奔王対雷電3
「いや、まずい……。もしかしたらとんでもない勘違いをしているかもしれない……」
震えた声でアユミが皆に告げた。
奔王は栄養ドリンクの入ったボトルを獅桜から受け取り、流し込むように飲んでいる。
「それ、高いんですからこぼさないでくださいよ!」
そんなことを言う獅桜の声がアユミの所まで届く。
「何を心配しているんだ?」
ガラグインがアユミに聞く。
「次も奔王が同じような相撲をするかな……? あたし達が奔王の研究と対策をしていることはバレたはず。同じスタイルの相撲はもう通用しないと思うんじゃないかしら……?」
アユミの言葉を聞き、ガラグインとアンドロイド2体は沈黙した。計算能力の高い三者はおおよそアユミの言いたいことを理解したようだ。
「かと言って今この場で即興で考えたような奇策には出ない。おそらくだけど、奔王はこんな時のために用意している切り札を隠し持っていて、使うはず……」
アユミの推察は当たっていた。今までの奔王は教科書通りの相撲で十分に最強の横綱であり、特殊な技、奇抜な技を必要としてこなかった。だが身につけてこなかったわけではない。いざという時の切り札としていくつか技を訓練しているはずだ。しかし、結局使う機会は無かったのだ。そのためにアユミもデータとして知ることもできなかった。
視界に映る奔王は痛めた手首を念入りにチェックしつつ無表情ではあるが、どことなく落ち着かないようにも見える。奔王の相撲を研究している者や熱心なファンからしたらどことなく違和感のある光景だった。奔王は追い込まれた時ほど冷静沈着なもののだ。その違和感は今まで試したことのない技への期待と不安、そして新たな挑戦からくるものであり、アユミに対するほんの少しのアピールも含まれていた。
奔王が取り直しのこの状況下で勝てる可能性に賭けるには、アユミの知り得ない技を用いる他無い。
「よし! じゃあ奔王が使ったことがない技から絞り込めばいい!」
ガラグインが言いながら検索をかける。
「パンチなどの打撃技を解禁するというパターンも候補に入れた方が……」
「ウジェーヌ、奔王という人物においてそれはありえません」
ウジェーヌの言葉をアン・リが遮る。
計算速度の早い三者であるが故に議論はまとまらず、一向に答えが出ない。
土俵の向こう側に佇む奔王は、目を閉じて微動だにしない。すっかり呼吸は落ち着き、イメージトレーニングの世界に入っている。
アユミは考えた。このまま得意とする後の先を取る戦法でいくか、それともこちらも撹乱する戦術を取るか。未見の技を使ってこられた場合、どう対処するか。厳血顕現というチートをどう警戒するか。考慮すべきことが無数に増え、考えがまとまらない。
ほんのさっきまで詰将棋のように数十手先が読めていたはずのことが、一手先も見えない闇のように目の前が真っ暗になっていた。
「アユミ! アユミ! ……ここはあなたが信じる方法でやってみてください!」
声をかけたのはアン・リだった。
奔王は土俵に上がると、獅桜から冷えたタオルを受け取り、顔を拭った。
疲労も溜まり、スタミナも無く、負傷している箇所も少なからずある奔王が狙う作戦は一瞬の決着だ。いくつかの技が浮かぶ中でとっておきの切り札が奔王にはあった。
「
奔王が
この技の威力は絶大なものであり、まさに一撃必殺であるのだが、その分リスクが高い諸刃の剣でもある。そして一度公開すると対策を打たれて技の実用性は落ちる、リスクはより高くなる類の技だった。できれば決勝トーナメントまで温存しておきたかったが、雷電はこの技を使う覚悟を決めさせるまでに奔王を追い込んだ。
予選は絶対全勝しなければばらないわけではないので、1敗しても予選通過できる。だが、奔王の、いや横綱のプライドがそれを許さない。
雷電は今ここで倒さなければならない相手であると、奔王の血は滾っていた。
「先輩、すいません。この一戦、あたしに預けてください」
アユミはそう言うと、雷電を操縦し土俵に上げた。
雷電の設定を変更し、それまでのオートマチックモードをオフにして、完全手動操作のマニュアルモードに移行する。
「ちょっと待て! マニュアルぅ?」
ガラグインが立ち上がって声を上げた。目を丸くしてディスプレイに映る雷電に釘付けだ。
「このままではまったく勝てそうもないです。だったらアタシはこれで勝負したい!」
アユミは雷電をマニュアル操作し、それまでとは全く違う立ち姿や構えをとった。それはスモウをベースに作られた格闘ゲーム「
「ゲームキャラの真似でいこうっていうのか?」
ガラグインが呆れたように聞く。
「アタシ、昔やってた中国拳法で
そうアユミは答え、
