教祖様の脅迫

 じゃがりん、と鎖を鳴らして現れたのは、テッカテカに脂ぎったジジイだった。

 両手を枷で結ばれ、足にはわざとらしい鉄球まで引きずっている。

 しかしジジイは、両手足の重量をものともせずに、部屋から駆け出してきた。


 爛々と輝く瞳は、始終グルグルと動き回っている。

 地下牢に閉じ込められているとは思えないほどの血色と恰幅の良さは、教祖様の投獄は名ばかりで、実態は軟禁に近いことを示している。もっとも、伝聞で聞いている情報が真実なのであれば、単に色んな意味でイカれているだけかもしれいないが。


 教祖様は兵士を突き飛ばす勢いで部屋を飛び出し、どかん、と椅子に座った。

 名状するのが困難な恐怖に、俺は思わず首を振った。

 ミランダが顔を引きつらせているのは理解できる。普通の人だ。

 常なら凛として立つエステルが膝を震わせているのも、納得できる。子供だから。

 しかし。

 あの、ぽけっしているようで肝の据わったミルが、顔を青ざめている。

 死を司る女神を崇める教団、その教祖、恐るべしだ。

 俺は息を飲み込んで、声の震えを抑え込む。


「はじめまして、ですね。ネイトです。お呼びいただき――」

「君か! 君がネイト君か! 君が! あの! ヨーキ=ナハルのお気に入りか!」


 目が血走っている。語気も荒い。ただ言説からして、手紙を出したのは本人で間違いないらしい。

 単純に興奮しているだけとは思えない。伝え聞いている教祖様のヨーキ=ナハルへの熱狂的信心に基づく、嫉妬心によるものなのだろうか。

 いずれにしても、回答次第では噛みついてきそうな気配すらある。

 俺はミルたちの手前、虚勢を張った。


「はい。直接お会いできるとは思っておりませんでした。教団の末席に置いていただき、葬儀ギルドの一人として活動しいる、ネイトと申します」

「うん! そうか! ネイトくんか!」


 そう言って、教祖様は手枷で繋がれた手を差し出してきた。

 癖で握り返すと、万力のような力で掴まれた。なかなか離してくれそうにない手は、しっかりとした肉付きだ。地下牢に入れられているというのに、栄養状態に問題はないらしい。つまり、軟禁を求められて、自ら地下牢を選択したということ。

 

 おそらくは、大地の底のさらに下、死の女神ヨーキ=ナハルに最も近い場所を選んだけなのだろう。

 自然と引き攣りそうになる口角を長年の経験で抑え込み、俺は手紙を机に置いた。


「それで、この手紙なのですが……」

「おお! それか! さっそくだな! 話が早いのはいいことだ」


 教祖様は手をようやく手を離し、警護兵に目を向けた。


「おい! 君たち! しばらく彼らと私だけに――」

「できるわけないでしょう」


 刹那の間で却下しやがった。

 しかし、教祖様は全くめげる気配もなく、声高に叫んだ。


「また自殺するぞ! いいのか!?」

「なっ、またそんなことを……どうしてそう」

「いますぐに出ていかないのなら、舌を噛み切って手枷の鎖を首に巻き付けて死ぬ! よいのか!? お前は監視不足でクビになるかもしれんのだぞ!?」

 

  ……なんというタフ・ネゴシエーション。

 むちゃくちゃだ。蘇生魔法があるとはいえ、自分の命の価値と、その死が及ぼす影響を熟知したうえで、死んでみせると脅すとは。

 精強なる兵士であっても人の子か。仕事を盾にとられて動揺している。


「ぬっ……しかし――」

「それだけではないぞ! 国王陛下は昨今の人口増加を憂えて居られるのだぞ! しかもここにこうして葬儀ギルドの者が来てくれている! つまり――」

「分かった! 分かりましたよ! すぐに出ていきます!」


 兵士は両手を挙げて降参の意を示し、すぐに俺を指さした。


「ただし、残っていいのはあんただけだ。他は出てくれ」

「ふん。だ、そうだ、ネイトくん。君の他は部屋から出てくれるかね?」


 教祖様は、いやらしく口角を引き上げた。狂人と言うべきか、悪人というべきか。

 わざわざ葬儀ギルドを呼びつけたということは、はずだ。しかし死の女神の教団を率いる老獪な教祖は、らしい。

 目の前の狂気と正気の狭間を漂う老人からは、嫌な予感しかしない。

 俺は部屋から出ようとする兵士を呼び止めた。


「申し訳ない。ミルは残してもらえます? ウチの共同経営者なんで」

「ふぇ?」「は?」「え」


 ミルたちは三者三様の声を出し、兵士は眉をひそめた。

 しかし、今度はこちらも譲れない。護衛もなしにイカれたジジイと二人きりなぞご免こうむる。なにせ相手はヨーキ=ナハル教団直系の教祖だ。俺の使える魔法の類は、やはり意味をなさないはずなのだ。それなら、ビビり気味のミルであっても、一人で対面するより、ずっといい。


「ほら、ミルはこっちこい。他は外で待機。お手数おかけしますね」

「ぬ……分かった。じゃあ、君も残っていい。他は俺と外に」


 ぶーたれながらも、ミランダとエステルは、兵士とともに部屋を出た。

 残るミルは、


「ボク、所長ッスかぁ!?」


 両手をぎゅっと握って、声を弾ませた。

 ただの方便だよ。おバカさんめ。あと所長ってなんだ。


「チッ」


 対面から聞こえた舌打ちに、俺は思わずイカれたジジイを二度見した。マジで首筋に噛みつく気でもあったのか……?

