九話 リータの説得 (サーシャ)
宗作が帰った後、ダイニングで二人きりになってからサーシャは話を切り出した。
「ねぇ、リータ。宗作は大きな秘密を抱えているの。あなたにもまだ言っていないことよ」
「え? そう……なの?」
紅茶を飲むのをやめて、リータは姉の目を覗き込むようにする。二人ともティーカップをソーサーに戻す。
「『あんたに必要なのは、罪にふさわしい罰だ』宗作はあの社長にそう言ったわ。その言葉に何か違和感を覚えたの。だから彼の心を読んだのよ」
「……それで?」
「宗作はあの社長に復讐しようと考えた。今は思い留まっているけれど、いつでも復讐できる状態よ」
「復讐って、どんな?」
リータの声は不安げに震えていた。彼女をこんな気持ちにさせる宗作の奴を、サーシャはどうしても憎んでしまう。大事な私の妹に……。
「彼が以前働いていた会社では、ユーザーにいろいろなサービスを提供するサイトを運営しているの。オークションだったり、ゲームだったり、SNSだったり。
このサイトのサービスを利用するにはポイントが必要で、そのポイントはお金を出して買うの。つまり、サイトの中ではお金の代わりにポイントが流通しているわけ。
だけれどそんなポイントなんてただのコンピュータ上のデータなのだから、ある日ポッと消えてしまっても不思議はないわよね?」
「え? お金出してポイントを買うんだよね? いきなり消えちゃったら困るよ?」
自分が被害にあったみたいにリータが困り顔をする。
「当然、ユーザーはサイトを運営する会社にクレームを付けるわ。大騒ぎになってしまう。そんな大騒ぎを、宗作は起こそうと考えている。社長への復讐として」
「そりゃあ、社長は酷い目に遭うだろうけど、ユーザーさんはとばっちりじゃない……」
「当然、とばっちりよ。大損害よね? それを分かっているから、今のところ宗作は思い留まっている」
「そっか、だよね。宗作はそんな怖いことをする人じゃないよ」
そう言いながら、リータは作り笑いをするのに失敗していた。どんどん不安に駆られているようだ。
「でも、いつでもできる状態に、彼はある。非常に危険なの」
「じゃあ、できないようにしようよ。どうやったらいい?」
「彼はノートパソコンを持っているはずよ。それを使ってインターネット経由で会社のサーバを攻撃するの。データを無茶苦茶にできるよう、サーバの中のソフトが改ざんされているのよ」
「じゃあ、あの社長に言ってソフトを直させよう」
「あの社長に知られると、余計に面倒なことになるわ」
「じゃあ、ノートパソコンを壊しちゃおう」
リータが袖で目元を拭う。いつの間にか涙を流していた。これ以上、リータの心を傷付けるわけにはいかない。
「ねぇ、リータ。これは宗作の問題であって、リータは関係ないのよ?」
「え? でも……」
「リータは関係ない。ほんの二週間前まで知らなかった相手よ? 忘れなさい。あいつのことは、忘れてしまいなさい」
「そんなのできないよ。だって……だって、宗作は友だちだもん。友だちが悪い方に行きかけてたら、助けてあげないといけないんだ……」
何度も何度も涙を拭うリータ。見ているだけで胸が締め付けられる。
妹に隠し事をしたくなくて知ったことを全て話したが、うまく言いくるめて無理矢理にでも引き剥がした方がよかったか? いいや、それはダメだ。素直なリータを騙すなんてしてはいけない。ちゃんと話せばこの子は分かってくれるはず。
サーシャはテーブルを回り込み、かわいそうな妹の肩を抱く。
「もしあなたが宗作を救いたいと思うならやってみたらいいわ。だけれど、あなたが何を言っても宗作が聞こうとしなかったら、その時はすぐに彼から離れなさい。大事な妹が他人のトラブルに巻き込まれるだなんて、私は耐えられないの」
「うん……。絶対に宗作を説得してみせるよ。悪い考えなんてノートパソコンごと捨てさせるんだ」
リータは腕を目元に当てると、ぐいと勢いよく涙を払った。
家を飛び出したリータに続いてサーシャは玄関から外へ出る。門までたどり着いた時には、マウンテンバイクを駆るリータの姿は道の向こうに小さく見えるだけだった。
このまま走って追いかけたい。自分より背が高い門扉の鉄格子を掴んだサーシャだが、それを引いて門を開く勇気はついに沸いてこなかった。はるか昔の記憶が呪縛となって、サーシャの意志はいつも挫かれる。
門扉を強く揺すってがちゃがちゃと音を立てたが、自分の不甲斐なさは誰のせいにもできなかった。
ダイニングに戻ったサーシャはポットに水を入れてガスコンロにかける。そうやって淹れた紅茶に口を付け、少しずつ気持ちを落ち着かせていく。
