十一話 告白 (リータ)

 リータは自分のことを度胸のある女だと思ってる。どんな敵だろうと恐れず立ち向かう。それがリータだ。

 なのに……なのに……。ギクシャクと、前へ歩くだけでとんでもなくぎこちなくなっている。

 病院の駐輪場から外来のカウンター前まで。そう離れていないはずなのに、とてつもない距離があるように思えてしまう。

 今日のリータは丈の短い黄色いダウンジャケットに黒いミニスカート。ジャケットの下にはボーダーの長袖シャツを着込んでいる。

 いつもは抵抗のないミニスカートも、今日に限っては心許なく感じてしまう。だけど、サーシャとふたりで検討して、ミニスカートで挑むべきと結論を出していた。でも恥ずかしい。

 病院の中に入る。外来のカウンターはすぐ右にあった。その前にはイスが並んでいて、会計をする患者達が座っている。その中に目的の人物がいた。


「や、やあ、宗作」


 リータはバカみたいに不自然に明るい声で話しかける。宗作が顔をリータに向けた。その右腕は首にかけた固定具で吊ってある。包帯を巻いているので、長袖シャツの二の腕の部分だけが不自然に膨らんでいた。

 一時は顔色が悪かったけど、二週間経った今は大分血色がいい。今も穏やかな表情をしている。


「ゴメンね、もうちょっとで終わるよ」

「じゃあ、一緒に待とう」


 リータは宗作の左隣の席に腰を下ろす。視線を落とすと、膝の上に置かれた宗作の左手が見えた。これを握れと、サーシャから指示されている。

 手を握る……そうやって、鈍い宗作がリータを意識するように仕向けるのだ。

 無理だよ~~~

 リータはあまりに根性なしな自分にヘコんでしまう。だけど、リータがこれからするのは、手を握るよりずっと勇気がいることだ。

 どうしよう? ホントにできるの? でもしないと。いいや、したかった。

 やがてカウンターから宗作を呼ぶ声が。会計をする宗作をリータは出入り口前で待つ。


「お待たせ」

「ううん」


 そしてふたりで病院を出る。




 宗作は元々あまり喋らない人だから、リータから話しかけないと。


「それで、消したページの人とは連絡を取ったの?」


 宗作の元同僚で、睡眠薬を飲んでしまった人のことだ。ふたりが元いた会社のサイトには、その人が会社の宣伝をしているページがあった。

 宗作はそれをどうしても消してしまいたかった。つらい思いをして辞めた後も会社の宣伝をしているなんて、その人を二重に冒涜しているから。

 ページはサーシャが完璧に削除した。警察が来るまでのちょっとの間にやってのけたのだ。サーシャがパソコンを使えるなんて知らなかったので、リータは心底驚いてしまった。


「やっぱり止めておくことにしたよ。俺も含めて、あの会社のことは一切耳に入れたくないかもしれないしね」

「……そうなんだ」


 宗作の罠は社長である榎本に復讐するために作られたもの。サーシャが言うには、あのページがあろうとなかろうと、罠が発動する可能性はあったらしい。だけど、今回に限って言えば、あのページが引き金になって大きな騒動に発展してしまった。

 ページは消えてなくなったけど、それで元同僚の人の傷が癒されるのかはよく分からない。

 宗作も気分が晴れるどころか、大きな騒動を起こしたという新しい負い目を背負ってしまった。

 じゃあ、全部無意味だったの?

 リータはそう思いたくはなかった。少しでも得られたものがあったなら、前に進んだだけよしとしたい。ページが消えたと知った時、宗作は憑き物が落ちたみたいにボロボロと涙をこぼした。それだけで十分だ。

 リータはまた問いかけた。


「警察の方はひと段落なんだよね?」

「まぁ……しばらくは」


 家宅捜索で随分と部屋を荒らされたらしいけど、証拠隠滅の恐れはなしとして宗作本人は保釈されている。

 榎本に仕掛けた罠は、サーシャの手で全て解除されていた。サーシャは宗作自身の手で解除させたかったらしいけど、宗作は怪我で身動きが取れなかったのでやむなくそうしたのだ。


「まー、未遂だし、きっと大したことないよ」


 リータはわざと明るく言う。とはいえ、榎本のサービスに手を加えた時点で犯罪になると、サーシャからは聞かされている。これからどうなるかなんて、リータには想像もつかなかった。


「どのみち、罪は償わないと」


 宗作が暗い声で言ってうなだれる。あれから榎本の会社は滅茶苦茶になり、サービスは別の会社に移管、会社自体は倒産になった。社員の大半はその別の会社に移れたので、被害はそれほど大きくなかったと聞いている。だけど、宗作は罪の意識に駆られていた。

