まわしを締めたゴリラ1
スモウワールドカップ第一次予選、二日目、三日目の結果はメディアの下馬評通りに終わった。
二日目、奔王の対戦相手はインドネシアのボクシングスタイルの選手だった
立ち会いの瞬間、軽いバックステップから大振りのフックでカウンターを狙いにいったインドネシア代表だったが、完璧とも言える体重移動で繰り出される奔王の張り手があごを捕らえ、一撃失神の衝撃的KO勝利を収めた。
試合後、奔王は「目を見てカウンター狙いであることは一目瞭然だった。私から安々と後の先を取れるなどと甘く見ない方がいい」とコメントした。
試合内容とコメント両面において異様。スモウワールドカップの代表選手達に戦慄が走った。日本の横綱、奔王悟理は付け焼刃のような策を練ってどうこうなる相手ではない。
各国を代表する実力のある力士達からしても、その達人のような隙の無さと無表情な奔王の態度にミステリアスな恐ろしさを感じていた。
三日目に至っては相手のベトナム代表選手は奔王の迫力に圧倒され腰が引けてしまっていた。
あっさり押し出されて終わり、奔王のコメントも無かった。
同じく三日目の四試合目、奔王とは別のところで波乱が起きていた。
三日目、四試合目はクリフ・ウィリアムスとコンゴ民主共和国代表のダビデという選手の対戦だった。
時系列は前後するが、ウィリアムスが奔王に対しリンゴで挑発した、一次予選前の記者会見、このウィリアムスとダビデ、ふたりのやりとりがあった。
奔王に挑発を受け流された直後、ウィリアムスはダビデにも同様の挑発を行っていた。
「おい。コンゴ代表。おまえも随分腕力に自信がありそうだが、おまえはどうなんだ?」
ウィリアムスはリンゴをダビデの目の前に置いて挑発した。
言葉の通り、誰から見てもダビデは腕力が強そうに見える力士だった。実際に他の力士と比較してみても隆起した筋肉が普通ではない。
ダビデはウィリアムスにも劣らない逞しい腕でリンゴを掴み、まじまじとリンゴを観察した後、ムシャリと噛りついた。
「ハハハ! こいつに英語は難しかったかな?」
挑発をスカされたと思い、ウィリアムスは自分の席に戻ろうとした。
するとダビデは素早く指先を動かし、手話の動作をした。
「リンゴは食うものだろ?」
ダビデの目の前、卓上に置いてあるリング状の翻訳機が手話を読み取り、流暢な言葉を話した。
英語の会話内容を理解はしているが、ダビデは生まれつき言葉を喋ることができなかった。
「なんだと? この腰抜け野郎!」
ウィリアムスは再びダビデに詰め寄ったが、ダビデはまったく顔色を変えることもなく再び手を動かした。
「おのれの力を試すために土俵に上がっているのだろう? こんな小競り合いでわざわざリンゴを潰すな」
手話を読み取った翻訳機が言葉を放っている間にダビデはシャリシャリとかじりかけのリンゴを完食した。
普通ならここで一触即発の大暴れでアピールするのがプロレス流なのだが、ウィリアムスはここで挑発を止めた。 ダビデに対して挑発をこれ以上やってしまうと、ウィリアムスが随分と小物に見える構図になってしまうからだ。
ダビデはそっぽ向いて自分の背中や腕を掻いた。
全身に黒々と艶のある毛並み、柔らかさもある隆々とした筋肉。
ダビデはゴリラだった。
ダビデはコンゴの国立公園にあるマウンテンゴリラの保護区で生まれた。
生後間もなくして先天的な脳の病が発症し、もがき苦しんでいるところをレンジャーに救助された。保護区には動物病院があり、そこで23世紀の医療を受けた。
その病は人間にも症例が珍しい奇病で、ゴリラの症例は初めてのことだった。
……とはいえ、23世紀の高度な医療技術では奇病や難病であっても何の問題もなく治療することができた。手術から数週間後、後遺症もなく病から救われたダビデは無事に森の中に帰っていった。
