五話 リータの来訪 (宗作)
目を覚ました宗作が時計を見ると九時だった。窓から日が差しているので午前九時だ。
会社を辞めてひと月と経たないうちから夜型の生活になってしまっていたが、二週間ちょっと前から朝型の生活に戻っていた。生活が改善した原因には心当たりがある。
まずは顔を洗い、自分でパンを焼いて食べた。
おおらかな母は何も言って来ないが、顔を合わすだけで宗作の中にはやましい気持ちが沸いてしまう。それでも今の宗作にはやることがある。それをやってしまわないと前へ進めないと思うのだ。
パソコンを付け、3DCGのソフトを起動する。今日もゲームに出てくるキャラにモーションを付ける作業をしていかなくては。
参考用の動画を走らせた途端、宗作はため息をついてしまう。
その動画には金髪の少女が元気よくキックをしているところが映っている。伸びやかな肢体。
なぜ、リータは自分なんかに構ってきたのだろうか? 宗作は未だに釈然としない。
宗作が子どもに声をかけてしまったのが出会ったきっかけだが、一緒に遊ぼうと誘ってきたのには戸惑ってしまった。宗作をよく知りたいと言ってはいたが、彼女のような若い女の子が自分みたいなおっさんのことをなぜ知りたがる?
うぬぼれる気持ちはいっさい沸いてこなかった。それだけの魅力が自分にないことは宗作自身がよく知っている。
彼女はただ優しいのだろう。宗作を傷付けてしまったので、それを償いたいと考えた。誰かに自分を理解してもらうと安寧を得られる。それを彼女は知っているのだ。
確かに宗作の心は大いに癒やされた。ゲーム作りの仲間以外とは誰とも交流しない生活を送っていたところへ、あんな美少女が飛び込んできたのだから。
いいや、美少女というのはあまり関係ない。明るく優しい彼女は、一緒にいるだけで気持ちが温かくなる太陽だった。
リータは心優しい。宗作の最も暗い部分――あの榎本に企んでいる復讐のことを知ると、本気で心配して止めにきてくれた。
その真心は本当にうれしかったが、奴への復讐を断念するわけにはいかない。できればせずに済ませたかったが、やらねばならない時には必ず復讐せねばならなかった。それが宗作の務めだ。
宗作が頑なな態度を崩さなかったので、リータはついに宗作から離れてしまった。
当然のことだ。彼女の思いやりを台無しにしてしまったのだから。
リータと会えなくなってから、宗作は時々ぼんやりするようになった。彼女の声が聞こえたような気がして振り返り、この部屋には自分しかいないと思い出す……。
宗作は、自分がリータのことをどう思っているのか分からなかった。
恋愛感情? そんなおこがましい考えは抱いてはいけない。
友情? どうだろうか。女性の友だちなんて今までいなかったので、彼女から得られる安心感が友情によるものなのか、宗作には判断できなかった。
リータに会いたい。
でも、彼女との関係はもう終わってしまったのだ――
昼を過ぎてもひたすらゲーム作りを続けていたら、急に扉が叩かれた。母ならノックはせずに声をかけてくるはずだ。
ほんのわずかな期待が胸に湧いてくる。いいや、彼女が来ることはありえない。
「宗作? 入っていい?」
リータの声だ。
彼女がやって来たことより、その声に元気がないことの方が宗作を驚かせた。
すぐに扉を開けると、今にも泣きそうな顔をした制服姿のリータが立っている。
「ゴメンね、急に来ちゃって」
「いいって、入りなよ」
母が持ってきたジュースとお菓子を勧めてもリータは手を付けない。
「どうしたの?」
どうやら宗作を説得しにきたのではないようだ。今の彼女はそれどころではないように見えた。
「サーシャと喧嘩しちゃったの」
随分経ってからリータがそうつぶやく。
「そうなんだ。キミたちでも喧嘩するんだね」
「うん……。小さな喧嘩はしょっちゅうだよ。でも、今回は違うんだ。仲直りしかけたけど、すぐに喧嘩になっちゃって……。私たちは分かり合えていない。そう言われちゃった。へへ……」
ずっとうつむいている彼女は見ていらなかった。でも、どうしていいのか宗作には分からない。
どうにか励ます言葉をひねり出す。
「喧嘩をする時っていうのは、思ってもない言葉をぶつけたりするもんだよ」
「そうなのかな? 私、すごく寂しい気持ちになっちゃった。ゴメンね、宗作。私が来ちゃ迷惑だって分かってたけど、どうしても顔が見たくなったの。すごく寂しいから……」
そうやってつらい時に自分のことを思い出してくれたのを、宗作は不謹慎ながらうれしく思った。でも、自分の手には余るのではないか?
いいや、心が塞いでいる友だちを、どうにか慰めなくてはいけない。
「気晴らしにゲームでもする? この前一緒にした格ゲー」
「ゴメン、そういう気分じゃないや」
「そうか……」
バカみたいにぱーっと遊べば気も晴れると思ったが、そうはいかないようだ。相変わらず宗作には女友だちの扱いが分からない。
「ねぇ、宗作……ギュッてしてくれる?」
「え? ギュッ?」
「うん……宗作にギュッてしてもらったら、きっと元気になれると思うんだ」
「そ、そうなんだ……」
抱き締める? こっちから? こんなかわいい女の子を?
