七話 元いた会社の社長 (リータ)
リータは次の日も宗作の家へ遊びにいく。晴れやかな気分でカルメンを口ずさみ、みもろ台の端から端へマウンテンバイクを走らせる。
呼び鈴を鳴らすと、宗作のお母さんは快く迎え入れてくれた。リータの母ならここで余計な冷やかしを言ってくるのだが、おっとしりした感じのおばさんは特に何も言わない。
宗作の部屋ではまずは声かけの件の答え合わせをする。リータがひと通りサーシャの考えを伝えると、宗作は恥ずかしそうに頭の後ろをかいた。
「そ、そうなんだよ。よく分かったね?」
「サーシャは頭がいいんだよ。家で暇さえあれば本とか雑誌とか読んでるから、何でもかんでも知ってるしね。ゲーム開発のインタビュー記事を前に読んだとか言ってたよ」
「へぇ……」
子供に声をかけたのは、自分が作ったのを見てもらいたくて抑えられなくなったのが大きいという。
「はぁ、ホントに馬鹿なことをしたよ。前みたいな風体で昼間からうろうろしてるだけで、十分怪しいおっさんなのに……」
「声かけはうかつだったけど、おかげで私は宗作と知り合えたんだ。人の縁て不思議だよね」
リータが笑みを向けると宗作もうなずいた。
それから二人はゲーム作りに取りかかる。リータがパンチを解説付きでしてみせて、それを元に宗作がキャラの動きを変更していくという流れ。3DCGでできたキャラを、パソコンに向かった宗作が苦労して弄っていく。
「あ、いいかんじだね。そんなもんでしょ?」
「いや、なんかヒジの位置がおかしく見えるね。もう一回動きを見せてよ」
「はいよ」
宗作は随分凝り性なようで、普段は遠慮がちなのに今はバンバン要求を出してくる。そうやって遠慮なしの方がリータはやりやすい。
今日は動きが見やすいだろうと思って、ランニングの時に着ているタイトなスポーツウェアを着てきた。身体のラインが出るからとサーシャは難色を示したが、真剣な表情の宗作を見ているとそんなの気にしすぎだとすぐに分かる。
おばさんが作ってくれた昼食を挟んで、昼も引き続き作業。
と、外からお腹に響くような車の排気音が近付き、この家の前で止んだ。心当たりがないのか宗作は気にする様子なく作業を続けていたが、しばらくして階下のおばさんから宗作を呼ぶ声が。
「俺にって誰だろ? あ、ゴメン、ちょっと待ててね」
「はいよ」
何となく手持ち無沙汰。
<この隙にエロ本を探すのよ、リータ。奴の性癖を把握しておくの>
<やだよ、そんなの>
リータのことが心配らしくずっと『接続』で側にいてくれるのはいいけど、サーシャは相変わらず宗作にキツい。
しばらくして階段を上ってくる音が二人分? しかもなんだか言い争っているように聞こえる。
「ここが高杉少年が育った部屋か!」
扉を開けるなりその男は甲高い声を上げた。日曜日なのにパリッとしたグレーのスーツを着た痩せぎすで、目付きが鋭いというよりも陰険な感じがする。妙に赤い唇をひと舐めしたそいつは、床に座っていたリータに目を付けた。
「おっ! 隅に置けないね、高杉君。ちょっとお邪魔するよ、お嬢さん」
「だから榎本さん、俺は……」
宗作は苦り切った表情をしているが、榎本という男は構わず部屋の中に入ってきた。
<リータ、名乗らせなさい>
リータはすっくと立ち上がる。
「こんにちは、私はリータ。あなたは?」
「おっと、これは失礼。僕はこういうものです」
榎本はきざったらしく内ポケットから名刺入れを取り出し、中の名刺を人差し指と中指で挟んで渡してきた。それをリータは片手で受け取る。
「『株式会社インクリメント・オペレータ』の代表取締役の
聴覚を共有しているサーシャにも分かるように名刺を読み上げた。会社のシンボルマークらしい、『++』を図案化したものが背景に描かれてある。
<『株式会社インクリメント・オペレータ』の代表取締役、榎本宏明。すぐに文人を使ってネットで調べさせるけれど、宗作が辞めた会社の社長のようね>
リータもそんな気がした。
「よろしくね。で、高杉君、さっき言ったことをもっとちゃんと考えて欲しいんだ。僕はキミを優れたエンジニアとして買っている。何しろ、僕達の『ぷらぷら』のバックエンドはキミが一人で構築したんだからね」
「違いますよ、榎本さん。あのサービスの内側は、俺と
「引き継ぎ……引き継ぎは大事だよね? 鍋島の奴は、いきなりトンズラしてしまった。責任感の欠片も……」
