九話 別々の世界 (サーシャ)

 サーシャは自分の横で寝ているリータの顔を眺める。姉妹は就寝時間にずれがあるので喧嘩以前も一緒に寝ることはあまりなかった。だからサーシャがこうしてじっくりと妹の寝顔を見るのは久し振りのことだ。

 サーシャの部屋で一緒に寝ることにした姉妹は、ベッドの上に寝転がりながらいろいろと話をした。

 リータは恋という新しい体験に戸惑いながらも心を踊らせている。それはサーシャにも伝わってきた。だけれどリータが語る宗作の魅力は全く理解できなかった。リータが挙げた魅力はサーシャには欠点にしか見えない。

 そもそも人と知り合った時の好感の抱き方が根本的に違うとサーシャは気付かされた。

 サーシャは相手の欠点を見付けていく減点方式で、一定水準の減点に留まれば好感を抱く。

 一方のリータは相手のいいところを見付けている加点方式で、さらにサーシャなら欠点と捉える事柄からもいいところを見付けてしまう。そして一定水準を超えれば好感を抱く。敵だと認識していれば別だが、ニュートラルな出会いだと大抵好感を抱いた。

 同じ人間に対する評価が姉妹の間で食い違うことは以前からよくあったが、改めて二人の違いを見つめ直したサーシャは愕然としてしまう。

 恐怖の捉え方も姉妹の間で隔たりがある。

 サーシャはいろいろな語り方で自分が抱いている恐怖をリータに伝えようとした。だけれど、リータは最後までサーシャの恐怖を実感できなかったようだ。

 サーシャは主観的なイメージからも恐怖を抱いてしまうが、リータが恐怖を抱く対象はもっぱら具体的な脅威だ。だからサーシャが感じている恐怖はリータには伝わらなかった。

 家に閉じこもりきりのサーシャは本などから得たイメージを頭の中で膨らませて楽しむことが多い。一方のリータは頭を使うより外で活発に行動する方を好んだし、自分が身に付けている格闘術への強い自信から肝が据わってもいた。こうした違いが恐怖の受け止め方の差として現われているのだろう。

 考えてみれば分かり切った話だ。だけれどサーシャは自分の恐怖がリータに伝わらないこと自体に恐怖を抱いてしまう。

 そして、お互いの気持ちが通じないまま誤魔化しを言い合って寝ることになった。

 姉妹は分かり合えていない。気付いたのは今回の喧嘩がきっかけだけれど、二人はずっと前から分かり合えていなかったのではないか? 姉妹としての仲の良さに安住してお互いのことを深くは理解していなかったのだ。

