空手家とマスクマン3

ブラックタイガーは逆流しそうな胃液を飲み込み、ゆっくり息を整えた。

これまでにも派手な大技で気絶したこともある。大事故の経験もある。流血や怪我は当たり前だ。それでも戦ってきた。

この戦いは特別だ。負けても盛り上がるだろうが、勝ってこその戦いだ。勝って完成するエンターティメントだ。

……そんな思いがブラックタイガーの心に過った。


眼光に力が蘇ったブラックタイガーは再び腕を振りかざした。

「おぉ~!!」と会場が呼応するように声が上がる。

一発目と同じようにぐるぐると腕を振り回すと、今度は本人もその場で回り始めた。


「さぁ、この腕を振り回す行為になんの意味があるのでしょうか!?」

「おそらく無いでしょうね」

実況と解説の玉竜鬼が冷静なツッコミを入れるが、それが野暮ったく思えるぐらい、戦うふたりと会場はシリアスそのものだ。


遠心力が最高潮に高まったかと思った瞬間、ブラックタイガーの重い拳がアンドウに襲いかかった。今度は横向きフック気味のボディーブローがアンドウに突き刺さる。

もちろん受け身もないアンドウは衝撃で吹き飛ばされる。体重差がそのまま吹き飛ばす力と比例し、あわや土俵外までふきとばされるのではないかと思ったその瞬間、勝負俵で足が止まり、ギリギリのところで救われた。


しかし、アンドウへのダメージは深刻だった。

一発目のダメージが抜け切れていないところへ、さらに地獄のような激痛の苦しみが襲いかかる。

さらには一発目でダメージがあった肋骨が折れていた。

アンドウはガッチリと腹筋や胸筋を硬直させてガードしていたが、それを超える破壊力でブラックタイガーのボディーブローはアンドウの胴体を壊した。


すでにアンドウは満身創痍、それは誰の目から見るのも明らかであるが、彼の心は折れてはいなかった。

普通の格闘家であればこの時点で棄権するところであるが、アンドウは「押忍!」と声を上げ、続行の意思を示した。

行司ジャッジを務めるアンドロイド、エンジェルにはメディカルサポートアプリケーションもインストールされているが、ここでドクターストップはかけない判断だ。

今の取組の状況下があまりにも特殊であることも加味しての判断ではあるが。


重い足を引きずりながらアンドウはブラックタイガーの前に歩み寄る。

呼吸は荒く乱れ、体の動きも調子がおかしい。だがそれでも一発目、二発目の時のようにじっくりと拳の軌道を確認する。


「勝った!」

ブラックタイガーは勝利を確信した。

このボロボロの体調のアンドウに二発目の時のようなコンディションの一撃は放てない。

それはつまり、ブラックタイガーには致命傷になりえないということ。そして、タイミングはもう十分に見切っている。アンドウに勝ちの目は無かった。


アンドウは深く深く深呼吸をし、拳をブラックタイガーの腹部へと狙いを定める。

「この一撃でこの男が沈まなければ棄権するしかない」

そう心の中で決めていた。


「押忍!!!」

三発目、それまでより一番大きな声で気合いを入れ、アンドウは一撃必殺の正拳突き、『百貫突き』をブラックタイガーの腹部へと叩き込んだ。


ドスンという衝撃音が響き、ブラックタイガーに拳がめり込む。

だがブラックタイガーの予想通り、それまでの百貫突きの重さはない。問題なく耐えられるダメージだ。


百貫突きを放ったアンドウ自身も一撃必殺の名に足りない威力であると打ち込んだ瞬間に気が付いた。

「この男は本当に強かった。私は負けるだろうが、この出会い自体がギャラクシーだったのだ」

そんなことを考えながら負けを確信した。


だが、そんな思いに反して体はまだ動きを止めようとはしなかった。

一撃必殺。そして必殺とならなかった時の二撃。その二撃目をこの男に打ち込め! そうアンドウの体が、細胞が語りかける。

目の前にがら空きになったブラックタイガーの懐が見える。打ち込む的が、完璧な軌道が読める。

アンドウの理性に反し、肉体はその誘惑に引き込まれた。

反復練習で培われた空手のための肉体は獲物を求めて貪欲に動く。


一撃目、右の百貫突きで態勢を崩したブラックタイガーに対し、間髪入れないタイミングで二撃目、左の百貫突きがブラックタイガーの体の中心に残酷なまでに突き刺さった。

これがアンドウの求めた境地。一撃目で仕留めそこなっても同等かそれ以上の二撃目が待っている。一撃に奢らず、意識は切らさず、肉食獣のようなしなやかさと瞬発力で獲物を仕留める。アンドウが目指した安堂流空手、攻撃の奥義であった。


受け身を取ることもできない想定外の二撃目の直撃では、頑丈さが売りのブラックタイガーもその破壊力に気絶し、土俵の上へ崩れ落ちた。


「これは掟破りの二撃目だーッ!!」

「アンドウ選手、追い込まれてしまいとっさに手が出たんでしょうか!?」

実況と解説の玉竜鬼が騒然とする会場と同調して身を乗り出す。

会場は興奮とブーイングが混ざる大騒ぎの状態だ。

アンドウのセコンドである安堂流の関係者やブラックタイガーのジム生も土俵に駆け上がる。


「ああっ! すまないブラックタイガー! そんなつもりじゃなかったんだ!!」

アンドウは土俵に転がるブラックタイガーに声をかけるが、ブラックタイガーに意識はなく、白目をむいて気絶している。


「私の負けだ! これは私の負けでいいのだ! エンジェル! 私を負けにしてくれ!!」

アンドウが懇願するが、エンジェルは勝者をアンドウと宣言した後だった。

勝利者が進言したとしても勝敗が覆ることは無い。そもそもSUMOUスモウルール上はアンドウは何の違反もしておらず、勝手な条件をつけて戦っていたのはアンドウとブラックタイガーだ。


「エンジェル! 負けにしてくれ! 頼む!」

アンドウがエンジェルにすがりつこうとするが、スモウワールドカップの関係者が止めに入る。

「うわぁー! ブラックタイガー! すまなかったブラックタイガー!」

号泣するアンドウだったが、安堂流の師範や門下生がアンドウを引きずり、会場を出て行った。

同じように気絶したままのブラックタイガーも担架で会場を後にした。


騒がしいふたりの対決であったが、少しだけ遺恨を残し、戦いは終わった。

後に何かと縁が深くなるジョルジオ・ブラックタイガーとアンドウ・オホリ、その出会いであった。


「なにやら騒然とした決着になってしまいましたが、結果はアンドウ・オホリ選手の勝利です。アンドウ・オホリ選手、決まり手は左正拳突き、『百貫突き』によるKO勝利です。勝敗の訂正はありません」

実況アナウンサーがこの一戦を綺麗に締めると、映像は別の会場へと移る。

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