山の上の鬼
俺はミランダたちを教会に運び入れ、古ぼけた薪ストーブに火を入れた。
エステルとミランダは頭から毛布をかぶり、湯桶に足をつけていた。
ミルとヴウーク少年と司祭様はあちらこちらへと走り回って、三人の体温をあげようと奮闘していた。
そのとき、俺の前にはバカがいた。本物のバカだ。たしか名前はジークと言ったはず。いまはバカだ。頭から毛布を被って鼻水垂らすバカという名の生き物だ。
「おい、バカ野郎。教えてくれよ。なんでお前が『アンブロジア様へ』と書かれた手紙を無断で開封してスラ・エマンダまで来てんだよ。仔細漏らさず話せよ?」
「ままままままままままてててててて」
もちろん、待つわけがない。
「待て? それが封書を開封した理由か? 聖書が読めるんだから、手紙の宛先くらいは読めるよな? なんて書いてある? これだ。見えるか?」
俺はジークの鞄から出てきた開封済みの封書を突きつけ、叩いて示した。
「『アンブロジア様へ』そう書いてある。分かるよな? お前宛ての手紙にはなんて書いてあったか覚えてるか?『親愛なるジークへ。手紙をアンブロジアに渡してくれ。どんなに遅くなっても、礼は必ずする。頼む』そう書いたんだ。読んだよな?」
この俺がお前に『頼む』なんて言ったのは、人生振り返っても二度か三度だ。その意味が分からない程のバカじゃあないよな?
俺はそう意志を込めて、血の気を失ったジークの無駄に整った顔を睨んだ。
「たたたたのむかかかからららままままま――」
「センパイ、あんまりイジメちゃダメッス!」
慈悲深いミルはそう言って
甘すぎる。アンブロジアを戦力としてアテにしてたってのに。
まだまだ説教も文句も苦情も、このさい罵詈雑言だって言ってやりたい。しかし、溜まりに溜まっていた苛立ちをぶつけたところで事態は好転しないのも事実だ。
ため息をひとつ。
「ミル。ここは任せるわ。俺はあの馬車とか処理してくる」
「ふぇ? りょーかいッス!」
ビシっと決まった敬礼に頷きで返して、俺は教会の外に出た。
部屋をガンガンに温めていたせいで、外気が普段よりキツく感じる。とはいえ、数ヶ月も住んでいれば慣れもする。いかに極北の地と言えど、季節も夏に向かい始めて屋外での活動に支障はなくなっていた。
もちろん、遥か南から来てくれたミランダやエステル、ジークにとっては違ったのだろうが。
俺が凍死した馬四頭を馬肉に変えて荷物と馬車を教会まで運んで戻ると、三人は会話ができる程度には回復していた。
まずねぎらいの言葉をかけるべきか、それとも早々に仕事の話をするべきか。
と、迷っていると、俺が肩に担いでいた馬の脚を見て、エステルが顔をしかめた。
「それ、食べる気ですの?」
「え? あぁ、馬か? 死んでたし、そりゃ食べてやるのが供養だろうさ」
「……私は遠慮しておきますわ」
「えぇと……勝手に処理したのは謝るよ。悪かったな」
「いえ、それは別に。無理をさせたのは私ですわ」
そう言って、エステルは被った毛布の端を引っ張り寄せた。
「それより先に、私に言うことがあるのではなくて?」
「……なんかあったっけ?」
エステルの眉間に深い皺が刻まれた。唇の端も吊り上げられて、作り笑いがピクピクと痙攣している。
俺は慌てて朧げな記憶を掘り返して言った。
「いや、悪かった! 迷惑かけたよな! でもほら、あの時は戦車なんか邪魔でしょうがなかったし、エステルもミランダさんも巻き込まないようにと――」
「じゃなくて!」
エステルは叫ぶように言った。
「従業員に何の相談もなく雲隠れする所長がいますか!?」
「あぁ……そっち」
「そっち!? 私とミランダがどれだけ面倒な目に遭ったのか分かっておいでですの!? 根掘り葉掘り話を聞かれるわ四六時中監視されるわ、終いには届いた手紙もいちいち兵士たちの前に開く羽目になりましてよ!?」
エステルの怒りもごもっともである。
詳しく話を聞くと、どうやら俺とミルが王都から逃亡した後、それはまぁ大変だったらしい。さすがに問答無用の投獄などはなかったらしいが、屋敷には家探しが入って、数週間ほど監視されたという。
ミランダに至っては仮住まいが事件の主犯である俺の事務所だ。しかも言われた通り事務所を守ろうとした結果、彼女は俺との関係を疑われ、仕事も追われたという。
俺はどんなに言葉を重ねても足りないと思い、床に頭をつけて謝罪した。
すると、恐縮したのかミランダが大慌てで否定して言った。
「それより、頂いたお手紙についてです。あの、その、魔王の葬儀って――」
「それですわ」「それな」
エステルとジークが声を揃えて言った。
