七話 サーシャは対する (サーシャ)

 サーシャはオフィスにあったイスに座らされる。自分が置かれている状況に、まるで現実感が湧いてこない。

 宗作の、ひいてはリータの敵である榎本に銃で脅されて拉致された。そしてこのオフィスに連れてこられた。そうしたら『MFキャピタルズ』の藤田が待ち構えていて捕まった。そして手下に殴られて歯を折られた。

 十年ぶりに――それも生まれて初めてひとりで、家の外へ出たらこんな酷い目に遭ってしまった。全部罰だ。リータの為と言いながら、リータに超能力を行使するだなんて罪を犯した罰に違いない。

 サーシャは酷く気分が滅入っていくのを感じる。もう何も考えられない。


「さて」


 昼食のデリバリーピザを食べ終えた藤田が話を切り出す。

 サーシャの隣には床に正座した榎本がいる。藤田は本来は榎本のものである机の上に腰かけていた。


「榎本さん、プランてなんやろう? 聞かせてもらえへんか?」

「ええっと……それはですね……」


 榎本がちらちらとサーシャを見る。サーシャはそれに気付かないふりを決め込む。

 サーシャが榎本に吹き込んだプランは、『MFキャピタルズ』を出し抜くというものだ。全部でっち上げではあるのだけれど、藤田を裏切るような真似を企てたと、本人に伝えるのは非常に危険である。それを、榎本も分かっているようだ。


「ワシを出し抜ことしたな、榎本さん」

「えっ!」


 サーシャは目を見開いただけだけれど、榎本は声を出してしまった。藤田は榎本を昏い瞳で見つめ続けている。


「そっちのお嬢ちゃんになんか吹き込まれたんやろ? プランとかいうんを」

「いや……その……」

「まぁ、プラン?の内容はどーでもえーわ。どうせ全部作り話やしな」


 と、藤田がサーシャを見る。不意を突かれて目を合わせてしまった。だけれど、サーシャは視線を外すことができない。今の自分はどうしようもなくみっともない顔をしていることだろう。本来はプライドが高いはずのサーシャなので、余計にみじめな気分に陥っていく。


「作り、話……?」


 榎本もサーシャを見る。実に弱々しい視線だと、見なくてもサーシャには分かった。

 藤田が続ける。


「そう、作り話や。そこのお嬢ちゃんは榎本さんを騙くらかそうとしたんやな。今、榎本さんの会社がトラブっとるんと関係あるんやろ?」


 サーシャを見つめながら藤田が問いかける。自分に対して? 榎本に対して? サーシャは判断がつかない。


「キミに聞いてるんやで、お嬢ちゃん」

「わ、私……」


 矛先が向いていると気付かされて、サーシャは情けない声を出してしまう。どうにか言い逃れをしないと。だけれど、榎本にしたようなハッタリは絶対に通じない。それだけは確かだと、サーシャは本能で察した。


「……榎本が……私の……妹の友人に迷惑をかけているの」

「迷惑をかけてるのはキミらの方だろ!」

「榎本さん」


 藤田から静かに声をかけられて榎本が口をつぐむ。そんな有様を見せつけられて、サーシャは今すぐ泣いてしまいたいくらい弱気になる。だけれど、なんとかこの場を切り抜けないと。


「妹の友人はかつて榎本の部下だったのだけれど、榎本はその辞めてしまった元部下を自分の会社に引き戻そうとしたの。だけれどその友人はどうしてもこの男の下には戻りたくなかった。だから私は、分からず屋の社長を説得しようと……」

「ちょっとちゃうな」


 サーシャの言葉を藤田が遮る。できるだけ嘘にならないようにしながら宗作の罠の話には触れないようにする。その企てが挫かれて、サーシャの額から冷や汗が滲み出た。


「その友人いうんが、榎本さんのサービスに悪さした。それは彼の社員さんから聞いてる」


 今この場にはいないが、藤田等がここに来た時には榎本の部下がいたはず。そして藤田は事情を聞いた。サーシャはそんな当たり前のことにすら頭が働かなかった自分に戸惑う。


「その友人は、榎本さんを脅し付けたんやろ? せやし、榎本さんは交渉する為に友人のところへ出向いた。そこへ横入りしたんがお嬢ちゃんや」

「よ、横入り……」


 この男はどこまで知っているのだろう? あるいは洞察だけで全てを把握している? 自分の立場がどこまで悪いのか、サーシャにはまるで見当が付かない。


「友人いうんは、榎本さんと交渉する気はあらへんねん。そやけど、それはお嬢ちゃんにとって都合が悪い。そやし、友人の意向を無視して榎本さんと交渉しようとした。交渉材料は……」


