第3話 タマサブのトラップハウス

 N市に隣接する小牧市こまきし濃尾のうび平野の中央に位置し、複数の高速道路が交わる都市である。


 あれほど暑かった夏の空気も、朝晩においては上着を一枚着ておきたいほど涼しくなってきている。


 夕暮れ時、ナーティは愛車ハマーH1のハンドルを握り自宅から小牧市に向かっていた。

 モスグリーンの特注ドレス姿で運転している。


「廃墟のようなマンション住まいから一戸建てに移ったってことだけど、どんなお屋敷かしらねえ」


 ナーティはつぶやく。

 カーナビにセットした珠三郎の住所。映し出される地図の周囲はほとんど何もないようなのだ。


 音声の指示にしたがってN市高速を降りて一般道を走る。道路は時間帯のせいなのか、かなり混んでいた。


 途中で大通りから脇道に入るようにガイダンスされる。何度も曲がり、道路はそのたびに細くなっていった。


 太陽が西の空にギリギリ引っ掛かっているころ、ハマーの大型ボディ一台がやっと通れるくらいの脇道でカーナビの案内が終了する。


「ちょっとぉ、もう肝心のところでいつも終了しちゃうのよね、カーナビって」


 ブツブツ文句を言いながら、ナーティは速度を落として周囲に目配せした。


 狭いアスファルトの道路から舗装されていない自然道となっている。無人らしき古民家の建ち並ぶ奥の、さらに森へ続く道。


「本当にこんな所に住んでんのかしら。あらやだ、この先ってどうなってるの?」


 ナーティは自動車のライトを点ける。

 森へ入る手前に、その目的地はあった。


 屋敷、とはとても呼べない不気味な建物が浮かび上がっている。


 茫々の藪に囲まれ、錆びたトタン板で囲われた平屋建ての建造物は、まさに朽ち果てた倉庫であった。


 しかも伸び放題の雑草に壊れた自動車のエンジンやエアコン、自転車、ブラウン管のテレビ、雨ざらしの雑誌や新聞の束などが積まれており、ゴミ捨て場の様相であった。


 ゆっくりとかなり手前でハマーH1を停めたナーティは、助手席に置いたフリルのついた日傘を手にした。この傘には切れ味抜群の、本物の日本刀が仕組まれているのだ。用心深くフロントガラス越しに前方を注視する。


 エンジンを切った車内に、何やらざわめきが聴こえてくる。どうやら建物から漏れだす音のようだ。


「普通の神経の持ち主が住まう雰囲気はなさそうね。となると、やっぱりここがタマサブの住処すみかに間違いなしってことかしら」


 ナーティはゆっくりとドアを開けた。騒音が大きくなった。周囲の静けさが余計にそう感じさせた。


「灯りが見えるからご在宅のようね。やけに五月蠅いうるさい音も漏れてきているし」


 日傘をクルリとまわして、ぶんぶんと飛んでくる藪蚊を払いナーティは顔をしかめる。何やらすえた悪臭がたちこめていることに気づく。


「なにこれ、完璧なゴミ溜めじゃない」


 やはりタマサブとの同行は断ろう、と真剣に思うナーティであった。


〜〜♡♡〜〜


 建造物の内部は自宅というよりも町工場の作業場のように、旋盤、溶接用機器に塗装工具が設置され、その奥には数台のパソコンに学校の化学実験室を彷彿させる実験器具までが置かれていた。


 鉄骨がむき出しの天井からは、牽引用の滑車が下がっている。ここまでは天才発明家の仕事場としては許容範囲だ。しかしどんな役に立つのか、皆目不明な品物が室内に多々見受けられた。


 何体もの裸のマネキン、空き缶を組み合わせたオブジェ、人体模型、爬虫類のホルマリン漬けの瓶、七色に塗装された西洋甲冑にいたっては、もはや家主の精神状態を疑いたくなる。


 四方の壁には国内で活躍している数々のアイドルグループの大きなポスターが、何十枚と飾られている。


 機器類の奥の壁には、どこでどうやって入手したのか、友人以上恋人未満のみやびが夕陽をバックにポーズをとっている畳サイズのポートレートがかけられていた。


 そしてみやびに言わせるところの「人外魔境のゴミ屋敷」は、大きな騒音につつまれていた。いや正確には騒音ではなく、最近流行のアイドルグループがカワイイ声で歌う楽曲が流れているのだ。


