葬儀ギルドの功罪

逃亡の果てに

 角度の浅い陽光がカーテンの織り目を抜けて顔まで届く。眩しさのあまり、俺は眠りたがる頭を覚醒せざるをえなかった。極北の地では朝が早い。聞いたところによれば太陽が沈まない期間もあるらしい。俺とミルはまだ体験したことはないが、その時期はもう近づいているのだそうだ。どうやら沈まなくなったら夏らしい。まさか真っ白い吐息を吐く初夏を体験できるとは思わなかった。これでは、まるで冒険者だ。


 王都から逃走してから早二カ月が過ぎようとしていた。

 俺とミルは戦車で走るだけ走った。いよいよ馬がくたばってしまうかもしれないというところで街に寄り、路銀のために戦車を売り払うことにした。まとまった状態ではどうあがいても売れない代物だが、バラあれば別だ。装甲板に張られているケンプフェル公の紋章を取っ払い、馬と本体を別々に処理した。


 もちろんエステルらに連絡をとるため、少し細工を施しておいた。とはいえ元々俺の所有物ではない戦車。とうとう今度は詐欺も働いたということになる。詐欺が露見すること自体も連絡をとりつけるための策なのだが、捕縛を避けるためにさらなる逃走を強いられるのもまた事実。俺はミルを連れて北へ北へと逃げ続けた。そうしてようやくたどり着いたのが極北の村――スラ・エマンダである。


「今日も寒いが朝はくる、か」


 口に出さないとやってられない。狭い部屋は空気自体が凍りつきそうなほど冷え込んでいる。小さな薪ストーブの火が落ちかけているのだろう。古いうえに安物のせいか火持ちが悪く、一晩もたすのが精一杯である。もっとも、ほとんど居候状態の身でもあるし、逃走資金にも限りがあるから文句は言えない。まただからこそ、誰もいないときには吐き出しておくのが肝要だ。でないと、カーテンを開いた先の光景に耐えられなくなる。


 墓場だ。街の外れも外れにある教会に身を寄せたのだから当たり前と言えば当たり前だが、つくづく墓場に縁がある。

 窓の外に広がる真っ白い雪原にはぽつぽつと墓石の頭がでている。昨日一日降り続いていた雪は、日が昇る前には止んだらしい。窓ガラスに息を吹きかけ擦ると、さらに遠くに険しい山々が見える。そして山に埋もれるかのような城の姿もだ。冗談みたいな話だが、かつて世界を追い込んだ魔王の居城である。

 城と街の間に広がる深い森を有する谷は、魔物の狩猟区域となる。いまは冬の禁猟期間ということもあり、森に分け入る冒険者の数もほとんど見られない。いないわけでもないのは、生活のためには薪が必要だからである。


「今日はもうちっと奥まで行ってみるかねぇ」


 点のようにしか見えない数人の冒険者を見つつ呟くのにも、理由がある。ひとたび外出すれば寒さにやられて口数が減る。喋らなくなれば憂鬱になる。そして世が世がなら死を望むようになるというわけだ。

 独り言でもいいから口にしておく。

 それが雪国で生きる術だと盗賊時代に教わった。いまにして思えば酔っ払いの戯言かもしれないが、存外、役には立っている。


 古くから咎人は北へ逃げると言われるのには、ふたつの理由がある。

 ひとつめの理由は、延々と広がる管理魔物狩猟区だ。蘇生魔法ができるよりはるか前、魔王軍なる魔物どもはこの地から南下してきた。つまり北に向かうのにしたがい危険度が増すため、罪人を追跡する価値が相対的に減っていくというわけだ。


 ふたつめの理由はさらに奥、魔王城だ。これまた蘇生魔法ができる前の話だが、我ら悪党の中には、魔王軍に寝返るという夢をもつ者もいた、という。もっとも成功者がいたのかというと、森に入って行く奴はいても出てきた奴がいないらしい。その時点で、俺がスラ・エマンダまで来た理由の一つが潰えた。かに思えた。


「こんこん。朝ごはんッスよぉ」



 言いつつ、きょーどーけーえーしゃさま――ミルが部屋の扉を押し開けてきた。室内着にちょうどいいとか言ってた例のガチ・メイドなる服を着て、その上から厚手のもこもことした防寒着を羽織っている。手にもつ木のトレイには二人分の朝食が乗っていた。以前はミルの方が早く起き、朝食を作れと騒がれたものだ。しかし教会に身を寄せてからは、作って部屋まで持ってきてくれるようになっていた。


「ノックを口で言ってどうすんだよ」

「えへへ。両手がふさがってたッス!」


 引きだしたテーブルの上にトレイを置いて、鍋と薬缶をストーブで温める。

 俺はその間に着替えをし、仕事と新たに思いついた策の準備をする。

 新たな策を思いついたのは一月前だ。きっかけは街の歴史が蘇生魔法が生まれるより前から続いていると知ったことにある。スラ・エマンダという街は、南方で知られている事実と異なり、なんと魔王軍と上手く付き合ってきたというのだ。


