第6話 考古学者、徳川の埋蔵金を語る

 O市の中央、国道二十一号線と一級河川である杭瀬川くいせがわが交差する地域。


 慶長五年にこの河川で、関ヶ原の戦いにおける前哨戦があったことは有名である。


 田畑が夏の陽射しを浴び、鮮やかな緑色に染まっていた。旧家が目立つが、なかでもひときわ大きな屋敷が周囲を睥睨へいげいするかのように構えられている。


 五百坪ほどの敷地は高い土塀に囲まれている。しかも瓦を敷いた垣根の上には有刺鉄線が張り巡らされており、さらに五メートル間隔で赤外線のセキュリティポールが立っていた。門は重厚な木材でしつらえられ、二台の監視カメラが入口を見張っている。


 しっかりと閉じられた両開きの門扉横には、名のある書道家が書いた表札が掲げられていた。そこには墨で「小笠原おがさわら」とある。


 先祖代々この地で小作人から搾取し富を築いた一族の長であり、O市会議員を二十年務める小笠原泰蔵おがさわら たいぞうの住まう屋敷であった。


 小笠原は広大な田畑を持ち、一方では土木会社も経営している地元のぬしだ。


 本人は市会議員であるが、配下には県政をになう者も多数抱えており、中央との太いパイプも持っていた。


 O市民であれば、小笠原がただの政治家、実業家ではないことを知っている。


 小笠原が社長となっている「小笠原興業おがさわらこうぎょう」は表向きこそ土木会社であるが、社員のほとんどは暴力団員と言っても過言ではない荒くれどもであった。


 O市政はむろん岐阜県警ぎふけんけい上層部とも癒着があると噂されており、O市での開発工事や新幹線工事のときには大いにはばをきかせていた。


 小笠原は空調のきいた二十畳ほどの自室で、ドイツ製の高級革張りソファにでっぷりと太った身体をゆだねている。


 還暦を数年前に迎えた齢であるが、禿げ上がった頭部、太い眉に大きな獅子鼻、厚いへの字に曲がった唇は人を威圧するには充分な貫禄がみなぎっていた。


 似合わぬ真っ赤なゴルフウエアに白いズボンは、お気に入りのスタイルだ。

 手にしたゴルフクラブを丁寧に布で磨いていた。


 書斎は南向きの大きな窓に向いて、オーク材で作られた茶褐色の高級書斎机。革張りのオークウイングチェア。真ん中には小笠原が腰を降ろしているソファが対になっており、書斎机とそろえたテーブルが鎮座している。


 壁にはレプリカではない本物の印象派の絵画が、金縁の額に入れられ飾られている。これ一枚で外国の高級車が買える。


 書棚には立派な装丁の書物が並べられ、ゴルフのトロフィが大小合わせて幾つも置かれていた。


 すでに昼食をすまし、小笠原は自室でゴルフクラブの手入れに余念がない。

 入り口横のサイドボードにあるフランス製の置時計の針が、午後二時を指している。


 ドアをノックする音。


「入れ」


 ガチャリと開かれる。


「おや、先生でしたか」


 小笠原はドアに立つ人物を見上げた。


 きっちりと整えられた髪、やや青白い面長の顔には縁なしの眼鏡。高級そうなスーツの下にはネクタイが綺麗に結ばれいている。三十歳代の男性だ。


「失礼いたしますよ、ミスター小笠原」


「どうぞお掛け下さい、百目ひゃくめ先生」


 男は小笠原の正面に置かれたソファにゆっくりと腰を降ろした。スーツにしわが寄らないようにしているのか、かなり浅く座っている。ズボンの折り目がピンと張り、百目の神経質かつ几帳面な性格が見て取れた。


「どうですか、先生。進展はありましたかな」


 小笠原の鼻にかかった太い声が問う。荒くれどもを手なずけているだけあって、声自体にドスが効いていた。


 百目の細長い双眸そうぼうが真っ直ぐ小笠原を見る。


「ミスター小笠原、私の予見が正しかった。そういうことです」


「ほう、では」


 小笠原は持っていたゴルフクラブを脇へ置くと、身を乗り出した。


「はい。例のモノは間違いなく、このO市に眠っております」


 百目は無表情のまま眼鏡のブリッジを指で押し上げる。


「ミスター小笠原が連れてこられた五条ごじょう氏は大した学者ですね。この件が終了したならば、私が席を置くハーバード大学にぜひ招聘しょうへいしたいと考えます。もちろん教授としての研究室もご用意します」


「それは名誉なことだ。五条先生もさぞかしお喜びだろう。まあ、あのお年だからして今から海外で生活できるかどうかは別物ですがな、はっはっは」


 小笠原は顔色こそ変えないが、百目の言葉に心臓を高ぶらせていた。


〜〜♡♡〜〜

 

 半月ほど前にさかのぼる。


 小笠原は東京から一本の電話を受けた。相手は小笠原が所属する政党の国会議員であった。『永田町ながたちょうのゾンビ』と影で言われる大物で、小笠原は多額の裏資金を提供する見返りにさまざまな恩恵を受けていた。


 その永田町のゾンビが、ある人物を紹介したいと連絡を入れてきた。ハーバード大学の考古学者で、デビッド百目教授と名乗る日系アメリカ人が、ある研究で岐阜県O市へ学術調査に行きたいと申し出ているとのことであった。


 考古学?


