三話 姉妹の話し合い (リータ)

 仲直りをしようと決めたらその日のうちにしたかった。

 リータは中一丁目にあるサーシャが好きなケーキ屋さんでケーキを買い、文人と一緒に自分の家へと帰る。進んで仲介役を引き受けてくれた文人の気持ちがうれしい。

 玄関の扉を開けるとダイニングから母が顔を出してきた。もう仕事から帰ってきてたのか。


「あちゃ、ケーキか」


 母が少し顔をしかめる。よく分からないままダイニングに行くと、サーシャがテーブルに向かって座っていた。そしてテーブルの上にはお皿に載ったケーキが三つ。母が気を利かせるわけもないので、サーシャが母に頼んだのだろう。でも、被ってしまった。

 ああ、こんなことぐらいでもすれ違ってしまうんだ。いつもなら気持ちが通じ合っているからこんなことには絶対にならない。リータはさっそく気分が落ち込んでしまう。

 自分の席に座ろうとイスを引いたら姉が顔を上げた。


「手洗い、うがいをなさい」


 それもそうだ。こうしてサーシャが声をかけてくれたのは何日ぶりだろうかと考えを巡らせながら、リータは手洗いとうがいを済ませる。

 ようやくサーシャの向かいにある席に腰を下ろし、まず見たのは姉の胸元。ちゃんとペンダントが下げられてあって、リータは胸を撫で下ろす。リータもペンダントを下げたチョーカーを首に巻いていた。

 視線を感じたのでサーシャの顔を見てみると、向こうも妹の首元を確認したようで、安心したように表情を緩ませている。

 そのまま会話が始まるかと思ったが、何となくタイミングを逃して二人ともうつむいてしまった。

 おかしい、いつもはどっちから話を始めていたっけ? どちらともなくだったとリータはすぐに気付き、今の自分たちのあまりに不自然な状況に涙が出そうになった。

 サーシャの隣に座る文人が横を向く。


「怪我はたいしたことないみたいだぞ」

「そう」


 自分が怪我をしていたことを思い出したリータは、姉の声の優しい響きに胸がじんわり温かくなる。


「お前らが無茶苦茶してるからこんなことになるんだ。これに懲りて、少しは俺の言うことを聞くようにしろよな」


 文人が軽く言う。いつもなら黙っていないはずのサーシャは、「そうね」とただつぶやいただけ。


「サーシャの取り乱しようったらなかったぜ。警官を総動員してリータを傷付けた奴を取っ捕まえろってわめいたりな」

「やめてよ、文人」


 サーシャの声には照れが混じっているように、リータには聞こえた。


「ありがとう、サーシャ」

「当たり前のことよ」


 当たり前? リータが痛めつけられたことが? そんなわけがない。サーシャが妹を心配するのは当たり前のこと。そういう意味のはずだ。リータは考えすぎてしまった自分が怖くなる。


