六話 宗作の事情 (リータ)
しばらくゲームで遊んだ後、用意されたジュースとリータが持ってきたクッキーを食べる。ゲームの設定なんかの話を聞きながら、どうしてもリータは聞いておきたくなった。
「あのさ、宗作ってなんで会社を辞めちゃったの?」
「ああ、そうだね。うーん、そうだなぁ」
宗作は天井を見上げる。やっぱり聞いてはいけなかったのだろうか? そう心配になったリータの方へ、彼はすぐに顔を向けてきた。
「俺は大学を卒業した後、ソフトウェア会社に就職したんだ。誰でも知ってるようなメーカーの子会社。そこではプログラマをしてたけど、段々と仕事にやり甲斐を持てなくなったんだ。今思えばそれはありがちな壁で、それでも頑張って続けてたらまた違った面白味を見付けていくみたいだけど。とにかくそんな時、とあるスタートアップ――ベンチャー企業って言った方が分かりやすいかな? そこがプログラマを募集してると知ったんだよ」
「で、そこへ転職したんだ?」
「そう。転職した当初は面白かった。新しいウェブサービスを自分が作ってるっていう実感があってね。面白かったけど、働く環境は無茶苦茶だった。元いた会社は一見退屈だけど、労働条件をしっかりと整えてくれてたんだ。そういうのを分かってなかったから、新しい会社の無茶苦茶加減には驚いた」
「うわー、ブラック企業って奴だ」
脳天気なリータでもそういう話は聞いたことがある。
「一概にそうとも言えないんだけどね。楽しくて気分が高揚してる時は、自分から進んで苦労を背負い込んじゃうんだ。徹夜? たった一晩でいいのか? ってね。どんなに背負い込んでも突っ走れるつもりでいたけど、健康は確実に蝕まれてた。ダメになったのは俺じゃなくて、仲のいい同僚だったよ」
「倒れちゃったの?」
「睡眠薬を一度にいっぱい飲んだんだ。幸い命は助かったけど、そのまま会社は辞めてしまった。親に連れられて実家に帰ったよ」
「そうなんだ、つらいね……」
リータは無意識のうちに手を伸ばし、宗作の腕をそっと撫でた。
「うん、そいつがやらかす三日前、俺はそいつに誘われて部屋で一緒に飲んだんだ。夜明けまで話し込んだよ。初恋はどんな子だ、どのマンガが好きだったか、あのゲームはやったか。子供の頃の話が多かった。俺たちは全然違うところで育ったのに、見たマンガだとか、やったゲームだとかはそう変わらないんだ。ヘンなかんじだよな、って笑い合ったよ。で、その三日後に、そいつは全部をなしにしようとした。俺は、何もできなかった。役に立てなかった」
うなだれた宗作の頭を、リータは優しく、何度も何度も撫でた。
「それで宗作は辞めちゃったの?」
「うん、その後の社長がね……。いや、悪口はいい。とにかくしばらくして俺は辞めてしまった」
「で、ゲームを作ることにしたんだね。だって、ゲームはすごいから。全然違うとこに住んでたのに、大人になってから同じゲームの話で盛り上がれちゃう」
「そう、マンガとかアニメとか、面白いものはいっぱいあるけど、俺が一番好きなのはゲームだった。みんなでわいわい言いながらゲームをするのが、一番楽しい」
宗作は楽しかった頃を思い出したのか、顔を上げるととても幸せそうな顔をする。そんな彼を見ているだけでリータも和んでしまう。
「俺がゲームを作ったところで、たいして遊んではもらえないと思う。だけど、一回でもいいから子供同士で集まって、俺たちのゲームで盛り上がって欲しい。クソゲーだ、つまんねー、なんでもいい、ただ子供たちでわいわいやる。そういう場を作れたらいいなって、心の底から思うんだ」
「さらにその子が大人になってから、あ、俺もそのゲームしたぜ? って違うとこで育った友だちと盛り上がる。じゃあ、今から一緒にしようぜ? 久し振りだから忘れてるなぁ」
