奔王対雷電2
「勝てるわ。たぶんだけどね」
アユミは一言つぶやくと土俵へと上がっていった。
それを聞いたアン・リは深く頷いた。通信の向こう側にいるガラグインとウジェーヌもそれを聞いていたが、何も言わずアユミを送り出した。空気の読めない人間のガラグインだったが、さすがにこの瞬間ばかりは口を閉ざし、拳を握りしめた。
「人間の力士のように動くな」
土俵上に立った雷電を見た、奔王の第一印象はそんなところだった。
いつものように当たり前に、これまで培ってきた相撲をすべて出せば最良の結果が出る。これが奔王の結論だ。
奔王の切札でもあり、雷電とアユミの懸念でもあるのが厳血顕現だろう。どこで使うかで勝負は分かれる可能性は高い。
両者が土俵上の仕切り線に集い、蹲踞の姿勢で睨み合った。
パワードスーツ型ロボットといえ、雷電とアユミが放つ気合いは奔王に感じ取れた。奔王の得意とする仕切りの“読み”では後の先を取ろうとする意識がはっきりと見える。というよりそれ以外はまったく考えていないように思える。
ジャッジを務めるアンドロイドのエンジェルが声を上げる。
「発気よ~い…………残った! 」
立ち上がると同時に両者の体が激突する。まるで鏡に写したように左右対称にトレースしたかのようなファーストコンタクトだった。
間髪入れず奔王の右の張り手が雷電の胸を狙う。が、アユミはその張り手を完全に見切っていた。
「よし! ここ! 」
突き出された奔王の手を雷電の手刀が払い落とす。手首ごと切り落とせるんじゃないかというほどの重く鋭い一撃。張り手を読んでいなければ不可能な一撃でもあった。
アユミの計算上、最も高い確率でこの張り手がくると予想していた。仮想奔王のシュミレーション上で最も多くの敗北数と勝利数を叩き出した黄金の張り手だ。まともに受ければ惨敗必至。だが、迎撃できればイージーな勝利パターンに変わる。
「きたきた! もらった! 」
アユミの中で完全に負けパターンは消え去った。後は作業的に勝利パターンをこなすだけだ。
迎撃された後も奔王は果敢に攻める。常人であれば手刀で弾かれた手首に激痛が走り、戦意を喪失するであろうところだが、土俵上の横綱奔王は超人。痛覚は強い闘争本能により遮断され何も感じない。ただ目の前の相手へ意識は集中する。
ひたすら前へ前へ攻め込む奔王、それを雷電は払い、叩き、避け、かわす。実質奔王には何もさせず、体力を削りダメージを与える。
アユミもまた超人。そして廃人。廃人ゲーマーの超反射速度で奔王の動きを完璧に読み切り、封じ込めた。
しかしそれでも奔王の動きが衰えることはない。むしろ動きのキレは徐々に増してきている。猛獣のように眼光は鋭く光る。
「雷電の迎撃は後手の対応に過ぎない。僅かなミスを突けば一気に崩れる……と、奔王は思っているのだろうな! 甘い甘いィ! 」
アユミはそうつぶやくとコントローラーの操縦速度のギアをひとつ上げた。
加速する奔王の動きに対応し、少しのブレもなく技をさばく。土俵上でめまぐるしい攻防戦が続く。長く続けば続くほど、消耗が激しいのはあくまで奔王だ。そもそも雷電にはダメージも無ければスタミナ切れも無い。圧倒的有利なのは最初から雷電であった。
このまま奔王が敗れ去るのかと会場が息を飲むその時、均衡は崩れた。
いつの間にかじわじわと雷電が土俵際まで後退していたのだ。
ほんの僅かに生じた千載一遇のチャンスを見逃さず、奔王は厳血顕現による超反応の喉輪が雷電の首を狙う。雷電がその喉輪すらも叩き落とそうと払いの手を繰り出すが、奔王の喉輪は囮だった。一瞬の隙を突き、奔王の手が雷電のまわしを捕らえた。即座にそのまま奔王は投げに移行する。
厳血顕現により引き出された、限界を超えた力による奔王の投げが決まれば、超スペックの雷電といえども脱出不能。最後の最後にアユミは読みを間違えた。……かに思えた。
「計算通り」
アユミが笑いを殺しながらつぶやいた。
