ビラの効能

 ビラと看板を設置してから、二日後の朝だった。

 俺は、凍死しかけていた。

 昨夜遅く、どこかのバカが、部屋の窓を薄く開けたのだ。小さなオンボロ薪ストーブの火がもう少し早く落ちていれば、確実に目覚めることはできなかっただろう。


 目覚めた瞬間、すでに歯の根は合わなくなっていた。本当に死にかけているときは寝ぼけ眼なんてものにはならないものだ。

 俺はすぐに窓を閉めて薪ストーブに点火。ガタガタ躰を震わせながら暖を取った。

 ほどなくして朝食をもってきたミルが、しみじみと言った。


「窓を開けて寝るとか、先輩おバカさんッスねぇ」

「……おまえといっしょにするな」


 ガチガチと歯が鳴って、まともに返事もできない。つい昨日まで甘すぎて口に合わなかった茶が、いまに限ってはセカンドフラッシュの茶葉のようにも思えた。

 一息ついて頭が回り出したところで、朝食の準備をしていたミルが言った。


「先輩、お手紙がきてるッスよ?」

「……なんだって?」

「窓のところッス!」


 トレイをテーブルの上におき、窓を指さす。見れば、下ろした窓に、まっ白い上等な便箋がはさまっていた。窓を開けたバカは手紙を入れたあと、閉めるのを忘れたらしい。子供のころに開けたら閉めると習わなかったのか。

 俺はまだおぼつかない足元に力を入れて、手紙を引き抜いた。すぅ、と流れてきた寒風に再び震えた。


「なんで正面のポストに入れなかったんだよ」

「ふかしんじょーやくがあるからじゃないッスかぁ?」

「不可侵条約? お前どこでそんな言葉を覚えたんだよ」


 おバカな後輩の口から出てきたムツカシイ単語に苦笑しつつ、テーブルにつく。


「村の子たちとやってるスクラブルッス!」


 なんだと。

 スクラブルというのは、一字ずつ彫った木札を使って単語を作るゲームである。スラ・エマンダの言葉を覚え、また相手にこちらの言葉を教えるのに有効だと思って、ミルと子供たちに教えたのだ。思いのほかハマったらしく、しょっちゅう教会で子供たちと熱心にやっていたのだが――、


「……『不可侵条約』、お前が作ったのか?」


 にわかには信じられなかった。


「……えへへ、ヴウークくんッス」

「マジかよ……」


 どっちにしても信じられなかった。ブウークは、教会から一番近い家に住む九歳児である。日頃薪を集めた後にミルがやっている鍛錬に興味を示した子供だ。あまり利発そうな子供には思えなかったのだが――まぁ、人は見かけによらない。

 俺は具を挟んだブリヌイに片手を伸ばしつつ、手紙を開いた。


『ネイト&ミル宛て。明後日、陽、天高く昇るとき、立て札の元にて待たれよかし』


 危うく咥えたブリヌイを落としそうになった。なんつう古風な文章だ。

 いや美しい筆致も含めてそれよりも、立て札のところで待てとは、つまり。


「センパイ? どんなお手紙ッスか?」

「広告が届いたらしい。多分だが、魔王城からのお手紙だ」

「ほんとッスかぁ!?」


 ミルはズバンとテーブルを叩いて立ち上がった。まぁ落ち着け。

 いや、俺が落ち着け。まずはプルプル震える手を抑え込め。

 ブリヌイを咀嚼し、紅茶に手を伸ばす。ティーソーサーがやかましく音を立てた。


「こっからの交渉次第で、またライト・シハナミに帰れるかもしれないぞ」 

「や……やったぁぁぁぁぁッスよぉぉぉぉ!」


 ミルは狂喜乱舞しながら俺の手を取った。喜びの舞を踊るような趣味は持ち合わせていないが、いまは付き合ってやってもいい。無理を言って金を使って広告を作り続けてきた甲斐があったのかもしれない。それだけで、雪の白さすら美しく見えた。


