二話 リータと文人 (リータ)

 授業が終わり、リータは一人でとぼとぼと学校を出た。ずっと元気がないせいで学校の友だちにも心配をかけてしまっている。一緒に憂さ晴らしをしようと誘ってくれたけど、今はとてもじゃないけど遊ぶ気になれない。

 駅への途中にあるゲームセンターの前で足が止まる。サーシャと喧嘩をした日から宗作の家へも行っていない。しばらく行けないとメールで伝えたら、彼は事情を聞かずに応じてくれた。

 そもそもサーシャとの『接続』を無理矢理切ったのは、問題を抱えている宗作を説得するためだ。でも結局リータは彼の考えを変えることができなかった。このまま彼と会わずにいたら、もう二人は友だちではいられなくなる? そんな考えが頭に浮かんで一層落ち込んでしまう。

 リータを見て「あっ!」と声を上げる男がいた。しばらく思い出せなかったが、この前叩きのめしたひったくり犯の仲間の一人だ。


「何か用?」


 力なく声を出す。


「うるせぇ、たまたまだ。お前とはもう関わらないって決めたんだよ!」

「そう……」


 ふらふらと男の横を通り過ぎる。


「おいちょっと待てよ」


 いきなり肩を掴まれた。男の方を見ると、向こうはにやにやと笑っている。その目は人の弱みを見付けた卑怯者の目だった。


「お前、前と違うな?」


 マズい! サーシャ、どうしよう?

 しかしサーシャは答えてくれない。今二人は喧嘩をしていた。心が離れていると『接続』はできなかったと思い出す。


「おいこら!」


 いきなり視界がブレる。男に頬を張られたと気付いたのは、尻餅をついてから。


「おらぁっ!」


 蹴りを繰り出してきたのはすぐに察知できた。しかし身体が動かない。


「きゃっ!」


 こめかみに一撃を食らって地面に這いつくばる。どうしよう? どうしよう? 助けて、サーシャ!

 続けて肩を踏まれた。逃げないと……逃げないと……。

 地面を這って男から逃れようとするが、背中を踏まれて身動きが取れなくなる。


「よぉし、みんな集めてボコボコにしてマワしてやる」


 そんなのイヤだ。助けて、サーシャ! 助けてよ!

 でもサーシャの声は聞こえてこない。姉の助言がないと自分は何もできないのに。罰が下ったんだ。生意気なことを言ってサーシャを悲しませたから罰が下ったんだ。だったら仕方がない。罰は受けないと。それでサーシャが許してくれるとは限らないけど。


「こらっ! 何してる!」

「やべ!」


 怒声を浴びた男が足音を残してどこかへ消える。


「おい、キミ、大丈夫か?」


 顔を上げると、近くの交番のお巡りさんがいた。






 リータがクリニックの待合室でコーヒーを飲みながらうなだれていると、入口の方から聞き慣れた声で呼ばれる。


「随分な有様だな、リータ」

「文人……来てくれたんだ?」

「呼んだのはお前だろ?」


 リータに付いてくれていたお巡りさんと引き継ぎのやり取りをした後、私服の文人がリータの隣に腰を下ろした。そしてリータがこめかみに当てていた氷嚢を退かせて傷の様子を見る。とはいえ患部は貼ってある湿布で隠れているのだが。


「ちょっと避けるのが遅れたけど、直撃じゃないから大丈夫だよ」

「跡は残るのか?」

「え? うん、多分大丈夫」


 そうか、女の子なんだから顔に傷が残っちゃいけないのか。思いがけない文人の気遣いに、リータは顔を火照らせてしまう。


「いつも無茶するからだぞ?」

「いつもならあんな奴……」

「サーシャがいないとてんでダメな奴だ、お前は」

「うん、知ってる」


 リータの頭を文人がぽんぽんと叩く。


「帰ろうぜ。歩けるか?」

「おんぶしてくれる?」

「お前みたいにデカい女なんて担げるか」

「文人のくせに言うもんだ。歩けるよ、帰ろう」


 文人が差し出してきた手を握って立ち上がる。ちょっとしたお姫様扱いに、リータは胸の内側がもぞもぞした。






 電車に乗ってみもろ台を目指す。免許は持っているものの、文人は車を持っていないショボい男なのだ。


「悪かったな、リータ」

「え? 何が?」


 心配して迎えにきてくれた相手に失礼なことを考えていた。リータは焦ってしまう。


「いや、ホントは今日辺り会いに行こうかって思ってたんだよ。お前が帰ったくらいの時間に家の方にな。まさかなぁ、学校帰りにトラブルとは」


 頭をかいて申し訳なさそうにしている。ホントに人がいい。


「ううん、全部私が悪いんだ。サーシャに生意気言っちゃってさ」

「でも、お前が反抗するんだからよっぽどのことがあったんだろ? ちょっと話してみろよ」

「うんまぁ……」


 リータは素直に今までのことを話してみた。サーシャを悪く言わないよう、気を付けながら。


「そりゃ、サーシャが悪いな」

「え? そうかな? そんなことないと思うけど」


 話し終えた時には二人はみもろ台にある公園のベンチに腰かけていた。この公園の前には文人が勤務している交番がある。氷嚢を顔に当てているところを顔馴染みのお巡りさんに見られてしまった。


