六話 エンターキー (宗作)

 リータが少し元気を取り戻したように見えたので、宗作はゲームで遊ばないかともう一度誘ってみる。宗作にはゲームくらいしか彼女を楽しませるアイデアがなかった。


「うん、じゃあこの前の格ゲーをしよう」


 リータは笑顔を見せてそう言ったが、宗作にはまだ少し無理があるように見える。ゲームをすることで少しでも気が紛れてくれたらいいのだが。


「あーん、また負けた!」


 リータが悔しそうに、しかし楽しそうに声を上げる。

 ロシア出身の彼女はやはりロシア出身のプロレスラーのキャラばかりを使う。いかつい男のキャラなのでリータとは少しもイメージが重ならない。

 宗作は不利なキャラは使うものの戦い自体は手加減をしなかった。そうしないとリータが怒るからだ。


「勝った! ねぇ、今のわざとじゃないよね?」

「違うよ。リータさんの連携がうまくいったんだ」

「やった~っ!」


 隣にいる宗作の首筋に抱き付いてくる。

 この子はスキンシップが激しいので宗作はしょっちゅうドギマギさせられた。でも彼女に他意はないのだし、ここでヨコシマな考えを抱けば嫌われてしまうに違いない。宗作なりに心を鎮めてなんでもないふうを装う。

 リータはなかなか離れてくれなかった。首筋に手を回し、肩に頭をもたれさせたまま。


「ん? どうしたの?」

「んーん、もうちょっとこうしてていい?」


 やっぱり姉と喧嘩して寂しいのだ。宗作は黙って彼女の好きなようにさせておく。

 ふいに部屋の扉が開け放たれた。バネ仕掛けのおもちゃみたいに宗作から跳ね退くリータ。

 宗作が振り返って扉を見ると、今一番会いたくない人間が立っていた。


「おじゃまするよ、高杉君!」


 グレーのスーツを着た骨張った男は、笑みを浮かべてはいるが陰険な性格が顔ににじみ出て隠せていない。

 リータの気分を害させてはいけないので、宗作は立ち上がって榎本の前に立ち塞がった。


「何しに来たんですか、榎本さん? あんたの下では働かないって、俺は何度もちゃんと断ってますよね?」

「そうやって条件を吊り上げるってやり方だよね? でも、こっちとしては昨日メールした待遇が精一杯なんだよ。それを分かってもらいたくて、忙しい中こうして足を運んだんだ。もうくだらない駆け引きはなしにしようよ」


 相変わらずこの人は話が通じない。何ごとも自分の都合のいいようにしか捉えないのだ。

 最初会った頃はアクティブでポジティブな人だと共鳴したが、やがてそれは勘違いだと気付かされていく。しかし気付いた時には手遅れで、プロジェクトにどっぷり漬かって抜け出せなくなっていた。

 同僚の鍋島の件がなければまだズルズルとこの男の下で働いていたことだろう。そう考えると宗作はぞっとした。


「なんでそこまで俺にこだわるんだ? 俺より優秀なエンジニアなんて、金さえ積めばいくらでも集まるだろ?」


 『金』と言った途端、榎本の頬がひくつく。

 やっぱりだ。こいつの会社の資金が尽きかけているのは在職中から分かっていた。なんだかんだとごねて退職金らしいものは何一つ出なかったし。


「急いでるんだよ、僕は……。は、早く『ぷらぷら』をバージョンアップさせたいんだ。そうしないと……ユーザーをがっかりさせてしまうだろ?」

「ユーザー? あんたが気にしてるのは何よりも重要な出資者の皆様だろ?」


 そう言ってやると榎本の顔が蒼白になった。怒った時、この男の顔は赤くならず青くなる。


「知ったふうなことを言うな! 僕がどれだけ苦労して会社を運営してるか分かってるのか! き、君は僕の言うことを聞いて『ぷらぷら』をバージョンアップさせればいいんだ。そうすれば、ユーザーも喜んでくれる。会社のみんなも喜ぶ。君一人のワガママで、周りがどれだけ迷惑してるか分かってるのか!」

「あんたにはまずやるべきことがある。違うか? まずあのページを消すんだ。それからだろ、俺の前に姿を現わすのは?」


 支離滅裂な榎本の論理に付き合う必要はない。宗作はできるだけ自分を落ち着かせる。自分の要求を榎本に実行させるのが、鍋島に対してできるせめてもの償いだ。それを忘れてはいけない。


「ああ、あの件ね」


 急に落ち着きを取り戻した榎本の笑みは陰険そのもの。宗作は自分が失敗したと気付いた。

 榎本が続ける。


「君の要請を実行するのはたやすいよ? 僕自身はあのページに価値を見いだしていない。しかし、君はあれにこだわり続けているようだ。おやおや、大きな価値があるんじゃないか、あのページには」

「何が言いたい?」

「君が自分の仕事をやり遂げたなら、その報酬として君の要望を叶えてあげよう」

「あのページを取引に使おうっていうのか? どこまで鍋島の尊厳を踏みにじれば気が済むんだ!」


 ここで怒りを見せてはつけ込まれるだけ。そう分かっていても、宗作は自分の胸から湧き出てくるものを抑えられない。


「それがビジネスってものなんだ、高杉君。分かったらすぐにオフィスに来てもらおうか。ことは一刻を争うんだよ」

「ビジネス? ビジネスだって? 人の尊厳を、ビジネスごときと秤に掛けるな!」


 衝動を抑えきれなくなった宗作が向かったのは榎本の方ではない。奴に背を向けパソコンラックの下に身体を突っ込む。引っ張り出したのは使い古されたノートパソコン。


「ちょっと、それって!」


 リータが切迫した声を出して肩を掴んでくる。


「あんたには関係ないっ!」


 宗作が思わず怒鳴ってしまうとリータは目を潤ませ離れてしまう。

 怒りを彼女にぶつけてしまった後悔の念が押し寄せてきたが、今はまずやらないといけないことがある。

 OSの起動が完了したのを確認した上でコマンドを入力していく。無線LANの確立。インターネット接続。データセンターにある『ぷらぷら』のサーバに管理者権限で接続。ノートパソコン内の圧縮ファイルをサーバにコピー。展開。