 問題は、いったい何枚のCDをかけるているのか、という点である。


 つまり、珠三郎は居室に設置してある音響装置をフルに稼働し音楽を楽しんでいるのだが、まったく違うグループのCD十枚を十台のプレイヤーにセットし、同時に再生させているのだ。


 一枚であれば流行の歌であるから、リズムにのって楽しく聴ける。だが異なるメロディが同時にいくつも重なって流れていれば、それは騒音と呼ぶ以外ない。なおかつ業務用の巨大なエアコンが、大きな音を立てながら冷風を室内に流していた。


 家主である珠三郎は音楽を背に受け、薄暗い室内の隅に設置された護摩壇ごまだんに向き合っていた。組まれた木材の内側では音を立て炎が燃え上がっている。


 機械油や化学薬品の刺激臭、護摩壇の紫色の炎から立ち上がるお香の匂いが入りまじり、それが漏れ出して外のゴミの腐臭と入り混じる。警察沙汰になってもおかしくはない。


 珠三郎たまさぶろうは流れる十曲の練り合わさった奇怪な音楽に肩でリズムを取りながら、口元では何やら呪詛を唱えている。


 オカッパヘアであったのが平安時代の女性のように長く伸び、正座している床まで毛先が届いている。年中Tシャツであったのが黒地の作務衣を着こみ、まるで修行僧の出で立ちであった。


 唯一、度の強いメタルフレームの眼鏡に丸い顔、丸い胴体だけは変化ない。


「フンフンーフンフッ、フーンと。うむ、あやかちゃんとリサちゃんの声に、マリ五号ちゃんのハスキーボイスがシンクロして、なかなかいいぞうっ。

 おっ、ここにプッピーちゃんの声がかぶさると、なるほどなるほど」


 常人には理解できない、いや、したくない音楽鑑賞スタイルだ。


聖徳しょうとく太子たいしちゃんは、十人と同時に会話できたって。それくらいは凡人でもできるもんね。ボクが我が国の誉れと呼ばれるのは、希代きたいの天才ゆえさ」


 奇態きたいの怪人、珠三郎は思っていることが言葉に出てしまう癖があった。


 呪詛と独り言を交互に口にする珠三郎の細い目がキラリと輝いた。


「むむむっ、何奴か知らぬが我が邸宅に近づく不審者あり」


 護摩壇の正面にある壁に、四十インチの液晶テレビが合計二十台取り付けられている。


 どこから引っ張ってきているのか、十六台の画面にはテレビ各局の番組が映しだされており、一番下の四台は家屋の四方に設置したカメラが常に外部をモニターしているようだ。


 そのうちの一台の外枠が赤く警報の点滅をさせ、正面玄関近くへ歩いてくる大きな人影を捉えていた。


「ぐへへっ。不審者にはキツーイお仕置きをしてあげないとね」


 珠三郎は足元に置いてあるタブレットを持ち上げた。


「地面にはヒグマ用の強烈なトラバサミと高圧電線が網の目のように敷いてあるし、柱から火炎放射と毒ガス噴射装置があるし。それよりもまだ試したことないけど、屋根に取り付けた三十丁のボウガンから一斉射撃してみよっかなあ」


 面白そうに舌なめずりをし、タブレットを操作しようとした時。


「チョットォ! タマサブーッ! ワタクシよ、永遠の乙女ナーティよーっ。ここに仕掛けてあるトラップを解除してくださるかしらあ!」


 外部マイクが音声を拾う。珠三郎は首をかしげた。


「むっ、あの聞き覚えのある地獄を抜け出た亡者の声は。ナーティのおっさん?」


 手にしたタブレットを操作し、不審者撃退用の罠をすべてオフにする。


「そういえば、何か用事があるから今晩遊びに来るって連絡をもらっていたっけ。ぐふっ、すっかり忘れていた」


 ナーティは危うくハリネズミにされるところであった。


〜〜♡♡〜〜


「よくぞ仕掛けを見破ったものですなあ、おっさん、じゃなかったナーティ嬢」


「ワタクシを誰だと思ってんのよ。だけどよくもまあ、あんな悪趣味なトラップを設置したものだわ。それにしても」


 室内に通されたナーティは片手で鼻と口を押えながら周囲を見渡し、そしてすっかり様相の変わった珠三郎に視線を投げる。響き渡っていた音楽は止められ、エアコンの音だけが鳴っていた。


