逃れられぬ過去

 教祖様との費用等々の雑多な交渉の後も、俺の頭は回転を続けていた。

 死んでもらうのは教祖様が自身で開発した毒薬を使えばいい。地下牢に至るまでボディチェックの類はなかったのだから、これは楽勝だろう。

 しかし、亡骸の搬送となると、そうはいかない。


 教祖様が言うには自殺を図ったことは何度もあるが、すぐに司祭が駆けつけ、蘇生させられるのだという。まったく、いまのヨーキ=ナハル教団の長に、どれほどの価値があるというのだろうか。

 不平を言っても仕方がない。請けた仕事をこなすだけだ。

 分かっちゃいるが、頭が痛い。

 なにせ王宮の精兵たちを相手取り、権力が守ろうとしている身柄を盗み出さなければならないのだから。つまりは俺たち自身の安全も確保しないと、未来もなくなる。


「ああくそ! どうしろってんだ!」


 俺のやり場のない怒りの叫びに、ミルが目を丸くした。


「ふぉぁ!?」


 すぐにフンスと鼻を鳴らして、胸を張った。


「大丈夫ッス! ボク、頑張るッスよぉ!」

「……ああ、うん。頼むよ……」

「りょーかいッス!」


 ビシっと決められた敬礼を、俺は投げやりに眺めた。

 お前が、なにをどう頑張れるというのか。

 だがしかし、言うべきことは決まっている。


「宿に戻ったら作戦会議だ。今度の仕事は厄介すぎる」

「えっ」


 ミルはこの世の終わりかのような顔をした。


「でもボク、パン……」

「……いいから。パン買ってきていいから、それから作戦会議だ」

「りょーかいッスぅ! エステルちゃん! 一緒に行くッスよぉ!」

「は!? あの、私は――ちょ、ちょっと!」

「ブーランジェリー・ベルフォルゴルズに突撃ッスぅぅ!」


 声を弾ませたミルは、エステルの手を取り、駆け出した。

 このまま行かせれば二人はパン屋に魂を絡めとられるに違いない。

 走り去る二人の背中に言い含めておく。


「あんま買いすぎんな! 暗くなる前に宿に戻れ!」

「りょーかいっすぅぅぅぅ……」


 こちらに手を振ってはいるが、ミルの間抜け声はすでに小さくなっていた。


「あ、あのぉ、私も――」


 ついていきたそうにモジモジしているミランダを、視線で牽制。


「あ、ミランダさんはダメですよ。墓地の選定しないとなんで」

「そんなっ!?」

「いい大人なんだから、勘弁してくださいよ。こっちも手一杯なんですって」

「うぅ……ネイトさんのいぢわる……」


 ミランダは思いのほか凹んでいるのか、がたんと肩を落とした。墓守と言う職業についている以上、遠出できるチャンスは限られている。さすがに少しばかり、悪いことをしたかもしれない。

 気づけば俺は、盗賊時代に培った、困り顔の笑顔を浮かべていた。


「んなこと言われても、俺の頼りはミランダさん、だけなんスから」

「えっ?」


 上がった顔はきょとんとしている。追撃をいれるのならば、いましかない。 

 俺は、はにかみ笑顔の追撃を加えた。


「ちゃんと埋め合わせはしますんで、ちょっとだけ、手伝ってもらえません?」

「――っ!」


 ミランダは頬を染め、目を伏せた。チョロい。

 身内を騙すなんて所業は、正直言って、あまりいい気分はしない。しかし、時間には限りがある。不慣れな土地で、無茶をやるのだ。まずはどこの墓地に運ぶか決めておかなきゃ、話にならない。

 良心の呵責なんていうものは、安全確実な業務遂行に比しては、べったべたに湿気たクロワッサンほどの価値もない。

 盗賊ギルド、また顔を出さなきゃならねぇかもな。

 背筋に走った嫌な予感に身震いしつつ、俺はミランダの手を取り、宿に戻った。


 のだが。

 道中で買った地図を見ながら始めた墓地の選定会議は、早々に行き詰った。

 ミランダが、マーキングだらけになった都市図を見下ろし、唸る。


「……難しいですね、これ」

「まったくですよ。やっぱり厄いネタだった」


 誰にもバレずにヨーキ様の元に送れそうな墓地が、地図上に存在しないのだ。

 まず教祖様は直属の教団員ではなく、わざわざ俺を指名してきた。つまり教団に隠れて死のうとしているわけで、教団の管理する墓地は対象外だ。とはいえ、まさか教祖様を共同墓地に葬るわけにもいくまい。

