二章

一話 宗作とおでかけ (リータ)

 学校帰りのリータが、いつも使っている私鉄盛山駅を北口から出る。青空に向かって両手を突きだし、声を出しながら伸びをした。

 みもろ台の南端であるここから自分の家までは自転車で十二分。今日はこれから外で遊ぶのだが、その前にいったん帰って着替えなくては。制服のまま遊ぶと昨日の夜に電話で伝えたら、相手がものすごく嫌がったのだ。姉もイヤな顔をし、父も苦い顔をし、母だけがやたらに喜んでいた。

 ともかく家に帰ったリータは、慌ただしく私服に着替えて自分の部屋を出る。玄関ではサーシャが待ち構えていた。


「どうかな、サーシャ?」


 くるりと一回転。膝下までの落ち着いた緑のパンツに、チェック柄のエンジのブラウス。その上に丈の短いグレーのカーディガンを羽織った。


「秋らしいわね」


 姉が目を細めながら言う。


「でしょ? もっと肌を見せた方がよい?」

「必要ないわ。ふくらはぎだけで大サービスよ」

「うむ。で、今日はサーシャも一緒に視てくれる?」


 ちょっと媚びたような言い方になってしまったが、サーシャが視ていてくれたらリータは心強かった。


「最初からそのつもりよ。相手の男をちゃんと監視しないと」

「サンキュ! じゃあ行ってくるね」

「早く帰ってきなさいね」

「はいよ!」


 リータは手を振りながら外に出て、バタンと勢いよく扉を閉めた。しまった、静かに閉めないとサーシャに怒られる。ちょっぴり浮かれている自分に初めて気付いた。






 リータはお気に入りのマウンテンバイクを走らせ、盛山駅から都会の方へ二駅行った先である上葛城駅を目指す。ここの駅前は随分と栄えていて、大きな商店街もあった。北西方向の都会へ向かう電車は東からやってきて、盛山駅を過ぎると北へと大きくカーブする。そんなわけで、みもろ台の北端にあるリータの家からは、北西の割と近いところに上葛城駅はあった。自転車で十五分ちょっとだ。

 盛山駅は各停しか停まらないし周りにお店もあまりないので、リータは二つの駅をうまく使い分けることにしている。都会とは反対方向にある高校へは盛山駅から行くが、買い物をしたり都会へ出たりは上葛城駅の方が便利だ。

 駐輪場にマウンテンバイクを停めて駅側のゲートを抜けたら、駅がある陸橋の下り口に青年が一人で立っているのが目に入った。彼は家のすぐ近くにある盛山駅から電車でここまで来たはずだ。先にこっちを見付けていたらしく、心底ほっとしたが、もうすでに疲れ果てた、そんな複雑な表情をしている。


「待った、宗作?」

「い、いや、大丈夫」


 やっぱり微妙な表情のまま。


「ちゃんとヒゲ剃ったんだ?」


 指先で軽くあごを撫でてやると、まだ少しじょりっとした。


「いや、まぁ、ヒゲくらいは……」


 身を引きながら、もごもごと言う。


「それに、ジャージじゃない」


 ストレートのジーンズに、コットンシャツ。両方とも黒い。


「うん、まぁ、さっき商店街で買った」

「さっき買ったの? え~、一緒に選びたかったなぁ~」


 身体全体をくねらせくねらせ不平を述べる。


「あ、ダメかなやっぱり……」


 自信なさげに自分の服を撫でた。


「そんなことないよ、いいかんじ」


 思ったままを言い、にっこりと笑顔を向ける。昨日は見るからに怪しげだったのに、今日はずっとマシだ。


「あ、でも髪がなぁ……」


 宗作は髪を随分伸ばしっぱなしにしているようだ。かろうじて寝癖を抑え付けただけマシというレベル。


「じゃあさ、今日はまず髪を切ろうよ」

「そうか、そうだよね、今の髪はマズいよね?」

「うん、ダメだよ。お金持ってる? ないなら私が切ったげるよ?」


 時々サーシャの毛先を切っている。


「いやいや大丈夫、お金はあるから。商店街に散髪屋があったよね? 今から行ってくるからどこかで待っててよ」

「ていうか、美容室行こうよ。私が行ってるとこ、商店街にあるよ?」

「いや~、美容室なんて、行ったことないんだよねぇ~」


 恥ずかしそうに頭をかくと、髪がぴょこんと跳ね上がってしまった。


「よし、だったらなおさら行こう! レッツゴー!」


 宗作の腕を取ると、ぐいっと自分の方に引っ張った。


<くっつきすぎよ、リータ>

<これくらい平気だよ~ん>


 サーシャのお小言は聞き流し、がっちりと腕を組む。さっきからずっと赤い宗作の顔が、いっそう赤くなった。






 駅前商店街の中にある美容室で、リータは眉間にシワを寄せる。目の前にはメンズファッション雑誌。視線を上げて鏡を見ると、椅子に拘束された居心地の悪そうな宗作が見えた。


