20万グラムの赤ん坊2
「もうすでに25ヶ月を過ぎているのだろう? ……これはさすがに、培養育成に失敗しているんじゃないか……?」
「投薬や電気刺激の影響が出たか、または遺伝子をいじりすぎたか……。もしかしたらこいつは細胞増殖して肥大するだけの人間の形をしたただの肉塊なのかもしれない……」
そんなふうに右翼団体に雇われた医師は冷静に分析した。非合法な実験であり、理論上可能な人造人間の「製造方法」だったのだが、当然のことマニュアルも無く、それ相応のリスクや予想外の失敗もあるはずだった。
当初の予定では長くて12ヶ月の培養工程だったので、倍以上の25ヶ月はあきらかに長すぎた。
「何を言ってるのよ! アダムは人間よ? あなた達それでも医者?」
「我々も全力でやっている。……だがいくらなんでも長過ぎる。見てみろ……。もうすでに大人より大きい体格じゃないか」
「馬鹿なことを言わないで! アダムをこんなにしたのはあなた達じゃない! 見なさい! 大きくても普通じゃなくてもアダムは血が通っているじゃない? まだ産まれる前の赤ん坊なのよ?」
人権保護団体の女性が医師の会話に割り込んできた。医師の客観的な観察を受け入れる気はないという態度だ。
「うるさいぞ! あんたが騒いだところで状況は変わらないだろう! 言っとくが誰から見てもこいつは異常だ! 医療の知識がなくてもわかるだろうが!」
今度は動物愛護団体の男が大声で怒鳴った。実際研究室でアダムをアダムと呼ぶ者は少しずつ減ってきていた。それは実験の失敗を予感しての無意識の反応だったが、それとは別に、アダムの異形の姿を見てしまったら名前を呼ぶことが躊躇われた。人間と認めていいのかという戸惑いと、こいつが産まれては欲しくないという恐怖が入り交じった複雑な心理がもたらす結果だった。
27ヶ月目が過ぎた頃、この研究所とは別の場所で争いは起きていた。
決して表沙汰にはならない、情報が管理された場所で、右翼団体と政府の間でアダムの処分を巡って協議が続いていた。
政府としては右翼団体ごと処分してしまいたいところではあるのだが、揉め事が長引くほど国外に情報が漏れる可能性があり、かと言って右翼団体の全部の動きをを管理するのは難しかった。
国家の力をもってしてもその存在を封じることや解体も不可能に近い。そもそも政府の内部にもこの右翼団体のメンバーが潜んでいることだろう。このトカゲの頭を潰すことは不可能に近い。
そして、この右翼団体はアダムが失敗しても第二、第三のアダムを作ることだろう。
協議は二転三転しながらもお互いを騙し合い。腹を探り合い。最終的な妥協点を見つけた。
「医師に決断させ、アダムは『培養失敗』とし処分する」
そして「新たなる人造人間の育成は政府主体とし、秘密裏ながらも法的に許される範囲の育成方法とする。右翼団体には共同で研究してもらう」という取り決めを作った。
お互いに妥協すべき落とし所はそこしかなかった。
アダムの培養がはじまって三年になる36ヶ月目、政府と右翼団体の密約による協定が正式に交わされた。
研究所へ医師と政府の処理班が押しかけた。アダムを処分し、すべては無かったことのように処理してしまい。研究所を解体し記録の上から消し去るのだ。
アダムは身長180センチ、体重200キロの巨体へと膨れ上がっていた。
だがその成長ぶりとは相反し、人々の中でもはや彼を人間だと思うものは少数派になり、すでに実験は失敗したと判断する者がほとんどだった。
生体反応を示すだけのタンパク質の塊。そう認識はしているものの、人間の形をしていることが逆に不気味に感じられる、おぞましい物体がそこにはあった。
アダムを英雄と褒め称え担ぎ上げた右翼団体も、もはや今はアダムを捨て去って禊ぎを済ませたい気持ちしか無い。
医師たちは部屋に入り、人を押しのけて培養ケースに迫った。
それまでアダムを監視し続けた人々の反応は様々だった。
怒りを持って抗議する者。それをなだめる者。呆れた顔で処分を促す者。任を解かれたことから安堵する者。悲劇に涙する者。協定に気が付き苦い顔をする者。……暗い室内に詰め込まれた人間たちは各々の感情で騒ぎ立てた。
「絶対にさせないわよ! アダムは生きているじゃない! 生きようとしているじゃない!」
やはり最も強い抵抗を見せたのは人権保護団体の集団だった。円筒形の培養ケースを囲むように医師たちの行く手を阻んだ。