 リータは宗作の横顔を見ているだけで胸が締め付けられる。自然と手が伸び、宗作の左手をぎゅっと握った。

 リータの右手はサーシャの仇を取る戦いで傷を負っている。骨三本にヒビが入った。まだ少し痛みが残っているし、今も包帯で固定している。だけど、今は宗作の手を握りたかった。


「リータさん?」

「宗作は、大丈夫だから」

「大丈夫って……?」

「大丈夫。宗作は、大丈夫」


 なんの根拠もない。だけど、リータは宗作を励ましたくて、心からの想いを伝えた。


「うん……ありがとう」


 まだ陰があるけど、宗作は笑顔を見せてくれた。少しは支えになれてるかな? リータは不安になりかけたけど、自分まで暗い顔をしてはいけないと分かっていた。


「ねぇ、ちょっと公園へ寄っていかない?」

「うん」


 宗作の手を引いて、病院に隣り合った公園を目指す。




 公園はそれほど大きくなく、植木が何本かとベンチがある程度だった。ここがリータのリングだ。

 ちゃんとできるかな~。でも、しないと。えーっと、段取りは?


「リータさん、手」


 頭の中がぐるぐるしていたリータに宗作が声をかけてくる。手? 手を握ってるのを嫌がられた?


「あ、ダメ……かな?」


 焦りが広がる。宗作はリータに対して思った以上に壁を築いている?


「そうじゃなくて、まだ痛いんじゃない?」


 こうやって、どんな時でもリータの心配をしてくれるのが、宗作だ。胸がじんわりと温かくなる。


「平気だよ。それより、宗作と手を繋いでいたいの」

「そ、そう……」


 宗作が顔を赤らめてしまう。ちょっとは意識してもらえてる? いける? いけるの?


「す、座ろうか、宗作」


 ベンチに並んで腰かける。公園には他に人がいない。またとない、チャンスだ。


「宗作さぁ」

「ん?」

「す、好きな女子とか……いてる?」


 この期に及んで探りなんて入れてしまうリータ。戦いではいつも積極的に攻撃してるのに?


「どうだろ……いや、いないかな」

「そっか……」


 ホッとする一方、「実はキミのことが」なんてセリフを期待していたのでがっくりもする。

 そっか、好きな女子はいないのか。……と、リータは不吉な予感に襲われる。

 もしかして? そんなバカなこと! いやでも、もしかして?


「そ、宗作……」

「ん?」

「……実は、二次元にしか興味がなかったり?」

「ええ?」


 驚いた様子の宗作はそのまま口をつぐんでしまう。なんですぐに否定しないの? 首なんて傾げてるけど?


「まぁ、二次元は好きだけど……」

「やっぱり!」


 思わず立ち上がってしまうリータ。なんてこと……なんてこと……。だけど、それなら辻褄が合うかもしれない。今までリータがボディタッチを繰り返しても、顔を赤くする以上の反応をしなかったんだ、この人は!


「いやいや! 二次元だけなんてことはないから!」

「そ、そうなの……?」

「ちゃんと、三次元の女性にも興味あるよ」

「じゃあ、私は?」

「え……リータさん?」


 口が滑った。余計な緊張状態を生み出してしまったと、リータは気付く。宗作の返答次第ではリータの目的が達せなくなる。


「リータさんは……魅力的な女性だと思うよ」

「ホ、ホント?」

「うん……けど……」

「け、けど?」

「俺にとってはあくまで友だちだから」

「そっかあ~」


 リータは泣きそうになった。ただの友だち宣言ですよ。女子としては興味ありませんって言われちゃった。うう……。

 宗作が焦ったように言葉を続ける。


「だから、そこは心配しなくていいから」

「心配? 心配って?」

「いや……リータさんのことをやましい目で見たりはしてないから。そこは分かって欲しい」

「やましい目……」


 妙な事態になったとリータは思った。リータは宗作から女子として見られたい。だけど、今この場では、女子として見る・イコール・やましい目、になってしまっていた。

 ええ? 「どうか私をやましい目で見てください!」って言うの? それ、おかしくない?

