暗黒の相撲取り1

某月某日。

東京都と埼玉の境にある某所。


23世紀、都市ではコロニーと呼ばれる巨大建築構造が出現し、計画的過疎化が進んでいた。

人がいなくなるであろう町では、市町村単位の統廃合で区画を整理し、不要になった町の跡地は農地や自然公園に還元された。


昼は灰色、夜は闇に沈む街。そこは統廃合で人がいなくなり、農地か自然公園になる順番待ちのゴーストタウンだった。

夜になり、誰も人がおらず。建物の黒いシルエットに夜の空だけが明るく見える。

音もない真っ黒な街に、ザッザッと誰かが歩く音だけが響いた。

コンクリートの地面に雪駄が擦れる音だった。雪駄を履いた大きな男。浴衣を着ている。男は力士のようだ。

力士は建物の壁をじっと見ると、建物のベランダや構造を利用し、その体型では不可能であろう驚くべきスピードで屋上まで到達すると、夜の闇に消えた。



ゴーストタウンは時期が来れば建物はすべて取り壊され、コンクリートは削り取られる。本当に何もない平らな地面の状態になったあと、人のいない、植物や動物が育つ場所へと生まれかわる。

だがそうなるまでのわずかな期間、人が誰もいない街という空白期間がある。そんな場所は犯罪者が利用するには格好の棲み処であった。


人がいなくなったマンションの最上階。

そこだけ供給が断たれたはずの電力が復旧し、ひねれば蛇口から水が出た。

最上階のワンフロアのみが闇に沈む街から乖離したように、床は大理石、天井からシャンデリアが下がる、高級クラブのような過剰な内装で飾られている。


ジャパニーズギャングの根城がそこにあった。

23世紀にもなると法の整備によりいわゆるヤクザと呼ばれるものは完全に途絶えた。しかし度々自然発生的に似たような組織が生まれる。だがそれは任侠だとか極道といった社会からはぐれたアウトローとは違い、ただ法を犯し、犯罪を行うだけの組織に過ぎなかった。

猿張堂さるはりどう。それが組織の名前で、表向きはコロニーのビジネス街エリアに所在地のある架空の商社。組織を仕切るボスの名前は流田利一ながれだとしかずといった。


流田はまだ30代であったが、持ち前の頭のキレ、組織の統率力と行動力で社会の裏の権力を手にした。

マンションの最上階にあるこの根城には部下が10人ほど常駐しており、それぞれが別の部屋に寝泊まりしている。


「ボス、センサーに反応があります。ネズミの可能性もありますが……」

組織の部下が流田のいる、いかにも高そうな机にやってきて報告した。

センサーとはこのマンションの周辺に仕掛けられたもので、警察や他の組織の者の侵入を警戒してのものだ。


「何勝手に判断してやがんだ! 見てこい! 」

流田は臆病とも言えるほどに用心深かった。そうでなくてはこの時代に犯罪者でのし上がることはできない。


「すんません! ……おい!いますぐ行ってこい!」

部下の男は大きく返事をすると、さらに下っ端の部下を走らせた。

灯りが無く、真っ暗に沈む街へ、暗視ゴーグルを装着した組織の使いがこそこそとマンションの周辺を確認するが、何も見つけることはできない。


「どうやら異常はないようです……」

「そうかい。監視カメラにも何も映ってねえようだな。やっぱりネズミか何かだったか」

壁面のビジョンには組織のあるマンション周辺に設置された監視カメラから映る映像が細かく並んでいる。流田はとにかく慎重に自身の周辺を警戒していた。


ジャパニーズギャングの組織、猿張堂は表向きは商社。架空の住所のビルでは、流田が用意した旧式のアンドロイドが通信販売業務をやっている。当然これはダミーの会社。本体は違法薬物の製造と取引を行う犯罪組織であり、国内外の裏社会へ広く手を伸ばしている。

この時代、裏社会というものはほぼ存在しない。法の取り締まりや警察の力ももちろんあるのだが、犯罪の根絶にHEAVENヘヴンを導入したことが大きかった。もちろん違法薬物も根絶したと言って過言ではないレベルで存在しない。

たまに合法で医療に使われるモルヒネなどが流出するぐらいがごく小さな可能性であるぐらいだ。


しかし、秩序が支配する世であるからこそ犯罪の天才は育つのかもしれない。

流田はあらゆる法の網の目をかいくぐり、薬物を開発、製造した。

その薬物は成分的に砂糖によく似ており、口から体内に取り込めば多幸感に包まれ快感をもたらす。通常のドラッグと違い、体内に取り込まれた成分は溶けて変化し、検出することは難しくなる。見つかりにくい反面、使用者には依存や乱用を発現させ、精神や身体を蝕む。

薬物は巧妙に偽装され流通していた。見た目は棒のついたキャンディで、包装も既製品のように作られており、書いてある表示にもダミー工場が用意されている周到さだ。実際に舐めればキャンディと変わらないが、それだけではトリップはできない。薬物は筒状になった棒の中に隠れており、キャンディを取り除けば中から溶け出してくる。

流田はこのドラッグで再び透明な闇社会を再生させ、その頂点に立った。

政治や警察組織、表の社会にも流田の手が回り、彼の構築したシステムには隙が無い。

唯一の懸念点は、人の感情。人間の恨みや嫉妬だ。人の心で動く人間がいつか自分の命を狙うのではないか、それだけが怖かった。


流田が革張りの椅子に腰を掛け、監視カメラの映像を眺めている頃、闇に消えた力士は組織のマンションの屋上にいた。屋上にも監視カメラはあったが僅かな死角がある。力士はあらかじめその死角を把握しており、隣のビルからそこへ直接飛び移った。


