死なせたくない人、死にたくない人。
俺は、冷たくなっていくミルの小さな躰を抱きしめた。まだ何年かは大きくなっていくはずの躰だ。死なせない。こんなところで終わらせない。
必ずライト・シハナミに連れて帰ると、約束した。
「ジーク! ジーク!! 蘇生だ! 頼む! ミルを死なせないでくれ!」
「分かってる! 分かってるから、ちょっと待て! 即時蘇生術のタマは残ってねぇんだよ! まず魔法陣を――」
「いいからさっさとやれ! 早く! 頼むから!」
俺がこれだけ頼んでいるというのに。バカは。
バカのジークは、暢気に地面に魔法陣を描き始めた。
「なにやってんだよ! いつもみたいにサクっとやれ!」
「できたらやってんだよ! お前は少し落ち着け!」
「落ち着けるか! こんな、こんな冷たくなってるじゃねぇか!」
「いまは死んでんだから当たり前だろが! お前が慌ててどうすんだよ!」
ジークは怒鳴るようにそう言って、緩慢にすぎる魔法陣の作成に戻った。
俺はミルの躰を抱いて――、ただ待つしかないのかよ!
「おい、ジーク! まだなのかよ! 早く――」
「ネイト! 長のあなたが落ち着かなくてどうします!」
突然背後から凛とした声が響き、俺の肩を掴んだ。エステルが形のいい眉を歪ませていた。見れば鎧はひしゃげ、手には折れた大剣を引き摺っている。
ミルの顔を覗きこみ、再びこちらを向いた目には、怒りが乗っていた。
「あなたが取り乱せば、部下の魂も浮かばれませんわ」
「冗談じゃねぇ! 殺すな! 蘇らせるんだよ!」
「ですから――」
「ネイトさん。そんなに強く抱きしめたら、ミルちゃんの息もつまっちゃいます」
ミランダは諭すようにそう言って、ミルを抱く俺の手に触れた。
そこでようやく、俺は自分の躰が震えていることに気付いた。
とん、と杖をつく音がした。
ジークがひとつ咳ばらいをして、厳かに呪文を唱える。これまでに見たことのないやり方だ。
「生命の女神ユーツ=ナハルよ。迷える者の魂を、いま一度、肉体へと導き給え」
後に続く古代語と思しき言葉の羅列は、俺には聞き取れなかった。
分かるのは、たしかに蘇生術は困難になっていることと、ジークの呪文に従うように、引かれた魔法陣が淡く光り始めたことだけだ。
ジークは杖の頭飾りをミルの頭にかざして言った。
「神よ、我が手にその御力を貸し与え給え……
陣から溢れだした光が大を引きながらミルの躰に集まり、吸い込まれていく。
そして――、
散った。
「あ、あれ?」
ジークの間抜け声を認識すると同時に、俺は叫んでいた。
「早く! もう一度やれ! 頼む、頼むから! 早く生き返らせてやってくれよ!」
「わわわ分かってる! 分かってるよ! 待ってろ、次は確実に――」
繰り返された蘇生の魔法。淡い翠色の光は、しかし、やはり散った。
なにかが躰から抜け落ちていく。
降り落ちる雪よりも、ミルの躰は冷たかった。頬を何かが伝う。
俺は、ジークに縋るしかなかった。
「頼む、ジーク。頼むから、ミルを、生き返らせてくれ……」
「任せろ。なにがなんでも、蘇らせてやっからな」
ジークは荒い息を吐きだし、そう言った。
何度となく繰り返される蘇生の秘術。事態を察したタラスも手を貸してくれ、ミランダも、未だ傷の癒えていないエステルも協力してくれた。
しかしミルは、俺の大事な共同経営者さまは、
目覚めてはくれなかった。
なら強行手段しかない。
「ミランダさん、手ぇ貸してください。毒はまだ残ってるから、俺をヨーキ=ナハルのとこまで送ってください。それからジーク、お前は――」
「無茶なことを言わないでください!」
ミランダが叫ぶ。毒の小瓶を掴んだ手は、エステルに止められた。
「……離してくれよ。蘇生魔法でおっつかねぇなら、俺が行くしかねぇだろ?」
「バカだろ、お前」
ジークは息を整え、再び躰を起こした。
「たまにゃ俺の事も信じろよ、ネイト。絶対、生き返らせてやっから」
「ジークさんも。もう危険ですよ。これ以上続けたら、あなたも死んでしまいます」