「そうは言われますが、これはただ電気信号が返ってくるだけのアミノ酸ですよ。脳が正常に動いているかも不明なんです」
医師はそう言って人権保護団体を説得した。医師たちの言葉に嘘はなかったが、すべて包み隠さず語っているかというとそうでもなかった。まったく未知数の実験をしたのもまた事実で、これが生物であるかどうかを問われると答えを持ち合わせていなかった。
「あなたにはわからないの? 人の心が!アダムの悲しい心が! 助けてって言ってるわ!」
「実験は失敗なんですよ! まいったな……」
医師の判断では、アダムが培養ケースを出て活動ができれば、アダムは生物であると言い切ることができた。ただしそれでもアダムを人であると言うには難しかった。一体何なのかと聞かれれば人ではなく人造人間であると答えるしか無い。しかし、今のこの状況においては人造人間でもなく、ただの肉塊でしかないのだ。
政府は今すぐ肉塊として培養ケースの中の物体を処分してしまいたかった。
生ゴミのように、冷蔵庫の中に何年も置き忘れた瓶詰めのように、さっさと捨ててリセットしてしまいたかった。
アダムと呼ばれる「物体」は国家機密の恥なのである。
「とにかく退いてください! あなた達が守ったところでこいつは人として産まれることなんてできないんですよ!」
医師たち、政府に雇われた者、右翼団体は強攻策に出た。消火器や椅子を使い人権保護団体を無理やりに押しのけた。もはやアダムを処分したい者が大多数であるため簡単に追いだすことができてしまう。
「やめなさいよ! 人殺し!」
「なぜ愛情が持てないんだ!」
人権保護団体、10数名の男女が泣き叫ぶ。転んで怪我をする者や髪の毛を掴んで引きずり出される者、暗い室内は修羅場と化した。
「培養液を抜け! こいつらにこれが人間でないことを教えてやればいい!」
右翼団体の初老の男性が医師に指示を出す。
医師たちは円筒形の培養ケースに駆け寄り、ケースに張り付く形で設置されたパネルを操作した。
「ゴボゴボゴボ……」
パネルを操作すると培養液が少しずつ排出され、入れ替わりに空気が流入する。
「これで実験は失敗に終わりだよ! 残念な結果だがな」
右翼団体の男性が培養ケースに近づき、中に入った巨大な胎児を見つめた。
その時、それまでわずかばかり筋肉の反応があるだけの胎児がピクリと大きく動いた。全ての人間が培養ケースの内部に注目する中、アダムのまぶたが見開かれ、男性をギョロリと見つめた。
「……GOOOOOOUAAAAAAAATH!」
排出中の培養液の中でアダムは声を発した。赤ん坊の泣き声のような声ではなく、吠えるように叫ぶ声。だが、その声には悲しみや怒りのような感情は含まれていない。ただ培養液の中で深く息を吐いたような、排出口に液体が吸い込まれることに反応したような、ただそれだけの反射行動のような声だ。
「動いたっ! 動いたぞっ!」
培養ケースの周辺にいた医師達はたじろぎ距離を取った。培養液は無くなりアダムは培養ケースの床に足をつけ、自らの足で立った。じっくりと時間をかけ、両目の眼球で周囲を見回している。味わうようにゆっくりと呼吸もしている。
「GOOOOOOOOOAAAAAAATH!」
再びアダムが声を上げた。今度は周りに液体が無く、音の振動がはっきりと伝わる。しかしまだ培養ケースの中で反響している。
「これは……! 実験は成功していたんじゃないのか?」
「まさか……。偶然うまくいっていたのかも……しれません……」
アダムを作るきっかけになった人間にとってもこの状況は喜んでいいのか複雑な上に、実際に動くアダムを見るのはやはり不気味だった。生まれたての赤ん坊のようでありつつ、その作り上げられた巨体、考えが読み取れないまなざしは不安をかきたてた。
「GOOOOOOOOOOOAAAAAAAATHHH!」
アダムは唸りながら両手で交互に内側から円筒形の培養ケースを全力で叩きはじめた。手の指を開き、手のひらで突く、相撲の鉄砲のような動作だ。バチンという音と衝撃がケースの内外に響く。
「びっくりした……だがケースは壊れないぞ……」
ケースは強化アクリル製で強固にできていた。強度は高く、人間に破れるものではない。
「早く出してあげなさいよ! 苦しんでいるんじゃないの?」