「これなら外からいけるか……」

力士は屋上から身を乗り出し、マンションの外壁を指の腹で摩った。表面は経年劣化で艶が無く、ざらりとした触り心地だ。

腰の巾着から白いテーピングを取り出すと、指先から掌までぐるぐる巻いた。

見た目はただのテーピングであるが、表面は細かい毛がびっしりと並んでいる。

力士はそのテーピングを巻いた手でマンションの外壁に触ると、慎重に壁面をつたって下へ降りた。ロープや足場や持ち手になる部分もないフラットな壁に、開いた掌だけをピタリと貼り付けて壁面を移動する。

テーピングに敷き詰められたミクロサイズの毛には鉤状に曲がる加工が施されており、壁の表面の僅かな凹凸に鉤状の毛がひっかかる。ガラス窓についたヤモリが自由に動き回れる仕組みと同じだ。

テーピングは掌サイズの面積でも力士一人分の体重でも難なく耐えることができた。


力士は壁面を移動すると、最上階の窓までやってきた。

流田がいる部屋の窓は防弾ガラスになっており、セキュリティは厳しかったが、その窓は廊下の窓で、何の防犯もされておらず鍵だけがかけられている。


力士は肩に貼ってある湿布をぺらりと剥がし、窓の鍵の横に4枚ほど張り付けた。

湿布は特殊なジェルで作られており、ショック吸収機能に優れていた。

力士は湿布の上からデコピンを一発入れると、ガラスが音もなく割れた。綺麗に円形に割れた穴から力士は手を入れ鍵を開けた。

窓から音もなくヌルりと巨体が滑り込み、流田がいる部屋へ歩く。

1811号室から1814号室までは流田がリフォームさせて、ひとつの巨大な部屋に改造してある。

力士は部屋の外に位置する壁に耳を付け、聴覚で室内にいる人間の位置を特定した。


「このあたりがいいかな……」

力士は大きく振りかぶり、張り手で思い切り壁を叩いた。

壁は爆発するように砕け散り、壁の近くにいた組織の人間は虫のように弾けて死んだ。


「こんばんわ」

力士は張り手で作った壁の穴から身を乗り出し、そのままヌッと無造作に室内に入り顔を出した。


「こいつ、テレビで見たことある力士だ……」

部下の誰かがつぶやいた。


「さっさと殺らねえか! ばかやろう!」

驚いている部下達に流田が怒鳴りつけた。ほぼ同時に体格の良い男が木刀を持って力士の方向へ飛び込んだ。持っている木刀を思い切り垂直に振り抜き、力士の脳天に直撃させた。木刀は真っ二つに折れ、飛んで行った切先は床に転がった。


「あ……れ?」

木刀を直撃させた直後にはニヤついていた男だったが、力士に視線をやると途端に青ざめた。力士はなんともない涼しい顔で立っていた。木刀で打ち付けられても髷が多少歪んだ程度の変化だ。

男が力士に圧倒されていると、突然血を噴いて倒れた。力士の手は男を指差し、その指先には真っ赤に血が付着している。倒れた男は痙攣し、胸から血を流している。そしてすぐに床が赤く染まった。


「射殺……」

力士はそう言い倒れた男の死を確認すると、血の付いた指で室内の人数を数えた。


「12人……。流田利一以外で今すぐ警察に自首したい者は名乗り出ろ」

力士が部屋を見渡す。しかし組織の人間達は力士から目が離せないまま微動だにしない。


「おめえらさっさと殺れ!!」

流田がもう一度怒鳴ると、硬直した部下の男達は銃を取り出し、力士に向かって発砲した。計三十発以上、力士の肉体に弾丸がヒットした。


「殺った!!」

男達の誰かが叫ぶが、またしても力士は仁王立ちしている。

力士の顔には漆黒の文様が浮き出ている。それは紛れもなく厳血顕現のそれだった。

弾丸は浴衣のみを貫き、力士の皮膚で弾かれ床に落ちた。肉体は一瞬にして鋼の硬度になり、弾丸は力士の肉体に勝てない。


「自首するわけはないよな。この御時世に拳銃所持。しかもこれ、猿張堂で作っているな?」

力士が流田に向かって話していると、部下の男が再び力士に銃を向け、発砲した。


「今話してるだろう……がっ!」

力士は飛んできた銃弾を手で掴み取り、そのまま撃ってきた男に投げつけた。銃弾は男の頭蓋骨を吹き飛ばした。

続けて床に転がった弾丸を拾い上げ、部下達に投げつけた。


「うわあああ!!」

部下のひとりが日本刀を手に取り、力士に襲い掛かる。だがその健闘も虚しく、力士は手刀で日本刀の刃を叩き折り、部下の男の首筋を掻き切った。動脈から血飛沫を上げ男は床に転がった。


「血抜き……」

手を払い付着した血を振るい落とすと、再び力士は部屋を見渡した。

組織の男達はこの化物に勝てないと悟り、逃げる準備を始めた。


「情けないなぁおまえら――」

「おらぁ! 逃げるんじゃあねえ!!!」

力士のつぶやき声を流田の怒鳴り声がかき消す。

力士は逃げる者を追った。室内から逃げ出そうとする男達をひとりずつ放り投げ、反撃してきた男には強烈な張り手で頸椎をへし折り、投げ技で家具に叩きつけた。


「あんた! そんな強い力士じゃないだろ!? なんでこんなことやってんだ!?」

最後に残った男が怯えながら力士に問いかけた。だが答えも聞かず、両手で持ったドスで力士に襲い掛かる。しかしカウンター気味に力士の手が喉元に届いた。喉輪の形だが、力士はそこから首を握りしめ、握力で首をぐちゃぐちゃに潰した。


「屠殺……」

部下を全員殺すと、力士は最後に残った流田を一瞥した。


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