「いやいや、あいつが悪い。リータにはリータの人間関係があるんだ。それをやいやい言うのは間違ってる」

「そんなことないよ!」


 リータは思わず声を荒げてしまう。サーシャの悪口なんて許せるものじゃない。


「サーシャは私を心配してくれてるんだもん。いっつもそう。いっつもサーシャは私のことを考えてくれてるんだ。なのに私は分からず屋だから……」

「じゃあ、お互い謝り合おうぜ。それで仲直りだ」


 ぽんと背中を叩いてくれる。そこは踏まれた場所なので本当は痛いが黙っておく。文人はいい人としての詰めが今いち甘い。


「でも私って、サーシャが外へ出られなくなった理由を覚えてないんだよ。私のせいだって、サーシャは言ってたけど」

「まぁ、その辺は本人に聞けよ。お前が忘れっぽい粗末な頭しか持ち合わせてないことを、サーシャはちゃんと知ってるんだしな」

「今度は私を悪く言うんだ?」


 ぎろりと睨んでやっても文人はとぼけた顔で肩をすくめるだけ。


「俺はいつもいつもお前ら双子に振り回されてるからな。こういう時にやり返しておかないと」

「ホント、酷いや」


 頬を膨らませるリータだが、こうやって文人と話していると少しずつ気分が晴れてきた。


「で、その宗作氏だけど。お前、どう思ってるんだ?」

「どうって?」


 いきなりよく分からないことを言いだした文人に、リータは首を傾げてしまう。氷嚢の氷がころりと音を出す。


「つまり、好きなの?」

「ええっ? 思いっ切り直球だね?」

「男らしいだろ?」

「そうかな? うーん、好き……好き……どうなんだろ?」


 遠くに視線をやって考えてみたが答えは出てこなかった。


「やっぱりよく分かんないや。サーシャに聞いてみないと」

「いやいや、自分のことだろ? 自分で考えろよ」

「どうなんだろう? 好きってどんななの? よく分かんないんだよ」

「まぁ、お前はガキだしな」


 大人ぶって文人は言うが、確かに言うとおりなので反論できない。

 リータは今まで何度も男子から告白されている。そしてそのことごとくを断っていた。リータは恋なんて興味がないし、サーシャも毎回反対したから。

 でも、今、リータはどこかおかしかった。宗作は楽しく遊べる友だち。それだけのはずなのに、他の友だちとはどこかが違った。でも、どこがどう違うのか、リータにはよく分からなかった。

 サーシャに相談しようかとも思ったけど、サーシャは宗作のことが気に入らないからきっと反対だけをするだろう。だから相談しなかった。今は喧嘩しているのでどのみち相談できないが。

 文人になら相談してもいいのだろうか?


「ねぇ、文人は誰かを好きになったことある?」

「そりゃあ、あるさ。高校の時にもあったぞ」

「好きになったらどうなるの?」

「口で説明するのは難しいなぁ。ある時ハッて気付くんだよ、好きって奴は」

「でも、私はいつまで経っても分からない」


 うなだれてしまう。


「お前は何も考えてないからな。それと考えすぎてる」

「え? 考えてないの? 考えすぎてるの?」

「サーシャに頼りすぎてるんだよ、お前は。考えるのを全部サーシャに任せて自分では何も考えてない」

「まぁ、そうかも」

「で、サーシャの言う通りにしようと顔色をうかがいすぎてる」


 文人が引っかかる言い方をしてくる。


「顔色をうかがうなんてしてないよ。その……サーシャの言うことはいつだって正しいから従ってるだけだもん」

「そうかな? お前しょっちゅう言いくるめられてるぞ? 自分の意志よりサーシャの意向の方を気にするんだ。あいつがどう思うかってのを考えすぎてる。で、自分の本心が見えなくなっちまう」

