空手家とマスクマン1

壁面に四角く広がるビジョン、その中に土俵と満員の観客席が映し出される。

高性能翻訳機器を使い、世界同時中継で放送されるスモウワールドカップ二次予選だ。

建御雷神は画面をタッチし、音声設定を「JAPジャパン」に変更する。


「続きましては第二次予選B組、第六試合、メキシコ代表ジョルジオ・ブラックタイガー選手と、ブラジル代表アンドウ・オホリ選手の対決です!」

実況アナウンサーが選手の名前を読み上げた。

土俵上にはテレビ中継の音などが入らないように配慮がされているため、力士にはアナウンサーの声などは届かない。観客の野次はしっかりと届くので、集中力が乱されないかと言われるとそれは違うのだが。

奔王がいつも聞いている土俵上の音と、この中継の音声は著しく異なるエンターティメント仕様だ。


「解説にお越しいただいたのは、日本大相撲第97代横綱、玉竜鬼大雅さんです」

「よろしくおねがいします」


玉竜鬼大雅、猛龍と同じ将の海部屋であり、引退した元横綱だ。

今は年寄という若手力士の育成に取り組む傍ら、こういった解説の仕事もしている。


「そして、実況はわたくし、RR・スタインでお送ります」

ぴったりと金色の髪の毛をオールバックにきめた白人の中年男性がアナウンサーを務める。


「メキシコ代表、ルチャリブレ出身! ゆりかごはリング! 棺桶もリング! ジョルジオ・ブラックタイガー! 」

高らかに入場コールを読み上げると、陽気なメキシコ音楽と共に屈強なマスクマン達が会場に飛び出してきた。その中央に、黒い虎の文様をあしらったマスクを被った、とびきり強そうなマスクマンが道を開けて走りこんでくる。

この男こそがジョルジオ・ブラックタイガー、スモウワールドカップを利用しプロレスをアピールしようと乗り込んできたルチャドールだ。

考えはあざといと言わざるを得ないが、その実力は折り紙付きで、190センチ、113キロの体格に、プロレスで鍛え上げたタフネスと攻撃を受け流す能力の高さで対戦する打撃系力士の長所を殺し、強引にねじ伏せ勝ち星を上げてきた。言わば、打撃系の天敵とも言える力士だ。

奇しくもそんな打撃系の最たる存在がジョルジオ・ブラックタイガーの対戦相手となる。


「ブラジル代表、空手世界選手権優勝者。空手界の銀河王子! アンドウ・オホリ!」

先ほどの陽気な音楽とはうって変わって、今度はしみじみとした日本の演歌が会場に響き渡る。

流れる曲は芦屋雁之助の歌で「娘よ」だ。


空手道衣を着た坊主頭のブラジル人。どこか気難しそうな顔をしている、いかにも武道の求道者というのが誰もが知るアンドウ・オホリの印象だ。



日本人の創始者、安堂勘兵衛がブラジルに渡り開いた安堂流空手。

一撃必殺を理念とし、狙い澄ました渾身の一撃による絶対的な人体破壊で対戦相手の心と体を圧し折り、それを流派の基礎とした。


その七代目当主がアンドウ・オホリだ。


アンドウ・オホリは創始者、安堂勘兵衛の血を引くが、勘兵衛以外は家系に日本人はおらず、名前以外ほとんどブラジル人と言ってもいい。

しかし、彼ほどに安堂流の真価を受け継ぎ発展させた、安堂の魂を受け継ぐ空手家はいない。


彼は安堂流が生み出した安堂流の看板である一撃必殺に驕らず、一撃必殺の絶対性を保持したままの二撃目、三撃目の必殺を常に備えた。

残心を形だけのものにしない。 それが彼が見出した一撃必殺であった。


皮を破り、肉を割き、骨を砕く。破壊の拳。

だが、いつかそれが通用しない相手が現れる。

そんな想像を超える怪物を想定してアンドウ・オホリは戦っていた。


その上で、アンドウ・オホリ自身の戦歴では、すべて一撃必殺技でのみ勝利しており、いまだに二撃目を抜いたことがない。

二撃目の重要性を説いたアンドウであったが、本人が一撃必殺の体現者として安堂流空手を完成させた形になる。


しかし、強いが故に虚しさも残る。

一撃必殺を超える相手、空手を次の次元へと導いてくれる敵との出会いをアンドウは望んでいた。


アンドウ・オホリは最高の対戦相手を求め、SUMOUスモウの世界へと足を踏み込んだ。

SUMOUスモウは空手や立ち技格闘技にはいない無差別級の怪物がひしめき、逃げることができない丸い檻に囲まれている。そして怪物たちはアンドウ・オホリの一撃を恐れない。


