八話 リータ、覚醒す (リータ)
<助けて、リータ>
サーシャの声でリータは目覚める。目の前にはなぜか文人の顔があった。
「あれ? なんで文人が私の部屋にいるの?」
文人がホッとしたしたように大きなため息をつく。
「ここはサーシャの部屋だ。なんでお前がここで寝てるんだ?」
「なんでって……」
起きたばかりのせいか、頭がぼんやりしてうまく働いてくれない。昨日、確か……そう、サーシャと長い時間お話をして、そのまま一緒に寝たんだ。
「今、何時か分かるか?」
文人が聞いてきたので時計を見ると、十二時過ぎだった。
え?
「夜の十二時?」
「昼の十二時だ」
確かに窓から光が射し込んでいる。リータは早く寝て早く起きる生活をしていた。昨日はサーシャと夜更かしをしたけど、それでも十二時まで寝て過ごすなんてありえない。そもそも学校は?
「何があったの?」
「こっちが聞きたい」
文人が頭を掻きむしる。
やっと気付いたけど、文人が着ているのは警官の制服だ。勤務中に呼んでもないのにサーシャの部屋に上がり込んできた? そんなこと、今まで一度もない。
もしかして……宗作が仕掛けた罠に気付かれた? それで警察沙汰に? リータはどんどん不安に駆られていく。
文人が手を止めてリータの目を見た。
「えーっとな……まず俺がここにいる理由だけど、ユーリイさんから電話があったんだ」
「お父さんから?」
「サーシャが何かトラブルを起こしてるから、家まで様子を見てきてくれって言われた」
「トラブル……」
宗作のカウントダウンのこと? あれは宗作とリータの問題であって、サーシャのトラブルではないのでは?
「で、チェスノコフ家に来た。そしたら、門の前で宗作さんがウロウロしてたんだ」
「宗作が? 私、呼んでないよ?」
「サーシャに呼ばれたらしい。お前ら、俺に黙ってることが何かあるだろ?」
ギロリと睨まれたので、リータは視線を逸らす。怒るかと思ったけど、文人はそうはせずに話を続けた。
「まぁいい、今はいい。とにかく、宗作さんはサーシャに呼ばれてここに来た。けど、呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない。途方に暮れてウロウロしてたんだ」
「あ、じゃあ、宗作もいるの?」
「いいや、家に戻った。サーシャは、大事なパソコンは持ってくるなって言ってたらしい。それで念の為にそのパソコンの様子を見に行ったんだ」
大事なパソコン……カウントダウンを続けてるパソコンだ。それを持ってくるなってどういうことだろう? カウントダウンを止めたいなら持ってこさせた方がいいのでは? あ、でも、パソコンみたいに電磁波を出すものを、サーシャの近くには持ってきちゃダメだよね?
リータは必死に考えようとしたけどまるで考えがまとまらなかった。いつだって考えるのはサーシャの役目なのだ。
と、着信音が鳴る。リータのではない。
「宗作さんからだ」
文人が自分のスマホを耳に当てる。
「ええ! やっぱりか……。え? いや、リータはここにいるぞ? ああ、いる。そっちこそ本当か? ……うーん、そうか。とにかく、チェスノコフ家まで戻ってくれ。急いでな!」
「どうしたの?」
苦い顔をしていた文人がため息混じりに口を開く。
「サーシャがリータのふりをして宗作さんの家に入った。それでパソコンを盗んだみたいだ」
「え? サーシャ? 外に出れないのに?」
「出たんだよ。お前が寝てる間、家中探したけど見つからなかった。何をしてるんだ、あいつ? 今どこにいる?」
「どこにって……どこだろ……」
と、ようやくリータは自分が目覚めたきっかけを思い出す。
「『助けて、リータ』サーシャはそう言った!」
「どこにいる! テレパシーで聞け!」
「え、うん、そうだね」
<サーシャ! どこ? サーシャ! 応えて!>
リータは懸命にサーシャに呼びかけたけど、向こうの声は聞こえてこなかった。いつもなら、サーシャと繋がってることが感覚として分かる。今はそれがない。
意識を集中してサーシャと繋がろうと試みる。……何かが伝わってきた。これは……恐怖? サーシャは酷く怯えている。いつもならくっきりしているサーシャの意識が乱れていた。こちらの声が届かないくらい乱れきっている。
「ダメ! サーシャに何かあった! 繋がらない!」
「場所は分からないのか?」
「分からない……全然分かんないんだよ……どうしよ、どうしよ……」
いつの間にかリータは涙声になってしまっていた。サーシャを助けないと、サーシャを!