こういった怪我や病気で保護された動物達は、1mmにも満たないチップを耳の軟骨などに埋め込まれ、GPSで管理される。 ダビデの位置は事細かに観察され、定期的に病後の経過を見るため病院で検査された。
2年後のある日もダビデはレンジャーに連れられ、保護区の病院を訪れた。
検査結果に悪いところは無かった。
ただし、何の影響か、脳が肥大し活性化していることに検査した医師が気が付いた。
驚くべきことに、度々の人間との接触で人語を理解していることがわかり、検査してみると文字の存在を認識できていることもわかった。
それが元々あった先天的なものか、病気の治療の影響であるのかわからなかったが、とにかくダビデはゴリラの知能水準を遥かに超え、人間に匹敵する知能を備えていた。
喉の構造はゴリラのままなので喋ることはできないが、訓練することで手話を覚えることができ、手話翻訳機を使って人間との会話も可能になった。
人語を理解するゴリラに国立公園保護区の人間達は驚いたが、ダビデの存在を公にはせず、ありのままに受け入れることにした。
成長するにつれ、いつの間にかダビデは人間と保護区のゴリラを繋ぐ仲介者となっていた。
森に異常があれば人間に報告し、寄生虫が流行れば薬を貰い、仲間のゴリラ達に飲ませた。
次第に病院や保護区の管理施設がダビデの第二の住まいになった。
時が過ぎ、10歳になったダビデの一番の関心事はテレビの相撲中継だった。
コンゴのSUMOU中継も好きだったが、最も楽しみだったのは日本の大相撲の中継だ。
遠く東の島国にある両国国技館の土俵はダビデにエキゾチックな刺激を与えた。
テレビ中継の後に力自慢のレンジャー達と相撲をとるのも日課になっていった。
映画の世界なんかでは知能を得た動物が人間に対して反乱を起こすのがお決まりだが、ダビデはそうではなかった。
あくまで自分は人間ではなく、頭の良いゴリラであり、それ以上でもそれ以下でもない。人間を超える者でもない。そう考えていた。
ただ「ゴリラとしてどう生きるか」その哲学的ともいえる題目が常に頭の中を渦巻いていた。
ゴリラとして得た知能を使い、森で群れの繁栄のために一生を使うのが正しい道なのか?
多種多様な人生の選択肢を持つ人間を見て、自分はゴリラだから森で生きる選択が最善であると納得できるのか?
その未知数の問いの答えはやがて相撲に行き着いた。
円形の土俵の上で男の力を証明するためにぶつかり合う。
それは神事であり儀式であり純粋で神聖な戦い。
戦士である雄ゴリラの生き様と力士の姿が重なり、溶け合った。
当たり前だが、ゴリラが本格的に相撲をする環境などなかったので、ダビデは保護区の人間に頼んで首都キンシャサにある相撲部屋へ連れていってもらった。
他の諸外国と違い、コンゴ共和国はスモウがそれほど盛んではない。形式もSUMOUルールではなく、日本と同じ打撃の無い相撲ルール、通称「
スモウが盛んでないが故にある程度のゆるさがあり、人々がおおらかであったこともあって、相撲をするゴリラは簡単に相撲部屋に出入りすることができた。
丁度良くショー的な面白さもあったので、単発の相撲興行や相撲大会を経て国民的な人気を獲得し、次第にダビデが人間並みの知能を有することが認知されていった。
国際的な動物保護団体がゴリラに相撲をさせることについて猛抗議したが、ダビデ本人が「ゴリラである前に力士である」という主張で抗議を跳ね除けた。
そんなこともあってダビデは市民権を獲得し、例外的にコンゴ共和国の本場所の参加も許可された。ついにダビデは本物の力士になることができた。
スモウを始めてしばらくはそこそこの成績だったが、驚異的な練習量と肉体的な成長も相まって勝率は上がっていった。
そして17歳の時に世界で初のゴリラのヨコヅナになった。
これがゴリラとしての身体能力の強さだけだったら人間はアンフェアに感じたかもしれない。