奔王が投げの動作に移るその時には、雷電の投げ技が奔王にかけられていた。
土俵際で奔王が雷電を捕らえ、厳血顕現から投げを打つ。そこまでアユミは予想し、完全に読み切っていた。奔王が投げに入る瞬間、先を越すように体重移動し、奔王のまわしを取った雷電が投げる動作を終わらせる。掴み、そして組み合うという動作を一気に省略した投げだ。
俯瞰で見れば、まるで奔王が雷電の懐に飛び込んで自ら投げられたかのように見えたであろう。
最初からアユミの計算の中で奔王は遊ばれていた。
1万年に1人の最強横綱であろうと、アユミの前ではNPCに等しかった。スーパーハードモードもゲーム廃人にはいつもの日常。やり飽きたゲームのボスキャラのように、予測通りに動く奔王を指先で操る。
二者の体のほとんどは土俵の外、空中からこのまま落ちれば雷電の勝利。
だがそこから奔王と雷電の時間軸は大きく歪む。
奔王、雷電の体は土俵の外に滑らかに倒れる。投げられた奔王の方が態勢を崩された分先に落ちる。さらに雷電の投げの力が乗算され、逃げ場はない状況だ。
誰もが奔王の敗北、雷電の勝利を確信する中、奔王だけは最後のその瞬間までこの状況に抗う。
土俵上に残った足の爪先、いや、僅か親指一本のみが全てを拒むかのように地面から離れない。
「これは一体……?」
ウジェーヌが思わず声を上げ戸惑いを露わにした。
アンドロイドの演算機能では目撃している事象に物理的な説明がつかないのだ。
奔王本人と雷電の合計した重量が、奔王の片足、しかも地面と接触しているのは僅か親指一本という状況で、倒れる速度を殺しているのだ。
先ほどまでの激しい攻防から一変し、緩やかに時が止まったかのようなスローモーションのせめぎ合い。奔王の片足が悲鳴を上げているかのように筋繊維が浮き上がる。このまま弾け飛んで爆裂するんじゃないかと思えるほどの緊張感だ。
「むうううん……! 」
奔王が唸り、ありえないような無茶な態勢からさらに力を振り絞った。弾けるように奔王の足が土俵から離れ、永遠のような一瞬に幕が下りた。
両者共に土俵の下に転げ落ちた。巨大な岩山が崩壊するように土俵外に雪崩れ込む。どちらが先か、勝負の結末はわかりにくいところだった。
「奔王悟理、予想より遥か上の男だったかもしれない……」
アユミが恐れと悔しさとわずかばかりの笑いが混じった声をもらした。
最後の粘り、それは奔王が自分より格上の相手との投げ合いを想定した反復練習をしていることの現れだった。今までそれを使う機会すらなかっただけの話で、奔王は横綱の地位に甘んじず、誰もいない遥か上を目指す異次元の超人なのだ。アユミはゲーマーの嗅覚でそのことに気が付き、奔王の恐ろしさを垣間見た。
エンジェルが立体ホログラムで取組のスロー映像を再生し、判定の確認に入る。
土俵外に落下する奔王と雷電が、360度立体的に映し出される。着地の瞬間はどちらが先でもなく、ほぼ同時だった。
会場に複雑な感情の入り混じったどよめきが起こる。
「着地は0.1秒以下の誤差。同体であると判断し、よって判定は、『取り直し』とします」
エンジェルの判定が読み上げられ、会場のどよめきはより大きいものとなった。
奔王はダメージによる負傷と体力の消耗、頼みの綱の厳血顕現も残り1秒も使え無い。状況の有利は雷電にあるのが明白だった。
「これは勝てるぞ!」
最初にガラグインがアユミに声をかけた。
「落ち着いていきましょうアユミ」
続けてアン・リも声をかける。
アユミもまた、満身創痍の奔王を目の前にし、勝利を確信した。
土俵上の最後の粘りが奔王が雷電に勝つ最後のチャンス。今の状況下で奔王が巻き返す手は何も残ってはいない。……と、アユミは思った。
だが数秒後、苦しそうに呼吸を整える奔王を前に、アユミは青ざめた。
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