職責と矜持
暖かい雪の降る庭園の真ん中で、俺とミルは、レオニートと円卓を囲んでいた。
魔族の首長が背の高い椅子によじ登る様は、普段だった笑っていたかもしれない。
しかし、その茶会では笑う気などしなかった。
卓に並べられた素朴な見た目のパンケーキのせいではない。仄かに酸味を感じさせる香りの紅茶のせいでもない。
レオニートにつかず離れず突っ立ち微動だにしないタラスのせいである。
顔が怖いのだ。青い光跡を残す瞳が恐ろしいのである。
ついでに言えば、
「これ。タラスよ。ネイトくんを邪視で呪殺する気か」
という、魔族ジョークのせいでもあった。
「ふむぅ……どうやら人族は小さき者の方が豪胆というのは、本当らしいの」
レオニートは呆れたようにそう言い、ちらとミルに目をやった。
当のミルはまったく意に介さなかった。というより、すでにパンケーキに夢中であった。きつね色のふっくらとした生地に由来不明の赤味を帯びた紫色のドロっとしたソースをかけて、いそいそと切り出している。
少々大きめのそれを口に運んで幸せそうに咀嚼し、紅茶に何の果実から作ったのか聞きたくなる光を吸い込むような緑色のシロップを落として、ふぅふぅ息を吹きかけつつすする。
ミルのデコが輝いた。どうやらマズくはないらしい。
「パンケーキはもったりしてるッスねぇ……寒いお外で食べるなら、これくらいの方がいいかもッスけど、このお庭だともっと軽い方がいいツスねぇ……」
幸せそうな割に評価の方は辛辣だ。たしかに豪胆な奴である。
レオニートは難しい顔をしてパンケーキを一切れ口にし、顔をしかめた。
「むぅ……そういうものか。すまぬの。我らが一族はこの手の味には疎いのだ」
「あ、いえ、こいつのことは気にしないでください。〝パン〟とつくものにはやたらと厳しいんですよ」
「ふむ。それが――ミルとやらの矜持なのだな?」
矜持とは大げさな。
ミルのパンに対する異常なまでの拘りは、ただの好みの問題だろう。
俺の心中を察したかのように、レオニートは言った。
「好きなればこそ、であろ? 嫌いなことにそこまで拘ることはないからの」
「……そういうもんですか?」
「なにを言っておる。そこもとも同じであろ。好きでもないのに拘っておるのか?」
俺はすぐに返答することができず、ティーカップを手に取った。
レオニートが言いたいのは、先ほどの仕事の話だとすぐに分かった。しかし俺は、仕事が好きかどうかなんて、考えたこともなかったのだ。
一昔前の冒険者じゃあるまいし、俺は仕事に好き嫌いなんて持ち込んだことはない。そもそも盗賊ギルドを選んだのは血なまぐさい話を遠ざけるためで、蘇生魔法によって状況が変わったから葬儀ギルドに移ったというだけの話だ。
――だったはずなのに、気付けば俺は、
葬儀屋は言われた通りに引き受ければいいだけのはずだ。けれど、それじゃ受けられない。受けたくないと思う。
好きなのだろうか。
何が? 仕事か?
人を死なすのが好きなわけではない。蘇生魔法のせいで死ぬに死ねなくなった人たちを安らかに眠らせてやりたい――なぜ?
