20万グラムの赤ん坊1

怪物は意図的にも無意識にも、さらには偶然によっても作られてしまうことがある。



暗く寒い、ステンレスとガラスの器具が並ぶ、冷たく無機質な空間。そこに直径2メートル、高さ4メートルほどの大きさの透明な物質で出来た筒状の柱が立っていた。

中は液体で満たされ、気泡が下から上へと昇り、そして消えていく。

それは熱帯魚を飼うような水槽のようにも見えるが、ところどころがあきらかに違っていた。液体にはうっすらと黄緑の色がついており、わずかながら粘度があるように見える。


何より水槽と違う点は円筒形のケースの中央にテニスボールぐらいの大きさの胎児が浮かんでいることだ。

胎児には細い糸のような管がいくつも繋がっていて、まるでそれはへその緒のついた子宮の中のようだった。



スイス連邦。この時代、この国はSUMOUスモウという武器が無かった。


力士による「角兵器」という牽制の切札が無くとも、外交の力で他国との問題を治める国は少ないわけではない。外交力に秀でていればSUMOUスモウという不確定な博打に出る必要もなく、なにより平和的であり無難であるのは明白だ。

だが一方で、外交力で十分に幅が聞かせられるような大国は図らずとも力士が育ち、自動的に角兵器というカードが産まれる。保持しつつあえてそれを使わないのも外交力であり国の強さ。兵器と外交がリンクしているのは世の常だ。

アメリカなどがSUMOUスモウに力を入れなくても傑物が育つ環境の良い例だ。


スイスは22世紀の「HEAVEN軍事縮小」により世界から兵器が消え去る過程で、世界有数の商業の国へと発展した。

外交力も当然兼ね備える国であったが、富裕層の割合が高く、他国より人口の分母が小さいがためにSUMOUスモウの発展は他国より何歩も遅れてしまった。

それでもスイスが他国に引けを取るような国ではまったくない。まったくないが、どこにでも必要以上に国を憂う者はいる……。



ある金を持て余した右翼団体が角兵器の必要性を訴えた。

「この国には戦うべき力が足りない! 他国にも負けない強い力士が必要ではないのか?」

だが、そう訴えたところで人材の育成には年月はかかる。しかも、いくら金をかけようが激を飛ばそうが、撒いた種が大輪の花を咲かせるかは誰にもわからない。


業を煮やした右翼団体は地下深くに研究所を作った。

産まれないなら生み出せばいい。育たなければ作ればいい。


円筒形の培養室に浮かぶ胎児は悪魔の子だった。


23世紀において、人工授精と人工培養による出産、いわゆる人造人間と揶揄されることも多い存在は、決して違法なわけではなく、倫理的に否定されているわけでもなかった。

むしろ子が持てない者、病気や障害がある者が子宝を授かりたい場合、救いとなる医療技術だった。


だがこの胎児は違っていた。

屈強な人間の遺伝子を世界中から集め、違法な遺伝子操作をした受精卵を実験的に何度も作り、その中で完成度の高い一つを選んで培養。栄養価の高い薬品を投与し、さらに微弱な電気信号を送る細いケーブルを体中に繋いで戦闘データを網膜に焼き付け、電気刺激で筋肉を強制的に鍛えさせた、まさに禁忌の子であった。

違法に生み出した人造人間ではあるが、有力者の権力を使えば出生届や戸籍の誤魔化し方はいくらでもあり、将来その強さが世に知れればSUMOU時代の象徴、英雄となる。国を救う英雄となれば誰も妙な疑いをする者はいない。仮にいたとしても口を封じることは容易い。そして強気でそれを行使できるほどに胎児を培養する者達の権力は大きかった。


ところが四ヶ月が過ぎた頃、綻びが生じた。

その右翼団体の中から人造人間の培養に反対する者が出てしまったのだ。

「私は力士の育成に賛同し金は出したが、こんな悪魔の実験に手を貸すつもりはなかった!」

彼は国を憂う者であり、角兵器である力士の存在を熱望する者の一人だったのだが、同時に敬虔なキリスト教徒でもあった。おそらく反対するであろう彼には意図的に詳細が知らされていなかったのだ。