「取りあえずケーキ食べなよ。二つもあるんだしさ」


 壁際のキッチンにもたれかかりながら、ひとりケーキを頬張っている母が言う。


「種類まで被ったな、お前ら」


 そう言いながら文人もケーキにフォークを入れる。同じものを買ってきたのは当たり前。サーシャもリータもお互いが好きなケーキはよく知っているのだから。

 他にやることが見つからないので姉妹もケーキに手を付ける。それでも会話は始まらない。

 いつも元気ぶっている自分から話しかけるべきだと、リータは勇気を振り絞った。


「おいしいね」

「ええ、おいしいわ」


 それで終わってしまう。


「『おいしいね』『ええ、おいしいわ』あんたらは初デートの中学生か」


 母が酷い言い方をしてくる。


「でもおいしいんだもの」

「そうだよ、おいしいよ。サーシャが選んでくれたチョコムースは、私のお気に入りなんだから」

「リータが買ってきたイチゴのタルトは私が好きなの。リータは私が好きなケーキをちゃんと知っているの。ごめんなさい、リータ」


 サーシャが少しうわずった声を出したので顔を向けると、姉もリータを見ていた。


「あなたを傷付けてしまって」


 どっちのこと? 怪我のこと? 言い争いのこと? どう捉えるか、とっさに掴めない。


「ううん、私も悪かったの」


 どちらとも取れる返答をしてしまう。


「……地域の平和を守るのは大変よね」


 そっちか。少しがっかりするリータ。


「そっちは警察に任せろっての。お前らが気にかけないといけないのは別のことだろ?」


 文人が背中を押してくれる。


「ごめんなさい、サーシャ。酷いことを言いました」


 涙がにじんでくる。


「いいえ、私が余計なことを言いすぎたからよ」


 余計じゃない。リータを心配しているからこそ、サーシャはいつも忠告をしてくれていたのだ。そう分かっていることを、ちゃんと伝えないと。


「サーシャは宗作が気に入らないもんね」


 違う、言い方を間違えた。

 また二人、下を向く。


「そうね……そうかもしれない……」

「いや……その……」


 どうしよう。頭が悪いことを自覚しているリータは、自分の失敗をどう挽回していいのかさっぱり分からなかった。


「私は……リータが取られてしまうと思ったのかもしれない。リータの気持ちを考えずに、自分のワガママを押し付けようとした……。リータのためだなんて、リータにも自分にも、嘘をつきながら……」

「そんなことないよ!」


 思いがけず大きな声が出て驚いたリータが顔を上げると、サーシャも驚いた様子でこちらを見た。


「そんなことないよ、サーシャ。分かってる。サーシャはいつも私のことを心配してくれていた。それなのに、私はおためごかしだとか、僻んでるだとか、そんな酷いことを言っちゃったんだ。ホントにごめんなさい」


 視界がどんどん涙でにじんでいく。

 サーシャはいつもリータを見守ってくれている。そんなの分かりきったことじゃないか。なのにリータは姉が邪魔者だとすら思ってしまった。今こうして本人を目の前にしたら、そんな暗い考えがいかに下らないかなんてすぐに分かる。


「リータが言ったことは本心なんかじゃない。そのことはよく分かっているわ。本気であなたを怒らせた私が全部悪いのよ」

「怒る私がおかしいんだよ。サーシャはいつも私の心配をしてくれてる。バカな私はいつも油断してて、男の人につけ込まれちゃったりしかねないから。

 春にもそんなことがあったよね。かっこいい先輩が優しくしてくれたんだ。レディ扱いしてくれてさ。サーシャは忠告してくれた、そいつは下心の塊だって。でも私は油断しちゃったんだよね。図書室の誰もいない棚の影で、急に肩を抱かれてヘンなことをささやかれたんだ」

「でもあなたはすぐに、そのケダモノのみぞおちに鋭いひじ鉄を食らわせたわ。その後金的も。リータはちゃんと、自分で自分の身を守れる子なの」

「ううん、サーシャが見守ってくれてたから。だから私はいつも安心していられた。サーシャがいないと、こんなことになっちゃうんだ……」


 リータは湿布の貼られた自分のこめかみを手で抑える。こぼれ落ちた涙は、拭わなくてもいいと思った。


「私もリータがいないと何もできないわ。あのね、昼間に私、外へ出ようとしたの。文人にそそのかされて」

「えっ!」


 思わず文人を睨み付ける。サーシャが外へ出たがらないのは知ってるくせに。


「お、おい、そういう言い方するなよ」


 文人が今さらのように焦る。今すぐ金的をしてやろうかと、リータは腰を浮かせかける。


「ふふ、そそのかされたのは嘘よ。私、頑張ってみたかったの。頑張って、そのことをリータに自慢したかったのよ。ほら、私はいつまでも家に引きこもってる女じゃないのよ、ってね」