「アンタ、なにその奇天烈キテレツな格好は」


 二人は作業台兼務のテーブルで対峙している。


 作業台の上にはペンチ、ハンマーなどの一般的な工具に加え、ピックツール、ディスクグラインダー、その他専門的な電子部品が箱からぶちまけたように転がっている。


「ぐふふっ。天才であるところのボクは、前にもちらりと言ったけど、あの事件以来すっかり魅了されちゃったんだよーん、超常現象と呼ばれる事象に。研究すればするほど、摩訶不思議な世界に引き込まれちゃってさあ。

 今もちょうど護摩壇に向かって、霊的世界に没入していたところさ」


 ナーティは口元を曲げ、眉間にしわを寄せて珠三郎の顔を見た。


「アンタ自身が心霊現象のくせに。みやびちゃんは何て言ってるのさ」


 顔にかかる長い毛を慣れた手つきですくい上げながら、珠三郎は鼻をふくらませる。


「ボクとみやびちゃんは、前世から結ばれる運命だったのさ。したがってもちろん相変わらずボクにベタ惚れなんだよーん。この長いサラサラヘアがとてもキュートだって」


「ウソつきなさんな。多分近ごろは、このゴミ屋敷に顔を出してくれてないんじゃないかしら。せめてスタイルだけでも元にもどしてって言いながら」


「うっ」


 珠三郎は引きつった声をあげながら、斜め下を向いた。図星であったのだ。


「と、ところで、ナーティ嬢。今夜お見えいただいたのは、レイさんからの頼まれごとについて、でしたかな」


 咳払いをしながら話題を変える。


「そうよ。レイちゃんたってのお頼みごとなんだから。まあワタクシひとりで充分なんですけど。その行方不明のご友人が、大学で考古学を教えてらっしゃる先生らしくて。

 アンタの怪しげな研究も、たまには人のお役に立つと思ってさ」


「ふむふむ。考古学ときましたか。おやすい御用。ボクもちょうど民俗学に考古学、超心理学まで含めてこの二年で脳をフル回転させておりますからな」


「並外れた脳みその持ち主だってことは、ワタクシも認めておりますけど」


「みやびちゃんも誘って婚前旅行とシャレこんでみようかなあ、ぐふふふっ」


 不気味に舌なめずりする珠三郎に、ナーティは吐き捨てるように言った。


「お下劣なオタクにプラスして、インチキ祈祷師になり果てたアンタにみやびちゃんがついてくるわけないじゃない! 身の程をわきまえなさいな」


 珠三郎はどこ吹く風で椅子から立ち上がる。わっさあと、うっとしい長髪がナーティの鼻先をかすめた。


「ヒックション! いやだっ、この子ったら!」


 肩越しに振り返る珠三郎。


「それではボクがこの二年の歳月と、パテントの一部を売却して得た資金を利用して何を学び収集したのか。特別にナーティ嬢にご披露してしんぜよう。

 愛するみやびちゃんはボクのことはすべて知りたいと言いながらも、これだけは死ぬまで独り墓場に持って行ってねと懇願した、天才タマさまの真骨頂!」


 護摩壇の近くに置いてあったタブレットを取り上げ、珠三郎は操作した。


 ヴィーン、とモーターの回転音とともに、液晶テレビを一面に取り付けた壁が蛇腹のように開く。


「ちょ、ちょっとお! いったい何がはじまるのっ?」


 ナーティはガタンッと椅子から立ち上がった。


 広いワンフロアの倉庫と思っていたのだが、さらに奥に部屋があったのだ。

 珠三郎は細い目をキラリと光らせ、自慢げに鼻の穴をふくらませた。


つづく

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