ネイトの死闘とヨーキの微笑み
駆けてくる白銀鎧の戦乙女は手甲を纏った左手を眼前にかざし、何か呟いている。
少女はたしかに鎧馬を切り裂く
いかに細身の鎧であろうとも重量物であることに違いはない。重量によって躰の動きは制限され、速さも損なわれているはず。
つまり仕掛けてくる魔法は、こちらの動きを止めるものか、自身の強化だろう。そして強化なら、すでに使われていなければ戦術として不自然である。ならば娘さんが使おうとしている魔法は、動きの制限を狙うものに違いない。
そしてこちらに制限を強いる魔法なら、正面からくるはず。
いつぞや失敗したシャドウ・ステップを用いて虚をつくことにしよう。今日は他に魔法を使っていないし、一回だけなら間違いなく使える。そう信じる。
ヨーキ=ナハルに祈りを捧げる。魔力が地の底へと吸い込まれていく。いける。
娘さんの印を結んだ左手が、光を纏ってこちらに伸びた。
狙うは彼女の魔法が発動する、その瞬間だ。
娘さんの指先から光球が放たれ――
閃光。
目に痛みすら感じるほどの強い光だった。
足音が迫ってくる。一歩、強く踏み込む音がした。仕掛けるなら今だ。
「シャドウ・ステップ!」
俺は躰を影そのものへと変え、影を渡った。
肉体が溶け、ぬかるむ泥のように崩れていくような感覚に囚われる。人の形を失うことで、ほんのひと時、自分が何であるのか分からなくなる。
実体をもたない巨大な手が俺を引く。手は大地と影の狭間から、俺の躰を押し出していく。溶け落ち失われていた躰の形の感覚が人型を取り戻してていく。閃光に焼かれてしまった目に光はない。
しかし、娘さんの背後を取ったであろう俺に、視界はいらない。
俺は左手を、前に真っすぐ突き出した。
「なっ――!」
娘さんの驚嘆する声が聞こえたのは、指先が柔らかい髪の毛に触れたときだった。
さらに一歩踏み込み腕を巻く。同時にダガーの腹を左腕に沿わせる。
胸に何かがぶつかった。おそらく娘さんの後頭部。刃先が触れたのは首だ。
俺は旋回するようにして、刃を真横に走らせた。
ダガーを通じて喉の震えを感じる。ぬめりと、幽かな抵抗も。
「……!」
彼女は声を出さなかったのか、それとも、出せなかったのか。
背後で、膝から崩れ落ちた音がした。
脚に彼女の背中がぶつかった。撫でるようにして、地に倒れていく。
ブーツに、血が染み込んでくる。
目が見えていたとしたら、真っ赤に染まった小さな躰を足元に見たはずだ。
痛みはともかく、目が焼かれて何も見えないのはありがたい。もしも見えていたのなら、俺は細い首を前にして、躊躇していただろう。
とにかく、一つ問題は片付いた。次は――
「お嬢!」
「キサマぁ!」
正面から聞こえる複数の足音と怒声。こっちは難問だ。
使える魔法を必死に思いだす。高速かつ魔力消費が小さな魔法でなければ。
娘さんの真似でいこうか。
左手に意識を集中する。ヨーキ=ナハルの力を借り、周囲に散っているだろう大量の血を吸い集められるか試す。生温かい、粘りつくような感触がある。いけそうだ。
ヨーキ=ナハルの加護のもと、左手に集めた血を、正面に向けて振り払う。
「ブラッド・ミスト!」
左手からぬめりは消え失せ、周囲に吐き気を催す程の饐えた臭いが広がった。
振りはらった血は、魔法によって急速に腐敗しながら霧となり、正面の連中を包み込んだはずだ。彼らの目は赤黒い霧で塞がれ、鼻は悪臭で効かないだろう。並の人間なら立っているのも難しい。
しかし、使い慣れてる俺は別。
左手を突き出し、血の霧に向かって走る。
躰に張り付いてくるような霧の中、音を頼りに手で探る。触れた。兜だ。
俺はそのまま手を押し込み、傾けた兜の根元をダガーで突いた。体温を感じる液体が、新たに顔に跳ねとんだ。
右手方向の地面に打音があった。低く、震え、広がる音だ。盾か。
ダガーを逆手に構え直し、音を立てないように擦り足、半身で近づく。右足首に棒が触れた。槍の柄だろう。
即座に上から踏みつける。
「うぉ!?」
声の主は槍を取り落とした男だ。音の発生源より指四本ほど下に首があるはず。
左手をダガーの柄尻に重ね、躰ごとぶつかりにいく。
首鎧を切っ先が貫ぬき、手にぬめりが増えた。これで二人。
振りむこうとした矢先――
「あっ?」
俺の躰に衝撃があった。左の胸に何かが刺さり貫ぬこうとしている。
無意識のうちに槍の侵入を押さえこもうとしたのだろう。槍の柄を握っていた。
しかし、その程度で槍は止まらない。無意味だ。
押し込まれた槍が身体を貫き、慈悲もなく引き抜かれた。
開いた孔から、熱が、抜けでていく。力と共に、抜けていく。
ダガー重すぎ。持ってられねぇ。
躰も重すぎ。立ってられねぇ。
瞼が重い。瞑ってしまえ。どうせ見えねぇし、仕事はやるだけやったんだ。
……ひさしぶりだなぁ、死ぬのは。
「ブハ!」
呼吸が戻った。死んだかと思った。てか死んだ。死んでよみがえ……?
