていた。
半裸でなければ少女と見紛うところだ。……仮に女だったとしても、ジークの趣味とは思えない。しかしそれゆえに、怪しさは募る。
俺は少年の全ての反応を見落とさないよう注意を払い、ダガーを抜いた。
一瞬だけ躰を震わせた少年は、しかし、俺の目、ダガー、そしてミルへと視線を滑らせ、目を細めた。安堵のようにも聞こえる、やわらかな息すらついた。
「あなたがネイトさんですね。今晩にでも伺おうと思っていたのですが……」
「お前、誰だ? なんでジークの部屋にいる?」
「……ご自分でも分かりきっていそうですが、あえて聞かれる理由は、なんです?」
少年は小首を傾げ、恐ろしくなるほど美しい微笑を浮かべた。
疑念が確信へと変わった。この少年が、アンブロジアだ。
これまでで最も厄介な、死にたい人だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます