死にたい人の、下準備

 グレイブ氏と契約を結んだ二日後。俺とミルは彼を伴い、墓地へと向かっていた。

 理由はもちろん、葬儀の前にヨーキ=ナハル信仰に改宗してもらうため。

 ヨーキ=ナハルの美点の一つは、この信仰の緩さにあると思う。まぁ、酒びたりのジークが未だに蘇生魔法を使えるあたり、ナハル姉妹の特徴なのかもしれないが。 

 俺の横をすり抜けたミルが、墓地につづく曲がり角へと、軽やかに走って行った。

 眩しそうに手の平をかざして角を覗いて、止まった。


「おぉぅ……すごいことになってるッス……」

「何がだよ……」客を放って走って行った後輩に呆れつつ、俺も続いて覗きこむ。

「なんだよ、あれは……」


 墓地入り口で、二〇人ほどの筋骨隆々の兵団が二組、にらみ合っていた。

 片方の集団の先頭には、少女が立っている。ふわっふわのフリルがたっぷりついた、白と淡いピンクのドレスだ。装飾たっぷりの日傘もセットである。しかも、イカつい男達に動じる様子が、まったくない。多分あれは、グレイブ氏の娘さんだろ。なんで、もう来てるんだよ。

 背後からグレイブ氏の呆れ声がした。


「おお……まいったな、これは」


 まいってるのはこっちだが。

 どう見ても一触即発って雰囲気じゃねぇか、あれは。


「グレイブさん。まさかいきなり戦闘、なんてことには、なりませんよね?」

「家にいないとは思っちゃいたが、まさかあいつらと一緒だとはなぁ。まぁ誓約書もあるし、大丈夫だとは思うんだが……行こうか、ネイトくん。きっと大丈夫だ」

「はぁ……」

 

 本当に大丈夫なんだろうか。

 角から身を出し、近づいていく。状況が状況だけに、自然と足に力が入ってしまって、どうにも歩きにくい。ミルの方はと言えば……なんでウキウキなんだ。


「センパイ、あの服すごいッスねぇ。なんだか、もにょもにょしてて、ボクもあーいうの着てみたいッスよぉ」


 ああ、あの、ふわっふわの服か。

 こういうときには、後輩の能天気さが羨ましい。しかし一方では、どうにも警戒心が低すぎる気がしないでもない。

 

「もにょもにょって何だよ。というか準備しとけ? いきなり仕掛けてくるかもだ」

「りょーかいッスよぉ!」


 デカい声といっしょに、ビシっと敬礼。おバカさんめ。

 おバカな後輩の元気のいい返答のおかげで、みごとに娘さんに気付かれた。

 娘さんは、まぁキツそうな吊り目をしていらっしゃる。日傘の影に隠れてしまって瞳の色はよく分からんが、やや細い顎に小さな唇。すっきりとした鼻筋と彫りの深さは、父親譲りってところだろう。


 しかし怒っているのか、眉が寄ってる。すこし怖い。

 若干の警戒を抱きつつ墓地の入り口まで行く。

 にらみ合いを続ける屈強な男たちを従えて、娘さんは淑やかな靴音を立て、一歩こちらに踏み出した。


「お父様。そちらが葬儀ギルドの方ですの?」


 娘さんはそう言いながら少し顎をあげ、俺とミルを一瞥した。


「ふぅん……お父様は、死なせませんから。お覚悟を」


 妙に大人びた口調に、澄んだ冷たい声色をしている。歳はミルより若いくらい。グレイブ氏は随分遅くになってから、お嬢さんの誕生を祝ったのだろう。

 背後から肩を捕まれた。お父様の登場だ。

 彼は俺とミルの間を割ってでて、娘さんを見下ろした。


「戦うのは今日の話じゃないだろう。ネイトくんたちも、仕事として引き受けてくれたんだ。そう邪険にしたら、失礼だぞ? お母様に言いつけてしまおうか?」

 

 娘さんのほんのりと赤い頬が、ぷっと膨らみ、そっぽを向いた。どうやら父親として対面されると、子供らしさが出るらしい。

 振り返ったグレイブ氏は、困ったように、しかし嬉しそうに、口の端を歪めた。


「さて、それじゃ、ネイトくん。行こうか」


 グレイブ氏が娘さんと男達に向かって、手を払うような仕草をした。


「ほら、お前ら。さっさと道を開けんか。戦うのは、また今度だ」

「あー……失礼します」

 