諭すように言うミランダの肩を叩き、ジークは親指を立てた。
「まだいける。つか、万が一俺が死んじまったら――アンブロジアさまンとこに、殉教しましたって伝えてくれな!」
「ジークさん!」
ミランダの叫びを無視するように、再び蘇生の魔法が繰り返された。
しかし、蘇生の光は、無常にも散逸してしまった。
ジークはガタガタと躰を震わせながら、再び杖を構えようとした。ミランダがそれを制止し、エステルが俺の肩を叩いた。
「もう、よろしいですわね?」
「……よくねぇ。よくねぇよ」
ミルの眠っているようなアホ面見てると、思いだしちまうんだよ。
盗賊ギルドを抜けて、あちこち回って、初めて会ったあの日のことを。
菓子パンを頬張るミルの顔が頭から離れない。なんで俺は、もっとちゃんと、死なないように気をつけろと、言わなかったのだろうか。ミルはおバカなんだから、俺が教えてやらなきゃいけなかったのに。
「ミル……」
俺はミルの小さな躰を、抱きしめた。
ほのかな温かみが、そこにあった。
「――ッ! ミル……?」
「……ッス」
幽かな声。
ミルの手が、俺の背中を軽くたたいた。
「センパイ、苦しいッス……」
「――ッ!!!!!!」「んなっ!? 俺はまだ――」
俺はジークの声を無視してミルの両肩を掴み、そのくりくりとした青い目を見た。ついさっきまで寝ていたかのように、うっすらと目尻に涙を溜めていた。
「ミル! ミル!!」
再び抱きしめた瞬間、ぐぇ、と小さく唸ったミルは、冗談めかして言った。
「センパイは寂しんぼさんッスねぇ」
「おバカめ。寂しがったのはお前だろ。ちゃんと帰ってきたんだから」
「へっ?」
と、ミルは頓狂な声をあげ、ぐっと躰を離した。
「センパイ、見てたっスか?」
「はっ? 何の話だ?」
「あああああアレは違うッス! ボクは寂しかったとかじゃなくって!」
ミルは顔を真っ赤にして、言い訳をはじめた。
*
「ぷはっ」
と、ミルが息を吹き返したとき、そこは真っ暗な闇の世界だった。
体温を感じず、光はなく、躰を触らねば自分がそこにいるかも怪しい世界。これまでにも何度か死んだことはある。しかし、いつも寝て起きただけかのようだった。
夢を見ているのかと頬をつねって、ようやく現実だと悟った。そして――、
ミルはわんわん泣いた。
「センパーイ! どこッスかぁぁぁ! ボク、迷子になっちゃったッスよぉ!」
泣けば泣くほど不安は増す。骨を伝わり声は聞こえる。しかし耳に届く音はない。
「ああもう! うるっさいわね!」
泣き喚いてたミルを黙らせたのは若い女の怒声だった。聞き馴染みのある声だ。
ミルはようやく見えた人の姿に安堵の息をついて、すぐに誰か気づいた。
「……ヨーキ=ナハルさま、ッスか?」
「……よく分かったわね」
「すごいッス! ちょー、ド派手ッス!」
「あ?」
ヨーキ=ナハルの眉間に皺が寄る。しかしミルは意に介さない。飛び跳ねるように喜び、はっと気づいて、ぺこり、と頭を下げた。
「いつも美味しいパン屋さんを教えてくれて、ありがとうッス!」
「……えぇ? ――まぁ、うん。信徒は信徒だしね」
ヨーキ=ナハルはさらりと髪を払って言った。
「まったく、死んだってのに、暢気よね、あんた」
「ふぇ? ボク、死んじゃったッスか?」
「どんだけ暢気なワケ? そう、死んじゃったの」
「――でも大丈夫ッス! ジークさんが生き返らせてくれるッス!」
むふん、とミルは胸を張る。
大丈夫ッス。死んじゃっても、すぐに起こしてもらえるっス。
しかし予想に反し、ヨーキ=ナハルはかぶりを振った。
「無理よ。あんた、命を全部燃やして、使っちゃったじゃない。もうあんたの躰は燃えカスみたいなもんなの。生き返るなんて、不可能よ」
「え、と、でも、ボク――」
「誰かのために命を投げ出すなんて、そうそう出来ることじゃないしね。あんたの魂は丁重に扱ってあげるから――」
これまで仕事を終えたときに聞こえてきた声と違って、ヨーキ=ナハルの声音は大真面目なものだった。
全然楽しそうではなくて、褒めてはいても、悲しそうな言い方で。
