土俵外の戦い4
怪人は力士たちを睨み付ける。その眼光には話し合いの通じる要素はない。猛獣のような荒々しい闘争心だけが垣間見える。
「これ、どうします……? 俺じゃちょっと、手に負えない……かなぁ〜なんて……」
狛犬が後ずさりし皆を見ると、力士たちもそれぞれに目配せしていた。
個人の戦いである大相撲にはチームプレイなどなく、そもそも怪物を取り押さえる、仕留める、といったシチュエーションは想定していない。
そうこうしていると戸惑っている狛犬に怪人が突進してきた。両手の先から伸びる爪が空を切る。咄嗟に避ける狛犬。そこへ獅桜がビール瓶を投げる。怪人の顔面直撃コースだが、怪人が腕を振ると投げつけられたビール瓶は地面に落ちた。爪によってビール瓶は両断されている。
「こ、こいつの爪……さっきのナイフを遥かに上回る切れ味ですよ……」
動揺を隠しきれない中、冷静な分析をする竪馬。だが竪馬の言葉に警戒することもなく怪人へ突っ込んでいく力士。白象だ。
「どすこぉい!! 」
ビール瓶に気を取られた怪人の隙をつき、深い姿勢から怪人の懐に潜り込む白象。怪人が履いている獣の革でできた腰みのを掴んだ。
「そのまま叩きつけたれ! 」
大鳩が叫んだ。怪人が体勢を崩したら飛びかかって取り押さえる。全員がそう考えた。が、怪人は動かなかった。白象の体を爪の伸びた手で押さえつけ、微動だにしない。それどころか白象の体を押し返しはじめた。食い込んだ爪からは白象の血が滲む。
「馬鹿な……! 白象は大相撲トップクラスの重量パワー型の力士だぞ!? こんな不安定な組み方で押し負かされるなんて……! 」
怪人を取り押さえようと身構えていた猛牛も怪人の恐ろしさに足がすくむ。
ついに白象は突き飛ばされ、その最中、怪人の爪が白象の爪をえぐる。極練神社の境内に血しぶきが飛び散る。
その瞬間、超人的スピードで怪人に迫る者が。横綱・奔王悟理。厳血顕現の力を解放し、稲妻のように怪人を襲う。渾身の突っ張りが怪人の胸に入り、衝撃で高層ビルの壁面に激突する怪人。
「白象、大丈夫か? 」
「だ、大丈夫だぁ、血はいっぱい出てるけど、内臓には届いてないど……」
奔王に声をかけられると、白象は腹を押さえながら起き上がった。四本の爪の生傷が痛々しい。
「あの覆面男、この異形の者をメコン川の怪人って言ってたな……」
奔王が怪人が叩きつけられた壁面に目をやると、倒れた怪人は何もなかったかのように立ち上がった。
白いマスクを被った男にメコン川の怪人と呼ばれた者は、奔王に向かって歩いてくる。もちろん再び交戦するつもりだ。叩きつけられた高層ビルは衝撃で外壁にヒビが入り、外壁材が僅かに崩れているほどだが、メコン川の怪人にダメージがあった様子はなく、戦意も失っていないようだ。
「なんともないのか? あばらをへし折るつもりだったんだが」
いつもは冷静沈着な奔王だが、異形の怪物を前に少し戸惑う。
「奔王関! 我々が気を引きます! 隙をついて一発決めれませんか!? 」
竪馬がメコン川の怪物の向かってくる動線上に割って入り言った。
「言うてたやろ!? 必殺技や! 誰も知らん秘伝技! それやったらコイツいてこませるんちゃうか!? 」
大鳩も割って入る。後に猛牛も続く。負傷した白象以外の四天王がメコン川の怪人に立ちふさがる。
「わかった。任せろ! 」
奔王はうなずくと、少し距離をとった。
「ゴハン、カエセ……、サカナ、カエセ……」
「やかましいわ! 」
メコン川の怪人の前に大鳩は果敢に飛び込んだ。怪人の爪を使った攻撃は鋭い切れ味があり力士との相性は最悪だ。だが大鳩は紙一重で躱し、手刀で手首を払った。
大鳩は張り手や突っ張りや差し手を牽制し払い除ける迎撃の天才であり、大相撲随一の動体視力を持っていた。
「これぐらいのスピードやったら、奔王関や猛龍関の猛攻に比べれば屁でもないで! 」