しかし、ダビデはそう思わせない、美学ある相撲道を魅せてくれる存在だった。
コンゴ共和国のスモウは大相撲に準じたルールになっており、三手の禁じ手も含まれている。 マゲこそないが四股を踏み、祭事、神事としての意味も組み込まれていた。
ダビデは相撲道を最も重んじ、コンゴ全ての力士が尊敬する存在になっていた。
そして、人種どころか種をも超え、誰よりも力士になった。
ダビデの次の夢はスモウワールドカップの参加だった。
しかし、コンゴ国内で許されていることでも、国際的な人間の競技に参加することは不可能だ。
ダビデは新たな挑戦をする権利が無いことを悲しみつつも、これまでの恵みに感謝した。
病から救われたこと。
偶然にも高い知能を得たこと。
相撲を知ることができたこと。
人間に優しくして貰えたこと。
ゴリラが力士になることを許されたこと。
これまでが大きな奇跡だと感謝した。
だが、大きな奇跡はもうひとつ起こった。
「誰であろうと、何者であろうと、相撲がとれる者、相撲を愛する者であれば戦いましょう!」
世界スモウサミットでの奔王による「奔王宣言」により、第17回スモウワールドカップは「スモウをとれる者」であれば人間に限らず参加権があるという、冗談のような枠の大きさになり、ゴリラのダビデにも参加する権利が与えられた。
(ただし体重300キログラム以下)
詳細を言えば、世界SUMOU連盟はスーパーコンピューターHEAVENにスモウワールドカップのルールおよび
「スモウをとれる者」はHEAVENの判断に基づくもので、スモウにならないような反則技が可能となる者は認めない。(例えば足が3本以上あるロボットなど)
間接的ながらも奔王の発言により、ダビデはスモウワールドカップの参加権を得た。
まわしを締めたキングコングが世界の土俵に立つ。
第一次予選3日目、4試合目。
アメリカ代表、クリフ“テンペスト”ウィリアムス対コンゴ共和国代表、ダビデ。
ダビデはこれまでの3戦を全勝。
スモウワールドカップで戦うために国際ルール「SUMOU」への対応は万全だった。
他国との交流試合で三手の禁じ手の防ぎ方、使い方もひと通り学んだ。
それに加えてコンゴの保護区に戻り、基礎トレーニングをやり直した。
森を走りまわり、時にはシロサイとぶつかり稽古をし、バオバブの木に鉄砲を打ち込んだ。
二人が土俵に上がった瞬間、会場は湧いた。
最もゴリラに近い人間と、最も人間に近いゴリラ。どちらが強いのか?
子供が考えたようなその対決に誰もが好奇心を掻き立てられた。
落ち着きのある眼差しで塩を撒くダビデは、ゴリラの着ぐるみを着た日本人力士じゃないかと思えるほどの佇まいで存在感を放っていた。
土俵上の睨み合い、ウィリアムスはダビデにその存在特有の景色を見た。
ベテラン力士の凄みのようでもあり、野生動物のように井戸の底を覗くような深さもある。それがゴリラが持つものなのか、ダビデという力士が持つものなのかはわからないが、ウィリアムスはその不思議な瞳に飲み込まれた。
立ち会い直前、仕切り線の前にふたりが並び、静かに手をつく。
「発気よ~い……残った!!」
ジャッジの声と同時にウィリアムスは大気も震えるような渾身の張り手を放った。
だがしかし、張り手は空を切った。ウィリアムスの視界に誰もいない。前にも後ろにもいない。土俵に誰もいなかった。ただし俯瞰視点の観客席からは全てが見えた。
一瞬の間の後、突然頭と胸に衝撃が走り、ウィリアムスの巨体が突き飛ばされた。
立ち会いの瞬間、ダビデはウィリアムスの視界のわずかに外、真上に跳躍していた。ウィリアムスの上空、丸く折りたたんだ肉体から弾くように、全身のバネを使い放たれる両足の蹴り、いわゆるドロップキックがウィリアムスの巨体を突き飛ばした。