いまになってこんなことに頭を悩ませるとは。
俺は意趣返しのつもりで、レオニートに質問で返した。
「レオニートさまは、監督者という仕事がお好きなんですか?」
「我か? いや、好きとは言えんの」
簡潔に答え、レオニートはテーブルに片肘をついた。その目は静かに降り続ける雪を見ていた。
「選ばれた頃は誉れだと喜んだものよ。いまでも名誉な仕事には変わりないがの」
「誇れる仕事でも好きではない、と?」
「名誉な仕事だと言ったのだ。誇れる仕事はできておらぬよ」
「……申し訳ない。俺には何を仰りたいのか、分かりかねます」
レオニートは左を伸ばして、虚空を撫でた。
「我の立場は全ての民の長であるからの。名誉なのだ。だが我のなしたこと言えば、戦線を維持するための政治ばかりよ。それもいつごろからだったか、人族が死を超えたであろ? 以降は負けて負けて、気付いたころには民は離散し、隠遁し、地下へちかへと潜ることになってしまったでの。とても誇れるような仕事ではないわ」
寂し気にそう言い、紅茶を口にする。好みじゃないのか、眉をしかめた。
俺は返答に困ってしまった。
俺が人族を代表するでもなし、何を言っても気休めに慰めにならないだろう。それどころか、下手をすれば侮辱になってしまう。
仕方なく、パンケーキをフォークで小さく切って、けれど口は付けずに、紅茶を飲んだ。渋味が強い。かつてどうだったのかは知らないが、いまの魔族は、この程度の茶葉にしか手が届かないのかもしれない。いや――相手は監督者、魔族の代表だ。そんなはずはない。
言い換えれば、レオニートは好んでこの茶葉を選んでいるのだろう。
「……矜持、ですか」
「そういうことだの」
言って、レオニートも紅茶を口に運んだ。
パンケーキを食べきったミルが、けぷ、と息をついた。
「ふぃ。ごちそーさまッス!」
「うむ。満足してもらえたかの?」
「ソースが甘さっぱりで、少しシュワシュワして、美味しかったッス!」
間の抜けた感想である。俺の共同経営者さまは大事な会話を完全に聞き逃して間食に集中していたらしい。
「シュワシュワだって? ソースがか?」
「そうッスよ? 先輩も食べてみれば分かるッス!」
言いつつ、ミルは椅子から飛び降り、てってこ芝生に足を踏み入れた。そして、
許可も取らずに、しゅしゅしゅ、と拳を振り始めた。
日課である。なにも今やらんでもいいだろうに。
俺は顔を覆って言った。
「すいません。あとで言っておきますので……」
「なに、我は構わぬよ」
レオニートは昔を懐かしむような目で、ミルの鍛錬を眺めはじめた。
「そこもとにとってのミルとやらと同じなのだ」
「はい?」
俺はレオニートの言いたいことが分からず、思わず聞き返していた。
「さっきの、矜持がどう、というお話ですか?」
「うむ。そうだ」
レオニートはわざわざ椅子を庭へ向け、じっくりとミルの鍛錬の観察をはじめた。
「どういう経緯であれ、我にとって監督者という仕事は、我の選んだ職務なのだ。選んだ以上は、職責を果たさねばならぬ。そして監督者の責任というのは、ようするに、民を導いてやるということなのだ」
「……俺にとってのミルが、あなたにとっての民だと?」
レオニートは黙って頷き、こちらには目もくれずに言った。
「我なりに考えたのだ。今の我らはの、負け戦が延々続いているのと同じであろ。そ戦を終わらせてやらねば、民は新たな道を選べんのよ。いまの戦況から監督者を引き受けたがるようなバカ者はおらぬしの。仮におったとしてもな、我としては、それだけの熱意、次代で生かしてもらいたいと思うのだ」
「……先ほどは死んでみるのが一族の誉れだと仰っていませんでしたか?」
かかかっ、と笑って続ける。
「たしかに言ったの。それも嘘ではない。一族の中で誰も行ったことのない領域に到達するのは我の望みである。が、それを成すことで、同時に終わらぬ負け戦を終わらせることもできるのだ。分かるかの?」
まさか、と俺は思った。
レオニートの言おうとしていることは、俺の狙いと合致する。かもしれない。
「つまり、監督者として死を選ぶことで、人族との戦争を正式に終わりにしたい、ということですか?」
「そう上手くいくかは分からがの。けれど、何かを変えるきっかけにはなり得るであろ。しかも永遠の死とやらも味わえるわけだ。ネイト。そこもとの矜持を満たす理由に、どちらか一方くらいはなるかの?」
終わらないはずの命を誰かのために終わらせる。
これが人族ならとてつもない覚悟だ。しかし相手は魔族。どちらが本音なのか、それがどれほどの意味を持つのか俺に推し量ることはできない。
けれど、これまでと同じ基準で言うのなら。