「榎本さんが鍋島を悪く言わないで下さいよ!」
いきなり宗作が怒声を上げたのでリータは身体をびくつかせてしまう。リータには見せたことのない怒りで歪んだ表情を、宗作はしている。そうやって自分よりずっと身体が大きい宗作に睨まれても、榎本は相変わらず自分のペースを崩さない。
「鍋島のせいで僕は随分迷惑したんだ。僕には奴を悪く言う権利がある。負け犬のことはもういい。それよりキミだよ。キミは負け犬じゃないし、僕の右腕たり得るほど優秀な人材だ。今すぐ戻ってきてくれ。『ぷらぷら』をメジャーバージョンアップさせるのに、キミの力が必要だ」
そう言って、宗作の方へ大仰に手を差し出してみせた。宗作はその手を払いのけこそしないが、相手を睨み付けることで自分の意志を示している。
「俺はもう、榎本さんの下では働きません。何回もそう言いましたよね?」
「それじゃあ困るんだよ、高杉君。『ぷらぷら』の次期バージョンを多くのユーザーが待ち望んでる。当然、何よりも重要な出資者の皆様もね。みんなの期待を裏切らないでくれ」
情けを乞うように首を振ってみせるが、相手を下に見ているのが態度ににじみ出ていた。
「だから、あのサービスはもう、俺の手を離れてます。改良するなら自分たちですればいいでしょ?」
「他の連中は頼りにならない。文句ばかり垂れる」
「俺や鍋島みたいに黙って従う奴なら榎本さんは楽できますよね? 気まぐれに仕様を変更しても、リリースを前倒しにしても、俺たちは文句を言わずに仕様をまとめ、自分たちでコードを書く。でも、それで嵩にかかったあんたのせいで鍋島は……」
「あいつのことはどうでもいい! 僕らの会社のことを考えろ!」
甲高い声でひと鳴きする榎本。
<ねぇ、サーシャ。私、我慢できないよ。捻っていい?>
<ダメよ、リータ。これは宗作の問題なのよ>
リータはじっと堪えて、宗作だけを見つめ続けた。
「だから、俺はもう会社とは何の関係もないんだよ! なんで分かってくれないんだ!」
宗作の痛切な叫びを受けても、榎本に動じた様子はない。
「関係ない? そんな身勝手が許されると思ってるの? キミが今のレベルまでスキルアップできたのは、僕がそれだけの環境を与えたからだよ? 少しは恩返ししようとは思わないの?」
「思わないね。俺があんたの会社にした貢献は、会社が与えてくれたものよりずっと大きい。俺は、そう断言できるだけのことをした!」
いつもおどおどしている宗作なのに、今の言葉にははっきりとした自信を感じ取れた。リータは場違いに顔が熱くなってしまった自分に戸惑う。
「なんて恩知らずなんだ、こいつ……」
榎本の口からは震えた言葉しか出てこない。
「もう帰れ! あんたに必要なのは俺ではなく、罪にふさわしい罰だ!」
宗作が扉を開けてその先を指さす。
「不愉快だ!」
乱暴に部屋を出ていった榎本は、真っ青な顔をしていた。
榎本がちゃんと帰るか外まで見届けた後、宗作は自分の部屋に戻ってくる。
「ゴメンね、みっともないとこ、見せちまった」
大きな身体を縮こまらせてリータに謝ってきた。
「ううん、大変だね。あれが前の会社の社長?」
「そう、あいつが鍋島を追い詰めたんだ。なのにあいつは、鍋島の入院先にまで押しかけようとした。鍋島が作ったバグだ、自分で直させる。無茶苦茶だよ、鍋島は命を捨てようとしたのに……」
暗い顔をしてうなだれる宗作は見ていられない有様だ。リータはそっと前に出ると、彼の大きな背中に両手を回して抱き締めてあげた。
「え? あの、リータさん?」
「私がヘコんだら、サーシャはいつもギュッてしてくれるの。そしたら私は嫌なことなんて忘れて元気になっちゃう。どう、宗作?」
「うん、ありがとう。だいぶん楽になったよ」
「えへへ、どういたしまして」
離れたリータが笑顔を向けると、宗作も穏やかな笑みを見せてくれる。まだ無理をしているようにリータには見えたが、あまり踏み込まない方がいいようにも思えた。
<今日はもう帰りなさい、リータ>
<うん、そうする>
また来るからと言い残し、リータは一人で家に帰る。とんでもない社長だったけど、宗作はきっぱり意志表示をしてみせた。あの人はただ頼りないだけじゃないんだ。あんな騒ぎの後なのに、リータは勇壮なワルキューレの騎行を口ずさみながらマウンテンバイクを走らせた。
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