「宗作さんの家に行って、それからどこへ? 家に帰ろうとしたけど……近所で迷子になった?」
「ううん……もっと遠い感じがした。近くにはいないよ」
遠くの方でひとりぼっちになっている。そんなイメージが伝わってきた。けど、呼びかけても応えてくれない。
「どうなってるんだよ!」
文人の怒鳴り声にリータは身体を強ばらせてしまう。文人は本気でサーシャの心配をしてくれている。いつもそうだ。
文人がリータの両肩を掴んでくる。
「よし、お前らが俺に隠してることを全部話せ。それで何か分かるかもしれん」
「う、うん……」
リータは混乱する頭をどうにかまとめて、知ってることを洗いざらい文人に話す。文人は怒ったような顔つきをしながらも、黙って聞いてくれた。
「サーシャは元々宗作さんの罠に反対してたんだな?」
「うん」
「じゃあ、パソコンを盗んで罠を解除したのか? いや、だったらなんでまっすぐ家に戻ってこない?」
「分かんない……どうなってるんだろ……」
「榎本って奴と交渉しようとして失敗したんじゃないか? あいつはいつも偉そうだけど、時々詰めが甘いんだ」
「榎本に捕まったの?」
「かもしれん。奴に電話してみろ」
確か榎本から名刺をもらっていたはず。探し出して電話してみたけど、繋がらなかった。会社もスマホも両方だ。
「今日は平日だ。会社も繋がらないのはおかしい。行ってみるしかないな」
「う、うん……」
そして戻ってきた宗作を乗せて、文人のパトカーで榎本の会社を目指す。
「お前らまとめてロクでもないことするよな?」
「すみません」
助手席でナビをしている宗作が恐縮する。
「そんなに宗作を責めないで」
「リータ、お前も責めてるんだよ!」
「ゴ、ゴメン……」
「ゴメンで済んだら、俺ら警察はいらないんだよ。全部カタが付いたら宗作さん、分かってるんだろうな?」
文人が厳しい目付きで宗作を見る。こんなに怒っている文人は滅多に見ない。
「う、うん……どうなっても自首する」
「そんな! 宗作が捕まっちゃったら私……私……」
せっかく宗作が好きだって分かったのに、離れ離れになる? 想像しただけで胸が張り裂けそうだ。
「なんでだよ、リータ? サーシャに何かあったら、リータも許せないだろ?」
「え? うん……そうだけど……でも、宗作も大事だし……」
「大事? お前ら双子はお互いのことが一番大事だろ? 違うか?」
「う、うん……」
リータはうなだれてしまう。
サーシャのことは心配だ。今、どんな目に遭っているか、心配で心配で、やはり胸が張り裂けそうになる。
どっちも大事。サーシャも宗作も大事。どっちもなんて、許されないことなの……?
一時間とかからず榎本の会社、つまりは宗作の元の勤め先にたどり着く。地下駐車場から五階を目指す。
リータは確信していた。
「ここにサーシャがいる!」
乱れ切ったサーシャの意識が伝わってくる。早く助けないと! 早く!
扉が開くのもまどろっこしく、廊下に躍り出る。
「おい、待て! 焦るな、リータ!」
後ろから文人の声が聞こえたけど、気にしてる場合じゃない。出てすぐ左。そこから廊下を駆けていき、最初に見える右側の入り口。そこから部屋の中へ。
部屋の左奥にサーシャがいた。近くに四人、男がいる。
「サーシャ!」
「リータ?」
振り返ったサーシャは、左頬に大きなアザができていた。
「サーシャに何した!」
跳躍してテーブルの上に乗る、そのまま一直線にサーシャを目指す。
「リータ、待って! 待って!」
サーシャがリータに向かって大きく両手を振る。リータを止めようとしている? なんで?
