死なせてやりたい、死にたい人

 久しぶりのマトモな客との交渉に入るというのに、事務所の中は騒音に満たされていた。ミルの振るう金槌の音だ。規則正しく、しかし激しく鳴っている。

 お客様は苦笑いを浮かべて、肩越しにミルの修理を眺めてた。 


「なかなか上手いもんじゃないか。あの子」

「ええと、ちょっと待ってて下さいね」

 

 とりあえずお客様にはそう言って、マジメな顔して蝶番ちょうつがいを打つミルに向かって叫んだ。


「おい! 修理は後でいいから、お客様にお茶を淹れてくれ!」


 振り返ったミルは、金槌片手に頬をぷこっと膨らます。


「直せって言ったり、お茶、って言ったり、センパイわがままッス!」

「金槌の音がうるさいんだよ! 扉は後だ! いまは茶を入れに行ってくれ!」

「はぁい……」


 明らかに不満げな返答をしたミルは、客に頭も下げずに、てってこデスクの横を通り過ぎ、自宅に繋がる階段を上っていった。あとで絶対、ペチってやる。

 

「すいません。まだ新米で……あ、どうぞ、お座りになってください」

「なに、構わんさ。辛気臭いのは嫌いだし、ああいう子を見てる方が、気が楽だ。葬儀ギルドなんてものは、暗かったらそれだけで死ぬのを躊躇っちまう」


 豪快に笑った冒険者は、なぜか懐かしいものを見るような目をしている。

 冒険者は席に着くと同時に身を乗り出し、机の上に革袋を置いた。ずしりと鳴ったカネの音は、相談料には多すぎる。こちらを見つめる目は揺れもしない。有無を言わさず、依頼を受けさせるつもりなのだろう。

 冒険者は、握手を求めるように、大きな手を差し出してきた。


「俺は、そうだなぁ……グレイブでいい」


 一瞬考えたということは、偽名か。まぁ、交渉に際しては問題はない。 

 差し出された手を握り返す。掌の肉は厚く握力も強い。


「失礼ですが、変わったお名前ですね。葬儀前には本当の名前をお聞きしますよ?」

「もちろんだ。まずは相談だろう? そいつは手付金だ。まぁ取っといてくれ」


 椅子に座ったグレイブ氏は、背もたれの感触を確かめるように、身をよじった。


「……これも仕事なので、念のためですが、一体どのような理由で?」

「まぁ死にたくなったから、じゃダメなんだろうなぁ」

「はい。申し訳ないのですが……」

 

 グレイブ氏は細く長く息を吐き、肘かけに片肘をついた。ゆっくりと足を組み、こちらを見据える。品定めをするような目だった。

 ここで気圧されてはいけない。

 俺は真鍮のペーパーウェイト――に偽装した寸鉄に手をかけた。

 

「死にたい理由を、口外することはありませんよ?」

「それは心配してないさ。実はココの評判を聞いたから来たんだ。なんでもかんでも死なせちまうような連中じゃあ、ないらしいって聞いてな」

 

 目の力を抜いたグレイブ氏は顎をさすり、広げた手の平をこちらに向けた。


「俺はこれまでに五回死んだ」


 指を折りつつ言葉を継いだ。


「最後に死んだのはギルド間の無意味な抗争だ。その前はバカ共の冒険とやらに付き合ったから。三回目は自殺だった。二度目は相打ち覚悟で戦った。そして最初に死んだとき、仲間が一人残して、いなくなっちまったんだ」


 最後から最初まで逆順で語られた彼の死は、回数こそ少ないものの、粘りつくような重みがある。


「つまり、自分の中で死が軽くなるのに耐えられなかったから?」

「いいカンしてるな。それもある。だがそれよりも辛いのは、最初に死んでいった仲間たちの方なんだ、これが」

「生き残ったことが許せない、ということですか?」

「少し違う。最初に死んだ時は、一人残して全員死んだんだ。回収が遅れてな、助かったのは俺一人だ。当時できたばっかりの蘇生魔法は、不便なもんだった」

「それは……」

 