スモウワールドカップ二次予選を全勝で第六試合目まで勝ち上がってきたアンドウ・オホリとジョルジオ・ブラックタイガー、この戦いに安直に表題をつければ最強の矛と最強の盾の対決だと考えられるだろうが、そんなわかりやすい対立構図に彼らは収まらない。

彼らの中には複雑なプライドや哲学が渦巻いていた。

……最強の矛と最強の盾、その形は非常に歪だった。


「チクショー! こいつもキャラクターが強いじゃねえかオラー!

マスクマン、ジョルジオ・ブラックタイガーは土俵上で両腕を振り上げて吠えた。

テレビ放送の声は土俵上の力士には届かないが、逆に力士たちの声は土俵周辺に仕込まれたマイクロ集音マイクがつぶさに拾い上げている。


「あらぶってますね〜! ジョルジオ・ブラックタイガー選手はスモウワールドカップに参加している他の選手達の個性が強すぎることが不満であるとインタビューで答えてましたからね〜」

アナウンサーが的確にブラックタイガーの情報を差し込む。


「日本人の横綱、スモウロボット、ヴァイキングの末裔にバカでかい赤ん坊、ゴリラ……どうなってんだこのワールドカップは! ルチャリブレの面白さをアピールしにきたのに俺より目立つんじゃねー!! だいたいな! ウィリアムスの野郎! ただでさえプロレスで俺とかぶってるのにアメフトで面白い分俺より愉快な感じがするじゃねえか!」

ジョルジオ・ブラックタイガーは土俵を右往左往、派手なジェスチャーを交えて声を上げた。


「ブラックタイガー選手は独自の場の空気作りますね。私にはだんだん土俵が四角いリングに見えてきました」

解説の玉竜鬼が言葉を挟む。

玉竜鬼は意外にも格闘技のみに限らず多方面のスポーツに詳しく、プロレスもよく観戦していた。理事長の将の海親方とは違い許容範囲が広い元横綱だ。

「プロレス団体のエースでありスーパースターである責任感が彼を動かすのでしょうか〜」

アナウンサーが玉竜鬼に続ける。


「む? それがおまえのギャラクシーなのか?」

熱くなっているブラックタイガーとは対照的に静かに事を傍観していたアンドウが冷静なトーンで聞いた。

物静かでクールな見た目と裏腹にアンドウの語彙は非常に独特だ。


「ギャラクシー? なんだそりゃ? 頭いかれてんのか?」

「ギャラクシーとは銀河。心の銀河。おまえにもあるはず。そう、私にもある。誰の心にも……」

ブラックタイガーの問いかけにアンドウは答えた。

すでに土俵上は混沌としてきている。


「アンドウ・オホリ選手は心の核にあることをギャラクシーとよく言われているようで、いかにも禅問答のようなのですが、安堂流門下生が聞くところでは美味しいものを食べたり、ビックリしたりしてもギャラクシーと口走っているようです」

