気まぐれな神
土俵に背中をつく雷電を、奔王は棒立ちで見つめていた。
奔王に、自分で雷電を張り倒したという実感はない。驚きと困惑が入り混じり、状況を整理することが上手くできなかった。
雷電の背面の装甲が繋ぎ目から開き、アユミが顔を覗かせた。奔王とは対照的に、はっきりと悔しさが見て取れる表情だ。
「奔王! 完全に勝てると確信していたんだけど、最後の一瞬、あの一発でやられちゃいました!」
アユミは悔し紛れの称賛を奔王に浴びせた。奔王も数秒の間を置いて言葉を返す。
「……私は、正直言って確実に負けると覚悟を決めた。だが、なぜか結果はこうなった。いまだに勝った気がしない……」
奔王は眉間にシワを寄せ、表情を歪めた。
「と、とにかく決勝トーナメントで決着つけましょう! つ……次は負けないですからね!(うひィ! 顔が恐えよ! バカ! )」
アユミは捨て台詞を残し、雷電とともに土俵から去っていった。
「ファーストコンタクトで倒せるほど
決戦にあと一歩及ばずに負け、悔しさもあったが、アユミの精神的立ち直りは早かった。それもまたゲーマー的強さであり、奔王や他の力士たちと違う強さであった。
初の横綱とロボットの戦いは幾多の化学反応を起こし、終結した。
この戦いが奔王悟理の相撲に変化をもたらすとはこの時誰も知らないのであった。
「相撲バカが仇になるとは思わなかったな」
土俵を下りる奔王に御角山親方が声をかけた。ゲームに足をすくわれたなど知る由もない奔王は、意味がよくわからないという顔をして頭を下げた。
「大丈夫ですか?」
疲労と負傷を心配した獅桜が駆け寄ってくる。
「大丈夫だ。少しばかり、一人にしてくれ……」
そう言うと奔王は浴衣を羽織り、割れんばかりの歓声が響く会場から一人で退場していった。
その先、入退場口に一人の男が立っていた。長身で筋肉質、長髪に細長い髭をはやし、くどい顔をしているが、小奇麗なシャツとスラックスの格好で、片手にテイクアウトのコーヒーと袋に入ったコーヒー豆を持っている。
「素晴らしい戦いだったぞ、奔王よ。日々を相撲の研鑽に捧げる、努力を怠らない天才が産まれて初めて経験する野性的戦いだったと言えるな」
男はそう奔王に語りかけると、片手に持った紙コップを差し出した。
「結構です。……それよりも質問があります。取組の最後、私の中で時間がゆっくりと流れ、極端な集中状態に入った。これはゾーンと言われるものなんじゃないですか?」
奔王は男をジロリと睨み問い詰めるように言った。
「うーん? 美味いのになぁ。……まぁ、そうだよ。限界を超えた超集中状態、ゾーンと呼ばれるものだな」
男はそう答えるとコーヒーをひと口味わうように口に含んだ。
「では、
「おまえほどの横綱がゾーンを体得せず、ゾーンを使えなかった、もしくは浅かったというべきなのか。それでも最強の地位にいるのだから恐ろしい才能だと言えるかもしれないなぁ」
もうひと口コーヒーを流し込むと男はにやりと笑った。
そんな飄々とした態度の男に奔王は詰め寄る。
「答えてもらいましょう。建御雷神!」
奔王は男を相撲の神の名、
本物の神であるか真偽のほどは定かではない。奔王は自分自身の精神が生み出した幻覚ではないかという疑いも持っている。建御雷神は会場のバックヤードを通る人々には見えていないようだった。
「そうだな。それにはまず、さっきの取組のことから解説する必要があるだろう。本来、奔王悟理という力士は職人タイプの力士だ。膨大な量の反復練習を積み、高水準のイメージトレーニングを反芻することで、一場所15回の取組で全勝できることを前提に『奔王の相撲』を構築している。定石通りの相撲を磨き上げ、究極と言われるまでに高めた、そういう相撲だ」
建御雷神は褒めちぎるように奔王に語った。堅物な奔王はそれに対し照れや謙遜もなく聞き入る。
「逆を言えば猛龍のような、その場のインスピレーションで戦う直感的な相撲はとれない。これは弱点というわけではなく、常に勝ち続けるためにほんの僅かな可能性のリスクであっても排除するためだ。そのために奔王の相撲は予想が立てやすい。……予想は立てやすいが攻略はし難い。最強の定番相撲。まさに横綱相撲と言えるだろう」
「それ故に一流アスリートであれば使いこなせるであろう極度の精神集中状態、ゾーンをも無意識に排除してしまっている。不調時に使えないなど大きな不確定要素があるからな。……平常時で勝てるペースを維持する。職人タイプに上手く当てはまる形だろう。……だが、雷電との取り直しでそれが通用しないことをおまえは感覚的に理解した」
建御雷神の言葉に奔王は小さくうなづく。
「雷電が取り直し直前に見せた動きは大ヒットゲームのキャラクターの動きだ。会場のほぼ全員がそれに気が付いていた。そのキャラクターには特徴的な必殺技がある。それが飛び出すだろうこともみんなわかっていた。だからあれだけ歓声が沸いたのだ。例外的に技を受けるおまえだけがそれに気が付いていなかった」
「あ、あれは……、そういうことだったのか……」
奔王は建御雷神の種明かしで自分の足元をすくったものの正体を知った。その恥ずかしさから思い切り苦い顔をした。