 古い冒険者には、よくある話だ。しかし何度聞いても、言葉に詰まる。

 思わず視線を外した俺の耳に、グレイブ氏の低い笑い声が届いた。


「なに、世の中には偶然ってもんがあるし、助かった事には感謝してるんだ。俺は」

「そうは言っても、仲間に申し訳が立たない?」

「まぁ、そういう事になるなぁ。それに俺はじゅうぶん生きたし、満足したんだ。だからそろそろ、あいつらのトコに行ってやりたい」

「われわれ葬儀ギルドでは、ヨーキ=ナハル様の元ですが、それは構わないので?」

「そこは問題じゃない。これはケジメの問題で、死にたい理由でもある。どうだ?」


 どうだもなにも、理由としては十分だろう。ヨーキ=ナハルも喜ぶはずだ。しかし、なんだってウチみたいな小さな事務所に来た。


「葬儀に足る理由です。お引き受けすることはできますが、なぜウチなんです?」


 満足げに息をつき、グレイブ氏は静かに瞬いた。


「そこなんだ。おたくらは腕が立つと聞いてきてな。なんと言っていいか……」

「お茶が入ったッスよぉ。どーぞ! ッス!」

 

 がちょん、と置かれるティーポット。漂う香りはカモミール。誰がハーブティーを入れろと言ったんだよ。

 ミルは、俺が文句を言うより早く横に来て、教えた通りに、両手を躰の前で重ね合わせた。どうやら、グレイブ氏を警戒しているらしい。ということは、グレイブ氏は想像以上に腕が立つことになる。

 口元を緩めたグレイブ氏は、カモミールティーを口に運んだ。


「俺には娘がいるんだが、ちょうどそこの嬢ちゃんより少し幼いくらいなんだ。だが物心ついた頃には蘇生魔法があったせいでな、死の感覚が曖昧になっちまってる。だから……」 


 グレイブ氏が紅茶の入ったカップを机に戻す。


「どうせなら、娘にも見送ってもらいたいわけだ」

 

 家族に見守られながら死にたいというのは分かる。老齢の冒険者にとっては、夢の一つといってもいいだろう。しかし、ああ……これは絶対に、厄介な仕事だ。

 グレイブ氏はバツが悪そうに視線を外し、頭を掻いた。


「ただその娘がなぁ、大反対だ。一旦死ぬとこまでは認めさせたんだが、本当に死ぬ気なら絶対に阻止するって聞かないわけだよ」

 

 そりゃそうだ。家族の見ている前で自殺するってことになるし、しかも今の世の中じゃ寿命以外の死なんてものは、寝ているのと大して変わりはしない。


「つまり、我々に娘さんを説得しろと?」

「いや、そっちじゃない。おたくに頼みたい仕事は二つ。一つは俺の葬儀。もう一つは、俺の死体を娘から守ってほしい。納得してくれた俺の部下どもと一緒にな」


 なんだそれ。ミルと同じか、ちょい若い娘相手に、死体の防衛?

 グレイブ氏は懐から、丁寧に折り畳まれた紙を取り出し、机に置いた。

 嫌な予感しかしないその紙を、おそるおそる開いた。

 上質な紙には、滑らかな曲線を描く柔らかな字体で『誓約書』と書かれていた。おそらくこれを書いたのは、グレイブ氏の娘さんなのだろう。

 内容は……戦闘場所とルール。どういうことだ。


「えーと……これは、一体?」

「ルールだよ。街中で剣槍振りまわして戦闘、なんてマズいからな。それで娘に言って聞かせて、約束させたんだ。墓地を封鎖して、葬儀を阻止されたら諦めるってな」


 グレイブ氏も娘さんも、じゅうぶん頭がおかしかった。なんでわざわざ、茨だらけの道を設定したんだよ、このおっさんは。

 というか、ちゃんと説得してくれ。

 おい、ミル、お前も黙ってないで、なんか言って――


「ふおぉぉぉ……燃えてきたッスぅ……」


 あ、ダメだ、この子も。完全に闘技場とか、その手のお遊び感覚になってやがる。

 机の上の革袋を少し開いて覗きこむ。

 すでに、ちょいと豊かな人物の葬儀に足る額だ。グレイブ氏は、この額で手付金だと言っていた。なら成功すれば、しばらく上納金の心配はいらなくなるだろう。ミルは既にやる気になっているみたいだし……やるか?


 誓約書から目を上げ、グレイブ氏の顔を見る。

 口の端には、自信みなぎる微かな笑みが浮かんでいた。受けるのは分かってますよって顔だ。気に食わないが、仕方ない。

 俺は右手を差し出した。足元を見られるのは、盗賊の頃から変わっちゃいない。


「分かりました。お引き受けいたしましょう」

「そうか。ありがとうよ」


 グレイブ氏も手を伸ばし、俺の手をしっかりと握り返した。


「それじゃあ、日取を決めようじゃないか」


 ……やだなぁ。俺、集団戦闘とか、得意じゃないのに。

 嬉しそうに横で腕振るミルを見やって、俺は深く、深くため息をついた。

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