第2話 レイからの依頼

 愛知県N市の歓楽街、通称『女子大小路じょしだいこうじ』は夜のとばりがおりていつもの活気に包まれる。


 世の中の景気が良くても悪くても、アルコールで一日の疲れを癒し、ドンチャン騒ぎで一時の快楽に身をゆだねたい、そんな人々が足を向ける一帯である。


 とあるビルの六階にある、オカマバーの老舗『ナーティーズ☆エンジェル』。経営者であるママのナーティ白雪しらゆきは今夜も黒いビロードの特注ドレスを華麗にまとい、酔客相手に盛り上がっていた。


 身長は約百九十センチ、体重はおおよそ百六十キロ近くあると思われるナーティは、プロレスラーか相撲取りに転身しても充分稼げそうな体型だ。長い黒髪を頭頂部で結ってあるが、まげと呼んでもおかしくない。


 一度の化粧でファンデーション一個をすべて使い切りそうな巨顔に真紅のリュージュを引き、ワサワサと音が聞こえそうなつけまつげの目を細め浮かべる笑み。少しコワい。いやかなりコワイ。


 店にはチーママのシオリコを中心に、十名の自称オンナノコたちが接客にいそしんでいた。全員もちろん女装だ。「かわいい」とか「美しい」の形容詞が源氏名の前につくオンナノコは皆無である。「気味が悪い」「怖気おぞけが走る」「化け物」「妖怪」などと客たちは平気でそう言う。


 怖いモノみたさに常連になる客が多いというのも、世の不思議である。


 店内はアルコールと香水のにおいが充満しており、慣れていないとその空気を吸い込んだだけで胃の腑が痙攣をおこす。


「いやだわぁ、社長ったら」


 ナーティはバスボイスを無理やり裏声にしたような声音で、カウンター越しのスツールに座る中年男性の肩を叩いた。


 ゴキッ!


 といやな音が聞こえたが、男性客はかなり酔っており神経が麻痺していた。


「イテテッ! ママに叩かれるなんて光栄だな」


「まあ、お上手だこと。なんならもっと叩いて差し上げようかしら」


 ナーティは目を細め、男性客に流し目を送る。


「嬉しいなあ。アレッ? おかしいぞ、こっちの肩が上がらない。アレレッ! 腕が動かなくなっちゃった」


 脱臼したと思われる肩を押さえる客に「どうかなさったの? あら、電話だわ。ちょっと失礼」と言いながら、ナーティはふいにカウンターから厨房と事務室のある奥へ、そそと姿を隠した。


 ナーティは胸元からスマホを取り出し、事務室のピンク色のドアを開く。電話着信のバイブレーションが大きな手のひらを振わせている。


 十二畳ほどの事務室に設置してある革張りのソファに巨体を沈めた。ドイツ製のソファは頑丈で、ナーティの体重でも受け止める。


「お待たせいたしました、ナーティ白雪でございます」


 ナーティの持つスマホに直接電話を架けてくるのは限られている。だから液晶画面に登録名が表示されたとき、少し驚いた。


「あらぁお久しぶりじゃなーい! どう、お元気だったかしらあ」


 声が弾み、ナーティの顔に自然と笑みが浮かぶ。


「レイちゃんのお声を聞くのはいつぶりかしら。すっかりご無沙汰しちゃって、ごめんなさいね。ううん、いまはお店だけど大丈夫。大切な戦友からのお電話だもの、あんな酔っ払いたちより最優先よ。

 その後伊佐神いさかみ社長とはどうなのよ。えっ、あっらぁ、まあ羨ましいこと。どうも御馳走さま。いいえ、ワタクシは相変わらずよ。白馬に乗った王子さまを、首を長くして待つ眠れる乙女のままよ」


 ナーティは二年前の、あの壮絶な戦いを思い出していた。


〜〜♡♡〜〜


 この世と常世とこよを結び、混沌カオスの地獄に変えようと企んだ『せいてんそうの会』教祖鹿怨かおん。配下の魔奏衆まそうしゅうを使い、魔物を甦らせた不死身の極悪人であった。


 その存在を知り、立ち向かうために元暴力団組長伊佐神は戦士を集めた。


 槍術そうじゅつの使い手でアイドル志望の女子高生、千雷ちらいみやび。超天才でスリングショットの名手、オタクの炉治珠三郎ろち たまさぶろう。旧日本陸軍があみだした白兵戦用戸山流軍刀術を受け継ぐ、オカマのナーティ白雪。


 そして今ナーティに電話を架けてきている洞嶋どうしまレイ。“藁人形わらにんぎょうのレイ”の二つ名を持つ超美形のレイは、陳式太極拳ちんしき たいきょくけんの免許皆伝であり、ヌンチャクを自在に操る無敵の仲間であった。