宗作は今すぐ逃げ出したくなるが、ここで逃げてはダメだというのはよく分かっていた。リータには今まで何度も慰められている。今度はこちらが慰める番だ。
意を決した宗作は二人の間にあるお盆を脇に退け、膝を立ててリータの方へにじり寄った。
「リ、リータさん。元気出すんだ」
宗作が手を広げると、リータが胸の中に飛び込んでくる。それを受け止めて背中に手を回す。
「ふふ、宗作……」
甘い香りのするリータがつぶやいた。
彼女はただ元気なだけでなく、とても繊細な心を持っている。むさくるしいおっさんに優しくしたり、友だちの暗い過去に心から同情したり、姉と喧嘩して傷付いたり……。
この少女の支えに自分はなれるだろうか。
「どう? 落ち着いた?」
「もうちょっと。宗作の身体、柔らかくて気持ちいいや」
「そうかな? ダイエットしなくちゃと思ってるんだけど」
「ええ~? 今のままでもいいと思うけどなぁ」
ようやく明るい声を出してくれた。
「サーシャさんとは、すぐに仲直りできると思うよ」
「寂しいこと言われちゃったのに?」
リータがゆっくりと離れる。
暗いと言うより、悲しげな表情をしていた。
「分かり合えないって言われたんだっけ」
「そう……。でもそのとおりかも。私はサーシャの気持ちが分からなかった。サーシャが外に出られない理由を聞いたのに……サーシャがどれだけ怖い思いをしたのか聞いたのに……なんでそこまで怖がるのか今いちよく分からなかった……」
「サーシャさんは怖い思いをした。でも、リータさんはどこが怖いのかよく分からなかった。それでサーシャさんは怒ってしまった」
「うん……。私が無神経なこと言っちゃったから。でも分からなかった。私、バカだから……」
リータが何度も鼻をすする。今にも泣きそうだ。
「バカっていうのは関係ないよ。そうやって行き違うことはよくある。人によって感覚ってどうしても違ってくるからね」
「でも、私たちはお互いのことなら何でも分かってるはずなんだよ。ずっと仲よしの双子の姉妹なんだし……」
その声はどこまでも悲しそう。
「サーシャさんは一度会っただけだけど、二人はだいぶん違うよね。性格とか」
「まぁ、そうかも」
「サーシャさんは落ち着いた理知的な人。リータさんは明るくてまず身体を動かす人。だいぶん違う」
「うん、そうだね」
「じゃあ、感覚が違ってくるのも仕方ないよ」
「そうなのかな……」
リータが初めてコップに手を伸ばした。少しずつ落ち着いてきたのかもしれない。
「そうやって違う個性を持ってるっていいことだと思うんだ。お互いに助け合える」
「うん、そうだね。今までずっと助け合ってきた」
「その違う個性を認め合ったらいいんだよ。お互いによく分からない部分があるって、認め合うんだ」
「そんなのできないよ。私たちは通じ合えてるって、ずっと思ってきたんだから」
反論してくるが、その声は弱々しかった。
「キミたちほどじゃないけど、俺には小学時代からずっと仲がいい奴がいたんだ。中学も高校も同じところ。俺たちはずっと一緒だと思っていたけど、そいつは高校を卒業するとアメリカの大学に行ってしまった。急に道が分かれてしまったんだ」
「寂しかった?」
リータが優しく問いかけてくる。自分がつらい時でも友だちを思いやってくれる。それがリータだ。
「寂しかった。友だちの夢を応援するのが本当の友だちなんだろうけど、俺にはたいして相談もせずに自分の道を選んでしまったから、随分寂しかったね。どんなに仲がよくても、意外に相手が考えてることは分からないもんなんだよ」
「そうなんだ……」
目の前の少女がうなだれしまい、宗作は自分が間違った言い方をしたのかと心配になった。でも、仲のいい相手でもこっちが思ってもみないことを考えていることはままある。今まで何度もそれを実感する出来事があった。
それを、この若い女の子に伝えたい。
「考えや気持ちが行き違うなんてよくある話だよ。でも、お互い想い合っているなら大丈夫。キミたち姉妹の深い繋がりがあれば、今回の行き違いもきっと乗り越えられるよ」
「ホント?」
顔を上げたリータの不安げな表情は、見ているだけで胸が締め付けられる。
この子の助けになりたい。宗作は、心の底からそう思える相手に初めて出会えた。
「ホントだよ。もう一度ちゃんと話をしてみたら? サーシャさんは賢いんだし、きっと分かってくれるよ」
「そっか、そうしようかな……」
「そうしなよ」
リータが少しだけ微笑みを浮かべる。宗作は彼女の助けになれただろうか。宗作はリータのいつものあの笑顔をもう一度見たいと切に願った。
リータには笑顔でいてほしい。明るい彼女が好きだから。
好き? 宗作はそう思った自分に焦ってしまったが、これはただの好き、好ましいという意味だとすぐに思い直して胸を撫で下ろした。
宗作みたいな奴がリータみたいな子に思いを寄せるなんてあってはならないことだ。それこそ二人は違いすぎるのだから。
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