十話 姉妹の衝突 (サーシャ)
ダイニングに入ってきたリータを見て、ようやくサーシャは彼女が帰ってきたと気付く。ずっとぼんやりしていた。
姉妹は目を合わせたが、リータはすぐに視線を逸らしてしまう。
「さっきのは何、リータ?」
絞り出すようにして、それだけ聞けた。ゆっくりと立ち上がる。
「だって、宗作と話をしたいのに、サーシャが邪魔するんだもん」
リータはふて腐れたような言い方をした。ペンダントを取り付けたチョーカーは、今も着けていない。
「私はあなたの為を想って忠告しているのよ? あなたが余計なトラブルに巻き込まれないよう……」
「そういうの、なんて言うか知ってる? サーシャ」
「え? 何よ」
その言葉には明らかに相手を拒絶する意志が込められていて、サーシャは酷く戸惑ってしまう。
リータが目だけ向けてくる。
「おためごかしって言うんだ、そういうの」
いつも素直な妹から、これまで向けられたことのない視線を向けられて、姉は何も考えられなくなった。
「リータ、何を言っているの。私はただ、あなたが……大切な妹が心配で……」
「ウソだっ! ただ僻んでるだけのくせにっ!」
思いがけない敵意を受けてサーシャは後ずさる。押された椅子が板張りの床とこすれて音を立てた。
「僻みって……何よ?」
「私が宗作と楽しく遊んでるのがうらやましいだけなんだ! いっつもいっつも邪魔ばっかりしてさ! 私はサーシャのお人形さんじゃないんだっ!」
「そんなこと思ってたの?」
サーシャの視界がふいに霞む。涙が滲んでいると気付いたのはしばらく経ってから。
リータは斜め下に視線をやり、こちらを見なくなった。
「だって……宗作はいい人なのに、ずっとずっと悪口ばっかり……。そんなにうらやましかったら、自分も外に出ればいいんだ。自分も友だちを作ればいいんだ、私の邪魔なんてしないでさ……」
「何言っているのよ……」
ダメだ、この先は言ってはいけない――
「私が外へ出られないのは、リータのせいなのよ?」
「え、何それ?」
リータが驚いた顔をサーシャに向けた。全く心当たりがないといった表情だ。
言って後悔したが、相手が少しも覚えていないことにサーシャはショックを受けてしまう。暗黙の了解があったと思っていたのに……。
「ウソでしょ? 何でとぼけるの?」
「サーシャこそ、ヘンな言いがかりつけないでよ。サーシャが外へ出られないのは、サーシャが挑戦しないからなんだよ?」
「そんなこと言うの? あんな酷いことをしておいて、全部私が悪いって言うの?」
「だって、そうなんだもん」
あの日、サーシャの手を引っ張ったのはリータだ。イヤだったのに、無理矢理に……。
「酷い……。私を外へ出られないようにしておいて……。その上私を拒絶して一人ぼっちにするのね……。私はあなたを通してしか外の世界を知ることができないって分かっていて……」
リータが黙り込んでしまう。どうやら自分が何をしたのか思い出そうとしているようだが、本当に身に覚えがないらしい。
「ねぇ、サーシャ。ホントに私、何かしたの? 全然覚えてないんだけど……」
その、嘘偽りはないらしい言葉を聞いた瞬間、サーシャは目が眩むほど頭が熱くなった。
「覚えてないなら結構よ! 私のことなんて、もう一切合切忘れてしまって頂戴!」
「なんでそんなこと言うの! 私いっつも誘ってるよね? 一緒に外へ行こうって誘ってるよね? 外には面白いこと素敵なことがいっぱいあるんだよ! 私はサーシャと一緒に楽しみたいんだよ! いっつも思ってるんだ、サーシャが一緒にいればもっと楽しいのにって!」
「余計なお世話よ! 私はこの家から出られないのっ! あなただけを頼りにしていたのに! あなたがいるから家にいても寂しくなかったのに! だけれどもういい! 私みたいな臆病者なんて放っておいて、外で好き勝手に男と遊び呆ければいいのよ!」
「分かったよ、もういいよ! これからもう好きにする! こんな家に閉じこもっていたら息が詰まるもんね! いじいじと拗くれたことばっかり考える人になっちゃうよ! 外で新しい友だちと遊んでる方が、よっぽど楽しいんだから!」
「私だって、あなたみたいな頭が空っぽの女の相手なんてうんざりよっ!」
サーシャは胸元にあるペンダントを掴むと、力いっぱい引っ張った。途端にペンダントを下げていたネックレスが千切れてしまう。あまりにも、簡単に……。
「こんなものっ!」
サーシャは怒りに任せてペンダントを投げ付けた。壁にぶつかったペンダントが乾いた音を出す。
「なんてことするの!」
リータが絶叫する。
「最初に外したのはそっちでしょ! 私のことが邪魔だから外したんじゃない!」
「サーシャがうるさいからだよ! いちいち私のすることにケチを付けるサーシャがうるさいからだよ!」
「ケチなんて言わないで頂戴! 私がいないと何ひとつマトモに決められないくせに!」
「そんなことないもん! 私はちゃんと一人でやってけるんだ! サーシャは私がいないと何にもできないけどね!」
サーシャは言葉に詰まってしまう。いつもリータの感覚を借りているのはサーシャにとって負い目なのだ。
「おいこら、何していやがる!」
ダイニングに入ってきたのは母。
「はぁ、仕事から疲れて帰ってきたら娘どもが喧嘩してるとか、マジで勘弁してほしいんだけど。何? ケーキでも取り合ったの?」
「そんなんじゃないわ」
サーシャは母を押し退けると部屋の外へ出た。
「おい、サーシャ。ちゃんと事情を話せ」
「そっちの女に聞けばいいでしょ? 私、今日の夕飯はいらないから。部屋にも絶対に来ないでね」
母はまだ何か言ってきたが、それは無視して階段を駆け上る。今は誰とも話したくなかった。
姉妹が言い争いになることはよくある。大抵、リータの方から謝って終わった。サーシャの方がずっと口が達者だし、リータは優しいいい子だからだ。
なのに、次の日が終わってもリータは謝りにこなかった。食事の時間をわざとずらしもしたが、家の中で何度か鉢合わせているのに。
宗作とのことにサーシャが干渉したのがよほど気に障ったのだろう。もう少し向こうの気持ちを考えるべきだった? もう手遅れだが。
サーシャから謝るつもりはない。売り言葉に買い言葉かもしれないが、リータの言葉には大きく傷付けられている。
ああいう時にこそ、本音が出てしまうのではないか? そんなことはないと思いたかったが、どうしても彼女の言葉が引っかかってしまう。おそらく向こうもだろう。
リータと本当に離れてしまった。しかもこんな形で……。
昨日から泣きとおしなのに、サーシャの涙はいつまでも涸れることなく頬を濡らし続けた。
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