リータが微笑みを向けると宗作は頭の後ろをかいて照れ笑い。
「奇跡でも起きないかぎり、なさそうだけど」
「でも、信じてもいい奇跡だよ。宗作のゲームが奇跡を起こすかもしれない」
なんて弱々しい人なんだろう、リータはそう思った。風に強く吹かれたら大きくたわむ枝のよう。いつ、ぽきりと折れても不思議じゃない。だけどこの枝は、そよ風も日の光も鳥の鳴き声も、しっかりと感じ取って生きている。心に染むようなきれいな花を咲かせるのは、きっとこういう枝なんだろう。
宗作と一緒にいたいと思うわけが、リータは今になってなんとなく分かった。
それからリータはゲームの計画についていろいろと話を聞いた。キャラの3Dモデルを動かしているところを見せてもらったりも。ゲームを作っているところなんてリータは初めて見たので、教えてもらうひとつひとつが新鮮で面白い。
<リータ、リータ、聞こえてる?>
「え? あ、サーシャ?」
<やっと気付いた。もう夕食の時間よ。帰ってきなさい?>
「あっ!」
サーシャに言われて窓の外を見たらもう真っ暗だ。
「あ、ゴメン、また熱中してしまったよ」
宗作が申し訳なさそうに頭の後ろをかく。
「大丈夫、大丈夫。じゃあ、もう帰るね。明日も来ていい?」
「うん、ぜひお願いするよ」
今までリータが遊ぼうと誘ってもどこか困ったような顔をしていた宗作が、今回は素直な笑顔を見せてくれた。リータは飛び跳ねたいくらいうれしくなる。
家まで送るという宗作の申し出を断り、リータは一人で自分の家に向かってマウンテンバイクをこぎ出す。
そうやって走りながら、リータの頭は混乱していた。宗作と過ごす時間は楽しいけど、それでサーシャのことを忘れるなんてどうかしている。今まで学校の友だちと遊んでいても、サーシャのことは決して頭から離れなかった。このぬいぐるみはサーシャが好きそうだ。カラオケをうるさがるサーシャは絶対に損してるぞ。常にサーシャのことを考えている。
なのに、さっきはサーシャの存在を忘れてた? 何度もあの子に呼ばれたのに気付かなかった? そんなの初めてだ。気を付けねば気を付けねば、いつだって一番大事なサーシャのことを忘れるなんて、あってはならない。
森を抜け、家の門が見えたところで門柱の脇に立つ人影に気付いた。
「サーシャ、こんな所で待っててくれたの? もう夜は寒いよ?」
マウンテンバイクから降りたリータは、門のすぐ向こうに立っているサーシャに声をかける。
「だって、心配だったんだもの」
「ゴメンね、夢中になってたよ」
「困ったリータよね。キス」
後輪の片側にあるスタンドで自転車を立たせると、リータは華奢な姉をぎゅっと抱き締めた。そしてキス。サーシャの確かな温かさを感じる。
「ねぇ、サーシャ」
「ん?」
少しためらってから、リータは言葉を続けた。
「サーシャはやっぱり門の外へは出ていけないの?」
今立っているのも門の内側。どんなに心配だろうとも、敷地からは出ようとしない。
「そうね、無理。無理だわ」
「すぐそこだよ?」
ほんの数歩進むだけなのに、姉は無理だと言う。
「魚は水からは決して出ないものなの。さ、いいから自転車を停めてきなさい?」
「……うん、分かった」
先に家へと向かったサーシャを後ろから眺めると、今すぐ消えてしまいそうなくらい儚かった。
手洗いうがいを済ませた後、夕食の白身魚のソテーを食べる。両親はもう食べてしまっていたが、サーシャは待ってくれていた。
「これで彼の事情は全部分かったわね」
食べながらサーシャが話しかけてくる。
「そうなの? 今やってることと会社を辞めた事情は分かったけど、子供と遊んでる理由は相変わらず分からないんじゃ?」
首を傾げながらリータは白身魚を口に放り込む。時々タチが悪い母だが、作る料理はいつもおいしい。