「馬鹿を言うな! 暴れたり、逃走したりするかもしれないんだぞ?」
再び火がついたように人々は言い争いを始めた。だが、視線はアダムに集まったままだ。生後数分に満たない怪物は力強く強化アクリルの緩やかにカーブした曲面を叩く。
「GOOOOOZAAAAAAEEEEETHHHHH!」
連続で加わった突っ張りの衝撃で強化アクリルに蜘蛛の巣のようなヒビが入り、その直後、追撃された数発の衝撃で弾け飛んだ。割れた強化アクリルにアダムは手を突っ込み、無理やりにこじ開けて破壊した。その割れた容器の穴をくぐるように、外に這い出てきた。
「で……出てきてしまったぞ……」
強化アクリルを破壊する瞬間を目の当たりにしてしまい、大人たちはただ恐怖するしかなかった。人権保護団体ですら口をつぐみ、息を飲んで見つめる。
アダムは体の周りについた透明なタンパク質の膜を手で拭い落とし、最後は顔を拭きとった。
そして、何かを確かめるように床を見つめ、たどたどしくも部屋の中をゆっくりと歩いた。先ほどの衝撃で散らばったアクリルの破片を足で蹴って部屋の隅に転がす。
じろじろと歩きまわった場所を確かめると、部屋の中央の何もない所へ、腰をつかずしゃがみこんだ。
「な……何をしているんだ……?」
誰もが見守りながらそう思った。
アダムは腰を落としたまま、じっと動かない。
「もしかしてこれは
誰かがそう声を上げた。そう、これは
ざわざわと動揺が広がる中、ひとりの男が前に出た。
「はは……。アダムは
男はまだ若くて体格が良く、体力には自信があった。もちろん目の前の怪物に勝てるとは思っていないが、上手く立ちまわる程度の自信はあった。
「だ……大丈夫か? 」
「あぁ、俺は学生時代にレスリングをやってたんだ。なんとかやってみるよ……」
男は上着を脱ぎ捨て、アダムの前に立った。しばらくの静寂の後、ゆっくりしゃがみ込む。
まともにぶつかったら大怪我をするかもしれないが、懐に飛び込んで上手くいなし、危なくないところで負けてやればいい。それに相手はバケモノだとしても生まれたての赤ん坊であることに違いはない。男はそんなことを自分に言い聞かせ心を落ち着けた。
これでアダムが気に入ったら懐いてくれるかもしれない。手懐ければアダムに関して自分達が大きなアドバンテージを得られることだろう。そんな下心もあった。
男がじわりと床に手をつけるとそれに応えるようにアダムも手をつけた。
「よし! 立ち上がり様に潜り込み、足を掴んでやる!」
……そう考えた瞬間、男の意識は途絶えた。いや消し飛んだ。
アダムの突っ張りは男のあごに直撃し、顔面の肉や頭蓋骨をメチャクチャにしながら男の肉体を床に突き飛ばした。まるで虫でも殺すかのように男は無残にも絶命してしまったのだ。
アダムに殺意があったわけではない。あくまでもアダムが人間離れした圧力をもって突っ張りを放っただけだ。
「こ……殺した! 殺されたっ!」
「やっぱりこいつ! 悪魔だ! 悪魔だぞ!」
人々はその強さに恐れおののいた。予想以上の強さと一撃で人が死体に変わる衝撃に怯えた。
アダムはしばらく男の死体を見つめると、死体の腕を掴んで起こそうとした。だが動かないことが解ると他の人々がいる前で再びしゃがみ込んだ。
「うわあっ!」
「なんだっ? また誰かに
もはやアダムをどうにかしようという者はいなかった。関わったらいつか自分が殺されるかもしれない恐怖に室内から我先に逃亡した。
「一体どう処理すればいいんだ……!」
「ちょっとまて……さっきと何かが違う……?」
政府の男が違和感に気がついた。スモウの前の蹲踞の姿勢と今は何かが違った。
アダムはスモウを学習し脳内で反芻しながら産まれてきた。こいつはスモウの中のことを何かしようとしているのではないか? ……と政府の男は思った。
「わ……わかったぞ! ミルクだ! ミルクを持って来い!」
政府の男は人権保護団体が用意していた粉ミルクを奪い取り、特大サイズの哺乳瓶に溶かした。そして恐る恐るアダムに歩み寄り、そっと手渡す。
アダムは右手で哺乳瓶の左、右、中央に手刀を切ると哺乳瓶を受け取った。
「GOOOOOOZAAAAAAATH!」
「GOOOZZAAANNNDEATH!!!」
「ゴッツァンDEATH!」
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