「あなた、なにを考えていますの?」「お前、何考えてんの?」
俺はミルと顔を見合わせた。
どちらが説明するべきなのかは明白だ。言い出しっぺの俺。けれどここは――、
「ミル。依頼の説明、頼むわ」
共同経営者さまの成長を見守ろう。
一瞬きょとんとしたミルではあったが、すぐにフンス、と鼻を鳴らして言った。
「りょーかいッス! すぐに準備するッスよぉ!」
そして俺は、暖かい紅茶で平静を保ち、三人の頭上に浮かんだ疑問符を眺めた。
まるで伝わっていないのなら、俺がやり直せばいい。けれど、ミルが身振り手振りを交えて一生懸命に説明するせいで、却って中途に状況が伝わっていく。
魔族の監督者は正確さを省いて魔王と呼ぶ。不死者の葬儀はテキトーで、そのくせ絵本の話は情緒たっぷり。
当然、満足げになったミルのデコは、俺にペチられた。
それから俺とミルは二日をかけて三人の体力が回復するのを待ち、レオニートの邸宅へと――正確には監督者邸――を訪ねた。
三人はまずタラスと双頭の魔狼に大いに驚き、次いで邸宅に困惑した。そしてレオニートに会う頃には、感情が擦り切れかのように驚きすらしなくなっていた。当然、魔族ジョークはだだスベリしたのだが、それはどうでもいい。
ともかく、ミランダは人の死についてレオニートに語った後、興味深い話をした。
「我々の神であるヨーキ=ナハルの蘇生封印は、元を正せば貴方のような方に安らかな眠りを与えるための術なのです」
俺は思わずミランダに目をやった。ヨーキ=ナハル信徒の墓守が語るその話は、これまで葬儀屋をやってきて初めて聞いた話だったのだ。
俺の静かな動揺は誰にも気づかれることなく、ミランダの語りに覆い隠された。
「ヨーキ=ナハル様にとって、蘇生魔法は不死と同じなのでしょう。神の御業ゆえ、私はその
玉座から身を乗り出したレオニートに、ミランダは静かに告げた。
「人であれ魔の者であれ、ヨーキ様は分け隔てなく永遠の死を与えて下さるはずです。しかしそのためには、ヨーキ=ナハルの信徒になって頂く必要があります」
この期に及んで勧誘するのかよ。と、思った。
もちろん、魔族に商戦しかけた葬儀屋は文句を言える立場にないのだが。
レオニートは片肘をついて、小さな顎を撫でた。
「ふむ。人族の神やら信仰やらというのは、我にはよく分からぬの。けれど死ぬるに必要だというのなら、それも致し方なしよの」
「……よろしいのですか?」
と、珍しくタラスが確認を取った。
レオニートはさも楽しげな笑顔を浮かべて、空いた手をぱたぱた振った。
「構わぬ構わぬ。そもそも人の神が我に加護を与えるのかどうか分からんしの。試してみるのも一興というものよ」
「では、改宗については後ほど詳しく説明させていただきますね」
俺は間髪入れずにそう伝え、弱点探しに移ろうと思った――のだが。
「うむ。しかしまずは、新たな客人をもてなさねばの」
悠久を生きるレオニートにとって時間は無限。時間の使い方も優雅なものだ。
俺は即座に頭を切り替え、会話の中で探りを入れていくことに決めた。
しかし、それからの食事を含む数時間は、俺にとって落胆の連続だった。
人族の料理を勉強させられたタラスがニンニク入りのスープを作り、レオニートは顔をしかめつつ銀食器で食したのである。つまり、どちらも弱点ではあるが、『単に嗅ぎ慣れない香りが苦手』であり『熱いスープに銀の匙では火傷する』という過保護な理由に過ぎなかったのだ。
ついでに――すでに予想はついていたが――食事は珍しく晴れ渡る空の下で行われた。もちろん雲海を裂いたのはレオニートである。『やはり日の光は心地よいな』とのことだ。チクショウ。
要するに、一カ月を費やして探しだした弱点は、嘘か別種族の物だったのだ。
いまさらながらに思えば、文献に載っていた不死者とレオニートでは、まず肌色が違った。文献では死者と見紛う血の気のない肌に絶世の美男とあった。けれど、レオニートの頬は健康的な薔薇色で、美男というには幼すぎる。
ならば残すは、絵本にあった魔法陣の記述である。
俺は三人にも見事な庭を見せるため、と称して散策を申し出た。
二つ返事で承諾してくれたレオニートは、ついでに得体の知れないオブジェや、僅かに生える草花の解説までしてくれた。
ミルは解説を聞くたびメモまで取って喜び、エステルは賛辞を呈して接待する。たしかに、どれも興味深い話ではあった。しかし目下の俺の興味は、足元の雪の下――石床に刻まれているかもしれない魔法陣だけだ。
レオニートが気を良くしている隙をみて、俺は足元の雪を払った。