「うーん……」

「今回、サーシャに強く反対されてもリータは宗作氏と遊んだんだよな? それって相当レアケースだぞ? あいつに邪魔されても宗作氏と一緒にいたかった。それってさ……」

「やっぱりサーシャは邪魔者なのかな?」

「え?」


 文人に聞き返された途端、リータの顔から血の気が引いた。自分は何てことを言ってしまったんだ。


「違う……違うよ、サーシャが邪魔者なわけないよ。そんなわけないよね、へへ……」

「そうだぞ? 邪魔って言ってもお前のことを想って……」


 文人の言葉が耳に入ってこないくらいリータの頭は混乱していた。その隙を突いて、胸の奥から黒くてどろりとしたものが沸き上がってくる。


「でもさ……同い年なのにサーシャはずっとお姉さんぶってさ……ちょっと頭がいいからってさ……自分は家から一歩も出ないくせにさ……私がいい気分で遊んでたら邪魔してくるんだよね……そういう時、私は思っちゃうの……うるさいなぁ、って……」

「たまにはそう思うこともあるっての。気にすんな」


 こんなにどろりとした感情が自分の中にあるなんて思ってもみなかった。リータは自分の本心らしきものを目の当たりにしてひたすら戸惑う。


「どうしよう……文人……私、サーシャを邪魔だって感じてたんだ……ずっとサーシャの言うこと聞いてるふりしてさ……ホントは邪魔な奴だって思ってたんだ……」

「さっきの俺の言い方はマズかった、悪かったよ。いいからお前はヘンなふうに考えんな。な?」


 ふいに文人に肩を抱かれる。リータはバランスを崩し、文人の温かい胸の中に収まった。涙が止まらないリータの耳元で、文人が優しくささやいてくれる。


「サーシャの奴は家にあるアナログ回線の固定電話だけは使えるんだ。それを使ってしょっちゅう俺に電話をかけてくる。ケーキを買ってこい。雑誌を買ってこい。そういうのもあるけど、大抵はお前のことだ。

 またリータが告白された、相手の男子の身元を調べろ。またリータが迷い犬を拾ってきた、飼い主を探せ。夏になれば俺を呼び出して、お前の写真を見せてくるんだ。この格好は露出度が高すぎないか? 男の目から見てどうだ? ってな。

 お前がサーシャに断りなく際どい水着を買った時もメンドくさかった。リータの部屋に侵入して水着をかっぱらって、俺が盗んだことにしろなんて言って手渡してきやがる。さらには友だちにそそのかされたらしいから、その友だちを脅し付けろとか、無茶苦茶だ」

「ふふ、あったあった、あの時は喧嘩したなぁ」

「お前はお前で大概だ。勤務中の俺のとこへ来てベラベラベラベラサーシャのことを話していく。サーシャが好きな限定物のケーキを買いに並べ。サーシャが欲しがった鉢植えを買って持ってこい。サーシャにプレゼントする服を選べ。お前、下着まで選ばせようとしたよな?」

「男子好みの下着を着せてみたかったんだよ」

「挙げ句、俺とサーシャをくっつけてしまおうだなんて、頭が悪いくせに策動しやがった。サーシャが風呂場を掃除してるから手伝ってこいなんて言われて、扉を開けたら全裸のあいつが身体洗ってるんだよ」

「あれはうまくいった」

「よくよく考えれば、あのサーシャが家の手伝いなんてするわけがないんだ。結果、全力の金的。

 他は何だ? 炭の塊としか言いようがない手作り料理? 退屈でしかない朗読会? 俺の方が怖がるホラー映画鑑賞? 元軍人の父上と決闘して格好いいとこ見せる? 全部罰ゲームだ」

「最後はサーシャ、怒っちゃったね」

「キスの練習なんて馬鹿な企画を押し付けようとするからだ。

 結局、お前はお前でサーシャの面倒ばっかり見てるんだ。お互い様。二人ともお互いに余計なお節介をし合ってる」

「そうなんだ……」

「チェスノコワ姉妹はお互いをとても大事に想い合ってる。時々行きすぎて余計なお節介になるけどな」

「それで邪魔に思っちゃう」

「今のお前はヘコんでるから、ダメな方、ダメな方に考えてるだけだ。ちゃんと話し合ってみろ。ちゃんとお互い想い合ってることが分かれば、邪魔者だなんて下らない考えはどっかに吹き飛ぶって」

「そうなんだ……」


 本当に吹き飛んでくれるのだろうか? 自分の胸の内を占めてしまった悪い考えは下らない偽物なの? リータは姉への想いに自信を持てなかったが、今のままサーシャを邪魔者扱いするのは絶対にイヤだった。


「サーシャと仲直りしたいよ、文人。サーシャを邪魔者だなんて思っていないって、自分に教えてあげたいんだ」

「よし、じゃあ話し合おうぜ。ペンダントはちゃんと持ってるよな?」

「うん、大事なものだから」


 リータは内ポケットからチョーカーを取り出すと、それを自分で首に巻く。

 このチョーカーに取り付けられたペンダントには、姉妹のお互いを想い合う気持ちが込められていた。なのに自分から外してしまうだなんて。リータはペンダントを握りしめ、サーシャにちゃんと謝りたいと強く望んだ。

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