「もう食べられるッスかぁ?」


 ミルが、鍋を両手に振りむいた。


「おう。テーブルの真ん中に置いてくれ」

「りょーかい! ッス!」


 ごとん、と置かれる鍋の中身は赤いスープだ。様々な保存食を煮込んだもので、スラ・エマンダの伝統的な料理だという。合わせておかれる紅茶も変わっている。北の土地ではミルクたっぷり。ついでに果物を砂糖で煮だしたジュースもついてくる。これがめちゃくちゃ甘くて口に合わないのだが、外が異常に寒いので飲んでおかないとすぐに動けなくなる。


「ブリヌイは一人三枚まで、赤パンは一個まで、ッス!」

「あいよ。お前一枚多く食べていいぞ」

「なんとぉ! ほんとッスかぁ? 食べちゃうッスよぉ?」

「いいよ。だから今日も頑張ってくれ」

「りょーかいッス!」


 ミルはにこやかに敬礼し。ブリヌイにハムを挟んで頬張った。俺の方はキノコの酢漬けを口に運んで少しげんなりした。なんといえばいいのか分からない独特な味。喜んでいるミルには言えないが、正直に言って全体的に食事が合わない。もちろん全部が全部というわけではないけれど、どれも独特な味がするのだ。


 ミルは格闘家時代に『おっしょーさま』なる人物と山籠もりを経験しており、保存食料理になれている。しかし俺は違う。盗賊時代から保存食を食べないで済むような生活に憧れ、実践してきたのだ。不味いとは言わなくとも、美味いとは言えない。


「いっぱい食べておかないと、後で辛いッスよぉ?」


 ミルが四枚目に手を伸ばして小首を傾げ、最終確認を求めてきた。森での肉体労働は頑張ってもらうのだから、問題ない。


「いいよ。俺は代わりに酒が飲めるしな」

「じゃあもらうッス!」


 許可が出ること前提としか思えない速度でブリヌイにコンポートを乗せ頬張る。

 むぐむぐ食事を楽しむ姿を見ているだけで多少は気が楽になる。実のところ、アテが外れてからの一ヶ月間で再起できたのは、ミルのおかげでもある。本人が望んでついてきたとはいえ、なんとしても再びライト・シハナミに返してやらねばと思う。おかげで次の対策を立てるまでなんとか粘れたというわけだ。ミルの方が気づいているのかどうかはしらないが、彼女は彼女で道中も頑張ってくれた。


 目いっぱいの強行軍による移動につぐ移動にも耐えた。そして道中でパンがどうだと文句をひとつも言わなかった。これまでを考えればほとんど奇跡のような成長ぷりだ。それだけではない。ちゃっかり持ってきた鞄もいい仕事を果たしてくれた。ぐちゃぐちゃと鞄に詰め込まれた押印入りの書類等々が詐欺まがい――というか詐欺――に見事に貢献してくれた。


 そしてなによりも――泣かなった。国に追われていることを知って少しは暗い顔を見せたものの、必ず戻してやる、とは一回しか言わなくてよかった。根拠のない約束は口にすれるたびに気が沈むものだ。ミルが察してくれたのかは分からなくとも、褒美代わりに多少は甘やかしてやるのもやぶさかではない。

 俺はコンポートジュースを飲み、ため息をついた。やはり口には合わない。


「それ食ったら、司祭さまに挨拶して、仕事いくぞ」

「りょーかいっスよぉ。今日はお日さまも出てるし、お仕事、頑張るッス!」

「いつも頑張ってくれてるよ。お前は」


 ミルは訳が分からないという顔をして首を傾げていた。素直に喜べばいいものを。

 俺は思わず苦笑しつつ、ぺかぺか輝くデコ――の上に手をあてた。くりくりとした青い目が、不思議そうに上目でこちらを見た。


「ボク、風邪は引いてないッスよ?」

「みたいだな。弁当用意して、今日はちょっと遠出だ。温かいカッコしろよ?」

「りょーかいッス!」


 ビシっと返される敬礼。いつもとまるで変わらない所作に助けられる。あと何日こんな極北に居続けなければならないのか。そんな雪積る森でふいに聞こえてくる耳鳴りのような不安も、同行者が立てる音のおかげで乗り切れる。

 俺はミルの頭をくしゃくしゃと撫で、


「ボク、もう子供じゃないっスよぉ」


 という抗議には、


「んなこと知ってる。頼りにしてるよ」


 とだけ返しておいた。

 さぁ仕事だ。次なる作戦は市場の開拓だ。

 薪集めに乗じて、魔王様向けに、宣伝広告を打つのである。

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