まわしを締めたゴリラ2

一部からは優勝候補として目されていたウィリアムスが一次予選途中で2敗。

まだ結果が出ているわけではないのだが、奔王とダビデがこれから連敗するとは考えにくかった。


「完敗だった……。おまえにも奔王のイカヅチ-ケンゲンのような不思議な力があるのか?」

ウィリアムスはしゃがみ込み、土俵の下でドクターに検査されるダビデに聞いた。


「私にはそんな羨ましい力はない。勝てたのは運が良かったようなものだ……」

ダビデは脱臼した腕で手話の動作をした。


「そうか……。ああ、無理はするな。治療に専念してくれ。明日の奔王との一戦楽しみにしている」

そう言い終わるとウィリアムスの巨体がぬっと立ち上がり、入場口から出ていった。


ダビデの腕の脱臼は23世紀の高度医療を使えば数時間で完治する。

この時代ではある程度の骨折ぐらいは半日で治せる。適切な処置を施し、特殊な液体の入ったカプセルに患部を浸せば、通常の数十倍の治癒力が引き出せるのだ。


その日の夜には腕も完治し、ダビデは宿泊先のホテルのジャズバーにいた。

ダビデはサイズが特注のダメージジーンズを履いており、薄暗いムードの中でグラスを傾けていた。


「腕はもういいのか?」

後ろから着物を着た男が声をかけてきた。奔王だ。

奔王も同じホテルに宿泊しており、たまたま偶然ジャズバーに来たところだった。


「驚いた。こんなところで奔王に会えるとはね。腕はもう治ったよ。すごい医療技術だな。森の中じゃこうはいかない」

ダビデはせわしなくごつい指を動かした。ゴリラとは思えない精密な指の動きだ。


「そうか……。ん?トマトジュースを飲むのにわざわざバーか?」

奔王はダビデの前に置かれたグラスを指さして言った。


「ジャズが好きなんでね。……それと、ゴリラだから酒は飲まない」

ダビデのその言葉に、細かい疑問が湧いたが、どうでもいいことなので口に出さないことにした。


「そうか……。マスター、サッポロビールはあるか?」

奔王が注文するとカウンター下の冷蔵庫からサッポロビールの中瓶とグラスが出てきた。


「なぜサッポロビールなんだ?」

不思議そうにダビデが聞いた。


「相撲取りの験担ぎってやつでね。星のマークが“星を取る”ってことで良いとされているんだ」

そう言うと奔王はグラスにビールを注いだ。


「それじゃあ明日の試合にでも乾杯しよう」

奔王はビールのグラスをトマトジュースにカチンと当てると一気に飲み干した。


ふたりからはどこか似た雰囲気が漂っていた。

おそらく生きることと相撲とが直結するふたりで、同様に土俵の外では「土俵の外」という線引きができている。


「正直言って気が引ける部分もある。横綱というのは相撲の歴史、人間の結晶のようなものだ。私ひとりの力ではない。それに対してあなたはたったひとりだ……」

奔王はグラスを見つめて語った。


奔王が言うように横綱や選ばれた力士というものは、2000年以上の歴史が育て、数百億の人間から選りすぐりの人材を使って産み出された結晶だ。特に奔王という存在はその最たるものだと言える。

反面、ダビデはゴリラという種として生まれ、偶然知能を手に入れたおかげで相撲道に足を踏み入れた異例中の異例の存在だ。

23世紀、人類200億人。対し知能のあるゴリラ1頭。この構図を200億対1匹のアンフェアな戦いであるという見方もできる。


「そうだな。こう考えてみてはどうかな? 今現在、力士になれる人間が200億人いるとして、そこに一匹のゴリラを加える。それで我々の条件は同じにならないだろうか?」

ダビデは巧みな手話で答えた。


「なるほど……。私は相撲の世界というものを少し狭く考えていたのかもしれん……」

そう言うと奔王は残りのビールをグラスに入れて飲み干した。


「相撲の歴史の軸の上を歩く以上同じか。それはそうだ。目が覚めた思いだ。……だがしかし……」

奔王は続けて独り言のように話す。


「いや、この先は土俵の上で語ろう……」

そうポツリと言い、奔王は立ち上がって去って行った。


「ではまた明日」

ダビデの翻訳機がそう言った。


ダビデは奔王の存在をまるで偉大なる師のように感じた。

相撲の世界にいる以上、大相撲の横綱は雲の上の人である、ということも理由にあるが、その独特の人物からは学ぶべきことがあふれていた。


ダビデはその心地良い時間を噛み締めた。

そして、最後の言葉について思い出し、心に閉まった。

半日後に対決の時は迫っていた。



翌日。ダビデとの対戦を数十分後に控えた奔王は、誰もいない控え室の廊下、目をつぶって集中力を高めていた。

壁に向かってゆっくり突っ張りや張り手を放ち、最高のイメージを作ってゆく。


「今回は随分と面白そうな相手だね」

奔王がその声の方を見ると、いつの間にか廊下のベンチに男がいた。

小奇麗なシャツとカジュアルなスラックス、長い黒髪に美しいあごひげの優男な顔立ちだが、体格は大柄で筋肉質だ。


「あぁ、面白い。それ以上に……強敵ですね……」

奔王は男をちらりと見るとそのままイメージトレーニングを続けながらそう言った。

男と奔王は顔見知りのようだった。


「人間以外の動物も土俵に上がる時代か。いや、規格外の力士はそいつだけじゃなさそうだしな……。運命の子、奔王もいよいよ危うしってところか?」

男はにこにこ笑いながら奔王に語りかけた。

茶化すような発言内容だが、言葉には嫌味がない爽やかさがあった。


「運命の子……。そう言う人もいますが、私はただの人ですよ。……勝つために全力を尽くすだけです」

奔王は四股を踏みながらそう返した。

運命の子。近年、相撲界の運命を握る者として奔王をそう呼ぶ者も少なくない。


「ただの人にしてはあまりにも非凡だねえ。……今回も何か考えているんだろう?」

男は何かを探るように奔王に尋ねた。表情は相変わらず笑みを浮かべたままだ。


「まぁ……。少しばかり……」

奔王は手を止めて汗を拭き、時計を見た。


「そろそろ時間のようだね。御角山部屋の人達が迎えに来る頃だろうから私は退散させてもらうよ」

男は立ち上がり、ふわふわとした足取りで廊下を歩いて行った。

入れ替わりで走ってきたのは獅桜だ。


「そろそろ時間です!」

獅桜の声に奔王は深く息を吐き、入場口へと歩き出した。

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