「彼は子供がわいわい遊べるゲームを作りたいのよね? だから実際に子供たちがゲームで遊んでいるところを見たかったのよ。例えば、子供たちが喜ぶツボなんかを知りたかったのかしら? そうするうち、自分が作っているゲームでも遊んでもらいたくなった。まだ完成していないけれど、ゲームの方向性が間違っていないかだとかいろいろと確認できるはずよ。単に、我慢できなくなっただけかもしれないけれど」
「それで声をかけちゃった、と」
「そういうこと。結局のところ、私の当初の推測も大きく外れてはいなかったわね」
サーシャが平然と言ってのけたのでリータは驚いてしまう。
「でもサーシャ、宗作のことを子ども相手によからぬナニカを企んでるヘンタイだって言ってたよね? 全然違うよ?」
「彼は子ども向けのゲームを作ろうとしている。これは合っていたわよね?」
「まぁ……でも、ゲーム作りはよからぬことじゃないよ?」
「辞めた会社に強いわだかまりを持つ彼は、社会全体に不信感を抱いている。私はそう推測したわ。そのマイナスの情念からよからぬナニカを企んでいるはず、と。でも、そう推測した私には知らないファクターがあったの。ゲーム作りが彼の心の支えになっているというファクターね。彼はゲーム作りを心の支えにすることで、マイナス思考の深みにはまって社会全体を恨むなどという事態を回避できたのよ」
自分の言葉に深くうなずくサーシャ。
「じゃあ、ゲーム作りのことを知らなかったから、サーシャは間違ったんだ?」
「間違ったというのは語弊があるわね。知らないファクターがあったからほんのちょっぴり結論に誤差が生じただけよ。あれほどゲームに入れ込んでいると知っていたら、最初の段階で完璧に把握できていたに違いないわ」
「そういうことにしておくよ」
姉が負けず嫌いなのを知っているリータなのでこれ以上は追求しない。
「ともあれ今言ったことを明日本人に確認したら、彼から聞き出すことはもうないわね」
「む、でもゲーム作りのお手伝いは続けるよ?」
「そうね、好きになさい。私は手伝わないけれど」
サーシャが白身魚の最後のひと欠片を口に入れる。姉に反対されなくてリータは胸を撫で下ろす。
「ありがと、サーシャ」
「そういう約束だもの。でも、ひとつだけ確認しておきたいわ」
言葉を続ける前にサーシャはナプキンで口元を拭く。
「リータ、あなたは宗作のことをどう思っているの?」
「どうって、いい友だちだよ?」
当たり前のことを聞かれてリータは首を傾げてしまう。
「……そう? 恋愛感情は?」
「恋愛感情? 恋愛……恋愛かぁ……。ねぇ、サーシャ」
「ん?」
どうしても深刻な顔になってしまうリータに、サーシャは優しく微笑む。
「ねぇ、サーシャ。男子と女子は、普通の友だちにはなれないの? 何で好きとか付き合うとかそういうことになっちゃうの?」
「バカね、あなたに付き合うつもりがないなら、普通の友だちのままでいられるわよ」
サーシャの声はどこまでも温かい。
「そうなの?」
「そうよ。宗作の方からヘンなちょっかいを出してくるなんてことも、まずないでしょうしね」
「宗作のこと、信じてくれてるんだ?」
てっきり嫌っているとばかり思っていたが違ったのか?
「信じているわけじゃないわ。ここ数日の様子を見ていて、あいつはとんでもなくダメな奴だと確信したの。文人以上よ。金髪美少女女子高生を恋愛対象として見るだなんて、そんな不遜な発想はほんの一瞬頭をよぎることすらないわ」
「サーシャは相変わらず酷いや」
それはそれでお互い悲しい気もするリータだが、安心する気持ちの方がずっと大きかった。
では、これからも心置きなく宗作と遊ぼう!
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