 気づけば、手が汗でじっとりと湿っていた。

 俺の怯えを見透かすかのように、教祖様が口を開いた。


「単刀直入に言おう。私の葬儀を行ってくれ」

「は?」


 教祖様の物言いに、机に置いた肘が、綺麗に滑った。

 話が早いに越したことはないが、あの回りくどい手紙はなんだったのか。


「えっと、どんな棺がいいッスかぁ?」


 そう言って、ミルは鞄から付箋だらけのカタログを取り出し、机に広げた。

 さすがだ。先ほどビビっていたというのに、ミルはすでにに入っている。

 


「実は既に決めてあるんだよ」


 そう言って教祖様はパラりとページをめくって、一つの棺桶を指さした。

 黒檀で作られた最高級品。純金製のヨーキ様の印と、白金の茨が絡みつく棺。

 ド派手で高くて、誰も買おうとしない逸品でもある。


「ふぉぉぉ……すごいッス! ボク、これ見てみたいッス!」

「そうだろう。凄いだろう。これは私が意匠したヨーキ様モデルで――」

「すっごく高そうで、ちょーダサなところとか、それっぽいッスねぇ……」

「んな!? 貴様、誰に向かって――」

「まてまてまて! まだ請けるって言ってねぇから!」


 目の間で矢継ぎ早に行われる経営者不在の商談に、つい叫んでしまった。ヨーキファンのジジイと、おバカな後輩の眉が、にゅっと歪んだ。

 なんで俺が睨まれるんだよ。


「あの、俺、まだ仕事を請けるとは言っていないんですけど?」

「なんだとネイトくん。断るのかね?」

「受けるッスよぉ。ボク、この棺、一回でいいから見てみたかったッス」


 その付箋、そういう意味だったのかよ。ミランダと一緒になって勉強してると思っていたが、実態はミランダとカタログ使って遊んでいたのか。

 常ならペチってるところだが、今はそんな余裕はない。


「ミル、お前はちょっと黙ってろ。こういうときはまず、仕事を請け負うかどうかから入るんだよ。即答で請けたりしたら、損するんだ。見て学べ。お勉強だ」

「むむむ……」


 頬をぷこっと膨らませて唸ったミルは、鞄から『おべんきょー用めがね』を取り出しかけた。


「りょーかいッス! 共同経営者として、おべんきょーするッス!」


 ビシっと敬礼。ドヤデコも付属している。

 どうやら所長から共同経営者に神速で転職クラスチェンジしたらしい。ただの方便だぞ。

 俺は急激にムズ痒くなってきた頭を掻きむしり、教祖様に向き直った。


「まず、なんで俺なんです? そこから聞きましょうか?」

「ヨーキ様が仰ったのだ!」


 そう叫び、教祖様はやおら立ち上がった。狂気を孕んだというより狂乱丸出しの目で、大地を穿つかのように睨みつける。


「葬儀ギルドのネイト! 彼の者に汝の死を命ぜよ! そしてその勲功を称えよ! さらばわらわの下へ汝を遣わそう! と!!!」


「さ、さいで……」

「じいちゃん頭おかしいッス」


 唐突に辛辣なことを口走ったミルのデコをすかさずペチる。

 そして俺は、黒苔生した天井に、得られはしない救いを求めた。

 いつだってヨーキ様は、ロクなことをしてくれないのだ。


「もし俺が断ったら、どうするんです?」

「心外だな。私はなにもせんよ。ただほら、昨今では暗殺ギルドも暇を持て余しているというだろう。彼らは教団の傍系でもあるわけで――」


 やはり姉妹なだけある。天にましますユーツ様も、ロクでもねぇ。


「また来ると思いますか?」

「なんだ? すでに暗殺ギルドの連中が動いていたのか?」


 とぼけた振りをして、教祖様は首を傾げた。しらじらしい。

 この反応は、自分が指示しましたと言っているようなものだ。同時に、断れば、とめどなく殺しの専門業者がお前の処に行くぞ、と脅してきている。そうに違いない。

 たまらず視線を外すと、ミルが不思議そうに小首を傾げていた。

 お前はいいよな、いつだって幸せそうで。


「一人二人、押し込み強盗が来ましてね。迷惑したんですよ。目的はなんだったのか、いまだに良く分かりませんが」

「それは、ほら、一時期の君は、蘇生魔法の命運を担っていたそうじゃないか」

「……どうでしたかね。俺はそれほどの大事件には――」

「すごかったッス! 先輩、どばばーって走って、どっかーんッス!」

「ばか。やめろ」


 なんでこの子は空気を読めないのか。いや、読まないのか。

 俺は気を取り直し、対話を続けることにした。嘆いたところで、事態は改善されないのだ。