「私でも知っている世間の常識なんだけどね。神だけど」
建御雷神の小馬鹿にした一言に「神のくせに割と俗っぽいじゃないか」と奔王は内心思ったが、口をつぐむことにした。
「何も知らず、何が起こったかわからなかったため、横綱・奔王悟理は自身の相撲を剥ぎ取られた。そしてただ一匹の追い詰められた生物になったのさ。頼るものが無くなり、魂が剥き出しになり、おまえは程よい緊張感と恐怖を思い出したはずだ。力士としての相撲ではなく、純粋な人間として、生物としての闘争本能を呼び覚ましたおかげで、極限の集中状態、ゾーンを覚醒させたんだよ」
「なるほど……。私には未経験の戦いだった。しかし、そのゾーンと厳血顕現は根本的に何が違うというのだ?」
奔王が問うと建御雷神は手に持った紙コップと袋を差し出した。
「……例えれば、例えればだ。このコーヒーが厳血顕現を引き出した者で、この紙袋のコーヒー豆が神である私だ」
「よくわからない」
「まぁ聞けよ。コーヒー豆の産地があるだろう? ブラジルとかグアテマラとかな。その農場すべてが、始まりから終わりまでの現在過去未来を圧縮した宇宙だとする。豆はその英知だ。さらに質の良い物だけを選び抜き、焙煎したものが神だ。私は英知の結晶体だと言える」
建御雷神は手に持った袋から豆をひと掴み取り出して奔王に見せると、豆を握った手を鼻に近づけて薫りを楽しんだ。
「そして人間、いや、ここでは力士と限定しよう。力士は水だ。大地から湧き出る水だ。それが神の力、コーヒー豆の苦味と旨味を得てコーヒーになる。それが厳血顕現だ」
奔王は腕を組み、建御雷神の言葉を整理しながら考え込んだ。
「……やっぱりなんだかよくわからん。厳血顕現というのは超常的なエネルギーを吸収してパワーアップする能力ということなんですか? それはその、悪く言ってしまえば、使える者だけに使えるドーピングみたいなモノということにはならんのか?」
「半分ぐらいは正解と言えるだろう。だがな、厳血顕現は魔法でもなければドーピングでもない。どちらかといえば火事場の馬鹿力に近いものだ」
「火事場の馬鹿力?」
「そうだ。……すべての生物、いや、物体、物質、すべてに神の力は宿っている。宇宙の意志のことを神の力と言い換えてもいいだろう。緊急時に突然働く力、火事場の馬鹿力には神の力が作用している。ただし、火事場の馬鹿力は脳のリミッターの解除による筋力の一時的開放に、本人の内に眠るほんの少しの神の力が加わったものにすぎないんだ」
建御雷神は袋にコーヒー豆をしまい、一粒だけ指先につまんだ豆を口に放るとガリガリ音を鳴らしながら歯で噛み潰した。そしてそのまま話を続ける。
「動物でも緊急時には神の力を引き出し、驚異的な能力を見せる。だがそれは生物の営みの範囲内のことだ。厳血顕現とは、境界線を無視し、自身の外にある大気や大地……生物、物体に限らない神の力とも一体化し、常識外の力を発揮することだ。『厳つい血を
建御雷神の言葉に奔王は一応納得できたという顔をし、建御雷神に手渡されたコーヒー豆を噛み潰した。
「苦い。……厳血顕現を修得するための修行中、私は自然の驚異を体感し、一体化する感覚を得ることができた。感覚的に私という個、『
「そういうことだな。心技体を極めた力士、横綱にしか厳血顕現を修得できないのは持ちうるエネルギーに対し、我の境界線が薄いからだ。相撲の神技たる面、天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣・大漁を願い闘う。自己を捧げる神聖さに神は宿るのだ」
「うむ。一応は納得しました」
「あとな。雷、地震や噴火、津波、または隕石など巨大な天変地異の正体は厳血顕現だ」
「なんだそれは! な、なぜだ!」
「境界線を越える自己を捧げた森羅万象、巨大なる神の力、むしろこれこそが厳血顕現だと言えよう。もちろんおまえの厳血顕現の比ではない恐るべき爆発的エネルギー
だけどね」
そう言うと建御雷神は歩き出した。
「待て待て、そんな災害に人間はどう立ち向かえというのだ?」
「おまえ達の相撲の意味する、願いと祈りだって無駄ではない。そんな無慈悲な災害を治め相殺もしている。それに人類が滅ぶほどの災害であれば私だって表に立って力を尽くすさ。フフフ、それになぁ。歴史的大地震を鎮静させたのだって私なんだぞ?」
ニヤリと笑いながら建御雷神は奔王を指さし、そのまま奔王の控室へと入った。
「そ、そうか……それはありがたい。さっきのコーヒー豆のお礼と言ってはなんですが、ちょうどこんなものがあるので、軍神である建御雷神へこれをどうぞ」
奔王は餡をパイで包んだ菓子を建御雷神へ差し出した。
「ほう。これは?」
「武者返しという熊本の菓子です。実家からいつもたくさん送られてくる。なかなか美味いのでどうぞ」
「ふむ。これは美味い! ちょうどいい、おまえと対戦するかもしれない強者の取組でも観ながら菓子を食うとしよう」
建御雷神は武者返しを頬張りながら控室のテレビをつけた。
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