「リータ! 全部終わったの! 待って!」
「え?」
よく分からないが、サーシャの前まで行って立ち止まる。男達に隙を見せないように注意しつつ。
「来てくれたのね、リータ。ありがとう、リータ」
サーシャがぎゅっと抱き締めてくる。リータも応えて抱き返す。姉の柔らかな身体を確かに感じる。
身を引いてサーシャの顔を見た。痛々しいくらいのアザだ。それに、口元から赤い血を垂らしている。
「サーシャ、どいつに殴られたの?」
「いいの。これくらいで済んで、本当によかったの」
「いいから、どいつに殴られたの?」
「お願いだから、何もしないでリータ。このまま家へ帰るのよ」
かわいそうなサーシャはすっかり怯えきってしまっていた。何度もまばたきをしながら、ここから立ち去りたい意志をリータに伝えてくる。
だけど、サーシャを殴った奴をそのままにして帰るなんてあり得ない。
「あんたが殴ったの?」
サーシャの前に立っていた男を睨み付ける。この中で一番偉い奴だ。
「双子の妹か。随分と元気やのう」
男は笑ってみせたが、目は完全に闇の中にあった。正直、見るだけで寒気がしてくる。あるいは人を殺した経験があるのかもしれない。どんな残酷なことでも躊躇いなくする手合いだ。そうだとしても、サーシャを痛めつけたのならただでは済まさない。
「リータ、やめて。これくらい何でもないから」
サーシャがリータの身体を強く強く抱き締めてくる。サーシャはこのまま家へ帰ることを望んでいた。それは伝わってきたが、リータは許せない。
「殴ったんは、ワシちゃうで。そっちのデカ物や。のう、高橋」
男の視線を追うと、別の男が大きくうなづいた。リータに向かって挑発するように胸を張る。
「その女を殴ったのは俺だ。姉妹か?」
「サーシャの双子の妹、マルガリータ・ユーリエヴナ・チェスノコワ。あんた、ただじゃ帰さないよ」
「やめろ、リータ!」
入り口の方から文人の声が。だからどうした。警官が来たから引き上げよう、などという連中ではないのは分かっている。
「お巡りさん、ちょっとだけ見やへんふりしてや。お姉さんの仇、討たせたろう?」
「そうは行くか!」
「文人は黙ってろ!」
リータは叫んでいた。もう、目の前の男を倒すことしか頭にない。
「お姉さん、妹さんを離したり。心配せんでも、殺しはせぇへんし」
「だけれど……」
「ワシの機嫌、損ねへん方がええんちゃう?」
「ぐっ……」
リータを抱くサーシャの腕の力が緩む。見ると姉は、苦しそうな表情で目に涙を浮かべていた。
「大丈夫。見てて、サーシャ」
サーシャの肩を押すと、ゆっくりと後ずさっていく。
突如、ドンッと大きな音がする。高橋という男がテーブルを蹴り飛ばしたのだ。戦うのにちょうどいい空間が開ける。
「一分や」
闇の男が宣言する。大男がスーツの上着を脱ぎ捨てた。今のリータはジャージの上下。
<『飛躍』するわよ>
サーシャが語りかけてくる。
<うん>
リータが応じると同時に、サーシャの意識が重なってきた。リータの脳に直接働きかけて、潜在能力を大幅に引き出す『飛躍』。その超能力の効果よりも、サーシャと重なり合えたことがリータはうれしい。
「やっ!」
リータは床を蹴った。続けて壁を。大男の顔を下に見る。そのこめかみを狙って拳を振り落とす。
しかし男は身を引いてかわした。意外に動きが速い。
着地と同時に後ろへ跳んで男の拳を避ける。今のリータでもあれを食らえばひとたまりもない。
いったん距離を取って様子を見る。男は身を低くして両手を顔の前で構えた。少しも油断をしていない。足技にも対応してくるだろう。
落ち着いてジャブ。続けてローキック。共に難なく受けられる。向こうのミドルキックを後ろに跳ねてかわす。筋力の差がありすぎる。打撃を受け止めるのは危険。
身を沈め、懐へと突進する。敵は脛でカバー。その右足首を掴んで捻る。筋が伸びきる前に足を抜かれた。
激高した敵の連打。後退しながら捌きかわし、右足首にローキック。一瞬顔をしかめて引く敵。
敵が守りを固める。傷めている右足首をかばっていた。リータが左にステップすると過敏な反応を見せる。逆にやりにくい。
右に左にステップを踏んで隙を探る。こちらがわざと隙を見せても乗ってこない。
リータは足を止め、両腕もだらりと下げた。敵は怪訝な表情。
「何してるの? 女を殴るのが得意なんでしょ?」
片手で軽く手招き。
敵が勢いよく距離を詰めてくる。リータも踏み込む。大きく腕を振った視界の外からの右フック。
しかし敵は反応し、その右拳を左肘で受け止めた。拳が砕ける。
<リータ!>
リータは表情を歪めて身体を引く。敵は勝ち誇った残酷な笑み。右腕を大きく振りかぶる。
敵に背を向けるリータ。拳が迫る。それをかわしつつ――
「いっけぇぇぇ!」
左足を軸にした回転。高く上げた右かかとを敵のこめかみに叩き込む。
きれいな円弧を描いた右足が床に達する。
どう、と音を立てて男が倒れ伏した。
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