 背中に刺さる視線に怯えつつ、墓地へと歩みを進める。

 後ろから足音が聞こえてこないということは、とりあえず墓地内までついてくる気はないのだろう。ようやく一息つける。

 さくさくと墓地の土の道を歩いていると、グレイブ氏が話しはじめた。


「悪かったなぁ。どうにも娘には甘くなって、気付けばいつでもあんな調子だ」

「むしろ、よく死ぬことを説得できましたね。それに、迷いとかないんですか?」

「そりゃあ、あるさ。娘の嫁入りを見たい、とかな。だがそれを言い出したら、キリがなくなっちまう。なにより、死んでった仲間たちを思うと、自分の中で命が軽くなっていくのに耐えられないんだよ。わからんか?」


 分からないでもない。しかし死が重ければ重いほど、俺にとっては都合がいい。その分だけ、やるせない思いに囚われもするのだが。

 そういう意味では、ミルくらい割りきれている方が楽なのだろう。

 彼女にとって、死なんてものは、ちょっと眠った、くらいの感覚だ。……多分。

 てててっと前に出てきたミルが振り返り、両手の人差し指で、うにょり、と自分の細い眉を伸ばした。


「センパイ? なんだか顔が怖いことになってるッスよぉ?」 

「お前はもうちょっと緊張感もてな? 仕事中だぞ?」


 まったく気楽に生きてる子だ。しかし、グレイブ氏の言葉じゃないが、明るい後輩で良かったとも思う。

 俺は鼻で息をつき、伸ばされたミルのデコを、軽くペチった。

 背中の向こうで、グレイブ氏の豪快な笑い声が響いていた。墓地で笑うのはどうなんだろうか。

 墓守ミランダの家の扉をノックする。返事はすぐに聞こえた。


「はーい。どちら様ですかー?」

「葬儀ギルドのネイトです。昨日お伝えしたグレイブさんをお連れしました」

「はーい。今開けますー」


 扉の向こうで、ぱたぱたと軽い靴音が聞こえる。扉を開いたミランダは、儀式の仕事がないから、スッピンのままだった。ありがたいことに、今日はデーハーの服も着ていない。 

 ミランダはご丁寧にも、深々と頭を下げた。


「あ、この前はプリムローズのパンを、ありがとうございました。ネイトさんもいらっしゃれば良かったのに……」


 言葉を切ったミランダは、ミルに向かって両手を振った。


「この間はありがとー。美味しかったよねー」

「はい! こちらこそ! ッスよぉ!」

「おぉい、ミル。うるさいぞー。それと、ミランダさん、こちらグレイブ氏です」

 

 これが仕事でないなら、二人の楽しげな会話を邪魔はしない。しかし今日はグレイブ氏の改宗のために来たのだ。というか、二人とも、仕事だという緊張感が、足りなさすぎる。グレイブ氏がにこやかに構えてくれていることだけが、幸いだった。


「す、すいません!」ミランダは頭の上げ下げを繰り返し、言葉を続けた。

「今日は、ご葬儀の準備でしたね。こちらへどうぞ、グレイブ様」

「いやいや、あまり気にしないでくれ。俺だって、これでも緊張してるんでね」


 俺たちを見回したグレイブ氏の口ぶりは、まるでおどけているかのようだった。

 愛想笑いを返しておいて、俺はミランダに仕事するよう促した。

 ミランダを先頭にして、家の裏手に向かう。足の短い草のに囲まれ、地下神堂への入り口があるのだ。板張りの扉を開き、闇の底へと石階段を下りていく。

 俺たちの歩みに合わせて、階段の壁に無秩序に穿たれた穴に、青い炎が燈る。視線の先の闇は深みを増して、周囲だけが蒼色に満たされる。


 一段また一段と降りゆくたびに、寒気が肌に吐きかけられるかのようだ。堅い靴音はそこら中を跳ねまわり、俺たち以外の誰かを錯覚させる。足が、重くなっていく。

 まったく、嫌な気分にさせられる。


 恐怖とも不安ともつかない感覚は、ヨーキ=ナハルの信徒である俺にとって、無自覚なままの、ある種の畏敬のようなものなのだろうか。

 なんにしても、軽い口調の託宣と階段を降りる時に感じる感覚との差は、とてつもなく大きい。あるいは女神の作りだす落差こそ、死は常に傍らにある、と暗示しているのだろうか。