「民のために死ぬ。ですか。それなら、俺もやぶさかではありませんよ。特に、あなたの一族は死ねないのだとしたら、蘇生に苦しむ人族と変わらない」
「……うむ。我は死ねないということを、監督者になるまで考えたこともなかった。一族の同胞も同じよ。我の父も、祖父も、どこにいるとも知れぬでの。まったく無責任なものよ。どうせ自らは死なぬとばかりに、怠惰で、享楽的で、我としてはまったく誇れぬのだ」
レオニートをゆっくりと瞬き、鍛錬であがった息を整えるミルを眺めた。
「そこで、ものは相談なのだが――聞いてもらえるかの?」
「なんでしょうか? 何分、こちらも複雑な事情を抱えていましてね。出来ることには限りがあるのですが……」
「なに。思いつきの話なのだ。その、懐かしい技を見たものでの」
「はい? 懐かしい?」
「あれよ。ミルとやらの鍛錬だ。あの技、名はなんというのだ?」
「技ですか? さぁ……どうせ『たぁ』とか『しゅしゅっとしてどん』とかですよ、ミルの場合は」
レオニートは形のいい眉を盛大に歪めてこちらに顔を向けた。
「……なに? 『たぁ』? そんな名になったのか?」
「あ、いえ、そう聞いただけでして」
俺は慌てて否定し、しゅしゅしゅ、と腕を振るミルに言った。
「おいミル! それ、何て技なんだ!?」
「ふぇ? 何ッスかぁ?」
「だから、それ――」
「ミルとやら。そこともの流派はなんというのだ?」
かくん、と小首を傾げたミルは、唸りながら曇り空を見た。
「おっしょーさまはぁ……たしかぁ……『絶対負けない流』とか……あれ? 違うっスねぇ……『天下敵なし流』? じゃないッスねぇ……」
そんだけ熱心にやってて流派名も忘れてるのかよ。
と、俺はズッコケかけた。
レオニートは珍しく苦笑いを浮かべ、ミルの言葉を引き取るように言った。
「『絶対無敵流』とでも名乗っておるのかの。忘れてくれてよいぞ。我の知っておる型に似ていての。思わず昔を思い出してしもうたのよ」
「レオニートさんは、ボクのおっしょーさまとお知り合いッスかぁ?」
「いや。そこもとの『おっしょーさま』とやらとは知らぬよ。その師匠か、もっと前か、そのもっともっと前なのか。知っておるのはその辺りよな。考えてみれば、人族ならばとうの昔に死んでおるものな。流派の名も変わっていてもおかしくない」
昔を懐かしむようにそう言って、レオニートは椅子に座りなおした。何かを察したのか、ミルがとてて、と咳に戻ってきた。
俺はとりあえずミルのデコをペチってから、レオニートに尋ねた。
「それで、ご相談というのは?」
「む――そうだの。どうせなら、一度でいいから全力で戦って死んでみたいものだと、ふと思ったのだが、どうかの?」
「……はっ?」「なるほどッスねぇ……」
俺の間抜け声とミルの謎の頷きが同期した。
構わずレオニートは続けた。
「我が幼い頃の事だがの。人族の戦士がこの館まで攻め入ったことがあったのだ。その頃の我はいまのタラスと同じように、監督者の家で監督者の世話をしていた。そこで見たのよ。我らの監督者が人族に追い詰められ、屠られるのをな」
「……なんですって?」
「言葉通りの意味よ。当時の我にとっては、チャンスの一つにしか思えんでの。なにしろ監督者のポストが開いたのだから、またぞろ政治闘争がはじまる、と思ったものよ。まぁ、我が監督者に選ばれたのはそれからずっと後のことではあったが」
ミルがうんうんと頷いているのを見て、レオニートは咳ばらいをひとつ入れた。
「それでまぁ、ふと思ったのよ。その方法なら確実だろうとおもっての」
「確実? 話が見えてきませんね。なんの話なんです?」
「なに、簡単なことよ。我は全力を出してみたい。どうせ死ぬならその上で死にたいと思った。それなら、カッコもつくであろ? それにな――」
レオニートは傍らでずっと黙して佇んでいたタラスを見ていった。
「タラスが証人になってくれるであろ? 我は死力を尽くして人族と戦い、そして破れたのだと伝えてくれる。それなら我らが民も納得できるし、我も好きでもない仕事に殉ずるだけでなく、この世界でやり残したことすらなくなる」
なるほど。
納得しつつも、俺はため息をつきたくなった。
しかし、レオニートに同情しはじめていたのだと思う。
その証拠に、俺は、こう返していた。
「少しお時間を頂くことになりますが、構いませんか?」
これではまるで、仕事を請け負ったようなものだ。
すでに俺の頭は、誰にどうやって連絡をつけるか考え始めていた。
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