 藤田がサーシャを指差す。サーシャはそれだけで銃で撃たれたような痛みを胸に感じる。


「お嬢ちゃんが背負ってるリュックに入った、パソコンや」


 全部知られている。藤田が笑みを浮かべたので、サーシャも愛想笑いのように笑い返した。なんてみっともないのだろう、私は。自分がいかに弱い人間なのか、サーシャは窮地において思い知らされる。


「さ、パソコン出し、お嬢ちゃん。それで、妹さんの友人が仕掛けた悪さを止めるんや」


 藤田は宗作の罠を止めろという。止めたらサーシャは見逃してもらえる? 少なくとも、彼に刃向かうよりはマシな展開が期待できるはず。だったら……


「イヤ、よ」


 サーシャはそう言ってしまった。


「ほう、イヤか」


 藤田の言葉はあくまで静かなもの。だけれど、彼に見つめられているサーシャは胸が潰れそうなくらい苦しい。


「あなたが、宗作の罠を止めたい理由は何かしら? 榎本のサービスを正常化させたい……ではないと思うの」

「うん、そうやね」


 サーシャはかろうじて導き出した答えを口にする。それがどういう結果を招くか予測がつかないけれど、今、この男の言いなりになってはいけない。


「今、あなた達はサービスのデータベースにアクセスできない。そこには……サービスを利用している人達の個人情報があるわ。あなたの狙いは、それらの情報を手に入れること……」

「そうや。お嬢ちゃんは賢いなあ」


 一般的に、事業を展開する企業というものは、自社のサービスを利用する人達の情報を少しでも多く欲しがる。どのサービスをいつどうやってどれだけ購入したか? 古典的な方法であれば、電化製品を買えば付いてくるアンケートハガキを使って。

 インターネットを使ったサービスなら得られる情報は飛躍的に増える。何に興味があるか? その興味の度合いは? お金を使う頻度は? 一回に使う金額は? 全部分かる。

 そういった情報は、悪用しようと思えばいくらでもできる。金遣いが荒い人、欲望に流されやすい人に、必要のない高額な商品を買わせたり? ローンを組ませたり? いくらでもあるだろう。

 藤田は、その情報を安く手に入れたかった。だから、榎本の会社に出資したのだ。


「情報をむざむざ渡すわけにはいかないわ」

「立派な考えや。そやけど、お嬢ちゃんには関係のない人らやで?」


 その通り。榎本のサービスを利用している人達なんて、顔も知らない。だけれど、だからと言って。


「何も知らない人達を、あなたの毒牙にかけるわけにはいかない」

「立派や。ホンマ、立派や」


 そう言いながら、笑みを浮かべて拍手をする。その余裕が恐ろしい。

 藤田が続ける。


「そやけど、あんまり頑張り過ぎるんはどうかと思うで? お嬢ちゃん、心臓悪いのに」

「え?」


 サーシャは途端に蒼白になる。そう、六才の時に大きな手術をして大分よくなったものの、サーシャは今でも心臓が弱い。今日はかつてない緊張状態がずっと続いていて、サーシャは心臓の具合が心配でならなかった。

 だけれど、何故この男がそのことを知っているの?


「こっから」


 と、藤田が自分の胸を人差し指で指す。


「ここまで」


 指を下に動かした。サーシャは生唾を飲む。なんで知っているの?


「お嬢ちゃん、おっきな傷があるやろ。手術した跡やね。手術したんは……六才くらいかな?」

「なんで!」

「ビンゴ」


 藤田が残酷な微笑みを浮かべる。誘導尋問でもなんでもない。当たり前のように藤田は知っている。なんで?


「あなたも超能力者なの?」


 そうとしか考えられない。


「超能力者? おい、高橋。ワシって超能力者らしいわ」

「わははは! 初めて聞きました!」


 藤田の部下ふたりが笑い声を上げる。違う? でも……。


「お嬢ちゃん、おもろい冗談や。ワシはそんなんちゃうで?」

「じゃあ、なんで……傷跡なんて、家族しか知らないのに……」

「ワシ、カンがええねん。ピーンて来るねん」

「だからそれが超能力……」

「ちゃうちゃう、ただのカンや」


 超能力ではないただのカン? この際、それがなんなのかはどうでもよかった。ただ、サーシャが何かを企てても全て見通される。そのことを、確信を通り越して事実として受け容れるしかない。


