グレイブ氏の眠り
悪巧みをして菓子パン買って戻り、お気に召さなかったらしいミルに微妙な顔をされてから、三日後。
俺たちは喪服に身を包み、グレイブ氏の自宅前まで馬車で移動していた。
馬車は二台で、片方の荷台には
三日前ミランダの家に戻ると、ミルたちは棺選びで盛り上がっていた。ノリノリのグレイブ氏が、棺は白樺の組み木にすると言いはじめたとき、当初は火葬にでもする気なのかと思った。しかし、馬車の小窓からお屋敷を見る限り、単純に白色のコントラストがお好みなのかもしれない。
白亜の豪邸……というには小さいが、一般庶民に比べれば十分に大きい家だ。
表面を滑らかに白漆喰で塗り固められた壁が続いた先に、草の葉をモチーフに
門扉と建屋をつなぐ小道は、さすがに馬車ごと乗り入れるのは不可能だが、数人が並んで棺を運びこむ程度ならあまりある広さがる。
担ぎ手を引き連れ小道を歩くと、青々とした芝が広がる庭に目がいく。小さな薔薇棚まであり、茨が作る日陰の下には一本足の丸テーブルがある。おおかた、休日には夫人とグレイブ氏か、あるいは娘さんがティーカップを並べ、ゆるりと時間を楽しむのだろう。
冒険者あがりで、ここまで優雅な家がもてるとは。
なんだかんだ言っても、蘇生魔法が出来る前の冒険者の方が、夢があった、ということだろう。
棺を運びこんだのは一階奥の寝室だ。廊下と室内は棺を運び込みやすいよう、すでに片付けられていた。寝室の中央にはクイーンサイズのベッドが置いてある。それでもなお、大の男五人が、自由に動き回れる。全部の部屋がこの調子なら、家は外観からは想像できないほど大きいのかもしれない。
寝室で死を看取るのは、やたら若くみえる夫人と、まだ姿の見えない娘さんだ。
意外だったのは、グレイブ氏の死を、夫人は気にしていないようだったこと。長年連れ添った亭主だというのに、なぜ毅然としていられるのだろう。
――しまった。
つい気になって見過ぎた。夫人が近づいてくる。
目の前まで来た夫人は、恭しく頭を下げた。
「この度は難しい依頼を引き受けていただいて、ありがとうございました」
「あ、こちらこそウチに任せていただき、ありがとうございます。誠心誠意――」
「やっぱり、変に見えますか?」
「は?」
言葉を遮られたうえに図星をつかれ、間の抜けた声が出てしまった。
夫人は口元を手で隠し、声を立てずに笑っている。
ひとしきり笑った夫人は、ミルから葬儀の説明を受けるグレイブ氏を、遠くを見るような目をして見つめていた。
「あの人と知り合ったのは、今の娘と同じくらいの頃でね?」
なんだと。
かなり童顔だとしても、夫人は俺と一〇才も変わるようには見えないくらいだ。つまり、グレイブ氏は……。
俺の動揺と、少し増えたグレイブ氏への不信をよそに、夫人の静かな言葉が続く。
「昔から命知らずみたいなところがあったんだけど、とうとう一回死んじゃって。私はもう、そのときに泣きすぎたみたい。だから、そこから先は……なんなんでしょうね。悲しむべきなんだろうけど、不思議と、そういう気分にならないのよ」
涙を流す雰囲気すら見せない夫人は、気丈な人と見るのが正しいのだろうか。それとも、まだ実感がもてないだけなのだろうか。
いずれにしても、死を看取るってのは、そういうものだ。
「大事な人を見送るときに、『べき』なんてものは、ないと思いますよ。それに、葬儀を終えて、そのときにまた、気付くことがあるかもしれない」
なにがおかしいのか、夫人は淑やかな声を押し殺して笑っていた。
「ネイトさん。もう娘に勝った気でいらっしゃるのね。娘も、主人を死なせたくないという方達も、一筋縄ではいきませんよ?」
……そういうことか。つまり、まだ死んだわけじゃない、と思っているのだろう。
俺は努めて他意の見えぬよう笑顔を浮かべ、会釈だけを返しておいた。とりあえず今は、死を目前に控えたグレイブ氏の前でふざけている、ミルだ。おバカな後輩の調子よさげなデコを、ペチらねばなるまい。
しゅしゅしゅ、と音を立て拳を振るミルの丸いデコを、かるーくペチる。
「ふぇ? センパイ、何かやることあるッスかぁ?」
「やること、じゃねぇんだよ。お前がグレイブさんの時間を取ってどうすんだ。少しは気を利かせて、今の内にできることを伝えるとか――」
