魔陣幻戯2 『千年魍魎』編
高尾つばき
序章 新羅再興のために
夜露に湿った土を踏む音と枝葉をかきわける音が、急斜面の森に聞こえる。
獣も通らぬ樹木の生い茂る山肌を歩む、四名の人影。遠い夜空にまたたく星の明かりは、そびえ立つスギ、ナラなどが大地を覆い隠しているため、一寸先も見えない。
灯りの類は持っていないのか、真の闇が一行を包んでいる。にもかかわらず、昼間の山道を進むように迷いもなく勾配を登っていく影たち。
先頭を行く影は他の三人よりもかなり小さかった。子供かと見まごうほどの背丈だ。
この小柄な影が道に生える熊笹群や切り株の在り処を熟知しているかのように、ヒョイヒョイと跳ぶように進んでいくため、後続の者たちはそれにしたがってさえいればよかった。
獣のように夜目の利く道先案内人は、長い白髪を無造作に後ろで束ね真っ白な髭をたくわえた老人であった。ゆったりとした黒っぽい道服を着て、背中には大きな布袋を提げている。
続く三人は黒く長い髪を頭上で結い上げ、たくましく濃い髭を顔面に生やしている。
鉄板を何枚も張り合わせた甲冑に身を包み、荷を背負い、それぞれが大剣を手にしていた。兵士の様相だ。
汗や垢、泥にまみれた着衣からは、何層にもこびりついた血の匂いがする。すでに人とはほど遠い、野獣の体臭が漂っている。
兵士の鎧う甲冑は全体が錆に浸食されていた。通常の酸化ではない。まるで何日も水に浸したかのようだ。
彼らが登る音と、徘徊する夜行性の獣の鳴き声だけが斜面を転がっていく。
誰も口を開かない。兵士たちの眼は血走り、神経は相当張りつめている様子であるが、荒い呼吸が身体の疲労を吐き出していた。それでも誰も休もうと言わない。弱音を吐けばその場で斬り捨てられるような、そんな緊張感に包まれている。
彼らには自らの命を捧げても完遂しなければならない使命があった。責務というような他から無理強いされたものではない。背負った使命を全うすることこそ、戦乱のさなか生きながらえてきた証であるとの思いが肉体を動かしているのだ。
だからこそこの異国の地、倭国、
海の
のっぺりとした同じような顔つきであり、文化や宗教の一部を共有のものとするはずであるが、先住民族に己らの密命を知られてはならない。そのために上陸以降、隠れるように移動し、見つかった場合は問答無用で斬り棄てた。
その話に尾ひれがつき、異国から侵入者たちが乗り込んできたと、日本国内に伝わるのにさして時間はかからなかった。
日本には呪術使いが存在しており、千里先まで見通す力を持っている。彼らが兵に指示し、執拗に追いかけてきていることを兵士たちは知っていた。
しんがりを歩く兵士は、絶えず周囲の気配を読んでいた。太い眉、威嚇するような大きな眼、しっかりと結ばれた口元には汗と脂で髭が固まっていた。
この一行の
先頭を登る
薩満の足が止まった。
兵士三人は、小さく息を吐く。
薩満は懐から握りこぶしより小さな丸い
何かを納得したかのように首をかたむけ、後方を振り返ると前方の左側を指さした。
新羅から日本へ密入国した一行は、再び道なき山肌を歩き始めた。
〜〜♡♡〜〜
満天の星がきらめくなか松明を片手に、もう一方の手で手綱を持ち、馬を操って林道を駆ける集団があった。
烏帽子を冠り色鮮やかな鎧に身を包み、背中には弓を腰には刀を下げている。
鼻の下や顎に生やした髭が風になびく。二十頭ほどの馬が蹄の音を立てながら山裾の道を駆けていく。
「我ら、
集団を率いて先頭を奔る男は、鋭い目つきで眼前に迫る山並みを見上げる。
「異国の荒くれどもめ、この日本で何を行おうとしているのか知らぬが、必ずや討ち取ってみせるわ」
馬の腹を蹴ると、さらに速度が上げた。
延長五年、
警察及び監察を担当する弾正台の役人たちは異国からの闖入者どもを成敗するために、陰陽寮より遣わされた呪術師たちの力を借り、新羅からの密入国者を追っていたのである。
〜〜♡♡〜〜
新羅の四人は、標高三百メートルほどのその山を登りきる前の頂に立っていた。
周囲には杉の樹木が立ち並んでいるが、ここへきてようやく星明かりで互いの顔が判別できるような光度になっていた。
薩満は背中の布袋から小さな緑色の土器を取り出した。それを持ってしゃがむ。土器には文字が刻まれていた。漢字でもハングル文字でもない。古代朝鮮文字である。
兵士三人はその動きを見つめていた。
腰を降ろした老薩満は再度懐から瑠璃玉を取り出し、のぞく。
見守る三人の顔を見上げ、ひとつうなずいた。
土の上に土器をそっと置くと、口のなかでつぶやくように言葉を発する。兵士たちには理解できぬ呪文だ。
一陣の風が杉の木を揺らした。
置かれた土器が少しずつ小さくなっていく。いや、縮小しているのではない。大地に飲み込まれるように静かに埋没していっているのだ。
兵士のゴクリと生唾を飲む音が、やけに大きく聞こえる。
完全に土器が大地に姿を消すと、次に同じく布袋から小さな赤い石を取り出す。つまむ指先ほどの大きさである。
緑色の土器が沈んでいった大地の上に赤い石を置くと、再びつぶやき始めた。
赤い石はボウッと光を発し、溶け入るように地面に吸い込まれていった。
「ふむ。これでよし」
薩満はその言葉だけ、三人に聞こえるように口にする。
直後、しゃがんでいた老人がいきなり上方へ跳んだ。
ヒュンッ!
空気を裂く鋭い音に、長は振り向いた。
「グゲッ」
隣に立っていた兵士の眉間から一本の長い棒が突き出ている。矢だ。
続けざまに何本もの矢が飛来してきた。鋭い矢先が周囲の樹木に刺さる。
樹木の繁る山肌から
長は一瞬の油断を後悔した。手にした大剣で襲いかかる凶器をなぎ払う。一本が腕を防護していた甲冑の隙間にもぐりこんだ。
「クウ!」
もう一人の兵士が倒れる音を聞く。それでも長は力を振り絞って刺さった矢をぶら下げたまま剣で防御するが、使命を全うしたという安堵感が先行してしまった。
ザンッ! ザンッ! ザンッ!
長は身体中に矢を受け、背中から崩れ落ちた。
ひとり攻撃から逃れた薩満は張り出した枝につかまりながら、猿のように身体を回転させ、さらに上の枝に跳び移った。
「ひとり逃げたぞ!」
「追えっ」
頂を、弓に矢をつがえながら弾正台の役人たちは駆け上がってくる。
薩満は別の木に跳びながら、討たれた同胞を一瞬見下ろす。しかしその双眸にはどんな感情も浮かんではいなかった。
数名の役人が追いかける。
松明の灯りが大地に伏した長の顔を照らした。
横たわった長の目には灯りではなく、再興を果たした自国の御旗が大空に舞う幻影が浮かび上がり、そして消えた。
つづく
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