<サーシャ、どんなのがいいと思う?>


 正直、男子の髪型なんてリータには分からない。


<丸刈り>


 サーシャが冷たく言う。


「丸刈り?」


 思わず素っ頓狂な声を上げるリータ。


「じゃあ、丸刈りで」


 何の迷いもなく宗作。


「丸刈りでいいの、リータさん」

「え? 違う違う違う! 宗作、そんなやる気なしでどうするの!」


 鏡越しに宗作に睨み付けてやる。


「でもなぁ、髪型のビジョンなんてないしなぁ……」

「むぅ……、む? モテマッシュ? モテだってさ、宗作」


 雑誌を相手の前まで持っていく。途端に向こうはイヤそうな顔をした。


「チャラいよ、それは。俺、もう三十だしさ……」

「まだ二十九だよ。むぅ……、チャラいか。蓮人れんとはどう思う?」


 と、いつもにこにこと人当たりがいい美容師に話しかける。彼はイケメンなのでチャラい髪型もよく似合っていた。


「ツーブロックですっきりさせたらどうかな? 少し横を刈り上げるの。トップの残し方でだいぶん印象が変わってくるよ」


 美容師が違う雑誌を持ってきてページを開く。


「ここにあるのが全部ツーブロック」

「へぇ、ホントにいろいろあるね。刈り上げ方でも違ってくる」


 でも、いろいろありすぎてどれにしたものか判断が付かない。


<サーシャ、どれがいいと思う?>

<全部刈ってしまいなさい>

<またそういうこと言うでしょ?>


 リータの髪型の相談にはよく乗ってくれるくせに、男子の髪型に興味がないらしい。というか、宗作の、か。


「宗作、どれがいい?」

「そう言われてもなぁ。じゃあ、これ」

「あっ! 今適当に指さしたでしょ? 分かるんだよ、そういうの」

「ゴ、ゴメン……」


 情けなく首をすくめてしまう。


「むぅ……。もう私が勝手に決めちゃうよ?」

「お願いします。あ、チャラくならないようにね」

「はいよ」


 そして美容師と二人で談合を重ねた結果、宗作はツーブロックショートの爽やかな青年に生まれ変わった。


「お~、いいかんじいいかんじ」


 軽く拍手するリータ。


「いやぁ、こんな凝った髪型、初めてだよ」


 そう言う宗作もまんざらでもなさそう。


「大人しく抑えましたから、違和感はあまりないはずですよ。ワックスも軽くしか使ってませんし」

「ワックスの使い方も教えといてあげてよ。どうせ知らないんでしょ、宗作?」

「うん、知らない……」


 申し訳なさそうに言う宗作に、美容師が親切に簡単なセットの仕方を教えた。






 その後二人で商店街をぶらぶらと巡っていき、宗作が疲れた頃を見計らい商店街にある喫茶店に腰を落ち着ける。


「じゃあ、クリームソーダー二つ」


 と、リータが注文。ここはクリームソーダーが美味しいのだ。


「宗作はこっちへは来ないんだね」

「うん。高和田へだったら自転車で行けるから、そっちで用を済ませることが多いな。でもこっちの駅前にあるゲーセンにはよく来たよ。中学とか高校の頃だけど」

「あ、そうか、この駅前にもゲーセンがあったね。あれ? でもサーシャは高和田の『メイプルタウン』の方に宗作がいるって断言したんだよ。なんでだろ?」

<彼はゲームで遊んでいる小学生に用事があるらしいけれど、小学生は町のゲームセンターでは遊べないの。校則で禁止されているから>

<でも『メイプルタウン』じゃ小学生がゲームしてたよ?>

<あそこはあくまでショッピングセンターの中にあるゲームコーナーなの。大人の目に付くから安全だとかなんとか言って、ゲーム好きの親がゴリ押ししたのよ。別に町のゲームセンターだって店員がいるから安全なのだけれどね>

<よくそんな裏情報知ってるね? 例によって『みもろ台マダムネットワーク』の力?>

<そのとおりよ。苦労して組織化したんだもの、こういう時に役立ってくれないと>

「さすがはサーシャ」

「ねぇ、サーシャって誰なの?」


 目の前で宗作が怪訝な顔をしている。少しくらい説明しておかないといけないようだ。


「双子の姉だよ。身体が弱くてずっと家にいるんだ。いつもこれで通信してるの」


 と、自分の首元にあるペンダントを指で弾く。


「へぇ、それは大変そうだね」

「身体は弱いけど寝たきりってわけじゃないんだよ? ホントは外に出られるくせに、家に引きこもってるの。外はこんなに楽しいのに。でしょ、宗作?」

「まぁ、そうかな。今日もキミのおかげでいろいろと面白いことがあったね」


 そう言って、短くした自分の髪を撫でた。


「よし! じゃあ、これから毎日遊ぼうよ! 二人でいろんなことをするんだ。きっと毎日が楽しいよ?」

「それはムリだなぁ……。俺にはやることがあるからね」

「ゲーム?」

「そう、ゲームだね。家でゲーム」

「私も一緒にやりたいなぁ~。やらせてよ~」


 口を尖らせて言ってみたら、彼は困りきった顔をして首の後ろをぼりぼり掻いた。リータも困らせたいわけではないので、すぐに駄々をこねるのをやめる。でも、これでバイバイというのもイヤだった。


「分かった、ゲームは諦めるよ。でも、宗作もずっとゲームしてるわけじゃないんでしょ?」

「まぁ……そうかもね。たまにはゲームを忘れて息抜きするのも悪くない。今日はそれがよく分かったよ」

「だよね! じゃあ、息抜きしたくなったらメールして? あ、やっぱり私からメールする。明日遊べる~? 明後日遊べる~? 毎日メールしちゃう。宗作は時々根負けして私と遊んでよ。遊んでほしいな?」


 宗作の手をぎゅっと握り、首を傾げてお願いする。


「うん……分かった……。じゃあ、できるだけ暇を作るよ」

「ありがと!」


 うれしい気持ちをそのまま表わした笑顔を相手に向けた。宗作はなかなか心を開いてくれないが、リータが踏み込んだらできるだけそれに応えようとしてくれる。単に押しに弱いだけだろうか? 年上の男の人とはそういうもの? よく分からない。

 よく分からないからこそ、リータは胸がわくわくして仕方がなかった。

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