第5話 老師は彼氏とお迎えに

 O市は十六万人強の人口を持つ、岐阜県ぎふけん西濃せいのう地方に位置する中規模都市である。多くの河川が流れ、水の都とも呼ばれている。


 改札の右手側は商業施設の二階につながっており、買い物客や電車を利用する人たちで結構にぎわっていた。ただ盛夏は過ぎたとはいえ、地形的に大変残暑は厳しい。しかも多湿であるため、不快指数がすこぶる高い。


 常人より肉厚のナーティと珠三郎たまさぶろうは、電車の冷房に慣れた身体がみるみる汗ばんでいくのを感じた。N市も高温多湿の地域だからさほど違和感はないはずであるが、エアコンによって乾いていたワンピースと作務衣さむえがすでにじっとりとしており、二人は閉口した。


 あからさまな奇異の視線を浴びながら、バッグに日傘を持ったナーティと大荷物を抱えた珠三郎は階段を下っていく。


 O市駅前はロータリーになっており、ホテルや雑居ビルに囲まれている。


 太陽が真上からアスファルトの地面を容赦なく照らし、ムッとする空気に包まれていた。


「暦ではもう秋なのに、やっぱり暑いわねえ」


 ナーティは階段を下りた広間で一息つく。


「ところで、その師匠とやらはお迎えに来てくれてるのかな? かな?」


 珠三郎は荷物を置くと長い髪をかき別け、ロータリーを見まわした。


「そのはずよ。レイちゃんから連絡がいっているはずだし」


 通行人は二人を避けるように迂回し、距離をとってから振り返る。

 タクシーや乗用車、宅配のトラックがロータリーに停まっていた。


「美しい乙女と妖怪の二人連れなんて、そうそういるわけないし。向こうから見つけてくれるかしらねえ」


 ナーティは日傘を開いて手をかざす。


 プーッ、ププーッとクラクションが鳴り、一台の乗用車が二人の立つ歩道前に停まった。


 高級車、レクサスSUVのLXだ。シルバーボディが陽射しにきらめく。

 助手席のウインドウが開いた。


「あんたら、レイの友だちじゃなかろうかね」


 顔を出したのは、頭に日本手ぬぐいを巻き、紫色のショートヘアに大ぶりなサングラスを掛けた女性であった。


「えっ?」


 ナーティは目を凝らす。

 チャッとドアを開ける音がして歩道に降り立ったのは、鮮やかなピンク色で七分丈のカットソーにきらめくラメを髑髏ドクロの型に散りばめ、かすりのモンペをはいた老婆であった。


 身長百六十センチの珠三郎より、さらに頭一つ分小柄な老婆は片手にピンク色の杖を持ち、やや曲がった背で二人を見上げる。


「あ、あの」


 ナーティは、老婆を見下ろして言葉に詰まった。派手なのか地味なのか、不思議なファッションに目がいく。


「わしは武者小路むしゃのこうじぬえ、ちゅうババアだがの。オカマの相撲取りさんと、風船オタクの二人連れちゅうたらあんたらしかおらんがな」


 珠三郎はナーティを見上げ、首をひねる。


「ワタクシはオカマではなく男の姿を借りた乙女でしてよ、おばあさま。こいつは風船オタクで間違いございませんけど」


「ようするに、あんたらがレイの紹介してくれた助っ人だね」


 レイちゃん、ワタクシたちのことをそんな風に紹介していたのね。と、ナーティは心の中で歯噛みする。


 その時高級車の運転席が開き、ドライバーが顔を出した。


「ぬえちゃーん、捜していた人たちは、当たったかーい」


 おっとりとした声で降り立ったのは、(まあ! なんて素敵な殿方かしらっ)とナーティが急に恥らんだ表情を見せるほど顔立ちの整った若者であった。


 やや長めのカールした髪を無造作に別け、彫の深い小顔に真っ白な歯が光っている。


 若者はゆっくりドアを閉め、にこやかな笑みを浮かべてぬえの横に立った。


「あらーん、俳優さんかしら!」


 ナーティの目の色が変わった。


 かなり上背がある。ナーティにひけを取らないくらいだ。縞のシャツにジーンズ姿はとても似合っており、どこかのモデル並みに脚が長く引き締まった身体つきである。


「ほっほっほ。ピンポーンじゃったわいな」


 ぬえはまるで恋人に寄り添うかのように、若者にしなだれかかる。若者はその肩に優しく手を乗せた。


「よかったねえ、ぬえちゃん」


 ナーティはためらいがちに声をかける。


「あのう、ワタクシはナーティ白雪しらゆきと申しますの。こちいにいるのは、まあ同志と申しますか、炉治珠三郎ろち たまさぶろうという発明家? 研究者? ニート? 変質者? まあ、そんなような者ですの。

