空手家とマスクマン2

百貫突ひゃっかんづき。

表面的な動きだけで見ればごく単純な正拳突きにすぎないが、全身の隅々から集めた無駄のないエネルギーはその正拳突きを究極までに昇華させていた。

安堂流空手創始者、安堂勘兵衛が編み出した究極の正拳突き。安堂勘兵衛はその正拳突きを「百貫突き」と名付けた。


一貫=3.75キログラム。百貫で375キログラムの圧力の正拳突きということだが、安堂勘兵衛の正拳突きが375キログラム以上であったというような記録は残っていない。

ただその威力そのものは凄まじく、試合で相手を破壊することは日常茶飯事であり、瓦割り、ブロック割りなどのデモンストレーションでは驚異的な記録と映像が残されている。


そして、時は流れ、その拳は受け継がれ磨き上げられてきた。安堂流の傑作とされる安堂流空手七代目当主アンドウ・オホリの百貫突きはもはや375キログラム程度の重さではないと予想できる。


アンドウの百貫突きをどてっぱらに受けたジョルジオ・ブラックタイガーは人生で最も重い衝撃を体に感じていた。

まるで図太い鉄の杭で体を貫かれたような、腹の中に車が突っ込んできたような、そんな激痛が体のど真ん中に爆発する。

目は白目を剥き、口からは胃液の混じった唾液がしたたり落ち、体はくの字に折れ曲がる。全身からはじっとりと脂汗が噴き出る。虚しく空で固まっている両手の指先にまで痛みのつらさが伝わる。マスクでわかりにくくはあるが、顔からは苦悶の表情すら見て取れた。


「おおっと! ブラックタイガー! ギリギリ耐えきったー!!」

実況アナウンサーが絶叫する。


ジョルジオ・ブラックタイガーは百貫突きが直撃する瞬間、筋肉の緊張と緩和を巧みに操り、衝撃を足先から土俵へ、または空へと逃がした。

もちろんそれでも予想以上に逃げ切れない衝撃がブラックタイガーを襲うが、それでも彼は倒れなかった。彼のプライドが倒れることを許さなかった。

「ここで倒れたらつまらない。そんなストーリーを誰も望んじゃいない」

そんなエンターティメント精神が彼を奮い立たせた。


立ち枯れて風に吹かれるサボテンのような今にもボッキリ折れそうなギリギリの状態でブラックタイガーは土俵に踏みとどまった。


それを見てアンドウは心が震えた。

どのようにバランス感覚を磨き上げれば自分の拳を受けても立っていられるのか、いや、それよりも何よりも、倒れることを許さない精神の強固さに感動すらした。


「なんという素晴らしいギャラクシー……君は安堂流の常識を破る存在だ! 次元を超えた存在だ! まさにギャラクシーであると言わざるを得ない!! 」

アンドウはおのれの中に溢れる抑えきれない情熱を、いまだ痛みに開放されず悶絶しているブラックタイガーに向かって語った。ブラックタイガーからすればそれどころではない上に気分も悪い。


「へへへ……、やかましいぜ。そういうのやめろって言ってんだ……。すぐに一発ぶちかまして殺してやるから黙ってろ……」

言葉の内容は強気なブラックタイガーだったが、顔色と体の動きからダメージは深刻であった。


「ああ、だが私から最大の賛辞の言葉を贈らせてくれ。……私の百貫突きを食らって倒れなかったのはおまえが初めてだ……!!」

言葉の通り、彼の一撃を受けて立っていた者はそれまでいなかった。今にも倒れそうではいるが、立っていたのはジョルジオ・ブラックタイガーが初めてのことだった。

アンドウは興奮を抑えられず、熱が冷めない。次は自分が無抵抗で攻撃を受けなければいけないことすらすっかり忘れているようだ。


ブラックタイガーはマスクの隙間から汗を滴らせながらフウフウと深めに呼吸を整えた。30秒以上、じっくりインターバルを置き、回復に努める。

震える足で天を見上げ、痛みが消え去るのを待つ。


「ゆ、ゆっくりでいいんだ! 万全の状態まで回復してくれ……!」

アンドウはあくまで公平フェアな勝負を望み、ブラックタイガーを気遣った。ボクシングのセコンドのようにブラックタイガーの回復を促すアンドウ、もはやこの光景にSUMOUスモウの取組の最中である面影はない。


「フゥ~……、次はおめえの番だぜぇ……」

肩を回しながらジョルジオ・ブラックタイガーがアンドウ・オホリに対する攻撃準備を始めた。


「あぁ、わかっている。いつでも構わない」

アンドウも攻撃を受ける姿勢へと移行する。両拳を腰の横に置き、下腹部、丹田へ気を溜める。


プロレスラールチャドールのブラックタイガーからの攻撃をすることになるのだが、先の一撃の時とは攻守が入れ変わっただけでなく、条件自体が恐ろしく変わってくる。

アンドウは空手の防御法も一流ではあるのだが、ブラックタイガーのように高度な技術で攻撃を受けきることはできない。そもそも、空手でもSUMOUスモウでも真向から攻撃を受ける必要はない。避ける、捌く、先制するという選択肢があって防御が生きるのだ。