 二日後、天候は最悪だった。ほとんど吹雪も同然である。

 しかし俺とミルは完全防寒装備をして、またビバークする準備を整えて看板まで向かった。雪舟に猛烈な勢いで雪がぶつかり積もる。それを払って、口から真っ白い息を吐き出しながら看板を目指す。


 防寒を決め込んでいてもなお冷える指先と足先に舌打ちした。それでも手紙を無視するわけにはいかない。先方が姿をみせてくれるかどうかはわからない。けれど俺とミルは、鼻先にぶら下げられた人参に飛びつかざるを得なかったのだ。


 這う這うのていで辿りついた看板には、誰一人として待っていなかった。しかし俺は確信した。魔王城の方から。魔の者の誰かが現れるはず。ビラ自体は無くなっているし、なにより、なぜか看板には補強が施されていたのだ。

 猛烈に吹きつけてくる吹雪の向こうを睨みつけ、俺はミルに言った。


「ただ突っ立ってたら死んじまう。風を防いで待つぞ」

「りょりょりょりょりょりょうかかかっすぅぅぅぅぅ」


 ミルは歯をガチガチ鳴らしながら答えて、テントと支柱を取りだした。

 張った天幕の内側で火を起こし、茶を飲み躰をさすりながら待った。

 ただ待った。ばうばうと揺れる天幕に細く息を吐きつつ、ミルと並んで待った。

 ……。

 ふいに、風がやんだ。

 ちょうど寒さにやられかけたミル傍に寄せ、茶を飲ませてやっていたときだった。


「『ネイト&ミル』のお方であられましょうか?」


 テントの外から、声がした。やたらに古風な言い回しは、手紙の主に違いない。

 俺は早起きでウトウトしかけてきたミルを起こして、外に向かって口を開いた。


「そうです。我々が『ネイト&ミル』です。手紙を下さった方ですか?」


 ダガーに手を掛けるのを忘れてはいけない。相手は魔の者である。


「ああ、よかった。我が主があなた方に御用があると申されております」

「それは、ご葬儀について、ということでよろしいのでしょうか?

「もちろんでございます! どうぞ、お顔をお見せください。風は止めております」


 風を、止めている?

 俺は顎をあげ、ミルに手甲を身につけさせた。ついさっきまでの猛吹雪を片手前のように止められる魔の者が相手だ。警戒しすぎるということはない。


「も、モフモフッス!」


 テントの外に出ると同時に発せられたミルの言葉で、俺が張っていた緊張の糸はギターの弦のように明後日の方向に切れとんだ。

 テントの外にいたのは、森に住まう長命種エルフのような出で立ちの大男と、犬橇いぬぞりらしきなにかだった。たった二頭立て。

 

 ただし、引いているのは双頭の巨大な狼だ。俺を見下ろす双眸が首を上下するたびに紅い光跡を引く。規則的に吐き出される息が真っ白い霞をつくり、その向こう側に全身を覆う薄墨色の体毛がみえた。

 俺は一呑みにされる姿を想像し、唾をのんだ。しかしミルは、頓着しなかった。


「ふぉぉぉぉ、ごわごわのもふもふッスねぇぇ!」


 言いつつ、狼というか犬というか、謎の獣の片方の首に抱き着き撫ではじめた。獣の目が細まる。敵意は感じない。飼いならされているのだろう。

 男はその様子に口元を緩めつつ、こちらに回り込んできた。


「気をつけてくださいませ。それは擬態です」


 その声色は静かなもので、しかし探求心を焚きつける香りがした。


「真の魔眼はふたつの首の間にあるのです。決して見ないように」


 マジかよ、と思いつつも、視線は狼の首の間に向かう。長く固そうな毛を、ミルのい真っ赤な手甲に包まれた右手がより分けはじめた。もそりもそりと押しひろげ、首の付け根を目指して手が動く、もうじき付け根がみえ――。


「わっ!」


 男が大声で脅かしにかかり、


「ひゃぁぁぁぁぁ!」


 ミルの悲鳴がこだました。あれでそれなりに緊張していたらしい。

 

