二話 姉妹の住む家 (文人)
細い生活道を歩きながら、文人は道沿いに建つ真新しい一戸建てを見上げた。鈴木さんの家はリフォームが終わったらしい。この辺りは新興住宅地とはいえ、開発されてから三十年は経っているので、当初からあった家は随分と古くなっていた。
文人は自分の管轄であるこのみもろ台を、いつもはスクーターで巡回しているのだが、今日はこうしてのんびり歩いている。心地いい澄んだ風が文人の頬を撫で、赤く染まった木の葉を宙に舞わす。伊藤さん宅の前庭に植えられた楓は随分と立派だ。
「ていうかさ、パトカーで送ってくれてもいいんじゃない?」
隣を歩くリータが口を尖らす。数日前の乱闘劇ではスエットにショートパンツとラフな格好だったが、今日は高校の制服たるベージュのブレザーを着ていた。胸先の赤い大きなリボンがかわいらしい。
一方の文人は警官の制服姿。一応、勤務中だ。
「うるさいっての、歩いた方が健康にいいんだ」
わがままな高校生の頭に軽く手を乗せてやる。すらりとした彼女は身長百七十四センチだったか。背は文人の方が高いのに、足は向こうの方が長かった。
「あーも、やめてよ! セットが乱れるじゃん!」
「セット? ただの寝癖かと思ったぜ」
ぶつくさ言いながら自分の短い髪をいじるリータ。その眩しいくらいの金髪は生まれつきのものだ。
いつ見てもこいつら双子と血が繋がっているなんて文人は信じられない。チェスノコワ姉妹は父親がロシア人で、母親がロシア人と日本人のハーフ。つまり、四分の三はロシア人。一方又従兄弟の文人は生粋の日本人だ。
二人は住宅街の端にある雑木林の中に入っていった。その先にある場違いな洋館が、チェスノコフ家の住まい。男はチェスノコフ、女はチェスノコワ。ロシアはよく分からんといつも文人は思う。
ぎぃと音の鳴る玄関扉を開くと、紅茶のいい香りが文人の鼻腔をくすぐった。
「ただいま! サーシャ」
元気に駆け込むリータ。彼女が脱ぎ散らかしたローファーを、文人はため息混じりに置き直す。この家では玄関で靴を脱ぐことになっていた。
この家は一家がロシアから日本へ引っ越してくるに当たり、新しく建てられたという話だ。丸太を組んだ壁は白く塗られ、スレートを葺いた屋根は淡いピンク。随分と大きいわりに、素朴な印象を生み出していた。近所付き合いもちゃんとしている。
花柄の壁紙が貼られた廊下を少し歩き、一番手前の扉を開けるとダイニングキッチン。そこには贅沢に彫刻が施された年代物のテーブルが据えられてある。やはり凝った造りの椅子に腰掛けていた金髪の少女が優雅に文人の方を向いた。長い髪を三つ編みで一つにし、左肩から前へゆったりと垂らしている。着ている水色のワンピースは前にも見た。
「サーシャ~!」
リータが大好きな片割れ向かって突進する。
「お帰り、リータ」
リータが身を屈めて双子の姉に抱き付き、妹よりいくらか華奢なサーシャがそれを受け止める。そして離れ際にチュッと軽く口付け。ただのあいさつだと知ってはいるが、見るたび文人はどきりとしてしまう。
「それじゃあ、手洗いとうがい」
「はいよ」
ぱたぱたと制服の少女が奥に消える。
「さ、文人は紅茶を飲みなさい? ちょうどいい頃合いよ」
「サンキュ、相変わらずいいタイミングで」
帽子を脱ぎ、サーシャの正面の椅子を引く文人。その席には白いティーカップが置かれてあった。
「そうね。リータでずっと聴いてから」
言いながら、彼女は首から提げたペンダントに指で触れる。このペンダントは円を二つに割った形になっていて、リータがもう片方を首のチョーカーからぶら下げていた。二つを合わせると、双頭の鷲と剣をモチーフにした彫刻が判別できるようになる。
「双子だからって、用もないのに聴いてやるなよ。盗み聞きが趣味みたいだぜ?」
文人が意地悪く言ってやると、サーシャはよく整えられた細い眉を片側だけ上げてみせた。
「失礼ね。リータはちゃんと許可してくれてます。外に出ていけない私を気遣ってくれる、優しい子なのよ」
「出て行けないねぇ……。身体が弱いっていっても、歩けないほどじゃないんだ。ちょっとずつでも外へ行く練習をしていかないと、いつまで経っても今のままだぜ?」
いつもそう言っているが、この深窓の令嬢は聞こうとしない。
「うるさいわねぇ、文人のくせに生意気よ? 脳みそバーンてしてほしいの?」
イヤな話を持ち出されたせいか、不機嫌そうに切れ長の目で睨んできた。整った顔なのでヘンな迫力がある。
「お前の超能力にそこまでの力はないだろ。リータと感覚を共有する『接続』、触った人間の心を読む『読心』。それだけだ。まぁ、それでも大概すごいけどな」
「残念。『飛躍』が残ってるわ」
サーシャが指を三本立てる。
「リータを『飛躍』させるって奴か。それは見たことないんだよなぁ」
「奥の手だからね。二人ともに負担が大きいの。でも、これを使えば、あなたのその行儀の悪いヒジを握り潰すなんてことも余裕なんだから」
気難しい少女がテーブルに立てていた警官のヒジを指さしてきた。頬杖くらいいいではないかという気もするが、ここで歯向かうといろいろと面倒くさいことになりそうだ。文人は大人しくヒジを退ける。
「はいはい。ていうか、リータだったら素のままでも首をへし折るとか余裕でしてきそうだ」
父親から格闘術を仕込まれていると聞いていた。