 不毛な思索にふけって階段を降りきると、青く照らされた岩戸が待っている。

 ミランダの手が岩戸に触れると、音もなく左右に割れる。

 この一事をとっても、異常な光景といわざるをえない。

 今日までにさんざん使ってきてる魔法であっても、すごいと思うことはある。しかし岩戸の開閉は、魔法以上の何かに違いない。なにせ騒がしい後輩ですら、一言も発することはないのだ。異常以外に、何といえばいいのか。


 岩戸の先の石室には、ヨーキナハルの像が鎮座している。青白く浮かび上がる肉感的なボディラインで造形され、まるで“デーハー”のような露出おびただしい衣装を身に纏う。まぁ、女神像なんてものは、どこの神でも露出が激しいものではあるが。


 何度見ても不思議に思えるのは、像の材質だ。石膏像のように滑らかな地肌に、艶めかしい煌めきが混じる。まるで天然の金属鉱石。しかし、周囲が湿気を含んだ空気であるにも関わらず、苔すら生えていない。明らかに古いものだというのに、まったく風化していない。丁寧に手入れがされているにしても、不気味である。


『汝、死を望む者よ。歩みを止めることなかれ』

 

 そんな奇妙な文言が、ヨーキナハルの言葉として、台座に刻まれている。

 解釈は様々だ。俺はちゃんと死にたきゃちゃんと生きろと、そう理解している。正しい解釈なんて誰も知らないし、神に聞いたところで、ヨーキ=ナハルが託宣で答えてくれるわけでもない。結局、正解は誰も知らないのだろう。

 ミランダが片手でみなを制して、神像の足元まで歩みを進める。振りむいた顔から表情は消えている。見慣れた光景であっても、不気味さを感じずにはいらなれない。


「それでは、グレイブ様。ヨーキ=ナハル様の前に、お立ちください」


 ミランダの声は石室内を跳ねることなく、むしろ壁に吸いこまれ、霧散していく。

 彼女の言葉がこちらに向いた。


「ネイトさん達は、外でお待ち下さい」

「はい。それでは、グレイブさん。死出の旅路の、第一歩です」


 グレイブ氏の顔にも緊張が現れている。恐怖と戦うためか喉を鳴らして、頷いた。

 顔が強張らせたままのミルは、躰まで動かなくなっているようだった。


「おい、ミル。大丈夫か? 外に出るぞ?」

「うぁ……りょ、りょーかいッスぅ……」


 よほど緊張していたらしい。ミルは、ビクリと躰を震わせた。左右の手足を同時に振りだし、ぎくしゃくと石室をでていく。案外ヨーキ=ナハルの信徒としては、ミルの方が敬虔なのかもしれない。俺でもビビりはするが、それを誤魔化す余裕がある。

 ミルに続いて石室を出て、来たときと同じように音もなく閉まった岩戸を眺める。横に立つミルは、閉まった扉を前にして、なお、ぷるぷると震えていた。


「大丈夫か? ちょっと緊張しすぎだろ」

「うぅ……もーしわけ無いッス……ボク、この部屋だけは、なんだかダメッスよぉ」

「まぁ、分からないでもないけどな……」


 岩戸の向こうから葬儀の時に聞こえたものと似た、絶望をかき立てるような慟哭が響いた気がした。葬儀ギルドに入るときに受けた洗礼でも、同じ音を聞いた。思い出すたびに、不安に駆られる。あるいは、それが狙いなのかもしれない。

 傍らのミルに目を向けると、耳を押さえてぷるぷる震えていた。この分だと今日はテンション下がりっぱなしだろう。仕方ない。


「ミル。お前はこの後、グレイブさんと葬儀の詰め、やっといてくれ」


 耳を押さえたまま、ぷるぷる。ビビりすぎだろ。

 俺はミルの両手を引っ掴み、力任せに引っぺがす。


「ミル! お前はグレイブさんと、葬儀の詰めな!」

「ふぁい! ッス!」


 手を離すと、両手をぱぱっと耳に当て直し、ぎゅっと目をつぶった。

 ……ジークと葬儀戦の仕込みをしたら、菓子パンを買い与えておこう。

 なんでか知らんが、そんな思いが頭に浮かんだ。なんでだ。

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