「たしかに! ッス!」
ぐっと拳をにぎったミルは、すぐさまグレイブ氏に顔を向け、ビシっと敬礼した。
「ごめんなさい! ッスよぉ」
ダメだ。ため息が押さえきれない。どこで教育を間違ったんだ……。
グレイブ氏は微笑みながらミルの頭を撫でる。
「なに気にするな。もう一人、娘ができたみたいでな。これで結構、楽しいもんだ」
「そうはおっしゃいますが、今日が今生の別れになるかもしれないんですよ?」
「おいおい。葬儀屋が客を躊躇わせているようじゃ、商売にならないだろうよ」
そう言ってグレイブ氏は頬を緩め、俺の肩を叩いた。しかし、新たに部屋に運び込まれた二つめの棺を目にして、眉間に皺が刻まれる。
「あー……ネイトくん。なんで棺が二つも?」
「板の厚さと、内張りのサイズが違うんですよ。寸法通りのものではありますが、より快適にお休みいただける方を使おうかと。そう思っております」
「……快適にお休みか! たしかに長いこと眠るんだから、そいつは大事だな!」
グレイブ氏は肩を揺すって豪快に笑っていた。あぶねぇ、上手く誤魔化せた。
そうやって、作戦がバレないよう、のらりくらりと言葉を交わしていると、寝室に娘さんが姿をみせた。……細身の小さな体に、豪奢な鎧を身に纏って。
銀色に輝く薄手の鎧の継ぎ目には、各パーツを縁どるように純白のラインが引かれ、胸には白薔薇の紋章が刻まれている。さすがにふわっふわのフリルはついていないが、この鎧もグレイブ氏の趣味に合わせたものなのだろう。
娘さんはこちらに鋭い吊り目をし、薄いピンク色のリップが塗られた唇を開いた。
「お父様は、絶対に、死なせませんからね」
俺は返答の代わりに、右手を腹に当て、深く頭を下げおく。
さらにもう一人、今度は無骨な鎧の男が入ってきた。こちら側につくという男だ。
男は娘さんと夫人に会釈をして、グレイブ氏の元へと歩み寄る。
「私が代表で、見送らせていただきます」
「うん。最後の最後まで面倒をかけて、すまんなぁ。後の事は任せたぞ」
グレイブ氏はそう言って、男の胸鎧を叩いた。力強く、硬質な音がする。
なにやら納得しつつありそうな二人に、娘さんの声が飛ぶ。
「お父様! まだ、葬儀になるとは決まっておりませんわ!」
「うん。そうだったな。お前が父様の死を受け容れられないと言うのなら、止めてみせてくれ。そのときは、俺も生を受け容れられるだろう」
グレイブ氏の声は静かなものだ。諭すのでも宥めるのでもない、温かい声だった。
こちらに向き直ったグレイブ氏は、何かを楽しむように、ゆっくりと瞬いた。
「さぁ、ネイトくん。はじめようか」
「はい。では、ベッドの方にお願いします。それと、ミル。薬を」
「りょーかい! ッスよぉ」
敬礼したミルが、部屋の隅に置いてあった皮鞄まで小走りする。中を漁って、薬の入った小さな黒い箱を取り出し、真剣な顔をして丁寧に運んできた。……ミルなりに丁寧、だが。
ミルの両手の上の黒い箱に手をかけ、蓋を開く。中に入っているのは、赤い、波打つような意匠の、ガラスの小瓶だ。葬儀ギルドで使用されている毒薬である。かつて乱心した教祖さまが、ヨーキ=ナハルに会いたい一心で私財を投じ作ったという。投獄の理由づけにもなった、いわくつきだ。
グレイブ氏の大きな手が小瓶を取り出す。瓶の中で、薬が微かに揺れていた。
彼は瓶を持ったままベッドの端に腰をかけ、家族と鎧の男をみやった。そっと小瓶の擦り蓋を押さえて、捻る。音もなく擦り蓋の封蝋が裂け割れた。
目を瞑ったグレイブ氏は、こちらには聞こえないくらい小さな声で何事か呟き、一気に瓶の中の毒薬を
空になった瓶を受け取ると、グレイブ氏は長く息を吐き、ベッドに躰を横たえた。
「すまない。手を握っていてくれないか?」
「ええ、あなた」
「……」
力なく上げられたグレイブ氏の手を、夫人と娘さんが両手で握りしめた。
グレイブ氏は、名残惜しそうな、それでいて満足したような目で、二人を見た。
「ああ、俺は幸せものだ。今日は、死ぬには、最高の日だ」
グレイブ氏は晴れやかな笑顔でそう言い、眠るように、瞼を閉じた。
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