はてなインターネット文学賞受賞者インタビュー:あをにまる【大賞】

KADOKAWAとカクヨムを共同開発する株式会社はてなの20周年を記念し、はてながカクヨム上で初めて開催した「はてなインターネット文学賞」。2,406作品におよぶ応募作品の中でもっともインターネット文学らしいと選ばれた個性あふれる受賞作の作家のみなさまに受賞作や創作活動、そしてインターネット文学についてお話を伺いました。

初回は大賞『ファンキー竹取物語』あをにまるさんです。

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--受賞作ファンキー竹取物語について、教えて下さい

もともと私は、国語の教科書に載っている有名文学作品を、舞台を現代奈良に置き換えてパロディした「今昔奈良物語集」というコメディ短編集をカクヨム様で投稿しておりました。 そこで、次の話はどの作品をテーマにしようかと悩んでいた時、はてなインターネット文学賞の応募要項にあったこのフレーズが目に留まりました。

「誰が書いたのか忘れられても」「20年後も100年後も読まれ続ける一作」

これを読んだ時、私の頭に浮かんだのが、「1000年以上もの遥か昔に書かれた作者不詳の物語文学」でありながら、「未だ現代に生きる日本人の誰もが知る不朽の作品」である、竹取物語でした。 20年後、100年後どころか、1000年後にも語り継がれたこの名作に、その1000年後の文化と新語をぶつけてみれば面白いかも知れない。 そう思ったのが、本作を書いた最初のきっかけです。

令和の現代において使われている「新語」も、数年経てば「死語」と呼ばれるようになり、いずれ数百年後には「古語」と呼ばれていることでしょう。 願わくば、私の書いたファンキー竹取物語も、1000年後の日本で「作者不詳の古典作品」として語り継がれ、未来の言語学者たちの頭を捻らせる研究材料となっていれば幸いです。

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奈良県広陵町・はしお元気村の巨大かぐや姫像(撮影:あをにまる)

--ファンキー竹取物語では、古典文法と現代語が絶妙にミックスされていますが、この言語に対するセンスはどこで磨かれているのでしょうか?

現在、私は奈良の歴史上の偉人たちと恋愛をする「なら☆こい」というコメディ乙女ゲームを開発中で、その登場キャラクターのひとりが、ルー大柴ばりに新語とインチキ古語を織り交ぜて喋るという設定のため、古文を若者言葉とどう上手くドッキングさせれば面白くなるかという意味不明な研究をしておりました。「ファンキー竹取物語」の文体はある意味、それの副産物に近いかも知れません。

--インターネットで小説を書きはじめたのは、いつ、どこで、どのようなきっかけでしたか?

高校生の頃、私はとにかく英語が死ぬほど嫌いだったので、英語の授業中はずっと英単語を調べるフリをして電子辞書の中に入っている日本文学作品集を読み漁っていました。電子辞書に入っていたのは教科書に載っているような明治時代の近代文学や源氏物語などの古典作品ばかりでしたが、まるで呪文のような英文の羅列に比べれば、いくら古いとはいえ同じ日本語である古典の方がまだ多少まともに読めました。

そして部活動は学生時代、ずっと演劇部に所属していたのですが、肝心の演技があまりにもヘタクソ過ぎたので役者には全く向いておらず、かわりに裏方として主にコメディの脚本などを担当しておりました。 そのころ私は初めて、自分自身が文章で人を笑わせる事が好きなのだと気付きました。

現在、何とか社会人になった私は、学生時代にやっていた部活動の経験を活かし、趣味でゲーム製作とシナリオの執筆を始めました。 そしてその傍ら、高校の頃に読んでいた懐かしの教科書文学のことを思い出し、それをテーマにした小説をインターネット上で書き始めるようになりました。

--あをにまるさんにとってインターネット文学とはなんでしょうか?

インターネット文学とは、「バズる文章」だと思います。 昨今、SNS等をはじめとするインターネット空間においては、視覚的に一瞬で情報を得る事ができる写真や動画などの媒体が多くの人々にシェアされやすい、つまり「バズりやすい」傾向にあると思います。 そんな中、笑い、感動、共感といった形で多くの人々の心を「文字だけで」震わせ、インターネット上でシェアされ続ける、写真や動画に負けない、人を惹きつける圧倒的な魅力を持った作品。 それこそが、「インターネット文学」だと私は思います。

--ありがとうございました。

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