「いや、先ほどは失礼しました。緊張しておいででしたので、和ませようかと……」


 大男が犬雪舟を操りつつ、首を振った。困ったような微苦笑を浮かべている。

 俺の傍らで、ぷすっとむくれたミルが結構な勢いで飛んでいく景色を眺めていた。

 双頭の犬二頭の足取りは軽く、雪舟の底にある刃が雪と氷を切る音は心地いい。

 俺は依頼人の使者だという男に営業スマイルを向けて答えた。


「人にはキツいジョークだったかもしれませんね。特に子供には」

「ボク、子供じゃないッス」


 間髪いれずにミルはそう答え、ぷいと景色へ目を向けた。


「いや、ほんとに失礼いたしました」

「ミルのことは気にしないでください。少し腹が減っているのでしょう」

「なんと。それなら、城についたらまずは食事ですね」


 城だと? まさか――?

 尋ねようとした瞬間に、目をキラキラ輝かせてミルが叫んだ。


「パンがいいッス! ボク、パンが食べたいッスよぉ!」

「ちょっと静かにしてくれたまえよ、共同経営者」


 俺はミルのコートについてるフートを目深にかぶらせ、尋ねた。

「城って、まさか、魔王城ですか?」

「魔王城……? ああ、そうか人族はそう呼んでいるんでしたね。あれは家です」


 そう言って、使者は魔王城を指さした。


「正確には……と、発音しても聞き取れませんな。人族で言えば『監督者の家』といったところでしょうか」

「監督者? 王ではないってことか?」

「王制など」


 使者は失笑し、続けた。


「すべての種族を代表する王でなければ、王制を敷くことはできません。そして我らは数千を超える多種族の共同体だ。すべての種族を代表する生き物などおりません」

「えーと、つまり、共和制ってことですか?」

「その単語を知らないので、正確かどうかはわかりませんが、統べる者はいても王はいない、ということでご理解いただければと思います」

「なるほどねぇ」


 魔王軍とかなんとか呼ばれていただけ、ということか。とまでは言えなかった。『魔王』という単語を発音するとき、使者は眉根を寄せた。あまり好ましい表現ではないのだろう。だとすれば、接客の基本に忠実に、つまりご機嫌を取らなければ。

 俺は口をつぐんで、結構な勢いで近づいてくる『監督者の家』に目を向けた。


 それから文字通り滑るように進むことしばらくして。

 とうとう『監督者の家』の玄関口までたどりついた。

 のだが――、


「なるほど、たしかにこれは、デカい家ですね」

「ええ、ほんとに。いまではただただ大きいだけの家です」

「お城みたいッスねぇ」


 すっとぼけた声をだしながら、ミルは『監督者の家』を見上げた。

 それはミルの言うように、『城みたいな家』だった。たしかに大きな門はあったし門衛もいた。しかし門をくぐって立ち入った前庭には旗や衛兵の姿などなく、また城壁のようにも思えていたそれらは、ただの壁だった。


 いわゆる射手が矢を射るような狭間さまはなく、監視塔や見張り台もない。それは戦闘を想定した砦としての機能をもたないただの家――言い換えれば、お屋敷でしかなかった。


 一点、不思議なことがあるとすれば、敷地内に足を踏み入れた瞬間から、寒さを感じなくなったことだろうか。そしてまた、目測の距離と実際に動いた距離が合わないような、不思議な感覚を覚えた。

 使者は俺たちを先導しながら言った。


「依頼人は我らの監督者です。私の主人であり、現在の――ええと、君主? です」

「いえ。監督者のままで結構ですよ。というか、やっぱりそうなんですね」

「というと、すでに分かっていたのですか?」

「なんとなく、ですけどね。話し方や仕草から人で言うところの貴族かなにかかとお思っていたんですよ。さすがに魔の者のトップとは思っていませんでしたが」


 使者は苦笑しつつ言った。


「頂上にいる者とは面白い表現ですな。もっとも、我が主人を支持する者は、もうほとんどおりませんが」

「それは、やはり人族との戦争の結果ですか」

「それもありますが」


 使者は居城の扉を開き、俺とミルを招き入れた。


「より正確に言わせて頂けるならば、下の者を押さえきれなかったため。そしてそのさらに下、下の下。我らの種族における最下層はなにをするべきか、または、しないべきか。それを判断する知能をもっていない」