どうにか自分を取り戻してからリータに『接続』したら、宗作との話はもう始まっていた。
<やっぱりそうなんだね?>
リータの視覚を通して視る宗作はうなだれて肯定を示す。
<そのノートパソコンはどこ?>
<……どうする気?>
不安げな顔つきで宗作がリータを見る。
<ぶっ壊す>
<えっ! 壊すの?>
リータの考えは宗作が思っている以上だったのだろう。目を剥いて驚いた顔をした。
<だって、私は宗作が作ったソフトの使い方なんて知らないもの。壊すのが一番手っ取り早いんだ>
<……それは、ちょっと酷いな……>
<じゃあ、自分でソフトを消してよ。消さないとダメだよ>
リータが両手を伸ばし、宗作の手を握りしめる。宗作を止めたいという自分の気持ちをどうにか伝えようと必死だ。
なのに宗作は首を横に振った。
<できない>
<なんでっ!>
<できない。それはできない>
強い視線でリータを見つめる。
<でも、使わないんでしょ? 使わないなら消しちゃおうよ>
<使わないとは……限らない。俺はずっと迷っているんだ。迷っている限り、消すわけにはいかない>
<でも、関係ない人まで迷惑がかかるかもしれないんだよ?>
<分かってる>
<宗作が警察に捕まっちゃうかもしれないんだよ?>
<分かってる>
<お友達のことは、もう終わっちゃった話なんだよ?>
<違う!>
今までリータには向けたことのないきつい声を出す。リータが怯えたように身体を震わせたら、すぐにいつもの気弱な表情に戻った。
<ゴメン、大きな声を出して。でも、あいつの話はまだ終わっていないんだ。俺の中では……>
<そうなんだ……ゴメンなさい……>
かわいそうにリータがうなだれてしまう。
<俺は今、榎本にある要求を出している。それが聞き入れられない時、俺はやらないといけない>
宗作は思い詰めすぎているようにサーシャには見えた。どうにか気持ちを解して視野を広く持たせないと。でもどうやって……。
ふいにリータが身体を動かす。座ったまま宗作の方へにじり寄ると、その首筋に両手を回してぎゅっと抱き締めた。
<宗作、つらいよね。自分だけでどうにかしようとするからつらいんだよ? 私たちに相談してよ。サーシャならきっと他にいい方法を見付けてくれるからさ>
しかしそんなリータの温かい気持ちを拒絶するように、宗作は首筋に絡んだ手を取って解いてしまう。ゆっくりとリータの身体が押し戻される。
<これは、俺の問題なんだ。リータさんが心配してくれるのはありがたいけど、俺の問題なんだ>
リータの目をしっかりと見て、宗作は自分の考えを伝えてきた。拒絶するような言葉だが、彼から感じ取れるのはリータを巻き込みたくないという思い。
<リータ、ここまでよ。宗作は自分の意志を変える気はない。これ以上は彼の問題なのだし、あなたは踏み込んではいけないわ。もう彼から離れなさい>
サーシャがそう言うと、リータは強く頭を横に振った。
<イヤだよ。私はずっと宗作と一緒にいたい。離れるなんてイヤだよ……>
<ダメよ、リータ。このままだと、宗作のトラブルにあなたまで巻き込まれてしまうわ>
<それでもいい!>
頭に響いてくる強い思念を、サーシャに向かって飛ばしてくる。
<ねぇ、宗作。私は宗作が苦しんでるって知ってしまった。知ったからには解決するまで絶対に逃がさないよ。宗作の問題は私の問題なんだ。絶対に、最後まで離さないっ!>
<聞き分けてくれよ、リータさん……>
今にも泣きそうな声で宗作が訴える。しかしリータは自分の意志を変えるつもりはない様子。
最後にはサーシャの言うことを聞くと思っていたのに、ここまで強情を張るとは計算外だ。なんとか言い聞かせねばと、サーシャの胸の内に焦りが広がっていく。
<リータ、私の言うことが聞けないの? 私はリータのことを想って……>
<うるさいよ、サーシャ!>
突如『接続』が途切れた。
「え?」
リータがペンダントを外したと気付いたのは、随分時間が経ってからだ。
姉妹にとって、ペンダントはテレパシーの強度を上げる機械というだけに留まらない。相手の胸にあるペンダントを見て、時に触れ、お互いの強い結び付きを確かめ合う。ほんの少しの間外すだけでも心細く感じてしまうのに……。なのに、リータは、サーシャとの会話を打ち切るために、ペンダントを外した?
サーシャは突然闇の中に放り込まれたようなショックを受けてしまう。どうしようもなく肌寒い。今までリータを通して外の世界に触れていたのに、そのチャンネルをリータは閉ざしてしまったのだ。
私は、本当に置いてけぼりにされた――
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