本日より開幕した、カクヨム甲子園2023。本年度の選考委員を務めていただく暁佳奈先生に、高校生からの創作についての質問にお答えいただきました!たくさんのご質問をいただき、そして暁先生にも多くの質問にご回答いただき、本当にありがとうございます!高校生作家の皆さんも、大人の作家の皆さんも、ぜひ参考にしてみてください!
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――暁佳奈先生の作品は、ストーリーに加えてキャラクター同士の掛け合いが酔ってしまうほどに素敵で大好きなのですが、キャラクターの性格や言動などはプロットをもとにうまれているのでしょうか? キャラクターをもとにプロットが構成されているのでしょうか? ぜひお聞きしたいです。
暁先生:当方、プロットがないタイプの作家です。ぼんやりとこんな感じの話が書きたいという夢想はあるのですが、しっかりした道筋がありません。キャラクターに関しても、名前や容姿くらいは決めるのですが、その言動などは書きながら決まっていきます。どちらかというと、話よりも世界観を最初に考えて、こういう世界観でこういう背景がある人物ならこんな言動をするだろう、という形で物語を紡いでいます。
なので、キャラクターが誰かを好きという場合、物語の為に好きになるというよりかは『こういう子ならこういう子を好きになるだろう。逆も然り』といった形で人間相関図を描いています。もし、登場人物同士の掛け合いが好きで、群像劇を書きたい場合、『物語の為に登場人物を捻じ曲げない』ということを意識したらいいかもしれません。登場人物はその世界でちゃんと生きています。
――『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や『春夏秋冬代行者』のような素晴らしい発想はどこから湧きますか? 私が思いつくストーリーはいつも似たような感じです。なぜかいつもキャラが一人死んだ状態で物語が始まります。誰も死なない一次創作が書きたいと思って設定を考えたら、一行目でヒロインが失踪しました。よーいどん、で一緒のスタートを切れないのです。どうしたら似たようなストーリーだらけという状態から脱却できるのでしょうか?
暁先生:私はどちらかというと流行りに乗れない人間でなので、昔読んだお伽噺などがいまでも好きです。なのでそのようなものを書いています。死に関するものを書いてしまうのはやはりそれを書きたいからだと思います。作家業、『これが好きだから』が結局は最強説、と思います。ネガティブに思える事柄でも捨てきらないほうがいいかと。貴方はミステリー作家さんの素養があるかもしれません。
そして、私も含めてですが、好きな作家さんがいる場合、その作家さんの十八番のような切り口や描き方というものは「よ!待ってました!」と喜ばれるものです。それは『似ている』のではなく『持ち味』かもしれないので、まずは一つの作品を最後までちゃんと書いてみて、どういうところが他の人に好まれたか探ってみたほうがいいかと。ただ、死が強烈だから印象を与えやすくて技法として使ってしまう、というのなら踏みとどまって他の表現を探ってみてもいいかもしれません。
――暁佳奈先生の世界観がとても好きなのですが、今まで影響を受けた作品や、世界観を作る時に大切にしていることなどがあれば教えて頂きたいです。
暁先生:日本の作家さんだと『荻原規子先生』や『小野不由美先生』のファンタジー作品を子どもの頃に読んで影響を受けました。あとは『ハリーポッター』も大好きでした。それ以外だと絵本もよく読んでいました。『のばらの村のものがたり』シリーズは大人になっても買い直しました。クリスマスの頃になると『ファーザー・クリスマス』が見たくなり、これも大人になってDVDを買っています。映画も大好きです。こう書いていくと、やはりファンタジックなものが好きなようです。幼い頃に心わくわくさせたものを忘れず、それをちゃんと物語の中に組み込むことが大事かと。あと、私の本を読んでくださる方は年齢層が幅広いのですが、世界観構築においても、あらゆる年齢層をかなり意識して書いています。この年齢の人は多分ここが響くだろうな、というのを『描写が面倒だから……』と省きません。もし好きでいてくださるものがあるなら、それは貴方のことをちゃんと考えて書いているからです。いつも読んでくださってありがとう。