 となれば、残るは街の外にあるヨーキ=ナハル神像を頼ることになるのだが――。


「城の外に遺体を運び出すのからして、無理くさいんですよね」

「そこから街の外まで運ぶのなんて……また、あの馬車を借ります?」

「馬車? ……ああ、だからアレは、馬車じゃなくて戦車ですって」


 俺は背もたれに躰を預け、固まりかけてた背筋を伸ばした。パキポキと、躰の奥から音が聞こえた。


「まぁ、悪くないアイデア、と言いたいとこなんですけどね。無理でしょう。城門近くに戦車があったら不自然ですし、乗り換えても街の入り口で止められる」

「えっと、あれでも突破できないんですか?」

「グレイブ氏のときに上手くいったのは、向こうが力押しだったからですよ。魔法を使われたら、あんな戦車なんか木っ端微塵だ。なんせ、お嬢のですら、車輪をぶった切ってみせたんですよ?」


「……剣で、鉄の車輪を?」

「剣で、鉄の車輪を。しかも鋼の装甲板ごと」

「……っはぁぁぁぁ」


 ミランダは感心と落胆の入り混じった息を吐き、ヨヨヨとばかりに椅子の肘かけに抱き着いた。涙目だ。こっちも泣きたい。

 打つ手なしだし帰りましょう。

 言ってみたいが、絶対無理だ。


 顔を覆って頭を冷やして、もう一度最初から考える。

 蘇生封印を行うには、ヨーキ=ナハルの庇護下にある墓地がいる。そして出来れば都市の内部にあると助かる。あり得るならば、王宮内なんかが最高だ。

 俺は弾みをつけて躰を起こした。じゃあ、神像をもっていくのはどうだ。


「ミランダさん。ヨーキ様の像をもってって、その場で蘇生封印するとかは無理なんですか?」


 涙目のミランダは、軋む音が聞こえてきそうなほどぎこちなく、こちらを見た。


「ネ、ネイトさん……本気でおっしゃってますか……?」


 怯えているかのように泳ぐ瞳をみれば、誰でもわかる。無理だ。

 てか目が怖い。フォローしこう。


「妙案浮かばずってことで、冗談半分ですよ」

「それ、半分本気ってことですよね?」


 やべぇ。フォローミスった。

 俺が次の言い訳に思考を巡らせ始めた瞬間、爆音とともに扉が開いた。


「ただいまッスよぉおお!」

「ちょ、ミルさん!?」


 吼えるような帰還報告に、最近ちょくちょく聞いているエステルの悲鳴が続く。

 完ぺきだ。誉めてやろう。今回は蝶番も壊してないしな。

 だが、いくらなんでも買いすぎだ。

 ミルは、パンパンにパンが詰め込まれているだろうパン袋を両腕で抱え込み、満足気にデコを輝かせた。


「いくつか回って、いっぱい買ってきちゃったッス。やっぱりトコシノイダのパン屋さんはスゴイッス! どこのパン屋さんも、もちもちで、ふわふわで――」

「なんでもいいけど、どうすんだ、そんなたくさん買ってきて。滞在中はパンだけで過ごす気か?」

「それも幸せそうッスねぇ……」


 ミルは本日の成果物を地図の上にそっと置き、幸せそうに目を閉じた。エステルはミルの置いたパン袋のすぐ横に、さらに袋を並べる。パンに恋する乙女の姿に、彼女の吊り目が、吊り上げられた。


「パン好きなのは聞いていましたけど、ここまでとは思いませんでしたわ」


 そう言って、ずびし、と俺に紙を差し出した。


「これ、領収書です。事務所の奢りッス! だそうですよ」

「声真似うまいね。まぁ、この子は奢りと経費の違いは分からないから――」


 領収証を受け取った俺は、すかさずミルのデコをペチっていた。


「ふぇ? なにするッスかぁ。ボク、なにも――」

「おいこらミルさんよ。この金額が経費で落ちるとお思いか?」

「ダメっすか?」


 ミルは不思議そうに小首を傾げた。

 ダメに決まってんだろ。この宿に二週間連泊するより高ぇじゃねぇか。


「……お前の給料から、ちょっと引いとくからな」

「うえぇぇぇ!? ボクは皆の分も買ってきただけッスよぉぉぉ!」

「それだけ!?」


 涙声のミルに続いてエステルがそう叫び、


「えっと……ネイトさん、ミルちゃんには甘々だから……」


 ミランダが補足した。

 いや、甘々じゃあないし。うん。多分、甘くはない、と思う。


「……とりあえず、パン齧りながら考えますか」

「センパ~イ、ひどいッスよぉ……」


 涙目のミルを仕置き代わりに放置して、俺はパン袋の下から地図を引き抜いた。

 ミランダの入れてくれた紅茶を一口すすって、おすすめのブリオッシュを齧る。普段の食費に換算すれば、およそ二日分に相当する貴重な菓子パンである。マズいわけがない。よんしばマズかったとしても、意地でも美味いといわざるをえない。