目は開いているはずなのに、何も見えないほど暗い。
瞼に触れると、指先に柔らかい皮膚の感触がある。生きているはずだ。
触って確認しながら、目を開ける。何も見えない。指すらもだ。
蘇生魔法をかけられたのなら、肉体の修復によって目も治っているはず。
では夢なのだろうか。死ぬときに夢を見た経験なんて、一回もない。
まさか……棺の中か?
手を伸ばす。伸ばせたはず。何にもぶつからない。つまり、広い空間にいる。
それなら足だ。足元に手を伸ばす。何もない。
……待て待て待て。落ちつけ俺。落ちつけネイト。
足を伸ばす。立っている……のだろうか。浮遊魔法とも違う、不思議な感覚だ。浮いているような、沈んでいるような、あるいは湖面を揺蕩うような。
耳を澄ましても音は聞こえない。自分の手を鼻に近付けても匂いがしない。
自分の躰を撫でれば、ちゃんとあることだけは分かる。これが唯一の救いだ。自分の躰を触って落ちつくとか、ガキの頃が思い出されてウンザリしてくる。
……!
突然、背後に気配が現れた。おそらく人だ。
振り向くと、どこかで見たような、
「女?」
急速に自分の位置が定まっていく。
自分が立っているということが分かるようになった。女が正立して見えたからだろう。そして目が見えることが分かると、心も落ち着いてきた。
俺はちゃんと、生きている。
「ナニ言ってんの? 死んでるっつーの」
女は右手に持つ、煌びやかに装飾された小さな石板を見ながら、そう言った。
俺、死んでんのかよ。いや待て。
じゃあ、あんたは誰なんだよ。
よく見ると女は、随分と奇妙な格好をしている。これまでに見たことがない。
深い青色のやけに短い何度も折り返されたプリーツスカートに、腹が露わになりそうなほど着丈の短い白地の半そでシャツを着ている。シャツは胸元に向かって逆三角形に切れ込む大きな青い襟をもち、襟の下を通して赤いスカーフを結んでいる。
それに手に持つ装飾された石板……あれは本当に石なのか?
女の石板を撫でていた親指が止まり、目がこちらを向いた。
見続ければ吸い込まれてしまいそうな、黒檀より深い黒色だ。すっきりとした輪郭に収まる目鼻は、瑞々しさと艶めかしさを合わせたもつ。その褐色の肌は、ときおり銀鉱石にも似た煌めきを返す。体つきも少女らしさと大人の……見たことがある。墓地の地下で。
こちらを見下すように顎を少しあげた女は、唇の端を意地悪くあげ、鼻で笑った。
「いくら傍系の信徒とはいえ、さ。アンタ、ちょっとニブくない?」
「……ヨーキ=ナハル様、でしょうか?」
「はい、セーカイ。信徒なんだしさぁ、ヒトメで気付けっつーの」
そう言うと、ヨーキ様は手元の石板に再び目を落とした。……うわぁ、マジかぁ。
俺は膝から力が抜けていくのをこらえ、頭を下げた。なにか、なにか言い訳を。
「……申し訳ありません。その、デーハーの服ではなかったので……」
「デーハー!? あれ流行ってたの一〇〇〇年は前よ!? あんなケバいの未だに着てる神なんて、いるわけないっしょ! きっと、これからはコレ、セーラー!」
ヤバい。ヨーキ様が何を言っているのか、まったくわからねぇ。
「えぇと……セーラー……?」
「ああ、もう! だから人間はメンドーなのよ。流行りは数百年単位でオクれてるわ、信仰の象徴とかホザいて、勝手に人の裸を絵に描くわ、立体化するわ……」
ヨーキ様は石板を叩く音を強めながら、大量の文句を垂れ流し続けた。ありとあらゆる人類と信徒への文句だ。たまに妹のユーツ=ナハルへの愚痴も混ざっていた。
ふいにヨーキ様が口を閉ざした。手を腰に当て睨んでくる。細い吐息もセットだ。
ヤバい、殺される。いや俺は死んでいるから、無に帰される。
「あ……えと、ヨーキ=ナハル教団と、デーハー本店に、抗議しておきますね……」