――私は小説を執筆する時に上手い表現が使えず、単調な文になってしまいます。先生は小説を執筆する時に文の作り方で気をつけていることなどありますでしょうか?先生の文章は毎回場面のイメージがしやすい上に言葉の一つ一つが美しいので、お聞きしたいです。
暁先生:単調というのは裏を返せば読みやすい文章です。何度も書いて固定化されているのなら、それは貴方が磨き上げた『文体』=(文章・散文のスタイル)の可能性があります。安易に捨てないほうがいいかと。私の『文体』はやや修飾が強く、描写も頭の中で動いているものを書いているので映像的です。皆さんの頭の中にも映像が動くような描写にしています。
しかし、これはこれで実は嫌われていたりします。文体というのは正直好みなんです(もし否定されたことがあるなら気にしないほうがいいです)。
すっきりとした文章を書けるのであれば幅広く読んでもらえる可能性があります。
ただ、やはりもう少し文章力を上げたいとなる場合、暇な時に辞書やことば辞典を読むことをおすすめします。世の中には素敵な言葉がたくさんあるので、見つけるときっと小説の中で使いたくなりますよ。結局それか~!と嫌がらず、ぜひ読んでみてください。
――暁先生が書くような、綺麗で繊細な物語、文章に憧れています。普段執筆なさる時に注意している部分などはありますか? 比喩表現が上手くなるにはどうすればいいと思いますか?
暁先生:お褒めいただきありがとうございます。普段注意していることは……これは電子派の皆さんには申し訳ないのですが、紙の本で読む時に必ず文章が次のページにまたがないことです。また、挿絵がある場合はそこに行き着くまでの文章のリズムも調整します。
読書は『体験』ですので、その読書体験が可能な限りより良い状態になるようにしています。
比喩表現に関してはやはり辞書で言葉を覚えること。また、感受性の強い物語を書きたい場合、たくさんの作品に触れて自分の琴線に触れた作品を思い返し、どうしてそこが素晴らしいと思ったのか、考えることがいいかと。
これは良いところを『盗む』という技法の問題ではなく、『私はどうしてあれが素晴らしいと思ったのだろう』と振り返ることで自分の感受性について考える勉強になるからです。意識しないと、感受性も錆びつきますし。
――物語を書いているとき、行き詰まったり続きがどうしても書けなくなったりしたときはどう解決されますか?
暁先生:気分転換や調べ物、他の作品に触れてみる、ということは多少必要かと思います。アウトプット(書くだけの作業)ばかりでインプット(創作に必要な体験、知識を収集すること)をしていないのであれば筆も止まります。けれど、三行でもいいから今日は書く、というのが本当に大事です。自分の知り合いの方で物書きを目指していた人、漫画家を目指していた人もいますが、書かなくなるともうそこからずっと戻ってきません。帰ってきてよ、貴方の作品が読みたいよ、と言っても戻ってきてくれないのです。継続は力なり、という言葉通り、物語を紡ぎ続けるのはそれでも椅子に座り続ける努力が必要です。ご安心いただく為に言いますが、私も毎日「うう、展開が繋がらないよ……」、「これ本当に面白いのかな?」、「みんなが楽しんでくれなかったらどうしよう。誰か助けて……」と思いながら書いています。商業作家もこうなのです。ぜひ、一緒に迷いながら創作をしましょう。
――筆が遅くて思うようにすすみません。というより、プロットを立ててもキャラが好き勝手動きすぎて「いやお前そんな台詞言うなよ!それもっと後のシーン!!」とか、「その建物どっから出てきた??」みたいなことを叫びながら書いています。なんなら15000字くらいの予定で書き始めた小説が上記のようなことが連続した結果50000字まで膨らんだことすらあります。暁佳奈先生はこのような経験ありますか?
暁先生:作家あるあるです。キャラもストーリーも勝手に動きます。文庫は分厚いと、読書がまだ不慣れな人には手にとってもらいにくいのですが私は鈍器を作成してしまいます。ただ、それでもかなり削ぎ落として必要なことを書いている状態です。規定の文字量で書くことも作家には求められますので、心の中に第三者の自分を置いて『この展開本当に必要かな? 読者さんの為でなく、自分の為に書いていないかな?』と問いかけることも必要です。なぜなら、読むのは読者さんだからです。貴方の物語を受け取る人をぜひ意識してみてください。
――先生は、カフェやレストランで執筆はされますか? もしされているなら、自宅などと比べて執筆は捗るのでしょうか?
