第11話 航空法はもちろん無視

 西の空に太陽が姿を隠しているが、まだ陽光が町を橙色に染め上げている。


 喧噪が遠くに聞こえる、ぬえのペントハウス。


 ぬえは客たちのためにであろう、かまどに火を起し野菜の煮物を炊いている。珠三郎たまさぶろうは掘りごたつの前に腹ばいになって一心不乱にタブレットをいじっていた。


 ナーティはといえば、ドレスから黒い道服どうふくに着替えているのだが、何やら落ち着かない様子で室内をうろうろ動き回っている。


「ナーティ嬢」


 珠三郎は画面を見たまま声をかけた。


「な、なによっ」


「太陽が沈むと男色の血が騒ぎ始めるなんて、まるで吸血鬼か狼男みたいー。あっ、狼オカマか、ぐへへっ」


「変なこと言わないでちょうだい!」


 ナーティは図星を指され、思わずうわずった声を荒げる。


「今夜一晩くらいなら、ボクも見て見ぬふりしてあげてもいいかも、かも」


 ナーティは疼く心を必死に抑えようと、歯を食いしばった。


(どうしてあんなワタクシの超好みの殿方たちが、よりによってこの小屋の下に何十人もいるのよ!

 ああ、いけない、純真な心を惑わす禁断の園へ足を踏み入れたワタクシは、世界一不幸なオカマ、いえ、乙女かしら)


 かまどからたちこめる美味そうな香りに、ナーティは神経を集中しようと試みた。


「せっかく来てくれたんじゃからな、今晩はわしの手料理でもてなすわいな」


 ぬえは一世代前の古い裸電球が灯る室内で、鍋をかき回しながら振り向いた。サングラスは相変わらずかけたままだ。

 珠三郎が腹這いのまま、片手を挙げる。


「おばば。どうやら夕餉ゆうげは後まわしになっちゃうかもー」


「どしたんじゃな」


「うーん」


 タブレットを両手でつかんで、珠三郎はゴロリと仰向けになる。その様子にナーティの片眉が上がった。


「なになに、なにさ栄養袋」


 珠三郎は寝転がったまま、細い目をナーティに向ける。


「ボクの式神しきがみが現在、じいさまを捜索しているんだけどさあ。邪気じゃきの流れが微妙に変化したもんだから、数十匹をそっちに向かわせたのね」


「で?」


「そしたらねえ、やられちゃったみたい」


 ナーティとぬえは顔を見合わせた。


「やられちゃったって、どういうことよ」


 それには答えず、珠三郎はやおら起き上がると玄関わきに置いた大きなスーツケースに向かった。ふたつのうち、ひとつを横にするとロックを解除した。


「今度は何をやらかそうっての?」


 無言のまま、珠三郎は二十センチ四方程度の箱を取り出した。蓋を開け、中身を取り出す。ナーティは眉をひそめた。


「アンタ、それは」


「うん、見ての通り、ドローンだよーん」


 珠三郎は黒く塗装された、四枚羽根の付いたラジコンを手にしている。


 ぬえは珍しげに、サングラスのツルを指先で上下させた。


「蠅の次はドローンって、アンタもまあ色々凝るわねえ」


「これはね、もちろん天才タマサマが製作した以上、そこらにある玩具とは別次元のものさ。

 飛行距離は軽く六十キロ、高度は三万五千フィート、つまり約一万キロまで上昇可能。ボク特製のニッケル水素電池でワンチャージ四十八時間、飛び続けますぞ」


「ますぞって、それは航空法とかの規制に完全に引っかかるんじゃなくて?」


 ナーティの生真面目な問いを無視し、珠三郎はぬえを見た。


「お婆。金生山きんしょうざんって、どんな所なのかなあ」


「金生山か。どんなと言われてものう。まあ昔は石灰が産出された山ちゅうことしか、知らんわいなあ」


「そう、ならいいや。じゃあさっそくこいつにご活躍願おう」


「だから、航空法はって」


 しつこく食い下がるナーティに一瞥いちべつをくれながら、珠三郎は再びタブレットを指先でスワイプする。


 畳の上に置かれたドローンの羽根が、ほとんど無音で回転し始めた。


「取り付けてあるカメラは超高感度。前にみやびちゃんの自室をこっそり覗こうとしたんだけど、何故か勘のいいみやびちゃん。あやうく十文字槍で真っ二つにされるところでしたあ、グヘヘヘッ」


 卑猥な笑みを浮かべながら「発進ッ!」と大声で叫んだ。


 ドローンは音もなくかなりの速度で開け放たれた窓から飛び出していった。


つづく

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