「じゃあ断ったりしたら、また来たりしますかね?」

「私には分からんが、まぁ私が生きている内はありえるなぁ。そうなったら災難だ」

「そうですよねぇ。凄い災難だ」


 クソジジイめ。

 思い浮かぶのは罵詈雑言ばかりだが、ぶつけたところで意味もない。

 まずは降りかかる火の粉を優先するべきか。


「仮に。仮にですが、受けたとしたら、もう来ることはないですかね?」

「分からんが、ないだろうなぁ。なにせほら、教祖が別の誰かに交代するだろう?」

「それが何の関係が?」

「地下牢にいる私の名前は便利だろう。出せば人を動かせるし、責任もつけられる」

 

 この期に及んで自分で命令したのではない、とでも言うつもりらしい。

 自分で命を下していないなら、なぜ先ほどから言葉を濁すのか。

 俺は腹の奥底から押し上げてくる感情に負け、重い息を吐きだした。


「……棺は先ほどのもので、よろしいですか?」

「話が早くて助かるよ、ネイトくん」


 なにがネイトくん、だ。

 ただの脅迫にしかなっていないが、断って実際に襲われるのは困る。

 実行されるかどうかはともかく、というだけで、月の無い夜にも照明ランプが作る陰にも怯えなきゃならなくなる。残りの人生を暗殺の気配に追われて生きたい奴はいない。

 俺は、仕事を引きうけることにした。ただし、問題がひとつ。


「ええと、時間もらえますかね?」

「どのくらいだね」

「永遠に、と言いたいところですが、そうもいかないでしょうね」

「いかないだろうね。できれば三日か四日か、遅くとも一週間以内がいいんだがね」

「棺の準備をしなければいけないので、それくらいはいるでしょうね」

「ほう」


 教祖様は前のめりになり俺の手を掴んだ。血走った目が輝いている。


「それは三日のほうかね? それとも一週間の方かね?」

「……間を取って、五日で」

「センパイ、共同経営者の意見は聞かないッスかぁ?」


 と、ミルが鼻息をフンスと吐いた。


「じゃあ、お前は何日欲しいんだよ」

「ボク、パン屋巡りしたいから、二週間は欲しいッス!」


 おバカさんめ。だが、チャンスを作ってくれたことには感謝しよう。

 俺は間髪入れずに、ミルの「ッス」に乗っかっていた。


「と、ウチの共同経営者が言っているんですが、どうでしょう?」

「ふむぅ?」


 と、教祖様は顎を撫でさすりつつ、ミルとにらみ合いを始めた。

 もっとも、ジジイの方はともかくとして、ミルの方が敵意をもつわけがない。万が一あったとしても、手作りのバゲット生地に練り込む砂糖程度の量に決まってる。つまりは、ゼロだ。


「一週間じゃ、お手紙も届かないッス! いっぱい、来たい人がいるはずッス!」

「私の死に目に会いたい者なぞ……」

「そんなことないッス!」


 まるで感極まったかのように言って、ミルは教祖様の両手を握った。


「それに、おそーしきは、おじーちゃんのタメだけじゃないッスよぉ! 残った人たちみんなが、おじーちゃんの事を思い出すためにやることッス! だから、ちゃんと準備をするべきなんスよ?」


 傍から見ているとミルの説得は孫娘的なものだった。意味不明だ。孫ではないし、なにより教祖様に嫁がいるなんて聞いたことはない。ヨーキ=ナハル一筋のはず。

 しかし。


「ぬぅ……では、最長で二週間、待ってやろうではないか」


 ナマイキにも、機能しやがった。

 突然の共同経営者指名に浮足立つかと思いきや、ここ最近のエステルへのセンパイプレイですっかり自覚が出てきたらしい。喜ばしいやら悲しいやら、妙な気分だ。


「それでは、日取りが決まりましたら、また伺う、ということでよろしいですか?」

「……まぁいいだろう。ただし、二週間までは待つが、それ以上は……」

「断れないようにしておいて、言ってくれますね」

「私がいつそんなことを言ったね」

「とりあえず、依頼は承りましたよ」


 さすがに悪態を付け加える勇気はなかった。

 俺は机の上のカタログを手に取り、ミルに差し出した。


「よし。ミル。仕事の準備を始めるぞ」

「ふぇ? あ、りょーかいッスぅ!」


 ビシりと決まった敬礼を横目に、俺の頭は火花を散らして回転していた。

 どうやって地下牢内の教祖様を死なせて、王宮から墓地まで連れて行くんだよ。

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