暁先生:感覚過敏なところがあるようで、人がいるところで書くということ自体自分は無理そうです。執筆中はほとんど人に会いません。もぐらのように生きています。これは正直、その人の特性に合わせてだと思うので、ぜひ試してみてください。この場所のほうが人間は集中出来る、というのはあったとしても統計です。貴方が持つ特性はどこなら落ち着くかで信じて書いたほうがいいです。でもカフェなどで書く人は美味しいご飯が食べれていいなと羨ましいです。
――自分の書きたいものが、カクヨム甲子園で賞をとるために書くべきことではない気がします。賞をとるためには、本当に書きたいものでも押し殺した方がいいのでしょうか。
暁先生:これはとても難しい問題です。コンテストというものは言ってしまえば企業への『ラブレター』です。
就職活動にも通じます。一般企業の面接で『何か貴方の熱意を見せてください』と言われ、貴方が般若心経の写しを持っていって『熱意があります!』と言っても『あ、ありがとう。でも違う……』となる可能性があります。(※比喩として般若心経と出しています。貶める意図はございません。まったく遠いものとして例に出しています)
これに関しては般若心経の写しが悪いのではなく、悲しいミスマッチなだけです。般若心経の写しが書けること自体はすごい。しかし、受け取って断った企業も悪くありません。
そして、中にはその面接で「何十年もかけて作ったカレーのレシピについて語ります!」と言い出した人が、求めてるものとは違うけどあまりにも面白すぎて採用されることもあり、絶対にコンテストの傾向に合わせたほうがいいとも言えません。
般若心経は駄目でなんでカレーはいいの!と憤ることもあるでしょう。
これはコンテストに参加される方にぜひお伝えしたいのですが、もし賞がもらえなくとも、書いた貴方や、貴方の作品が悪いのではなく、ラブレターが合致しなかったからです。技術が単純に足りない場合もありますが、違う人にラブレターを送ったらOKだったという話は世の中に山程あります。
個性を殺す必要はありません。貴方の独自性が失われることは作家性を殺してしまいます。戦略として企業に合わすのならそれはそれで大いに結構。そういうことが出来る人はもしかしたら小説家よりゲームシナリオライターに向いている可能性があります(私は小説もゲームも書いていますので、双方体験した上でそう思いました)。
何にせよ、チャレンジすることをやめる、というのは一番よくありません。たくさんチャレンジしてください。チャレンジした分だけ、貴方のラブレターを受け取ってくれる人が見つかります。
企業で見つからない場合は、ネットで書くのもいいです。貴方が書くものを好きな人は必ずいますよ。
暁先生、ありがとうございました!
暁佳奈
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』にて第5回京都アニメーション大賞小説部門で同賞初の大賞を受賞しデビュー。現在電撃文庫にて『春夏秋冬代行者』シリーズを執筆。
『春夏秋冬代行者』シリーズ
「春は――無事、此処に、います」
世界には冬しか季節がなく、冬は孤独に耐えかねて生命を削り春を創った。 やがて大地の願いにより夏と秋も誕生し、四季が完成した。 この季節の巡り変わりを人の子が担うことになり、役目を果たす者は“四季の代行者”と呼ばれた――。
いま一人の少女神が胸に使命感を抱き、立ち上がろうとしている。 四季の神より賜った季節は『春』。母より授かりし名は「雛菊」。 十年前消えたこの国の春だ。 雛菊は苦難を乗り越え現人神として復帰した。 我が身を拐かし長きに亘り屈辱を与えた者達と戦うべく従者の少女と共に歩き出す。 彼女の心の奥底には、神話の如く、冬への恋慕が存在していた。
季節を世に顕現する役割を持つ現人神達の物語。此処に開幕。
▼カクヨムで試し読みできます
▼『春夏秋冬代行者』公式サイト dengekibunko.jp