 どうしようどうしよう……。リータは頭がよくない。どうしていいのか分からなかった。


「けど、どっちみち……」


 と、宗作が遠くを見る。


「俺達はもう会わない方がいいのかも」

「え、なんで?」

「俺は罪を背負ってしまった。支えようとしてくれるリータさんの気持ちはうれしいけど、やっぱり……」

「離れるなんて、絶対にイヤ!」


 リータの叫び声に宗作が身体をびくつかせた。


「けど……」


 宗作はどこまでも弱々しい。そんな彼のことが――


「好きなの! 私は宗作が好き! 好きな人とは離れたくないっ!」

「え……」


 驚いた表情の宗作。まったく想像もしてなかったという顔だ。


「お願い! 伝わってっ!」


 リータは宗作の左手を取ると、自分の左胸に押し付けた。この胸の鼓動を、


「感じてっ! 私の気持ち、感じてっ!」

「わ、分かったから……」


 宗作は焦った様子で自分の手を引こうとする。しかしリータはそうはさせない。


「好きなの! どうしようもなく好きなのっ!」

「分かった、分かったから、手を離して!」

「ホントに分かった? ホントに分かってる?」

「分かってる。リータさんは俺が好き。分かってる」


 リータはようやく頭が冷えてくる。勢いだけで突っ走ってしまった。だけど、結果オーライ? 宗作はリータの気持ちを分かってくれた?


「リータさん、いい加減、手を、手を離して」

「手……?」


 ようやく思い出す。

 リータは宗作の手を自分の左胸に押し当てていた。ご丁寧にダウンジャケットの内側だ。男の人の手って、こんなにおっきいんだぁ。乳房で感じる宗作の手のひら。

 ふとリータは顔を上げる。公園の入り口に、ギョッとした顔で立ち尽くす中年女性達を見つける。


「ち、違うから! 宗作は痴漢じゃないから!」


 しかし、女性のひとりはスマホを耳に当てていた……。






 うなだれながら交番を出るリータと宗作。


「ゴメン、ホント……ゴメン」


 リータはまともに宗作の顔が見れない。

 どうにかお巡りさんには宗作が痴漢ではないと理解してもらえた。けど、ふたりとも疲れ果てた……。


「俺達が友だちだって、なかなか信じてくれなかったね」

「うう~」

「やっぱり、俺達が仲良くしてるのって、周りからみたら不自然なんだよ」

「だけど!」


 リータは勢いよく宗作に顔を向ける。宗作もリータを見ていた。


「リータさんは、俺を好いてくれてる」

「う、うん……そうだよ。私は、宗作が、好きなの」


 ちゃんと気持ちは届いてる。だけど、リータはどんどん不安に駆られていく。

 だからこぼしてしまう。


「迷惑……だよね?」


 それに対して宗作は首を横に振った。


「ありがたいと思う。俺なんかを」

「じゃあキスして」


 早口で言ってしまう。何段階かすっ飛ばしてる気がするけど、言ってしまったものは仕方がない。宗作の答えをドキドキして待つ。


「こ、ここで?」


 宗作が振り返ってまだそれほど離れていない交番を見る。ふたりがいるのは大勢の人々が行き交う大通り沿いの歩道。かなり騒々しいし、排ガスも酷い。初キスのロケーションとしては……サイテーだ。


「キスして」

「いや……いきなりは……」

「キスしてくれないと、私からする」


 リータは腹を据えた。こうなったらキセージジツを作ってしまおう。そしてなし崩しに恋人になってしまうのだ。


「分かったよ」

「あれ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまうリータ。もう宗作を襲う気マンマンだったのだ。

 宗作が落ち着いた声で言う。


「目を閉じて」

「う、うん……」


 リータは言われたとおりにした。全神経が唇に集中する。いや、でも宗作のことだから直前でヘタれるんでは? 自分からキスする度胸なんてあるとは思えないんだけど。もしかしたら目をつむってる間に逃げ出したり? あり得そうだ。そんなことしたら絶対に許さない。どこまでも追いかけて掴まえて、こっちから……


 唇に柔らかい感触があった。


 宗作はすぐに離れたけど、キスの余韻は消え去らない。水面に滴が落ちたみたいに唇から身体全体へ甘い波紋が広がっていく。

 目を開けると近い距離に宗作の顔。いつも以上に真っ赤な顔をして。


「これでいい?」

「うん……ありがと」

「こちらこそ、ありがとう」


 リータは何度も瞬きしていまう。自分から持ちかけたことだけど、宗作からキスしてくれたなんて信じられない。宗作には、まだまだリータの知らない面があるようだ。

 リータは、もっと宗作を知りたいと思った。だから……


「あのっ!」

「リータさん、交際しよう」

「はいっ。よろしくお願いいたしまする」


 先を越されてリータはへなへなになってしまう。本当に身体まで揺れたものだから、宗作が慌てたように片手を伸ばしてきた。


「だ、大丈夫、リータさん!」

「うん……うんっ!」


 リータはすぐに立ち直る。そして自分が幸せに満ちあふれていると自覚した。宗作に向かってぴょんと跳ねる。


「宗作っ!」

「痛い痛い痛い! 腕腕腕!」

「ゴ、ゴメンッ!」


 だけど宗作は怒ったりしない。

 顔を見合わせ、ふたりして笑い合った。

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チェスノコワ姉妹は離れない いなばー @inaber

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