「そうね。素のままでも文人ごときヘッポコ警官なんて敵じゃないわね」
「ヘッポコで悪かったな。これでも地域住民に愛されるいいお巡りさんなんだぞ?」
「それどころか、みもろ台のマダムのアイドルだそうね?」
口の片端を軽く上げた、実に意地の悪い笑みを向けてる。文人は恋人こそいないもののまだ二十一才。オバサンのアイドルなんて呼ばれても微妙な気分になるだけだ。
「そう言うサーシャはオバサンたちのお姫様か。みんなかわいいかわいい言ってるぞ?」
サーシャは家から出ないが、家を訪れる近所の人は多くいた。回覧板、作り過ぎたおかず、家庭菜園の野菜。何かと口実を付けてはみんなしてチェスノコワ姉妹をかわいがる。
「かわいいなの? 美人じゃなくて」
わざとらしく顔を歪めてみせたが、頬に少し朱が差したのを文人は見逃さない。
「いや、かわいいだね。そりゃそうだ。お前らのことは小さな時から知ってるんだからな。素直なリータに生意気なサーシャ。両方かわいいらしい」
「むぅ、生意気は心外だわ。常に笑顔でもてなしてるのに」
今度は口を尖らせる。
「ガキのくせにもてなすとか言ってる時点で生意気なんだよ。『あら、佃煮? ありがとう、今晩にでも頂くことにするわ』背伸びしてるとこが微笑ましいんだと」
「背伸びなんてしてないわ。私は既に成熟したレディですから」
ふん、とばかりに胸を張ってみせるサーシャ。
「成熟したレディねぇ。本ばっか読んでて、同年代とはロクに話をしたこともないくせに」
家に籠りきりで本や雑誌ばかり読んでいる。そのせいで知識はとんでもないが、実体験が伴っていないように文人には見えた。
「そうね、確かにそうかもね……。私はこの家に閉じこもったまま、結婚どころか恋人すらできずに老いさらばえていく身……。実に寂しい人生よね……?」
うなだれたサーシャが小さな声をぼそぼそ漏らす。なんだかマズい。
「いやいや、そんなに悲観しなくても、外に出るようにしたらいいだけだろ? お前だったら男なんていくらでも寄ってくるって」
「別に十把一絡げの男性の群れにちやほやされたところで少しもうれしくないわ。私が愛したいのは、たった一人の男性なのだから……」
そう言って顔を上げると、熱い眼差しを文人に向けてきた。
「え? 何それ?」
「やっぱり気付かないわよね? いつもキツい態度を取ってしまうから仕方がないのだけれど……。あのね、文人。小さな頃から私が想い続けている人っていうのはね……」
頬を赤く染めたサーシャが、何度も瞬きをしながら身を乗り出してくる。突然の事態に文人はドキマギを通り越してパニックに陥った。
「いやいやいや、俺たちは親戚っていうか幼馴染みっていうか。俺は確かにお前たちのことをかわいがってやってるけど、それは年上の責任感とかそういうもんであって……」
「嘘に決まってるでしょ? バァーカ!」
表情を消したサーシャが冷たーい視線で蔑んでくる。こういう奴だったと、文人はすぐに思い出した。
「お前なぁ……」
全身から力が抜けて、テーブルに突っ伏してしまう。
「この私が文人ごときに想いを寄せるなんてあると思っているの? まったく、とんだうぬぼれ屋さんだわ」
サーシャはうつ伏せる文人に容赦なく罵声を浴びせかける。
「あれ? もう終わりなの、サーシャ?」
「もう終わりよ、リータ。隠れてないで出てきなさい?」
文人が身体を起こして見ると、扉の外からリータが顔だけ出していた。実にみっともないところを目撃されてしまったわけだ。
「なーんだ、もっと徹底的にやらかすと思ったよ」
部屋に入ってきたリータはジャージに着替えていた。あのジャージは学校指定なんかではない、どこぞのブランドのオシャレジャージだ。
「さすがにあれ以上は虫唾が走るわ。今日はお疲れ、リータ」
サーシャはもう平然と紅茶を飲んでいる。
「ホント、疲れたよ~」
リータが持っていた二本の筒の一方を姉に渡した。
「警察の感謝状なんていらないわ。何の役にも立たない」
「そういうことを警官の前で言うな」
ひったくり犯の逮捕に協力したとして感謝状が出たのだ。その式典をサーシャの奴はサボりやがった。
とはいえ、サーシャがありがたがらないのも仕方ない。この姉妹は今までも多くの手柄を立てていて、感謝状なんて見飽きていた。
「それでサーシャ、クッキーは?」
「さっき届いたわ。あなたって本当にいやしん坊ねぇ」
自分の隣に腰を下ろした妹に向かってサーシャが悪態をつく。捕り物劇の後リータは慌てて家に帰ったが、クッキーは全てサーシャの胃袋の中だったらしい。リータの抗議をサーシャは無視したが、妹はあまりにしつこく結局は姉が折れてクッキーを注文したという。ちょっとした姉妹のじゃれ合いだ。
サーシャがテーブルの脇にあった缶をみんなの真ん中に置く。少し勿体付けてから開くと、中には美味しそうなバタークッキーが。
「やったーっ!」
さっそくリータが一枚取る。
「俺ももらっていいか、リータ?」
「いいよ。私は誰かさんみたいに、独り占めなんてしないんだから」
「さすが、チェスノコワ姉妹の性格がいい方」
お許しが出たので文人も手を伸ばす。
リータがこだわっただけあって、なかなかの美味だった。
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