八話 お茶会 (サーシャ)

 宗作とあの社長が今日以上のトラブルを起こした時、リータは巻き込まれないで済むだろうか? リータの献身的な性格が徒となりかねない。

 すぐにでも情報収集を始めたかったサーシャだけれど、肝心の文人は朝まで勤務があるからとすぐには動こうとしなかった。ネットサーフィンくらい、夜勤をしながらでもできそうなものなのに。

 そしてようやくの勤務明け。昼になってから文人がチェスノコフ家に現われた。


「遅いわ」

「扉を開けるなりそれかよ。中には入れてくれるんだろうな?」


 反省なしなのが気に入らないが、利用価値のあるうちは怒鳴りつけないでおこうか。サーシャがうやうやしくダイニングまで案内すると、文人は持ってきた紙の束をテーブルの上に放った。それを紅茶を飲みながら検分する。


「ていうか、勤務が明けたと同時に電話してくるとか勘弁してほしいんだけどな」

「文人がのろのろしているから、時間が惜しかったのよ。で、午前中の検索結果がこの紙なのだけれど……」


 サーシャは午前中、電話で逐一指示を与えながら文人にウェブ検索をさせていた。サーシャがネットに用がある時はいつもそうしている。

 『株式会社インクリメント・オペレータ』が運営しているウェブサイト『ぷらぷら』では、目玉のサービスとしてオークションを運営しており、他にチケット購入やゲームができた。会員同士で交流するSNSもある。

 サービスを利用する時はサイト内で運用できるポイントを使う。オークションで発生する金銭のやり取りもポイントで代替できるというのが売りの一つだ。


「でも運営の本当の目的は、オークションでお客を集めておいてソーシャルゲームの課金で一気に巻き上げるってところにあるわけよ」

「巻き上げるは言いすぎな気もするけど。確かにここのオークションを利用するのは主婦なんかが多くて、そういうゲームに免疫のない人がハマってしまうみたいだな」

「アコギな商売だわ」


 ソーシャルゲームの課金で酷い目に遭っている人の話は雑誌で見ている。サーシャにしてみれば自業自得と言うしかないが。


「うまく運営してるとも言えるだろ? ていうか、お前まさか、気に入らないからここを叩き潰すとか考えてないだろうな?」


 ここでサーシャは、やいやいとうるさい文人を睨み付けてやる。


「いくら私でも、気に入らない程度で会社の事業を叩き潰すようなマネはしないわ」

「それでよし。俺もとばっちりは食いたくないしな。まったく、ネットの検索くらい自分でしろってんだ」

「仕方ないでしょ! 私は超能力のせいで電磁波を出す機械は使えないの! そうでなかったら、誰が好き好んであなたなんかを使うもんですか!」


 サーシャは自分でも止められない勢いでまくし立ててしまう。


「興奮するなって、心臓に悪いぞ。超能力の悪影響の話は前から聞いてたな。今のはちょっと口が滑ったよ、すまん」


 文人が頭を下げてくる。その素直な態度に、サーシャの激情は一気に冷めてしまった。


「私の方こそ大きな声で酷いこと言って悪かったわ。ゴメンなさい」


 サーシャもうなだれる。本当はあんな言い方なんてするつもりはなかった。感情を制御できなかった自分が恥ずかしい。


「サーシャ、なんかお前いらついてないか? 事情があるんだったら話聞いてやるぞ?」


 さっき怒鳴ってしまったばかりなのに、文人はこうして優しい言葉をかけてくれる。普段散々罵倒しているが、文人はいい奴なんだとチェスノコワ姉妹はよく知っていた。

 そう、今のサーシャは文人にすぐ気付かれるくらい、ひどくいら立っている。リータに火の粉が降りかかる前に危険を察知しておきたいのに、サーシャは自分一人では何もできなかった。ネットの検索程度も。

 本当なら、向こうの会社の人間と接触して、社長や社員時代の宗作の話を聞き出したりもしたかった。でも、サーシャはこの家から出ることができない。超能力の悪影響は関係なかった。ただ、サーシャは外へ出ていくのが怖いのだ。


「ゴメンなさい。こういう時だけあなたに寄りかかるのはよくないと思うの。自分の問題は自分で解決するわ」


 そう言うと、文人は深いため息をついた。


「今さらだっての。普段は好きなだけ振り回しといて、ホントに困ってる時だけ助けを求めないなんてやめてくれよな」


 だけれどサーシャは自分の弱い部分を文人には見せられない。いつも見下した態度をしているのに、どんな顔をして助けを求めたらいいのか分からなかった。


「本当に大丈夫だから。それより紅茶をもう一杯どうかしら? リータには内緒のお菓子もあるわよ」

「じゃあ、頂こうか。サーシャが淹れる紅茶はうまいからな」


 見ているだけで胸が温かくなるような笑顔を文人が向けてくる。二人でお茶を飲んでいるうちに、サーシャは随分と心が軽くなった。






 サーシャはもう一人の男性を招いてちょっとしたお茶会をしようと思い立つ。リータも賛成してくれたので、宗作を家へ招くことに。


「こ、こんにちは、今日はお招きにあずかり……」

「十二才も年下を相手にしてそんなに緊張するなんておかしいわ。ようこそいらっしゃい。あなたと直に会うのを楽しみにしていたの」


 いつもと同じ真っ黒な服を着た宗作をダイニングのテーブルに案内する。本当は客間に案内するつもりでいたのだが、事前に相談したらリータはダイニングでいいと言ってきた。確かにこの緊張ぶりで客間だと、ロクに話をすることもできなかっただろう。リータは宗作を随分理解しているようだ。