 小笠原は首をかしげた。


 永田町のゾンビは餌を与えるように、こう言った。


 百目教授は古代や中世を研究する学者ではなく、近世の遺跡などをテーマにしている。特に関心を持っているのは武家時代である、と。武家時代は歴史学者の領分だけではなく、それも考古学の対象らしい、と付け加えた。


 小笠原は相手に気づかれないよう、嘆息した。学問なんてのは銭を生む商売ではないと思っっているからだ。ところが。


「きみは『徳川とくがわの埋蔵金』を知っているかな」


「埋蔵金? と申しますと? 浅学せんがくなため申し訳ございません」


「きみにはいずれは国のために働いてもらいたい。そのためには軍資金が必要であろう」


 この上さらに巻き上げようってのか。とは言えない。


「はっ! 不肖ふしょう小笠原、先生のお手引きを頂戴できれば、ぜひ国政にと」


「むろん協力は惜しまんよ。そのためにだ、デビッド百目教授をきみに紹介したいという親心だな」


 単に都合のいい金庫だと思っているのは承知だわい。とも言わず、受話器を持ったまま頭を下げる。


「なんでも徳川時代の隠された埋蔵金をだな、教授は探しているらしいのだ」


「しかし、埋蔵金などとっくに掘られてしまったか、デマだって話を聞きますが」


 ゴホン、とゾンビが咳をする。

イエスマンしか周りに置かないこと、意見をしてしまったがために政治家の道を断たれてしまった者たちを思い出し、小笠原は急いで取り繕った。


「し、しかしハーバード大学の教授ともなれば、我々凡人のあずかり知らぬ情報をお持ちなのでしょうな! それを私のような地方の人間に託されようとする先生の寛大なお心に、不肖小笠原、感服いたしますぞ」


 額に一筋の汗が流れる。


「わしは国政に生命をかけて日夜戦い続けておる。埋蔵金がどうのなんてことに気を回す余裕がないのだな。そこできみに紹介したいと思ったわけだ」


 どうせまた、目を向くような紹介料をせしめる魂胆はみえみえだわい。あるかないかの埋蔵金探しに銭をつぎ込むより、もっと確実に安易に手元に銭が入るほうがいいに決まっておるわ。まあそうは言ってもな。


「この小笠原、たしかに承ります。いや、埋蔵金目当てではございません。門外漢ではありますが、学問のお役に立てるならばと考えますゆえ」


 電話を切り、小笠原は思案した。徳川の埋蔵金なぞ、マスコミが面白おかしく取り上げただけ。しかしアメリカからわざわざ学者が日本に出向いてくるってことは、もしかするともしかするのか。


 二日後、デビッド百目は小笠原の元へ訪れた。


 大学教授のどこか浮世離れしたイメージはなく、商社か金融機関に身を置いているようなビジネスマンのようであった。


 挨拶もそこそこに、百目はすぐに考古学について、そして徳川の埋蔵金について持論を語り出す。


 小笠原は私設秘書の中尾なかおと、小笠原興業専務の武本たけもとを同席させていた。中尾は秘書と言うよりも、なにかとキナ臭い小笠原を護衛するSPのような存在である。


 地味なスーツにネクタイ姿であるが、爬虫類を思わせるような冷酷な眼差しは瞬きさえせずに百目を値踏みしている。


 武本は派手なストライプのスーツに、さらに派手なネクタイを太い首元にゆるめていた。四十代後半らしく、角刈りのヘアはごま塩である。常に眉間に深いしわが入っており、闘犬のような凶暴さをスーツの上にまとっていた。


 百目はまったく気にせず話を続けていた。


「大変ありがたいです、ミスター小笠原。私はとある文献から、ここO市の金生山きんしょうざんと呼ばれている山に目をつけたのです。

 本来なら学術調査として、近隣の大学や専門機関に申し出るべきなのでしょうけどね。

 この度は私の仮説を証明するための、パブリックではない、私的な調査ですから」


「ええ、そううかがっておりますな。

 デビッド百目先生の目的はあくまで調査のみ。そこで何があろうとも、まあ仮に採掘された物のたぐいがなんであろうと一切関知しないと」


「その通りです。私は金銀財宝にはまったく興味ありません。ただ、仮説を裏付ける検証のみが私の求めるものなのです」


 小笠原は百目に口元だけの笑みを向ける。


「先生が真摯に学問を追究されるお心、小笠原はしかと承りましたぞ。ご納得いただくまで調査くだされ。その間のご面倒はお任せください。

 この地は水が大変美味い。それとブランドの牛は絶品ですからな。夏は過ぎたとはいえ今年は残暑が厳しいですが、滞在先のホテルは最上階を押さえてますぞ」


「暑くても寒くても、私たち学究の徒は意に介しません。雨風しのぐテントがあれば充分なのです」


 百目は両手を広げた。


「さすが大学の先生ともなると、お見かけだけで判断すればお叱りを受けそうですな」


「言い忘れておりました。今回私の研究室からひとり助手を呼んでおります。調査用の道具を揃えてやってきます。明日にはこちらに参りますが、よろしかったでしょうか」


「なんのなんの、何人きていただいても大丈夫ですわ」


 大きな口を開け笑う小笠原であった。


つづく

 

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