対するブラックタイガーにはアンドウのような破壊を目的とした攻撃手段はない。

とはいえ、プロレスラールチャドールができることが腕力に頼った、実践格闘に使えない技ばかりであると憶測するのは偏見である。


「ブラックタイガー選手回復されたようです。攻撃はアンドウへと移るみたいですね~」

「しかしまぁすっかりプロレスですね。完全にブラックタイガーの世界ですよ」

実況と解説のふたりも、いや、会場全体がすっかりこの状況に魅了されていた。

空手とプロレスの世界の巨頭ふたりがぶつかる化学変化は凄まじかった。


ブラックタイガーは右腕を天に突き上げると、ブンブンと振り回した。

それに応えるように会場はどよめいたように盛り上がる。

まるでハンマー投げの選手のようにブンブン丸太のような腕を振り回すと会場の盛り上がり最高潮の所で腕は遠心力のエネルギーが絶頂に達した。数歩分の助走と全身のしなりを使って破壊力を増した大振りのパンチが、建築物を破壊する鉄球クレーンのようにアンドウの腹部に直撃した。


アンドウの耳にはバチンという大きな衝撃音と、腹部にかかる圧力で肋骨がミシミシときしむ音が聞こえた。

カチあげるようなアッパー気味のボディーブローであったため、アンドウの体がわずかに宙に浮き、土俵上を後ずさる。


「……がはぁッ!」

先ほどのブラックタイガーと同じようにアンドウの体も、くの字に折れ曲がり、口から胃液を吐き出した。想像以上の激痛に、いつもは涼しい顔のアンドウも苦悶の表情に変わる。

今にも膝をつきそうな足をぶるぶると震わせ、歯を食いしばって踏み留まる。

ぐるぐる胴体を暴れまわる痛みで汗とよだれと涙が滴り落ちる。


「あー! アンドウ選手、これは苦しそうだ!」

「アッパー気味でしたから、これは横隔膜に突き刺さりましたよ」

実況解説が声を上げる。


「お……押忍!」

1分近い休憩を取ると、アンドウは拳を胸の前で交差させて払い、気合いを入れた。

回復の時間を取ってみたものの、まとわりつくような鈍痛は抜けきれない。


対するブラックタイガーに痛みはもはや残っていない。

身体的にダメージはあるのだろうが、元よりルチャドールプロレスラーであるブラックタイガーと痛みとは慣れ親しんだ間柄であり、日常であった。

コーナーポストから落下してくる大男を体で受け止めるのもあたりまえの日常。そんな毎日を送っている男がブラックタイガーだ。

空手最強の男の拳、空手最強の男の一撃必殺が直撃しても、いつも以上にかなり痛い。その程度のことなのだろう。

次の一撃を食らう今この瞬間にもニヤリと笑い立ち塞がっている。


アンドウはこの勝負がいかに自分に不利な条件であるかに気が付いた。

「この男はいつまでも倒れないだろう。だが自分は倒れる可能性がある。それだけの単純な勝負なのだ。この男はそんな計算もなく、面白いからという理由だけでこの勝負を始めた。だからこそ倒れない。だから気持ちが折れない。だから強い」


しばらく目を閉じ瞑想すると、アンドウはゆっくりと拳を構えた。


「きやがれ空手バカ! 何百発でも何万発でも耐えてやるぜ!」

ブラックタイガーがけしかける。

だがしかしブラックタイガーも馬鹿ではない。アンドウの一発目でそのタイミングを完全に把握していた。二発目に初見ほどのダメージを食らうつもりはない。最高のタイミングでその威力を受け流し、攻守逆転で絶望した顔のアンドウに一発返すつもりだ。


深い深い呼吸を繰り返し、アンドウは拳に気を練りこむ。

ブラックタイガーの腹部の直撃するポイントに狙いを定め、拳がアンドウの手元とブラックタイガーの腹部を何往復も行き来する。

その間もブラックタイガーは受け身のシュミレーションを繰り返す。


「押忍!!」

両者万全の態勢の中、アンドウ・オホリの百貫突きがブラックタイガーに再び突き刺さった。


完璧なタイミングで受け身が取れたはずのブラックタイガーだったが、一発目を上回る激痛が腹部に炸裂した。


「……なぜだ!? タイミングを誤ったか!? そんなはずは!」

そんなことを考えてみるが、そんなことより激痛で冷静な判断もできない。そして深刻なダメージで倒れそうな体を踏ん張って立たせる方が先決だ。

足の筋肉がおかしくなったように下半身が震え、全身から汗が噴き出す。一発目よりも深刻であるのは誰の目からも明らかだ。


「押忍!!……今の一撃、まさしくギャラクシーと一体化しました」

アンドウはぼたぼた汗を流しながら自らの拳の評価を下した。

二発目の百貫突きは一発目を超えるスピードと拳圧であった。それはブラックタイガーという怪物を倒すため、強敵に触発されたため、一撃必殺を生み出すがための進化だった。


「そして、それを耐えたあなたもギャラクシー。次の一発も甘んじて受け入れよう」

腹を押さえながらアンドウは再びブラックタイガーに賛辞の言葉を送った。

だが、ブラックタイガーは想像を超えた一撃のダメージが抜け切れず、足の震えが止まらなかった。ガクガクと膝が揺れ、内臓を引っ掻き回されたような激痛が本能的な恐怖に変わっていた。


「ダメだ! 頑張るんだ! あなたはまだやれる男だ!」

膝をついて倒れそうなブラックタイガーにアンドウは必死で声をかけた。


「これはSUMOUスモウでもプロレスでもなく、一体何なんでしょうか?」

実況アナウンサーが疑問符を投げかけた。今まさに相手の腹を殴り、これから殴られようという男が相手を応援するという奇妙な光景だ。


「ブフゥ……、はぁ~! はぁ~!」

荒い呼吸をしながら気力を振り絞り、ブラックタイガーは窮地を耐えきった。


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