直後に反応したのはガラグインでも奔王でもなく、会場の観客だった。そこにいるすべての人が雷電の動きに歓声を上げたのだ。
スモウ自体の人気と並行し、子供から大人まで楽しめる。知らぬ者はほとんどいないだろう。
「横綱奔王と
そんな風に期待してしまう。
会場の熱気は一気に雷電に集中し、今日初めてアユミは自分を後押しする追い風を感じた。
「一体なんだ? どういうことなのだ?」
この会場の中、唯一困惑していたのは奔王悟理その人だけだった。
相撲のみをひたすらに追及し続ける人生を歩んできた奔王は、ゲームのことなどまるで知らなかった。
この日一番に湧き上がる会場と、一変したファイトスタイルを披露する雷電に奔王は困惑するばかりだった。
「あいつ、本当にわからないのか? 俺でも知ってるぞ?」
「どうやらそうみたいです……。うちの部屋もゲーム機置きます?」
獅桜も半ば呆れ気味に答え、奔王を見た。奔王は沸き立つ会場の客席を流し見た。
角闘技というゲームについて一から言葉で説明して奔王に理解してもらうのはハードルが高いと御角山は考えた。もっとも、それを説明したとして、雷電の攻略法に繋がるかはわからない。そして奔王がそれを聞いたことで怒り出しかねない。あくまでも自分の力で勝ちたいという部分もあるだろうが、奔王はこの奇天烈な挑戦をふいにしたことを怒る
とはいえ、土俵上の奔王は戸惑いを隠せない顔で立ち尽くしている。横綱奔王が歩んできた相撲キャリアの中で、ここまでの強い逆風を感じたことはないだろう。同時にスモウが異種格闘技戦である恐ろしさを初めて痛感していた。
「あれ、本当にわからないのかな?」
ガラグインも御角山と同様の疑問が湧いて出た。御角山と違ってガラグインは薄く笑っている。
「そうみたいね……。こんな人がいるとは……」
「なんかさ、あんなに強大で恐ろしかった人が、今はポンコツに見えるな……」
そんな言葉を交わし、数秒沈黙した後、それでも無表情の奔王の顔を見てアユミとガラグインは笑った。
ひとしきり笑った後、アユミにはもはや不安による緊張感は無かった。本来持ち合わせているゲーマーの目に冷たい炎が灯った。
仕切り線の前に立ち、これからやることはひとつ。すでに決まっている。
誰もがそれを疑わない。ガラグインやアン・リとウジェーヌ、会場の観客達。獅桜と御角山親方。会場にいるスタッフ。ジャッジを務めるエンジェル。みんなそれを知っている。
ただ一人、奔王だけがそれを知らない。
雷電に注がれる会場全体から集中する熱い視線。それが奔王をより一層困惑させる。
奔王は処刑台に立つ気分だった。これも相撲の世界に入って初めての経験だ。
小学校に通っていた頃、アユミは中国拳法で目覚ましい活躍をしていた。
当時から熱中していた格闘ゲーム
そんなアユミの将来の夢は
それぐらいのことで夢を諦めるほどアユミは軟弱ではない。だが中学の公式試合、最初に対戦した相手が悪かった。
同じ女性とは思えないほどの体格、並の男性でも太刀打ち出来ない肉体を持つ相手にアユミは完膚なきまでに叩きのめされた。
ただそれだけではなく、必殺と自負していた陀伝雷音拳を涼しい顔で受け止められてしまい、アユミの心は折れた。
生まれついての体格が無ければどんな努力や才能も虚しいものだと悟り、アユミは拳法を捨ててしまった。
だが今は違う。
雷電というボディを手に入れ、努力や才能に十全に血が通った。
目の前にいる横綱奔王にあの時の陀伝雷音拳は通用するとアユミは確信している。
そこにいる奔王以外、すべての人間が確信している。雷電の拳が奔王の胸に突き刺さる
角闘技には立合いと同時に入力済みの技をロケットスタートのように放つ「ブーストアタック」というテクニックが、中級者と上級者の分かれ目である重要な駆け引きの要素になっていた。
阿龍々の必殺技、陀伝雷音拳をブーストアタックで使うことは強力であり、調整で下方修正されたり、大会やローカルルールで禁止になったりと、幾度と無くゲームバランスのキーポイントとして良くも悪くも話題になった。
そう。アユミが狙い、誰もが期待する技こそが、立合いと同時の陀伝雷音拳だ。
ただの高速飛び込み左正拳突きではない。わかっていても避けようがない、雷電の駆動力を完全に引き出した超高速飛び込み左正拳突きだ。
奔王がぼんやりして何の対処もできなかったり、打ちどころが悪ければ即死する可能性だってある。
陀伝雷音拳のことなど知るよしもない奔王は、瞑想に近い思考の形で自己の深淵を見つめていた。
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