 宗作はサーシャが好きな、みもろ台の中一丁目にあるケーキ屋さんのケーキを持参した。


「まぁ、ありがとう、ここのケーキは大好きなの。早速いただきましょう」


 少し大げさなくらい喜んでみせると、リータが宗作に向かって軽くウインクをする。彼女の助言によるものらしい。

 そしてサーシャが淹れた紅茶を飲みながら歓談する。宗作の緊張は続いているが、サーシャはホスト役として彼に話を振っていく。


「ゲームエンジンが優れているにしても、半年であれだけの形にしたのはたいしたものだと思うわ。プログラマとしての経験が生きているのね」

「ま、まぁ、それしか能がないからね」


 宗作はサーシャの顔をロクに見ようとしなかった。こんな男のどこを気に入っているのか、双子の妹の感性に疑問を感じずにはいられない。


「プログラマと会うのは実は初めてなの。キーボードを打ってばかりいる人って、どういう手をしているのかしら?」

「どうって普通だよ?」

「タコができていたりしそうだけれど。見せてくれない?」

「ほら、タコなんてできないよ?」


 宗作が手を広げて見せてきたので、サーシャはその手に触れてみた。


「あら、随分柔らかいのね? 固くなっているに違いないと思ったのだけれど」

「なんでそんなに手にこだわるの、サーシャ?」


 首を傾げるリータ。


「ところで、例の社長は随分と酷い人ね。リータに言っていた以外にも、いろいろとイヤなことがあったんじゃない?」

「え?」


 宗作が虚を衝かれた顔をする。その機を逃さず『読心』を使うと、彼の思考が手を通してサーシャの脳に流れ込んできた。






 怒鳴り散らす社長の姿が瞬くように現われては消える。またバグだ! 時間がかかり過ぎる! もっとアイデアを出せ! そんな彼に対する宗作の暗い考えも流れ込んでくる。そんな簡単な話じゃない……何も分かっちゃいない……自分で考えろ……。知らない男の顔が現れた。宗作の同僚らしい。最初は笑顔だったのに徐々に暗い顔になっていく。宗作は彼を心配するが、どう声をかけたらいいのか分からない。お構いなしにわめく社長への憎しみだけが増していく。急に場所が変わった。ベッドに寝る同僚をガラス越しに見つめている。病院か? 今にも心臓が潰されてしまいそうな痛みを感じる。そこへ社長が現われた。宗作と言い争いになり、ついに宗作は相手の胸倉を掴む。しかし、拳が振るわれることはなかった。殴る勇気が、彼にはない。それから宗作は一心不乱に働いた。他のスタッフが帰った後も一人残って。彼を突き動かすのはひたすら暗い情念だ。一人きりのオフィスで宗作がつぶやく。


「できた。これでアイツは破滅だ。罪にふさわしい罰を……」


 途端に宗作の顔が歪む。怒濤のように押し寄せるのは哀しみ。憎い社長を地獄へと送り込めるのに、宗作にはそうすることができない。大勢の無関係な人間を巻き込んでまで復讐を果たせるほど、彼は強くなかった。デスクの傍らに置かれたノートパソコンを、宗作は静かに閉じる……。






 サーシャが自分の意識を取り戻すと、目の前に強ばった顔の宗作がいた。こちらの表情の変化を見て、心を読まれたことを察知したのだろう。


「あっ! サーシャ、『読心』を使ったね?」


 盗み見に気付いたらしいリータに厳しく言われる。


「ちょっとした身辺調査よ」


 宗作から手を離し、できるだけ平然と言ってやった。


「もぉ~、勝手に見たら失礼でしょ? 何を読んだの、サーシャ?」

「念のために性癖を調べたのよ。やっぱり子供に性的な興味はないようね」

「当たり前じゃない。今さらだよ」

「むしろ胸は大きい方がお好みよ。よかったわね、リータ」


 宗作の隣に座るリータに微笑んでやると、向こうはすぐに顔を赤らめる。


「べ、べ、別にそんなの私には関係ないよ! そりゃあ、好きなんだったらちょっとくらいサービスしてもいいけどさ!」

「え、サービス?」

「何その食い付き! 宗作、期待しすぎだよ!」

「いやいや、違う、違うって!」


 二人してぐだぐだになってしまった。このままヘンに意識し合って二人の間に距離ができたら一挙両得なのだが。


「ま、二人とも程ほどに。あくまで清く正しい友人関係を維持してね、宗作」

「うん、まぁ……って、友だちなの、俺たち?」


 と、今さらなことをリータに聞く二十九才。


「え? 友だちじゃなかったら何だって言うの、宗作?」

「う、うーん、そう言われると……。あれ? 何なんだろう?」

「ショックゥ~! ショックだよ、宗作! 私はもう友だちのつもりなのにぃ~!」


 身体をくねらせくねらせ、リータは不満を訴える。宗作は首の後ろをかいて困り果てているが、サーシャにはどうでもいいことなので静観する。

 それより宗作が社長に仕掛けた罠が気掛かりだ。社長を破滅させるための細工はまだ生きていて、宗作が所有するノートパソコンからいつでも発動できるらしい。彼はそれを使う衝動と常に戦い続けている。

 無関係の人間を大勢巻き込むような大掛かりな罠を使って、宗作自身は無傷でいられるのだろうか? 宗作はどうでもいい。リータに火の粉はかかってこないのか?

 リータを守らないと。サーシャは思いを新たにした。

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