「へぇ、どうだった?」


 今まで決して外へ出ようとしなかったサーシャが頑張ってくれた。そのことがリータはうれしくって仕方がない。


「ダメだった。外は恐ろしくって恐ろしくって、一歩も踏み出せないまま吐いちゃったわ」

「え、吐いたの?」


 サーシャは外へ出ようとしただけでそんなことになるの? リータが思っていた以上に事は深刻なようだ。今まで外へ出ろ出ろと気軽に言っていた後悔がリータを襲う。

 うつむきかけたリータだが、サーシャは相変わらず妹を見つめ続けていた。力強く、温かな視線で。リータももう一度頭を上げる。


「でもね、リータ。私は頑張ってみたの。今回は失敗したけれど、また挑戦してみようと思っている。いつか外を案内して頂戴、リータ」

「うん、一緒に外で遊ぼう、サーシャ」


 前向きな姉の姿に胸が熱くなった。いつかきっと、二人で外を駆け回ろう。想像するだけでリータは心が弾む。


「宗作のことは本当にごめんなさい。私は干渉しすぎたわ……」


 申し訳なさそうに、首を少し傾げて。


「ううん、私の方こそゴメンね。サーシャはずっと私のことを考えてくれてたのに、私は宗作と遊ぶのに夢中になっちゃった。ホントのことを言うとね、サーシャのことを忘れることすらあったの」

「そうなの……」


 サーシャが少し、悲しそうな表情を見せる。ちゃんと伝えないと、ちゃんと。


「私はちょっとおかしかった。サーシャを放っておいて遊び呆けるなんて、そんなのしちゃいけないのに……」

「そんなことないわ」


 自分の罪を告白する妹に、姉は優しい声をかけてくれる。


「リータが私以外の人と仲よく遊ぶ。遊んでいるうちに私のことをほんのちょっと忘れてしまう。そんなの当たり前のことだわ。私はリータの枷になんてなりたくない。リータは自分の思うように行動すべきなのよ」

「サーシャ……」


 こんなふうに想ってくれるサーシャが邪魔者だって? そんなわけないじゃない。リータは改めて心に刻む。


「私はリータが新しい友だちを作ることを喜ぶべきだった。それがたとえ、二十九才のデブダサゲームオタクだとしてもね」


 最後は冗談っぽく。リータは照れ笑いをしてしまう。


「サーシャが外へ出られるようになったらね。一緒に宗作と遊ぼうよ。サーシャもきっと気に入ってくれるって思うんだ」

「うーん、それはどうかしら? あんな挙動不審のデブダサゲームオタクと一緒に遊ぶだなんて、真っ平ゴメンよ」

「サーシャは相変わらず酷いや」


 姉妹は笑い声をこぼし合う。


「はい、姉妹喧嘩はおしまい!」


 ぱんと手を叩き、母が勝手に宣言する。姉妹に異存はなかった。


「握手でもするか? お前ら」


 文人も優しく祝福してくれる。


「それよりこっちの方がいいわ。いらっしゃい、リータ」


 サーシャが立ち上がって大きく手を広げたので、リータはテーブルを回り込んで彼女のところまで駆けていった。


「寂しかったよ、サーシャ」

「私もよ、リータ」


 大切な姉とぎゅっと抱き合う。ほんの数日離れただけなのに、サーシャの体温を懐かしく感じた。

 そして離れ際に唇同士を軽く重ねる。姉妹はこうしてキスをするのが大好きだ。


「見てるこっちが照れるぜ」

「いやらしい目で見ないで頂戴」


 冷たい視線を文人に向けるサーシャはもういつもどおり。


「へいへい」


 姉妹のためにあんなにも骨を折ってくれたのに、文人はひたすら損な役回りだ。

 リータはここで、まだひとつ問題が残っていることに気付く。


「ねぇ、サーシャ。聞いてもいいかな?」

「何、リータ?」

「サーシャが外へ出られなくなった理由。ゴメンなさい。私、まだ思い出せないんだ」

「そうね……そう。言っておこうかしら……」


 つぶやいたサーシャが自分のイスに腰掛けたので、リータもその隣の席に腰を落とす。

 まずサーシャは、自分のティーカップに口を付けた。

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