気付いたミルは、叫んでいた。
「待って! 待って欲しいッス! ボク、ボク、まだ死にたくないッスよぉ!」
再び、青い双眸から、涙がこぼれはじめた。
センパイを助けないと死んじゃうと思っただけで。
死にたいと思ったわけではなくて。
まだセンパイと、ずっとずっと、一緒に居たくて。
それなのに、もう会えないなんて、耐えられそうになかった。
「嫌ッス! 絶対嫌ッス! ヨーキさま! ボクを戻して欲しいッス! ボク、まだセンパイと一緒に居たいッスよぉ!」
「だったら、ネイトの言うことをちゃんと聞いておくべきだったのよ」
「言うことって――」
「ネイトはいつもあなたに言ってたでしょ? 死んだら終わり。戦うときは、いつもそう思っていなさいって。特別な命令もあったでしょ? 覚えてる?」
覚えている。忘れるわけがない。
初めて出会ったその日に、あの人は言った。
「……死ぬな、殺すな」
「そう。ネイトは死を大事にしていたし、あんたにもそう思ってもらいたがっていた。気づいたのが死んでからだったのは、誤算だったでしょうけどね」
慰めるような物言いに、ミルはこらえきれなくなった。
「――嫌ッス! 助けてほしいッス! ボク、死にたくないッスぅぅぅ!」
しかし、どれだけ叫んだみても、ヨーキ=ナハルは首を縦には振らない。それどころか、ミルの頭を軽く撫で、宣言した。
「あんたの魂は、次に生まれる命に使ってやってもいいわ。言っとくけど、これって名誉だかんね? 私がユーツに頭を下げるなんて、滅多にないことなんだから」
「いらないッス! そんなの、そんなの絶対嫌ッスよぉ!」
「ああもう! 聞き分けろっつの! アンタは死んだんだから!」
膝を折ったミルは、ただ、嫌だ嫌だと、嘆き続けた。
ため息をついたヨーキ=ナハルは、最後の言葉を問うた。
「何か伝えたいことがあんなら、ネイトに伝えてあげるわよ? 大サービスで――」
「いや、ちとまたれい」
聞こえた声は、レオニートのものだった。
「話が見えぬのだが、ミルどのは死におったのか?」
「ちょっ、アンタはなんでここにいんのよ!?」
「む? 声が聞こえたからに決まっておろう。そこもとの名は?」
「ざっっっけんな! 神に名を聞く奴がいるかっての!」
「む。ここにおるであろ。なるほど、神とは尊大なものよの」
「あぁぁぁ!? どっちが尊大――だからアンタら一族は……ほんっとムカつく!」
とうとつに始まった喧嘩に呆気にとられたミルは、しかし涙をポロポロこぼしてレオニートに言った。
「ボク、ボク、レオニートくんを死なせたときに、死んじゃったって、ヨーキさまがボク死んじゃうしかないんだって言って」
「ふむ。まぁ、仕方ないのではないか?」
レオニートが無下にそう言うと、とうとうミルは、ぶぇぇぇと泣いた。
死の女神は苛立たし気に前髪を掻き上げ、レオニートを睨んだ。
「アンタらと違って、人の命は短いの。一瞬なの。仕方ないなんて割り切れるアンタらの精神構造とは違うのよ。分かる? 分からないでしょうね。だからアンタの親父は死ねない躰になったんだし」
ピクリ、と、レオニートは片眉を小さく跳ね上げた。
「父と一緒にされるのは心外だの。父は我と違って役職も持たずにふらふらと歩く男であったが、我は民の命が失われるのを見てきた。決して死を悼む気持ちがわからぬわけではない」
言って、さめざめと泣くミルの頭を撫でた。
「どうだろうか。神とやら。ここはひとつ、我の死に免じて、ミルを許してやってくれんかの」
「はぁ? あんたの命如きがなんだってのよ。思い上がらないでほしいわね」
「さっき死を大事にするのだとかなんとか、言っておったではないか。我が死ねば数万からなる人の命も我が民の命も救われる。違うかの?」
「――、」
ヨーキ=ナハルは顔を背けたかと思うと、蛇のように狡猾な目をして言った。
「あんたが永劫の死を捨てるなら、助けてあげてもいいわよ? でもよく考え――」
「よいぞ。それでも構わん。ただし、この子には命を返してやってくれるの」