「さて、お嬢ちゃん。そろそろ観念する時や」


 藤田が机から離れ、イスに座るサーシャの真ん前に立った。その気になれば、サーシャの首を絞めるなりできる距離だ。


「お嬢ちゃん、悪さを止めにしてくれたら、今までの舐めた態度は全部許したる。なんなら、家まで送ったげるわ」

「家……まで?」

「そうや。おっきな家やなぁ。ヨーロッパ風の。もうそこから出ぇへんようにしいや? 今日みたいなことになるし」


 家の場所を知られるわけにはいかない。これからもいつ災難が降りかかるか分からない恐怖に震えなくてはならなくなる。


「ま、余計な心配はせんでええで。送るんは駅まででもええし。お嬢ちゃんにはあんまり興味があらへんねん」


 ここで藤田の言うことを聞きさえすれば。そう、藤田は言っている。

 赤の他人の個人情報なんて知ったことではないはず。我が身が……我が家の平和が何よりも大切。そんなこと、悩むまでもなく当たり前のことだ。


「私は……」


 サーシャは絞り出すようにして声を出す。身体は馬鹿みたいに震えているし、心臓の鼓動もうるさいくらい大きくなっている。だけれど言う。


「超能力者なの」

「そやね」

「心が読めるの」

「うん」

「触れなくても……あなたの……心が読めるの……」

「ん? 触らんと読めへんはずやけど?」


 藤田が首を傾げる。相変わらず笑みを浮かべて。

 サーシャは人の心が読めるけれど、触れないと読めない。それが『読心』と呼んでいる超能力。

 だけれど――


「一分半前から、半径一メートル以内の人間の心が読めるようになったの」

「ほう」


 藤田の顔から笑みが消えた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 サーシャは必死で呼吸を整えようとするけれど、なかなかうまくいかない。それでもどうにか藤田の目を見続けた。


「箱入り娘さんには、キツいやろ? ワシの過去は」

「はぁ……はぁ……そうね……しかも……」

「全部立証でけへん。ワシの過去を知ったところで、状況は変わらへんで?」


 藤田の言う通りだ。知っただけで気が狂いそうになるほど恐ろしいことをし続けてきた男だけれど、尻尾を掴ませるようなヘマは一度もしていない。心が読めたところで、なんの交渉材料も得られなかった。

 それでもサーシャは藤田の心を探る。なんとかして、今の状況を好転させる情報を得ないと。


「四月二十日」

「ん?」


 サーシャの言葉に藤田は首を傾げる。なんの心当たりもないといった様子だ。


「四月二十日。あなたの……誕生日よ」


 藤田が黙りこくる。沈黙が重い。


「……なんで、ワシの誕生日を知ってんねん」

「心を……読んだからよ……」

「ワシも知らんのに?」

「ええ、あなたも知らないのに、私には……読めたの」


 自分の誕生日を知らない。それが藤田の過去だ。おそらくは踏み込んではいけない場所。

 だけれど、無事に帰りたいとサーシャが強く願ったら浮かび上がったこの日付には、きっと価値がある。


「ワシは……榎本の会社に三億出資してんねん」

「そうね」

「三億と引き換えに、誕生日か」

「そうよ」


 藤田がサーシャから視線を外して上を見た。気が緩みかけたサーシャにどっと疲労感がのしかかる。だけれど、まだ耐えないといけない。


「高橋!」


 藤田の怒鳴り声にサーシャは全身を震わせる。呼ばれたのはサーシャを殴り付けた男だ。

 藤田がさらに声を出す。


「ワレ、誕生日いつじゃ!」

「お、俺ですか……」


 手下のその声には戸惑い……いいや、怯えが含まれていた。やはり踏んではいけない地雷だったか。


「いつや! 聞いてんねや!」

「じゅ、十二月二十五日です! キリストと一緒です!」

「クリスマスか? クリスマスいうガラちゃうやろ、ワレ!」

「す、すんませんっ!」


 手下は恐縮しているようだが、藤田の声には異変があった。サーシャは恐る恐る顔を上げる。


「高橋! 聞けや! ワシの誕生日は四月二十日や! 四月二十日やと!」


 藤田は笑っていた。さっきまでの冷酷な笑みとは明らかに違う。声も弾んでいた。


「おもろいお嬢ちゃんやな!」


 サーシャの肩に藤田が手を振り落とす。サーシャは恐怖で身を震わせたけれど、向こうは単に肩を叩いただけのつもりのようだ。


「気に入った! ワシの誕生日、三億で買うたる!」

「え?」


 藤田と目が合う。相変わらず、その瞳は闇の底にあった。決して心を許したわけではない。単なる気まぐれだと、サーシャは察した。

 とにかく助かったようだ。このまま早く去ってくれと、サーシャは強く願う。


「サーシャ!」


 叫びながらオフィスに飛び込んできたのはリータだった。

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