怪人の攻撃はアスリートの卓越した技とは違い、大雑把に腕を振り回すだけの攻撃であった。歴戦の力士と戦う大鳩にとって対処できないほどでなかかったが……。
「ゴハン! カエセェェ!! 」
「うおお! こ、この迫力! えげつない……! 」
眼前を通過する爪は先ほど白象の腹をえぐったものであり、怪人の体躯から滲み出る異常性と、攻撃から伝わる圧力と風圧で大鳩の感じる圧迫感は凄まじかった。
「もうダメや! ヘルプ! 」
「よっしゃ任せろ! 」
メコン川の怪人の後ろから現れたのは猛牛。怪人の背後を取り、そのまま持ち上げる。
猛牛の持ち味は馬鹿力。無茶や無謀も力で解決する馬鹿力の力馬鹿だ。メコン川の怪人は200kgを超える重力級だが、猛牛は無理やりの根性論で持ち上げる。
そのままうっちゃり、というかバックドロップに近い形でぶん投げる。怪人は後頭部から背中を地面に叩きつけられる。が、奔王に突き飛ばされビルの壁面に叩きつけられてなんともないように、怪人はまったくの無傷だ。
「次は私がやります! 」
怪人の前に飛び出したのは竪馬。慎重すぎるとも言える足の運びで怪人からの一定の距離を取り爪の攻撃を躱す。
「こいつ、恐ろしいやつですけど……攻撃は単調です……」
大振りの怪人の攻撃を竪馬は難なく躱す。四天王では最年少の竪馬だったが、プレッシャーに強く、肉体の運動を学術的に捉える観察眼も相まって、文字通り土俵際の巻き返しを得意とした。
「右、左、右、左の攻撃を避けられると……。溜めのある右の大振りが……」
竪馬の予想通り、怪人は右の大振りを繰り出す。竪馬は低い体勢で攻撃を躱しながら怪人の懐へと潜り込んだ。大振りの攻撃を躱され、体勢を崩した怪人に竪馬は上手投げを仕掛ける。しかもただの上手投げではない。場外乱闘らしく怪人の頭髪を掴んで投げるというアレンジ付き。もちろん大相撲では反則になってしまう技だ。しかし、竪馬は感情的になって攻撃性を出したわけではない。あくまで強かにここでできる最高のパフォーマンスを考えてこうなったまでだ。
怪人は放り投げられ、背中から地面に落ちる。常人ならばしばらく息ができず、立ち上がることはまずできないが、怪人は普通に立ち上がる。受身も取れない、格闘技の素養など微塵もない謎の怪人だが、規格外のバケモノであることは確かだった。
「ダメです……。投げではまるでダメージがないです……」
竪馬が怪人から距離を取ったその時、再びビール瓶が怪人めがけて飛んできた。だが先ほどと同じように爪によってビール瓶は両断される。
「やっぱりだめかぁ〜。でも私が直接挑んだところでなんの役にも立たないだろうしなぁ」
ビール瓶を投げたのはやはり獅桜だ。距離は多少離れているが、絶妙なコントロールで怪人の顔面をめがけビール瓶を投げている。
「でもまぁ、こういうのはどうかな……? 」
次の一投は下手から怪人の頭上、遥か上へと高く投げられた。怪人はゆっくりと落下してくるビール瓶を目で追う。
「アシストにはなったかなぁ? 」
獅桜がつぶやくとほぼ同時に、怪人の足に激痛が走った。
怪人の視線が宙に向いた瞬間、怪人に向かって突進した人物がいた。誰も期待していなかった狛犬だ。彼は怪人の足元に滑り込むと、地面に倒れこみながら蹴りを放った。所謂アリ・キックと呼ばれる蹴りの形だ。
「ヘッ! 蹴りには自信があるんすよ! 」
蹴りは怪人の脛に直撃し、表情が歪む。まさに伏兵、下っ端の狛犬によって初めて怪人にダメージを与えることに成功する。
ここでようやく奔王が動く。
距離を取っていた奔王が疾風のごとき速さで怪人までの距離を詰める。そして潜り込む。
怪人の迎撃はやはり単調で工夫がない。右へ左への腕で薙ぎ払う動作だ。それに加え、足へのダメージに気を取られている。しかしその荒々しい攻撃は当たれば必殺、頭に直撃すれば首をもぎ取り、腹に当たれば内臓を抉り取るだろう。
怪人の禍々しい爪が伸びる獣のような手は接近する奔王の顔面を直撃するコースで弧を描く。だが、奔王はそれを紙一重で躱し、さらに深く潜る。
