第10話 学者の独白

 私はその時の興奮を今でも鮮明に覚えている。学生時代から趣味であった化石掘り。時間ができた時にはそれこそ全国を貧乏旅行し、有名な採掘現場をまわった。


 太古の生物が気の遠くなるような年月をかけ、大地の中で瑞々しい姿から石化していく。地球の変節を、そして大地の征服者が変わっていく様を、じっと土の中で見てきたのだ。


 むろん化石だけではなく、鉱石採集も面白かった。ダイヤモンドのような高価な原石はないにせよ、水晶や翡翠ひすい、レインボーガーネットにトパーズの原石はそれ自体が魅惑的な美しさを持っている。


 迷うことなく私は考古学を生涯の研究として選んだ。考古学は化石掘りだけではなく、過去の文化の発展、遺物を通して研究する学問であり歴史学でもあるわけだ。


 遥か昔、すでに消滅してしまった時を遡り、陳腐な言いかたではあるが、まさしくタイムマシンを操って過去を俯瞰ふかんするがごとくの興奮を味わえる。


 とはいえ、大きな派閥にも属さず独りでコツコツと研究するには限界がある。地方の大学で、たかが准教授の肩書では活動資金はないに等しい。


 だから小笠原おがさわらから話があった時に、後先も考えずに飛び乗ったのだ。


 以前からこのO市にある金生山きんしょうざんには目を付けていた。金生山は、O市赤坂町あかさかちょうに位置する標高二百二十メートル弱の山である。山域は岐阜県の伊吹いぶき県立自然公園に指定されている。


 山は大部分が石灰岩であり、裾野には石灰岩や大理石を採掘する工場があった。今ではその石灰もほとんどが掘りつくされており、工場は無人の廃墟となっていた。


 ただ化石や鉱石は今でも出土するために、何度も採掘に行ったのだが、私はもっと別の、そう、宝物が眠っていると考えていた。


 勘ではない。学者の端くれとして、そんなあやふやな事で動くことは無い。


 私が若いころに手に入れた私家本、『銀嶺の覇者ぎんれいのはしゃ』。これは山岳信仰に基づいて記された古文書であるが、その一節に岐阜県ぎふけん伊吹山いぶきやまから御嶽山おんたけさんに関わる故事来歴があったのだ。


 驚くべき内容が書かれていたが、立証するには金もコネもない地方の学者には無理であった。それがこの手で解き明かせるのであったら。しかもハーバード大学で、考古学を研究しているという博士の助言者としてだ。こんな光栄なことはない。

 

百目ひゃくめ博士もターゲットを金生山に絞っていた。それは異論なかった。


 ところがだ。百目博士が金生山に目をつけたのは、GHQ(第二次大戦後、連合国軍が日本占領中に設置した総司令部)が極秘に入手した資料を、とある筋から譲り受けて解読するうちに面白い事実を発見したからという。マッカーサーの頃の話だ。


 彼らは財閥解体のおりに秘匿された財産を没収すべく、専門部隊をこの国に置いたと説明する。そしてある旧財閥の蔵から没収した資料の中にあったのが、今回のお宝に関し記述された古文書であったと。


 その古文書を私が見せてもらうことはなかった。大学の研究室に保管されたままだと言われた。


 小笠原が口をすべらし、それが徳川とくがわの埋蔵金に関する秘文帖ひもんちょうであることがわかったのは、すでに採掘現場が小笠原の配下によって土台が組まれ、重機が運び込まれた後であった。


 おかしい。徳川の埋蔵金なんて私は知らない。私が銀嶺の覇者に基づいて偶然発見した例の赤い石は、博士にもあえて言わずに長年の友人に託してきた。あの石は徳川の埋蔵金などというような眉唾物ではない。もっととんでもないお宝に繋がるはずなのだ。


 もう一つ気になることがある。百目博士が研究室から連れてきた女性、いや少女か。彼女はいったい何者なのだ。


 助手だというが、とても考古学を勉強している学生には見えない。掃き溜めに鶴ではないが、小笠原たちはいたく歓迎しているようだ。あの、この世のものとは思えない美しい女の魅力に憑りつかれたかのように。だが私には不気味な存在このうえない。あれから一週間、私は採掘現場で小笠原の差し向けた作業員二十名ほどと設置されたプレハブ小屋で寝食を共にしているが、少女リンメイは単独で山を歩いているようなのだ。


 リンメイはどうやら風水ふうすい術を使うらしい。常に十五センチ四方の板を持ち、採掘作業場や山の頂に立って板に視線を落としている。


 木板の表には中心に方位磁石が取り付けられており、それを囲むように金色で円が枠いっぱいに描かれていた。その円にはさらに中心に向かっていくつもの円が描かれてあり、線によって細かく仕切られている。


 仕切りの枠の中には、十干じゅっかん十二支じゅうにしを組み合わせた文字が筆文字で書かれてあった。


 十干とは、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、葵、の十種であり、十二支は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の十二種のことである。これを組み合わせて六十を周期とする数詞が作ってあるのだ。


 私は専門家ではないが、その程度の知識はあった。


 単なる占術師なのか? では何故占い師が発掘現場に来ているのだ。しかも百目博士の助手として。わからない。


 しかもたまに顔を出す小笠原、百目博士、作業員たちと運ばれた弁当を何度か食べたが、食事時にリンメイがいたためしはない。ほとんど口を開かないし、いったいどこで食事をっているのだろうか。


 すでに採掘現場は重機によって大きく掘られている。その場所の特定には、百目博士と私の意見が一致したのだ。百目博士はリンメイが方位盤で探った位置を、私は銀嶺の覇者より指数計算した場所をそれぞれ指摘しあった。それがピタリとあったのだ。


 もっともその前に私は単独でこの位置を割り出し、あの赤い石を手に入れていたのだが。


 ではここに徳川の埋蔵金が眠っていると? いや、ありえない。未だに小笠原たちはそう信じているようだが。百目博士は本当に埋蔵金なんて信じているのか? もしかすると、百目博士の目的は私と同じではないだろうか。


 背筋に冷気が走った。いかなる理由で小笠原に虚偽の、デッチあげ話をしているのかはわからないが。


 そして先ほど私が目的としていたお宝、それは金銀財宝なんかではないが、それが掘りだされた。


 リンメイの指示によって重機ではなく、ひとの手で大地を数ミリ単位で削るようにして慎重に作業を行っていたのだ。


 百目博士は報告すべく、山の麓から小笠原の自宅へ向かった。いったいなんと報告するつもりなんだろう。


 ううっ、思考が怪しくなってきた。


 作業員たちが次々と眠りに落ちているのは、いったいどうしたことだ。防音幕が張られ、外部からは作業工程が見えないようにされていたが、その内側で突然屈強な男たちがガクリと膝を崩して倒れ込んでいく。


 私も急速に睡魔に襲われ始めた。視界が暗くなる。


〜〜♡♡〜〜


 最後に目にしたのは防音幕を張った数メートルの鉄パイプの上に立ち、作業現場を見下ろしながら胸元で印を結び、何やらつぶやいているリンメイの姿であった。彼女の身体から青白いほのおが上がり、蜃気楼のようにゆらめいていた。

 

 白い防音幕が張られた麓の採掘現場。その様子を百メートルほど離れた森林地帯から双眼鏡で観察する人影があった。木々に紛れ、そこに人が潜んでいるとは思えないほど巧妙にカムフラージュしている。

 

つづく

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