「言い換えれば、戦争責任を問われたわけですか」


 俺はため息をついて、物珍し気に館の中を見まわすミルに言った。


「なにをキョロキョロしてんだよ」

「だって、なんだか、このお家、すごいッス!」


 そう言って、両手をぎゅっと握りしめる。なんという端的な感想だろうか。

 俺もつられて館の中を見回した。たしかにすごい。ヨーキ=ナハルの地下神殿のように、青白く燃える燭台が壁に並んでいる。


 壁に剣のようなものもかけてあるが、人サイズのそれではない。戦鬼オーガなど呼ばれている人の身の丈の三倍はあるような、筋骨隆々の化け物が扱う武器なのだろうか。一見した限りではイミテーションとは思えなかった。それとも、この館の長、つまり魔の者の一過的な長が扱う武器なのだろうか。

 ――それなら、飾ったりなんぞせずに持ち歩くはずだ。

 俺は妙に暖かい廊下を急ぐ使者に聞いた。


「あの、ここって個人宅なんでしょうか? それとも、公邸的な?」

「公邸というのが分かりかねますが、ここは監督者に選出された者が住む家です」


 つまり、公邸か。

 魔族というものは恐ろしい存在だと考えていたが、思いのほか話せる相手らしい。むしろ血筋による世襲を配した社会構造は、人の世界よりも自由が利くようにすら思えてくる。


 いや、もしかしたら、そう思わせること自体が魔族の魔族たる由縁かもしれない。油断は禁物。会うのはかつて人を絶滅の危機に追いやった国のトップだ。

 気を引き締めなおした俺に、扉の前で止まった使者が静かに告げた。


「準備の方はよろしいでしょうか? この扉を開ければ、我が主の御前になります」

「ええ、もちろん」


 俺はポケっとしているミルのデコをペチって言った。


「それにほら、ご相談量は無料ですし」

「……っっはぅ! そうでした、ッスよぉ!」


 ミルは思いだしたかのようにビシっと敬礼し、使者に向かって言った。


「『ネイト&ミル』は年中無休、ご相談料はいただきません、ッス!」


 たどたどしい。練習しておけと言わなかったのは失敗だったか。

 使者はミルの敬礼を不思議そうな目で見つつ、扉の奥に声をかけた。


「失礼いたします。『ネイト&ミル』の方をお連れいたしました」


 一拍、二拍ほどの間を置いて、扉の向こうから声が聞こえてきた。


「うむ。通せ」


 若い声だ。想像していたよりもずっと若い。

 扉は一切軋むような音を立てずに、するりと押し開かれた。


 ――なんてこった。


 俺は口の中だけで呟いた。

 想像通りの禍々しい意匠の玉座はあった。そこまで絨毯も伸びている。壁には旗が飾られて、広い空間には数人の使用人と思しき異形の姿もあった。

 けれど――。


「うむ、そこもとらが『ねいとあんどみる』か。苦しゅうない。近(ちこ)うよれ」

「ヴウークくんそっくりッス!」

「――バカ!」


 率直すぎる感想を漏らしたミルを嗜めた。しかし、無理もない。俺も思わず口にしそうだったのだ。

 ガキんちょが王冠被って座ってる、と。


『監督者』であるらしい金髪碧眼の少年は、呵々大笑した。

「人族には我が子供に見えるのよの。我も知っておるから安心せい。人族と戦争が始まる前には、お主らの幼生が行う遊びに混じったこともあるぞ」


 心底楽しそうにそう言って、少年は胸を反らして宣言した。


「我こそは現『監督者』、レオニート・×”$Жィチ・**?♯Θである!」


 レオニートくらいしか、まともに聞き取れなかった。

 まったく、なにからなにまで人の世界とは違うらしい。

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