ノータイムで出された回答に、ミルは涙を止めて感謝した。
「レオニートくん……ありがとうッス!」
「うむ。今わの際とやらに、面白いものを見せてもらったしの。あおいこである」
「なに納得してんの!? あれだけやって、死のうとして、死ねたのに!? 限りない生がこれからも続くのよ!?」
ふ、とレオニートは鼻を鳴らした。吊り上げられた口元は悪魔のそれだ。
「だから、なにか。これまでも続いてきたではないか。なにが変わるものか」
「あんたの守るべき民とやらは!」
「ここで我を死なせぬのなら、死の女神とやらが我に死を与えなかったからであろ。我は一度は死んだ。我の責は果たしたわ。タラスの奴も見届けたはずよ」
ヨーキ=ナハルはわなわなと怒りに躰を震わせていた。
ミルには話が難しくていまいち分からなかった。
しかし、死の女神と、死を奪われた者の決戦は、すぐそこで行われていたのだ。
「じゃあ条件をつけるわ」「後出しで交渉とは神と言うのも狭量よな」「なっ、言わせておけば」「そもそも人に蘇生の力とやらを与えて奪うとは」「それは妹の仕業で私のせいじゃない!」「それより先ほど我が一族から死を奪ったと言っていたが」「だったらなに!」「我には何の落ち度もないではないか」「それはあんたの父親が」「つまり我はこう言えばよいのかの」「なによ!?」
「それは――我の所為ではない。違うかの?」
レオニートは、したり、とばかりに唇の片端をあげた。
ヨーキ=ナハルはぐっと唇を嚙み、舌打ちした。
矢継ぎ早に行われた決戦を、ミルはぽかんと見守っていた。
なんとなくレオニートくんが優勢っぽいッス、と思っただけである。
指先で目元を揉んでいたヨーキ=ナハルは、自ら沈黙を破った。
「――折衷案。私が受けられるのは、折衷案だけよ」
「申してみよ」
いつのまにやら立場が逆転している。しかし誰も気づいてはいない。
「あんたの死をもって、この子に生を分け与えんのよ。この子が寿命を迎えたら、あんたの魂には地上に戻ってもらう。また長い呪いの再開よ」
「ほう。なかなかうまい手を考えたものよの。して、それはいかほどの年月か」
「人の寿命を教えるわけがないっしょ? でも、まぁ、この子は今から百年くらいは生きんじゃない? ま、心得ときなさいな。百年の眠りは一瞬だかんね」
「心得るほどの話なのかの? まぁよい。ミルよ、分かったかの?」
ミルは、魔王の笑顔でこれから何が起こるのかを察し、ビシっと敬礼した。
「ばっちりッス!」
かくしてミルは、再び眠りに落ちた。
*
話を聞き終えた俺は、呆れたような、安堵のような、なんと言うべきなのか分からない息を吐きだした。ただ、頬をほんのり薔薇色に染めたミルの顔を見ればわかる。
少なくとも、ばっちりではない。
寒さのせいかプルプル震えるミルに防寒着を被せ、恩人の姿を探す。寝転がっているレオニートは、死んでいると言っていいのだろうか。いつかまた、ミルが死を迎える日には生き返る羽目になる。謝るべきなのか、感謝すればいいのか。
『葬儀屋ネイト&ミル』の初仕事としては、失敗になるのだろうか。だとしたら、どう詫びればいいのか。なにを頼み、どうすればいいのか。
そして、ミルを、どうやってライト・シハナミに連れ帰ればいいのか。
「センパイ、センパイ」
ちょちょいと手招きしたミルは、耳打ちしようと、口元に手をかざしていた。
今度はなにかと耳を寄せると、
ぺちん
と、額を叩かれた。
「……なんだよ?」
「センパイ、おバカさんッス!」
ミルは満面の笑みを浮かべた。
「ボク、先輩と一緒なら、どこに行っても大丈夫ッスよぉ!」
おバカめ。
俺はミルのデコをペチって、抱え起こした。
後のことは、タラスと話して決めることにしよう。きゅるきゅると、ミルの不正確な腹時計も鳴っている。まずはメシを食わなきゃ頭も回らん。
「ユーツなんてもう信じねぇ」と喚くジークを蹴り起こし、タラスを呼んだ。
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