彼は怒りと贖罪の気持ちに駆られ、知人の伝手を頼って政府にこの案件の処理を依頼した。

感情は昂っていたが警察や報道機関に話が漏れると国を揺るがす事態になることぐらいは判断がついていた。直感的にも秘密裏に研究所を解体し、全てを揉み消してくれるのは政府であるとわかっていた。神への冒涜を改めさせ、罪深い人の業を今すぐ止めさせるにはこれしかなかった。


だが厄介なことは連鎖する。

その知人は人権保護団体に所属しており、さらにその人権保護団体は動物愛護団体と繋がりがあった。


すぐに解体されるであろうと思われた研究所にそれぞれ強い主義、思想を持つ者がなだれ込み、胎児の入った培養ケースがそびえ立つ実験室は修羅場と化した。

「この子は我が国の英雄になる! 誰にも触れさせない!」

「いや、恥ずべき汚点になる! もはや許されるべきことではない!」

「殺させはしない! この命あるものは人間なのよ? 尊い存在なのよ?」

「とにかくこの先の培養は人として育成しろ! ケーブルなどかわいそうだ!」

三者、四者による議論は殴り合いの騒動にまで発展したが、争いはいつまで経っても終わることはなく、数日をまたいでケーブルによる戦闘力の強化や薬剤投与をしないことだけが取り決められた。しかし、それ以外は何も変わらず、緊迫した冷戦状態はひたすらに続いた。

毎日24時間、それぞれの団体が数人ずつお互いと胎児の監視のために研究所の暗い部屋に入れ替わりで常駐した。


皆がそこで起こっている異常事態に気がついていた。

胎児の脳波の信号が以前と変わらず激しく働き続けていることに。

それは胎児が戦闘を学習する夢の中にいることを示していた。


胎児はそれまでに網膜に投影され続けた記憶を自ら反復し、学習を続けていた。

それが産まれる前からすでに備わっている異常なまでの闘争本能なのか、繰り返した実験による副作用、もしくは後遺症なのか、誰にもわからなかった。


「かわいそうに……この子、きっと心の中では泣いているに違いないわ……」

人権保護団体の女性はそう言うと悲しい顔で涙を流した。


「馬鹿な事を。こいつは勇猛さという剣を磨いているのだ。国を救うために」

右翼団体の男はニヤリと笑う。


「お前たちは何もわかっていない。こいつはただの悪魔だ」

しかめっ面のキリスト教徒の男はそう言うと手で十字を切った。


誰が言い出したかわからないが、いつしか胎児のことをアダムと呼ぶようになった。

言い争いの絶えない研究所の室内だったが、名前についてはアダムがすんなり定着した。とは言ってもそれぞれアダムという名前に込めた意味合いは異なっていた。

ある者は「いつしかこの国の英雄になり、人間の代表となるからアダムがふさわしい」と考え。

またある者は「どんな出生の秘密があろうともひとりの人間である証」と考え。

またある者は「むしろ神が自分に似せて土で作った存在という意味で皮肉が利いている」と考えた。



様々な思惑が交錯する中、アダムはそんな人間達を意に介さない様子で不気味に成長を続けた。

その間も人々は争い、アダムを巡って議論から暴力を用いた闘争まで激しいやりとりが繰り返された。

処分するのかしないのか、しないとして産まれた後をどうするのか? こいつを人と認めていいのか? 戸籍を与えることを許されるのか? 責任の所在はどこにあるのか?

……結論が出ないまま膠着状態で年月は過ぎていった。


人間が出産を迎える10ヶ月と10日を過ぎてもアダムの肉体は未完成なままだった。

サイズだけがただ大きくなった未熟な胎児であり、重量はすでに10000グラムを超えていた。

重さだけで言えば1歳児程度はある。だがまだ未熟なのだ。


1年を超え、2年を超え、体重は10万グラム、つまり100キロを超えてもアダムはしないまま、年月だけが過ぎていった。

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