アナウンサーが半笑いでアンドウ情報を読み上げた。



「てめえ! そういう面白いこと言うんじゃねえ!!」

そうジョルジオ・ブラックタイガーが半径1メートルの距離でアンドウ・オホリに怒鳴っていたところ、ジャッジアンドロイドのエンジェルが強引に割って入った。

さすがに度を超えるマイクパフォーマンスということで両者に注意が入る。


「不服だ……」

アンドウがそうつぶやいた。


「いよいよ取組がはじまります……。この戦いどうご覧になれますか? 玉竜鬼さん?」

「アンドウはとにかく捕まらないように逃げて、持ち味である強打を使ってまさに一撃に仕留めるしかないでしょうね。

対するブラックタイガーはいかに距離を詰めるかですね。伝家の宝刀タイガータックルも見てみたいところです」

「バターのような滑らかさでお馴染み、タイガータックルですね」

アナウンサーと解説の玉竜鬼のかけあいの中、土俵上は取組前の準備が終わろうとしていた。

両者が塩を撒き、仕切り線へと歩む。


「さぁ、最強の盾と矛、軍配はどちらに上がるか……対決です!」


「はっきよい……」

エンジェルが両者の目線を確認し、声を放つ。

「のこった! 」


息を飲んでいた会場にワッと声が上がるが、再び緊張とはまた違った静かさで会場全体が両者を注視した。


仕切り直後にアンドウは後方へ飛び退きブラックタイガーとの距離を取った。

ここは玉竜鬼の予想の通り、アンドウは打撃に有利な距離をとり、間を詰められる前に迎撃姿勢を取る構えだ。


しかし、相手のジョルジオ・ブラックタイガーは一気に距離を詰めるようなことはせず、仕切り線のあるその場に立ち上がり、下手からの手招きをした。


「ただで勝っても面白くねえ。ミスター空手、おまえの一撃必殺とやら一発俺にぶちこんでみな!」

ブラックタイガーは仁王立ちで両手を開いた。


ルチャリブレのスーパースター、ジョルジオ・ブラックタイガーは鍛え抜かれた鋼の肉体を持つ天性の受け身の達人。打撃を吸収する達人。

SUMOUスモウにおいてもその攻撃を相殺する力は高いアドバンテージになる。プロレスで培われた試合を構築する洞察力と読みの深さ、計算の鋭さを生かし、勝率を稼ぐことは彼には容易いことだった。


だがジョルジオ・ブラックタイガーは勝敗などは二の次であった。

まずあるべきなのはエンターティメント。面白くもない試合などに価値は無いと吐き捨てる。


「どうした? 一発殴っていいと言ってるんだぜ? なんだったら蹴りでも構わんぜ?」

リラックスした仕草でブラックタイガーは語りかける。対するアンドウは驚くというより興味深いという顔だ。


「……これがプロレスのギャラクシー、おまえのギャラクシーなのか。で、あるならば私も私のギャラクシーを以って応えねばなるまい」

アンドウは深く息を吸い、両腕を構え直した。ただそれだけで会場の空気が変わる。


「この一撃に耐えられるというならば、次は同じように私に一撃くれて構わない」

自身の拳、安堂流の拳に絶対的自負のあるアンドウは一撃でブラックタイガーを倒せる自信があった。例え相手が受け身の天才であったとしても、拳は相手の芯を貫き、気を失って土に転がるイメージができた。

万が一倒せなかったとしても、言葉通り約束は守る武術家だ。アンドウの言葉に嘘はない。

ただアンドウはジョルジオ・ブラックタイガーという男を侮っていた。


「へへへへ! なら俺の一撃を耐え切れたらもう一撃貰ってやろう。一発交代がルールだ!」

ブラックタイガーの作った条件はもはやSUMOUスモウの取組と呼べるかも怪しいものであった。


「玉竜鬼さん、これはスモウワールドカップのルール上大丈夫なのでしょうか?」

「過度な挑発行為や八百長であれば重大な違反行為ですが、エンジェルがスルーしている以上、彼らは本気でやっているだけのようですね。私も彼らはそんなやつらだと思いますよ」


実況と解説が入る中、アンドウはゆっくりとした動作で溜めを作った。

試合中の流れで放たれる一撃よりも、じっくりと重い溜めで作られた一撃必殺は威力を増す。

アンドウは身長180センチ、90キロでスモウワールドカップでは小柄の部類に入る。ブラックタイガーと比べてみるとやはり小さく見える。

しかし広い会場の中、アンドウの拳その一点が黒くて重い空気を放ち、会場を凍りつかせた。


この時ばかりはブラックタイガーは自分の言葉に後悔した。

世界を統べた拳の威圧感に死すら覚悟した。


「押忍!」

アンドウは声を上げ、拳をジョルジオ・ブラックタイガーの腹部に突き立てた。

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