だが、ただ潜り込んで組み合うのは白象が取った危険な手段だ。組んだ状態のまま爪で攻撃されれば逃げ場はない。
逃げ場の無い怪人の射程圏へ奔王が飛び込むかというその刹那、奔王の右腕は大外から弧を描いて怪人の頭部へ迫る。肩を大きく回し、腕には返しが入り、外から内へ払う裏拳のような形。いわゆるロシアンフックの形態だ。同時に伝家の宝刀、厳血顕現。
怪人の視界の隅、まったくの意識の外から飛んでくる奔王の拳は怪人の顎先めがけて的確に着弾する。そして頭蓋骨へとその衝撃は伝わり、怪人の脳を揺らした。
奔王の渾身の一撃をくらったメコン川の怪人は意識を失い、そのまま前のめりに倒れこみ気絶した。
「これがまさか……」
大鳩が尋ねると奔王は答えた。
「厳槌……」
「すごい! だが、打撃技になってしまうから大相撲では使えないのでは!? 」
即座に声を上げる猛牛。
「元々、禁じ手が定められる前に生まれた打撃技らしい。拳を握らず、払いのひとつとして使う型もある。それなら問題無いだろう。それより……こいつが目を覚ます前に縄で縛ろう」
奔王がそう言うと同時に獅桜が縄を抱えてやってきた。熊のような巨大な怪人は縄に幾重にも縛られ、極練神社の境内へ転がった。
この状況を7人の力士たちの誰も整理することができず、荒唐無稽とも思える出来事と疲労で呆然とした。
「ようわからんけど、まず象を病院やな!すぐ近くに金剛記念病院がある! 」
「大鳩関、私も行きます! 」
大鳩に竪馬が続き、白象の肩を抱えた。
「ウオオオオォォ!! 」
突然何かに反応するかのようにメコン川の怪人は目を覚まし、唸り声を上げた。
「もう起きやがった! だけどこれだけ縄を巻かれたんじゃ身動きも……」
狛犬が指をさす。縄は幾重にも巻かれキツく縛られている。が、次第にミシミシと音を立て、怪人の体が膨らむ。
「オサカナァァァァァ!!! 」
怪人は雄叫びを上げ、ついに怪人の怪力によって縄は弾け飛ぶように破られた。
「嘘でしょ……めちゃくちゃに巻きつけておいたのに……」
「まわしで縛ればよかったか……」
もはや呆れるしかない奔王と獅桜。
「オサカナァ! ニオイ……!! 」
怪人は何か辺りの臭いを嗅ぎ回る。腹が減った様子で力士たちには目もくれ無い。
「こいつ、ひょっとして……」
そう言うと竪馬は荷物の入ったリュックを背中から下ろし、袋を取り出した。
「これ、これ……食うか……? 」
竪馬は袋から乾いた長い物体を取り出し、怪人に差し出した。怪人は長い爪でそれを受け取るとムシャムシャと野良犬のように食べ始めた。
「なんだそれは? 」
「鮭とばです。実家の北海道からおふくろが送ってくるんですよ」
奔王が聞くと竪馬はそう答え、怪人に鮭とばを渡した。
「オサカナ! ウマイ! 」
「いっぱいあるぞ。食え。なんかこいつ……悪いやつじゃないんじゃないですかね……? 騙されて連れてこられたぽいし……」
竪馬は鮭とばを貪り食う怪人を寂しそうに見つめた。
「実家の犬に似てるんですよね。モロって名前のでかい雑種なんですけど……」
「そうだな……。じゃあ竪馬関、こいつは君に任せる。とりあえず我々は帰ろう」
「ちょっと待ってくださいよ横綱! 」
「ええやないか、馬になついとるみたいやし。俺らは病院行って帰るで〜」
大鳩は白象の肩を抱えて極練神社を後にした。それぞれも極練神社を去る準備をはじめる。荷物を風呂敷にまとめている奔王に狛犬が駆け寄った。
「あの、横綱……俺は〜どうしたらいいですかね……? 結局いろいろとうやむや、というか謎が多すぎて聞きたいこともあるんですけど……」
「明日も来い」
奔王は一言だけ言うと硬直した狛犬を残し、極練神社を後にした。
「これは……喜んでもいいのか……な? 」
幕下の狛犬、波乱の相撲人生はここから始まるのだった。
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