 ミルの、まるで手料理の感想を待つ少女のような目が、こちらを見つめている。


「……ちょっと甘すぎるけど、紅茶には合うと思うよ」

「よかったッスぅ! ボク、センパイが紅茶と一緒に食べるところを、ずっと考えながら選んだッスよぉ……」


 ミルは屈託はいま吹き飛びましたという笑顔をし、食べたかったというプーカブーの羽なるパンに齧り付いた。腹立たしいが、こうして感想を言うまで待ってる姿を見ると、怒るに怒れん。


「ネイトさん。あなた、ミルさんに甘くありませんこと?」


 エステルの鋭い視線が、俺の心を穿つ。


「……別に甘くはないよ。うん。甘くはない」

「それ、自分に言い聞かせてるのでは!?」

「ち、違うって。ただほら、あれだ、キツい仕事だから、少しはだな――」

「あなたねぇ!」


 と、エステルが立ち上がった瞬間だった。


「でも、ミルちゃんはいつでも一生懸命ですから」


 そうミランダはフォローを入れて、幸福の絶頂にいるミルの頭を撫でた。

「ねー」とか言いつつ、首を傾けていた。


 ミルは不思議そうな顔をして、曖昧に小首を傾げた。しかしパンだけは口から離さないあたり、この子はホントは何歳なんだと思ってしまう。

 

ようやく口を離した瞬間飛び出た言葉は、

「エステルちゃん、ボクの選んだパン、食べてくれないッスかぁ?」

 だった。


「え、あの……くっ、い、いただきますわ!」


 エステルの黒鉄の城のごとき堅牢な魂は、ミルの対素人用の必殺技『うるうるした上目づかい』により、あっさり陥落した。あれを防ぎたければ、盗賊ギルドで訓練を受けて、似た技能を使う側に回るしかないのである。

 ……また盗賊ギルドかよ。

 ブリオッシュに練り込まれたオレンジピールが、なぜか苦く感じられた。


「ふぇ? センパイ、やっぱり美味しくないッスか?」

「変な顔するなって。美味しいよ」

「美味しいなら、変な顔をしてるのはセンパイの方ッス!」

「なんかしらんが、今日は色々と思い出すんだよ。盗賊ギルドのこととかさ」


 口に出してしまったことで、ますますオレンジピールが苦くなった。


「ちょっとそれ、一口くれよ」

「いいッスよぉ!」


 ミルはさっきの不安げな表情を吹っ飛ばし、『プーカブーの羽』となづくる鳥(?)の羽模様が付けられたショーソン・オ・ポムをちぎり、差し出した。ぱくりと一口いただくと、なるほど、幸せの味だった。


「えっ?」


 エステルが、間の抜けた声をあげた。


「? どうかした――」


 俺はそこまで口にして、こっぱずかしさを誤魔化すために、紅茶を飲んだ。自宅兼事務所の癖で、つい、ミルの手から直接、パンを口にしていた。傍から見れば、あーん、とかいう状態である。もっとも別に恥ずかしがることもないのだが、恥ずかしがる人が近くにいれば事情は異なる。羞恥も伝染するものだからだ。

 目じりを下げたエステルから目を逸らすと、難しい顔のミランダがいた。

 なんでだよ。


「どうかしました?」


 てっきりミランダも同じようにニヤついていると思っていたのだが――。


「あの、盗賊ギルドって、ヨーキ=ナハル様への信仰、ありますよね?」

「えぁ?」


 ミランダの回答は、予想外のものだった。


「……たしかにありますけど、傍系ですよ?」

「でもネイトさんは、盗賊ギルドで洗礼を受けてるんですよね?」

「まぁ、たしかにそうですけど、正式な洗礼は直系の方で受けていて、俺の記憶がたしかなら、盗賊ギルドにヨーキ様の像なんてなかったはずですが」

「いえ。。洗礼を与えられるなら、必ずどこかに神像があります」


 盗賊ギルドにヨーキ=ナハルの領域があるなど、聞いたことが無い。記憶に残っている洗礼の儀式は、ギルド員の前で、ギルド支部長が洗礼を与えるだけだ。

 直系の洗礼の儀式とは文言も違ったし、なにより俺が洗礼を受けたのはトコシノイダのギルドではない。

 しかし。


「……つまり、神像があれば、そこを墓地として扱えるかもしれない?」

「はい。というよりも、ギルドに置かれた神像は、ギルド員の墓地だったかも」

「……マジですか……」


 確認をとる価値がでてきた。

 正直に言えば、盗賊ギルドに再び足を運ぶなど、考えたくもない。

 だがしかし。

 暗殺者の影に怯えるのに比べれば、大した恐怖ではなかった。

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