「……まぁ、アンタのせいってわけじゃないし、別にいいわ。……悪かったわね」
ヨーキ=ナハルは、想像していたよりもずっと、寛容だった。
「信徒が神を呼ぶ時に、“
「……こちらの頭の中まで分かるので?」
「神よ?」
「……はい」
ダメだ。本当に死の女神ヨーキ様だとしたら、もうただ従うしかない。って待て。
「あの、俺がここにいるってことは、蘇生封印されて、葬儀されたんですか?」
「違うって。ちょっとアンタに用があったから、起こせないようにしてるだけ」
「用? 俺にですか!? というか起こせないようにって、それ……」
思い出されるは、戦車に乗る前に見た、おバカな後輩の青い眼差し。
『センパイ! センパイが死んじゃったら、ちゃんと骨は拾うッスよぉ!!』
背筋を冷たいものが流れ落ちた。血の気が引くとは、このことだ。
「ヨーキ様! 俺の後輩、おバカだから、死体を焼いちまうかも――」
「骨になっても私が突っ返せば、ダイジョブだって。多分。送り返すときには、ちゃんとあのキモい神官にも伝えとくし。それより――」
ヨーキ様は胸の前で腕を組み、踊ルのように優雅な足取りで、近寄ってきた。
「今、アンタが一番イイトコまできてるわよ。次こそユーツも、引っ張りだせそう」
「は?」
意味が、分からなかった。
ヨーキ様の顔が近づく。目を覗きこんでくる。何もかも見通されるような瞳だ。
「褒めてあげようじゃない。よくやったわ、ネイト。そのチョーシで続けなさい」
手をあげたヨーキ様は、俺の頭を撫でた。その御手の感触は、まるで躰が痺れるようであり、また全身から一瞬で力が抜けていくようでもあった。
ヨーキ様が目を細める。思わず身震いしてしまうほどの、妖艶な笑みを浮かべた。
「これからはアンタのことを、ちょっっっとばかし、可愛がってあげるわ」
「……ちょっっっとばかし、ですか」
情けないような、ありがたいような、複雑な思いだった。
俺の頭から手を離したヨーキ様は腕を組み、満足そうに小さく頷く。
「んじゃ。もう用は終わり。戻って例のアンブロジアの仲間を、こっち寄こして」
「はい。……って、え? アンブロ――」
言葉を遮るようにヨーキ様の手が振られ、俺の躰は泥のように崩れた。
眩しい。そして、ちゃんと自分の体重を感じる。
「ブハァ!」
息ができる。ちゃんと吸えてるし、吐ける。
「センパイ!」
ミルの涙声がさっそく耳に飛び込んできた。
目を開けると顔を涙でグシャグシャにし……全身を返り血で染めたおバカがいた。
「良かったッスよぉぉぉ! もうつながらないかと思ったッスぅぅ!」
抱きつかれた瞬間、ベチャリ、と血の粘る音がした。きたねぇな。
そして、つながらないって、何の話なんだよ。
俺はデコに手をかけ、泣きじゃくるミルを引っぺがした。
「落ちつけ、ミル。何があったんだ」
「センパイみんなに八つ裂きにされちゃって、全然蘇生できなくて……」
要領を得ないうえに、また泣きそうだ。
……八つ裂きだと。
「落ちつけ。俺は生きてるから。つか、ジークは?」
スンスンと鼻をすすったミルが、指を伸ばした。
その指の示す先で、バカ神官は膝に手を置き肩で息をしていた。バカは、服を来たまま泉に飛び込んだかのように大量の汗を流している。やめろ、見てる前で吐くな。
「ジーク。おい、大丈夫か?」
「……!……」
ジークのバカは声も出せないらしく、親指だけ立てて無事を示した。
俺は未だ涙目のミルの……返り血が目立つデコは叩かず、頭を撫でておいた。
お?
喪服の袖に、ところどころ穴、破れ、
改めて自分の躰を見回すしてみると……、
おいこれ、八つ裂きなんて生易しくなかったろ。絶対。
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