 で、おばあさまがレイちゃんのお師匠さんでしたかしら」


「おばあさまなんて高尚なもんじゃないけどのう。いかにもわしはレイの師匠、老師ろうしと呼ばれるがの、武者小路じゃ」


 とても武術うーしゅうの達人には見えない小さな老婆は、それでもしっかりとした声で言った。


「へえっ、ぬえちゃんって何かの先生だったんだねえ。僕、知らなかったなあ」


 若者は爽やかな笑みを浮かべて、両手を広げた。


「ほっほっほ、お互いに秘密があるほうが燃えるでなあ」


 ぬえはサングラスの下の、しわの入った頬を赤らめる。


「えっとお、このおにいさんは、おばばのもしかしてイイ人なのかな? グヒッ」


 珠三郎が無遠慮に若者を指さした。あわててナーティはその指をはたく。


「もしかせんでも、なあ」


 ぬえは若者を見上げた。


「僕は藪鮫市丸やぶさめ いちまるでーす。よろしくねえ」


 藪鮫と名乗る若者は二十歳代半ばくらいか。軽い口調でナーティと珠三郎に会釈する。


「市サマね、よろしく。それにしてもナイスガイねえ」


 すでにナーティは舌舐めずりしている。


「イッちゃんはな、わしの店子たなこであり、他人には言えぬ深ーい関係じゃぞい」


「店子?」 


 珠三郎の問いに、ぬえは大きくうなずいた。


「ほれ、わしももう年じゃからして、年金だけじゃ心細くてのぉ。五年前に小さなアパートを建てて大家になったんじゃ。イッちゃんはその頃からアパートの一室に住まわっておってのう。わしが買い物や遠出する際に、手伝ってくれておるんじゃ。

 そのうちに段々とな、お互いのハートが近づいての。ウヒヒッ」


「僕はインターネットで貿易の仕事をしているからさあ、時間は比較的自由なんだ。ぬえちゃんとドライブするのが唯一の息抜きってやつだねえ」


 藪鮫は嬉しそうに白い歯を見せて笑う。


(こんな美形の殿方が、半分棺桶に足を突っ込んだババアと恋仲だなんて。なんかとてつもなく悔しさがあふれるのは、ワタクシの修業が足りないせいかしら)


 ナーティは口元に愛想笑いを浮かべながら、瞳には嫉妬の炎が燃え上がっていた。


「ところでさあ、こんな暑い場所だとボクの脂分が蒸発しちゃうんだよね、ボクの脳は糖ではなく脂で回転してるいからさあ」


 所在無げに珠三郎がつぶやいた。その顔には大粒の汗がシャワーを浴びたように流れ落ちている。


「おうおう、そうじゃったな。じゃあイッちゃんの愛車に荷物を積んでくだされ」


 藪鮫は後部のトランクを開けた。

 珠三郎は大きなトランクを持ち上げようとするが、あまりの重さに地面から数センチ浮いた位置で止まっている。ナーティが手助けしようとした時、サッと藪鮫が動いた。


「レディにこんな荷物を持たせるわけにはいかないからね。僕に任せて」


 ナーティの顔の近くで藪鮫がウインクする。

 ポッと顔を赤らめるナーティは、あわてて下を向いた。


(ああ、フローラル系のイイ香り。お洒落なコロンね。ワタクシ、恋に落ちそう)


 相当重量のあるスーツケース二つを軽々と持ち上げ載せると、藪鮫は後部席のドアを開けた。


「さあ、どうぞ」


「あらまあ、すみません」


 ナーティと珠三郎が乗り込むと、助手席のドアを開けた。


「ぬえちゃん、お待たせ」


 言いながら藪鮫は手を差しだして、ぬえが乗り込むエスコートをする。


「あら嬉しや、イッちゃん」


 レクサスは四人を乗せて静かに走り出した。


つづく

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