 戦士たちは鹿怨を破り、この世が地獄に塗り替えられることは防がれた。


 惨劇は幕を閉じ、それぞれは元の生活にもどって一般市民として平穏な時を過ごしていた。


〜〜♡♡〜〜


「それでレイちゃん、同窓会でも開催するおつもりなのかしら?」


 ナーティは笑いながら問うた。

 ふんふんとうなずくナーティの顔から笑みが消える。レイの話を聴くうちに、両目に真剣な光が宿った。


「それは大変ねえ。ちょっと待ってちょうだい」


 言いながら机上のPCパソコンをスリープ状態から起動モードにする。スマホを左手に持ち替えて、右手でマウスを操った。


「えーっと、お待たせ。ワタクシのお店は年中無休なんですけど、ワタクシを含めてスタッフの子たちも長期休暇を取れるようにシフトを組んでるの。来週からなら、ワタクシのお休みが取れるのよ。

 エッ? そんなバカンスで海外旅行なんて予定してないわよ。貧乏暇なしってところ。いいわ、ワタクシでお役に立つ事なら、ほかならぬレイちゃんのお願いだもの。それこそ旅行がてら出かけるのもいいわね」


 ナーティはPC上に地図を呼び出し、レイが言った目的地を検索する。


「そんなことは言いっこなしよ、レイちゃん。ワタクシを頼ってくれるなんて、むしろ光栄だわ。

 そうね、じゃあN市に帰ってきたらさ、レイちゃんの行きつけのお店でとても美味しい料理を提供してくださるって言ってらした、あの、そうそう“”でご馳走してくださらない? それでOKよ。うふふ、ありがと。

 じゃあ詳細はワタクシのEメールへ送ってちょうだいな。

 そういえば、みやびちゃんもかなりご多忙になってきたみたいね。ちょくちょくテレビでお顔を拝見するわ。それに、あの栄養袋のタマサブとまだお付き合いしてるらしいわよ。はーっ、タデ食う虫も好きずきって言ったもんだわねえ。

 タマサブのこと聞いてるかしら? あの怪人、例の事件以降すっかりのめり込んでるらしいのよ、に。

 今思ったんだけど、あやつを今回連れて行こうかしら。純真な乙女のワタクシと二人っきりで旅行なんて、みさおが危ないけどさ。違うわよ! ワタクシの操がよっ。

 確かにあんな事に巻き込まれたら、普通の人はトラウマになっちゃうけど、奴の場合は頭脳が普通じゃないからね。天才であることは認めざるを得ないから、役立つかも。

 了解しました。レイちゃんもお仕事大変でしょうけど、ファイトよ。じゃあまたね」


 ナーティはスマホを切った。

 ものの数分でPCがメール受信を伝える。


――ナーティさま、この度は突然の勝手なお願いを聴いて下さり、誠にありがとうございます。

 本来なら私が行かなければならないのですが、先ほど申しましたように明後日から伊佐神の秘書としてオーストラリアへ商談に出かけなければならず、どうしようかと悩んでおりました。

 こんな勝手なお願いをお頼みできる方が私には他にいないため、ナーティさまにお願いすべくご連絡を取らせていただきました。

 以前お話しいたしました、私には武術うーしゅうの師匠がおります。その老師せんせいからの頼まれごとで、少々厄介なことになるかもしれません。

 老師は岐阜県ぎふけんO市オーしに居を構えておりますが、すでに一線を退き悠々自適な生活を送られております。ところが最近長年のご友人の様子がおかしくなり、一週間ほど前から行方が分からなくなったとのことなのです。

 私にとって老師は親以上の存在であり、すぐさま駆けつけたいところなのですが。

 かかる費用等については全額私あてにご請求ください。

 快諾いただき感謝の念に堪えません。

 以下に老師の住所と連絡先を明記させていただきます。

 道中どうかお気をつけてください。

                            洞嶋レイ――


 ナーティはメールを読み終えると、再び画面に地図を呼び出した。


「岐阜県って、ワタクシそういえば一度も訪れたことがなかったわねえ。

 まあレイちゃんのお願いだし、人捜しくらいならワタクシひとりでも充分なんですけど」


 視線を宙に向け、かつての戦友である珠三郎の顔を思い浮かべる。


 オカッパヘアにコンパスで描いたよな丸い顔。度の強いメタルフレームの奥に潜む細い目。アイドルオタクであり、年中Tシャツによれたジーンズで過ごす体脂肪率八十パーセントの男。


「どこが良くてみやびちゃんはお付き合いしてるのかしら?」


 腕を組んで真剣に悩むナーティであった。


つづく

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