しかし積雪は思いのほか厚く、魔法陣どころか床すら顔を出さない。あるのは踏み固められて凍りついた雪の層だけだった。もはや人の技で削るのは不可能だ。
そう悟った俺は、観念してミルを呼びつけ、借りてきた絵本を出させた。
「レオニート様、この絵本はスラ・エマンダにあったのですが、ご存知ですか?」
「絵本? ほう……これは……いつの話かの」
受け取ったレオニートは興味深そうにページを捲り始めた。どうやら絵本の存在は知らなかったらしい。
これも外れか。と俺は思った。
しかし、レオニートが目を輝かせて言った。
「我の一族の話かは分からぬ――が、これとよく似た壺はあったかもしれんの」
「壺、あるんですか!?」
思わず大声で問い返してしまった。
レオニートは目をぱちくりと瞬かせ、柔らかい微笑を浮かべた。
「うむ。おそらく。何に使うものなのかは我も知らんでの」
そう言ってレオニートはタラスを手招き、すぐに取りに行くようにと指示した。恭しく一礼したタラスが屋敷に戻っていくのを見送り、絵本をこちらに差しだした。
受け取ると、すぐに彼は言った。
「それと、我も庭の雪を剥いだことはない。どれ、魔法陣とやら、確認してみよう」
それこそ、まるで宝探しごっこをしている子供のように目を輝かせていた。
「少し下がっておれ。こんなことで怪我をしたくはなかろ?」
すでにレオニートの背中から異様な気配が漏れ出していた。声色もいつもの子供の声ではなく、地の底にまで届きそうなほど低くなっていた。
その声音は、聞く者の生存本能を刺激した。
俺は全身の肌が粟立つのを感じた。ミルが俺の服を掴んで引っ張っている。意思とは関係なく、足が勝手に逃げようとしている。
恐ろしいのに、目が離せない。
ついさきほどまでめかし込んだ子供のようだったレオニートの背中は、同じ人型の生き物とは思えなかった。姿形は変わっていない。実体としてそこにあるのは、小さな体躯だ。世界を押しつぶして躰に詰め込んでいるかのような小さな体躯。
その背中に、俺は翼を幻視した。
古龍の如き巨大な翼だ。
一歩引き、二歩引いてもまだ視界に収まらない、黒い翼だ。
きっと恐怖に負けた俺の心がみせる幻覚だ。そうに違いない。
では、なぜ俺は幻覚なんぞに怯えているのか。
そう思った瞬間だった。
レオニートは小さく、本当に小さく、指先で虚空を撫でた。
無音。音が無くなった。音を探した耳が耳鳴りを作った。
白。おそらく雪だ。庭に積もっていた雪が粉となって周囲を満たしている。
まるで砂浜を洗う
気づけばレオニートの姿は白に溶け込み、恐怖はどこかへ消えていた。
くい、と誰かに服が引っ張られた。
「セ、センパァイ……無事ッスかぁ?」
ミルだ。随分と弱々しい声を出している。
レオニートは俺たちに気を使って力を制御してくれている。視界を奪われてはいても、何も怯えることはない。
「大丈夫だよ。レオニート様が雪を払ったんだ。――お前らも平気だろ!?」
「へ、平気ですわ!」「大丈夫でぇす」「うぇぇぇい」
特に問題はないらしい。酒が飲みたくなるな、と続けたジークを除けば。
もうアンブロジアの下で積んだ禁欲生活の成果は失われたのかよ。
そんなことを思いつつ、俺は濃霧のような雪を手で払ってみた。僅かに開けた視界に、すぐに白が雪崩れ込む。
「存外、雪が多いのう。待っておれ。いま、風を呼ぶからの」
レオニートの声は子供のそれに戻っていた。すぐに奥から暖かい風が吹いてきた。
流れる雪雲の中に沈んだ躰が、徐々に浮上していく。そんな気分だった。
完全に雪が晴れたとき、足元には黒地に赤縁の魔法陣が広がっていた。寝転んだ大人の男を縦に五人は並べられそうな、くねくねと歪む三重の輪。例えるなら、揺れる水面に描かれた波紋だ。輪と輪の間には、見たこともない文字列が点々と刻まれている。特に複雑な文様こそないが、同じような魔法陣が庭中にいくつもある。
「ふむ。もしやこれは――」
レオニートの言葉を引き継ぐように、ミランダが言った。
「墓標、かもしれませんね」
なんだ、死なせてやることはできそうじゃないか。
そう口の中で呟くと、なにやら可笑しくなって、笑ってしまった。
再び、くいくいと服を引っ張られた。
「レオニートくん、めちゃ強ッスねぇ」
「……そうだな」
俺は緩んだ頬を引き締めた。
そうだよ。肝心なことを忘れていた。
俺たちは彼と全力でぶつかり、倒さなければならないのだ。
雪を払った程度の事で、ビビっている場合ではない。
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