 そう思い至ってサーシャは絶望的な気分に陥ってしまう。分かり合えないことが明らかになった姉妹はこれからどうなってしまうのだろうか。

 リータはまだいい。リータの前には世界が広がっていて、サーシャがいなくても好きなように歩んでいける。宗作もいるのだし。

 だけれどサーシャにはリータしかいない。これからどんどんリータが離れていけばサーシャはどうなる? この家の中で一人うずくまるだけのみじめな存在になってしまう。

 絶望的な孤独だ。

 リータの顔を見るのがつらくなったサーシャはそっとベッドから下りた。




 サーシャは紅茶を飲もうとキッチンに入る。

 水の入ったヤカンを火にかけ、お気に入りの茶葉を取り出す。ポットとティーカップを水切り棚から取り出して。この一連の動作がサーシャを落ち着かせた。

 そしてひとりダイニングのテーブルで紅茶を飲む。

 だけれど、せっかくの紅茶も取って置きのクッキーもほとんど味がしなかった。

 姉妹はこれからどうなってしまうのだろうか。深く息を吐いてしまう。


「よう、耳年増。こんな時間にそんなもん食べてたら太るぞ」


 寝間着の母がダイニングに入ってきた。今はこの人の相手をする元気がない。


「すぐに寝てしまうわ」

「まぁ、そう言うなって。私は水でいいや」


 コップに水を入れた母がサーシャの隣に座った。


「ヘコんでる?」


 サーシャの顔をのぞき込んでくる。


「当たり前でしょ? お母さんのやり方は酷すぎるわ」

「ちょっとしたショック療法ですよ」


 そう言ってリータにも内緒にしていた秘蔵のクッキーに手を伸ばす。


「お母さんはああやって私を外へ追い立てるつもりなのね?」

「まぁね。サーシャもその気になったでしょ?」

「いたずらに不安をかき立てられただけだわ。もっとやり方があると思うの」


 サーシャは口を尖らせてあくまで抗議する。


「でもサーシャにはあんまり時間が残されてないんだよね。今のペースならリータはもうすぐ新しい世界に足を踏み入れちゃう」

「宗作のことね。私を放っておいて宗作の方を向いてしまう」

「まぁ、そうだ。サーシャがどんなけ干渉してもリータは自分が求めるものに手を伸ばした。この流れは止められないんだ。一回目の喧嘩でよく分かったでしょ?」

「そうかもしれないわね……」


 リータはサーシャより宗作の方を向き始め、サーシャはそんなリータに干渉しすぎた。そうやってすれ違った二人はお互いを傷付ける言葉ぶつけ合ってしまった。


「さらに今まで誤魔化してきたけど二人の考えにはいろいろとズレがあったんだよ。その中でも特別大きなズレが表に出てしまって二回目の喧嘩」

「誤魔化していたは酷い言い方だわ」


 母に抗議してみたサーシャだが口調に力はない。姉妹の間には思考の隔たりがいくつもある。リータと話し込んだサーシャはそう判断せざるを得なかった。


「私はむしろ今回の喧嘩であんたらはすっきりできたと思うんだよね。二人は別々の人間だっていう当たり前のことを理解し合えたんだから」

「そんな寂しいことは言わないでよ」


 サーシャが考えたくないことをこの母はずけずけと言う。

 姉妹は分かり合えていない。サーシャが胸を痛めているこの問題を、別々の人間だから当たり前だと母は言うのだろうか。そんな簡単に言われても、サーシャはすぐには受け容れられない。


「寂しくなんてないよ。これからは別々の人間として、リータはリータの新しい世界で、サーシャはサーシャの新しい世界で、それぞれ楽しく生きてくんだ」

「そんな別々の世界で生きていくなんてあり得ないわよ。今までずっと一緒だったのに……」


 リータが隣にいない世界なんて虚無そのものだ。


「というか、リータはもう新しい世界の方へ顔を向けてるんだよ? さっきの私の煽りでサーシャにも分かったろ」

「……言っていたことは無茶苦茶だったけれど、確かに今のリータは宗作のためなら何でもしかねないわね」


 リータから誘うなんて言いがかりもいいところだと今でも思っているけれど……。


「もうすぐあんたより宗作の方が大事になるんだ。その現実を受け容れないとロクでもないことになるんだよ?」

「ロクでもないこと?」

「リータがサーシャのことを邪魔な奴だって思うようになるの。リータは宗作と一緒に歩んでいきたいのに、あんたはリータにまとわりついて離そうとしないんだもん」

「なんでそんな酷いことが言えるの、お母さんは?」


 悲しくて声が震えてしまう。母はさっきからサーシャを動揺させることばかり言う。


「ホントのことしか言ってないよ? そう思われるがイヤなら、サーシャはサーシャで新しい世界を見付けてかなくっちゃ」

「リータの邪魔をするのはイヤよ? でも新しい世界なんてものを私は見つけられるのかしら……」


 リータが隣にいない世界? そんな世界なんてあり得るのだろうか。まるで見当が付かなかった。


「まずは外へ出ていけるようにならないとね。そうやってちょっとずつ世界を広げてくんだ」

「そうね、外へ出ていこうとは思っているわ。難しいのだろうけれど私はそうしないといけないの」


 母に言われるまでもなく、サーシャは外へ出ていくと強く決意していた。


「その意気だ。私もちょくちょく煽ってサポートしてくからね」


 母がぽんとサーシャの肩を軽く叩いてくる。

 その手をサーシャは払い除けた。


「あんなのは二度と御免よ。お母さんは余計なことをして引っかき回さないで。あくまで温かく見守る程度に留めて頂戴」


 サーシャがぎろりと睨んでも母は平気な顔。


「いやいや、遠慮はいらんですよ。母親の務めとして懇切丁寧に煽らせて頂きますから」


 母はあいかわらず人の話を聞かない。サーシャの頭を鷲づかみにすると大きく揺さぶってきた。

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