 最後に……。


genesis_11 -all


 ここまで入力して手が止る。

 痕跡を消すような作業はしていない。早晩警察の捜査が始まればすぐに宗作は逮捕されるだろう。むしろ逮捕されるのが望みだ。罪を犯せば罰はあってしかるべき。

 今作りかけのゲームは残った仲間だけで作ってもらわないと。自分の手で仕上げられないのが心残りだ。

 心残り……。

 宗作は顔を巡らせる。そこにいる少女は宗作を止めようと心を込めて説得をしてくれた。それをこれから振り切らないといけない。

 もう彼女との友情は終わりだ。顔を見ることもできない。

 自分の胸が思っていた以上に痛んで宗作は驚いてしまう。彼女はいつの間に自分の中でこれほど大きな存在になっていたのだろうか?

 ……それでもやらなくては。

 同僚であり友人である鍋島のため、というのは言い訳にすぎない。本当は、友人を救えなかった自分の罪悪感を帳消しにしたいだけ。

 しかし罪悪感なんて消えるわけがなかった。帳消しにしようとしただけ、新しい罪が増えることになる。

 それはよく分かっていた。

 しかし、自分に人を罰する資格がなくとも。

 自分が新しく罪を背負うだけだとしても。

 あいつだけは罰を受けないといけない。


 宗作は、力を込めてエンターキーを押した。


 画面上の文字が一度全て消える。

 次いで大きく『23:59:59』と表示された。『*』を並べて数字に見せかけたものだ。

 数字は一秒ごとに減っていく。


「二十四時間だ」


 宗作は自分が操作していたノートパソコンを榎本に突き付けた。


「な、なんの話だ?」


 榎本は宗作の気迫に呑まれている。


「二十四時間後、いかずつが落ちて『ぷらぷら』のサービス内ポイントは全てゼロに書き換えられる。ログもキャッシュも含めてだ。俺以外にこのカウントダウンは止められない」

「な、何言ってる? ポイントがリセット?」


 突然スマホの着信音。スマホを取り出した榎本だが、電話には出ようとしない。


「近藤からか? 今頃お前のオフィスは大混乱だ。『ぷらぷら』のサーバとデータベースのアクセス権限は俺が握っている。『ぷらぷら』のサービスは何ごともないかのように稼働しているが、お前たちはデータに一切アクセスできない。この状況から、二十四時間以内に俺の罠を解析して対抗するのは不可能だ」

「な、何が目的だっ!」


 甲高い声で叫ぶ榎本。


「あのページをあんたの手で消せ。それが俺の要求だ」

「あのページ? あのページを消すだけでいいのか?」

「ああ、『インクリメント』のサイトの更新はできるようになってある。サイトからあのページを消せ!」

「イヤだね!」


 榎本が背を伸ばして声を張り上げた。


「サイトのページをひとつ消すだけだぞ?」

「はっ! テロリストと交渉しないのは常識だよ! 今すぐこのカウントダウンを止めろ! くだらないお遊びはおしまいにするんだ!」

「やっぱりあんたには通じないのか」


 分かっていたとはいえ、宗作の肩にぐったりと疲労感がのしかかる。

 下に見ている人間の要求を飲むことを極端に嫌がる。榎本はそういう手合いだ。目下に屈した気分になるのがイヤだし、これから先も舐められると勝手に思ってしまう。

 だから交渉は成立しないだろうと宗作は考えていた。二十四時間とタイムリミットを設定したが、エンターキーを押した時点で罠が発動するのは決まったも同然なのだ。


「すぐにカウントダウンを止めろ! 今なら穏便に済ませてやる!」


 榎本がノートパソコンに手を伸ばしたところでその腕を掴まれる。

 掴んだのはリータだ。


「リータさん……」

「いいからあんたは宗作の言うとおりにしな!」


 怒鳴り声を榎本にぶつける。しかしかえって逆効果だ。向こうは意地になるだけ。


「離せ、小娘!」


 もう片方の手で掴みかかろうとして逆に捕まえられる榎本。


「宗作、こんな分からず屋は痛めつけちゃおう。そうしないと分からないよ」

「痛い痛い痛い!」


 リータが少しずつ腕をひねっていく。


「ダメだ。リータさんは関わらないでくれ」


 宗作は心からの願いを言う。


「イヤだ! 榎本! 私は宗作と共犯だからね! 分かった?」

「言われなくても分かってる! 離せ! 離せ!」


 榎本は足で蹴ろうとするが、リータは片足で簡単にさばく。


「リータさん……」


 宗作は一歩下がってうずくまってしまう。

 その上からリータが声を張り上げる。


「私は宗作にどこまでもしがみついてやるんだから! 自分だけカッコつけようなんて許さないよ!」

「やめろ、お前ら……。自分たちがどんな相手を敵に回してるのか分かってるのか? 僕がどれだけ苦労して連中と渡り合ってるのか知りもしないで……」


 榎本の声が弱々しいものになっていく。


「わけ分かんないこと言ってるんじゃないよ。外で頭冷やしてきな!」

「やめろ……やめろって……」


 すっかり弱ってしまった榎本の腕をねじりながらリータが部屋を出ていった。

 静かになった部屋の中、宗作はノートパソコンの画面を見つめる。カウントダウンはただただ無情に続いていく。

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