この対決、最初の攻撃は、ゴリラによる相撲の枠を超えた規格外の奇襲だった。
ウィリアムスは仰け反りよろめきながら、危うくあと一歩で円の外、土俵際まで吹き飛ばされてしまった。
ワンテンポ遅れてダビデが着地した、と同時に今度は前方に飛び込み、ウィリアムスに詰め寄った。
冷や汗をかく間もなくウィリアムスは飛び込んでくるゴリラに警戒した。が、仰け反った体勢からは一歩遅く、巨体の懐に潜り込まれ、まわしを取られてしまう。
直後にウィリアムスもダビデのまわしを掴んだ。パワー勝負であればこのまま力づくで放り投げてやろうかと全身の力で揺さぶった。
が、ダビデの体は動かなかった。右にも左にも、押そうが引こうがまったく動かない。
ウィリアムスは、奔王の鉄壁のバランスと足腰を、地球の地軸に突き刺さる鉄の杭のようだと感じたが、ダビデの体幹バランス感覚はまた質が違っていた。
ダビデは岩盤を突き破って根を張り、千年そびえ立つ巨木。
そして、その巨木のツタがウィリアムスの巨体を靭やかに柔らかくも力強く締め上げる……。
ダビデはこの規格外の巨体を持つ人間に鯖折りを仕掛けていた。
単純な筋力勝負に近い形を選んだのは賢い選択ではなかったかもしれない。
しかし、ダビデは鯖折りを仕掛けて負けたことはなく、絶対的自信のある技のひとつだった。
世界最高レベルの筋肉量を持つ、ゴリラよりゴリラらしいホモ・サピエンス、ウィリアムス。彼に対して鯖折りの駆け引きを仕掛けたのは、自分の相撲に対するプライドの意思表示でもあった。
鯖折りは、まわしを腕力で引きつけ、上半身でのしかかることで相手に膝をつかせる技だ。
通常、巨体で体重があればより有利なのであるが、このふたりの勝負の場合、単純な筋肉量が異常なので腕力と腹筋背筋による押し殺しに近い。
簡単に言えば全身を使った腕相撲といったところか。
鯖折りを仕掛けた直後、ダビデの長い上腕がウィリアムスをギリギリと締め上げていたが、しばらくすると時が止まったように両者は動かなくなった。
ウィリアムスもまた、全身の筋肉から力を呼び覚まし、この静かなる猛攻に抗っていた。ゴリラより長い足と胴体は鯖折りに対して有効な部分だ。そこから力を振り絞り、じわじわと締め付ける力に対抗した。
数秒後、彫刻のように静止していた時間は崩れ、再びふたりの肉体は動き出した。
万力のようにダビデの腕と胸筋の輪が、ほんのわずか数ミリ単位でウィリアムスを押し潰す。
ウィリアムスは自分が潰したリンゴになったような心境だった。想像の枠の外にある力。その力で握りつぶされる。そんな気持ちになった。
そして、静かな戦いはそのまま静かに決着がつく。ウィリアムスはゆっくりと革張りのソファーに座るように、土俵に膝をついた。
激しく肉体のぶつかり合う戦いを予想していた者にとってそれは拍子抜けに見えたかもしれない。
その通り、会場はそれほど湧いてはいなかった。
が、ジャッジがダビデの勝利を告げた直後に会場は大きくざわめいた。
ダビデの右腕がありえない方向に曲がり、ぶら下がっていたのだ。
ふたりのせめぎ合いが拮抗したその時、ダビデも予想外の反発力を全身に受けていた。
ウィリアムスの相殺に使われる爆発的な力は、ダビデの全身を駆け巡り、右腕の肘で決壊した。
それは異常な圧力による右肘の脱臼だった。
まぎれもなくウィリアムスの潜在能力を垣間見た出来事でもあったが、それはダビデにも言えることだった。
この一番、ウィリアムスに膝をつかせ、決着をつけた最後の一絞りを左手一本の力で捻りだしていたことになるのだ。
観客はもちろんのこと、他の力士達に戦慄が走った。
この戦いを見て第17回スモウワールドカップは伝説になる。そう予感した者も少なくないだろう。
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