5-9 自分の意思で

 実際、店の中には三十分ほどで入ることができた。

 カフェにはテラス席もある。しかし、今日のような寒さだと店内の席に座りたいものだろう。カウンター席でも構わないと思っていたが、幸いにも四人がけの席が空いたようだ。


 大量のグッズが入った袋とともに、知世達はふうっと腰かける。

 長時間ライブグッズのために並ぶことも、こうして仲間達と合流するのも、何もかもが知世にとっては新鮮で楽しいことだった。だから今まで気付けなかったが、どうやら自分には想像よりも疲れていたようだ。自分の体力のなさに驚き、知世は思わず苦笑を漏らす。


「知世さん、大丈夫ですか?」

「あぁうん。流石にちょっと疲れてたみたい。花奈ちゃんは大丈夫?」

「私も実は、少しだけ。人酔いもあるのかも知れないです。お二人はどうですか?」


 花奈もまた弱々しく微笑んでから、宍戸兄妹に視線を向ける。

 すると、莉麻も咲間も満面の笑みで親指を突き立ててきた。二人は先週も別の声優アーティストのライブに行っていたし、色々と慣れているのだろう。


「……ふふっ」

「あれ、ナナセちゃんどーしたの? あたしらの体力、そんなに異常だった?」

「いや、二人とも同じポーズだったから。そういえば双子だったなって思って」

「えー、今更? でもまぁ、似てない部分は多いけどね。だいたい、兄貴は完璧すぎる訳だし」


 自慢げに言い放ちながら、莉麻は胸を張る。

 すると、咲間が透かさず肩をすくめてみせた。


「莉麻。今はブラコンムーブしてないで、注文するよ」

「はぁーい」


 莉麻が素直に頷き、そのまま四人は料理を注文した。

 知世がサンドイッチとカモミールティー、花奈がマルゲリータピザとホットチョコレート、莉麻がロコモコ丼とカフェモカ、咲間がカレーライスとブレンドコーヒーをそれぞれ頼む。ドリンクは食後に運ばれてくるらしく、ゆったりと過ごせそうだ。


 空腹だったのか、最初は口数少なめに食べていた。紅茶とパンが好きな知世にとって、ここを目当てに来ても良いくらいに落ち着く場所だ。なのにこれからライブという名のメインディッシュが待っているなんて。

 今までの自分からしたら信じられなくて、変にドキドキしてしまう。


「知世さん、嬉しそうですね」

「まぁね。グッズ買ってカフェでまったりするのがメインじゃないんだと思ったら、凄いことだなと思って」

「確かに! これから解散して家に帰っても全然おかしくないテンションですもんね」


 言いながら、花奈はへへへっと笑ってみせる。

 花奈も花奈で、自分と同じようにテンションが上がっているようだ。


「いやいや~、二人とも。あくまでメインはライブだから! ナナセちゃんも花奈ちゃんも、雫さんのライブは生で観たことないんだっけ?」

「あ、はい。リリイベの時もトークイベントだったので」

「そうだよねぇ……。いやぁ、二人の感想が楽しみだなー」


 知世と花奈を交互に見つめながら、うぇへへと笑う莉麻。

 何というか、せっかくの美形が台無しである。


「莉麻、ただのオタクの顔になってるよ」

「兄貴だって同じでしょ? 目の前に初めて雫さんのライブに参戦する仲間がいたら、そりゃあ嬉しいに決まってるでしょ」

「まぁ、それはそうだね」


 咲間もまた、眼鏡のブリッジを押さえながら微笑を浮かべている。

 改めてオタクな双子なのだと感じる瞬間だった。



 食事を終えたあとはドリンクが運ばれてきて、温かいカモミールティーにほうっと息を吐く。開演まではまだ時間はあるが、いつまでもカフェにいる訳にもいかないだろう。まったりと室内にいられるのも今のうちだと思うと、何だかまぶたが重くなってきた。


「あれ、ナナセちゃん……おねむかな?」

「……莉麻ちゃん、言い方」

「ごめんごめん。年上の女性に失礼かもだけど、可愛いなって思ってさぁ」

「…………」


 恥ずかしい。花奈にも時々言われるが、ちょっとうとうとしているだけで「可愛い」というのは大袈裟なのではないか。それはそれとして、少しだけ嬉しいと感じてしまうのもまた恥ずかしいのだが。

 とりあえず聞かなかったことにして、知世は目を閉じる。


「あ」


 しかし、知世はすぐにはっとなって開眼した。

 視界に映る莉麻と咲間はすでにライブTシャツを身に着けている。

 一方で自分達は無地のロングTシャツ。このままライブに参加するには少々寂しい恰好だ。


「花奈ちゃん。そういえばライブT」

「あっ、そうでした……! せっかく買ったので着なきゃですねっ」


 知世の言葉に花奈もまたはっとする。

 二人とも、もちろん物販でライブTシャツを購入していた。知世が黒地にライブのロゴが入ったシンプルなデザイン。花奈がライトブルーのドット柄で、ドット柄の一つひとつがしずくの形をしたポップなデザインだ。


 ちなみに、宍戸兄妹はお揃いのTシャツを着ている。

 どうやらファンクラブ限定で先行販売されたもののようで、白地に雫の直筆メッセージがプリントされたものだった。


「おー、良い感じじゃん。二人とも似合ってるよ」


 ロングTシャツの上からそれぞれのTシャツを着ると、すぐさま莉麻が褒めてくれた。隣で咲間も頷いている。

 シンプルなロングTシャツを着てくると良いよー、とアドバイスをくれたのは莉麻だった。ライブTシャツの着替え問題は人それぞれあるだろうが、冬場は半袖だと寒いと感じる人もいるだろう。長袖の服を着ていけば、その上から買ったTシャツを着れば良いだけという訳だ。


「な、何か……これから雫さんのライブがあるんだって実感が強くなってきました」

「今更? って言いたいところだけど、確かにそうだね。何というか、こう……嬉しくなるというか」

「ですねっ」


 眩しいくらいの笑顔で花奈が相槌を打つ。

 でも、自分も同じくらいに眩しい表情をしているのかも知れないと思った。現に宍戸兄妹が微笑ましいものでも見るようにこちらに視線を向け、うんうんと頷いている。


 少し恥ずかしい気もするが、これは現実だ。

 今日は十二月二十四日。柚木園雫の十周年記念ライブの日。

 そんな日に自分は武道館にいて、仲間もいて、十周年のロゴが入ったライブTシャツを着ている。


 少し前の自分からしたら、こんな未来は考えられなかっただろう。

 友達に誘われてライブに行くことくらいはもしかしたらあるかも知れないが、そういうことではなくて。


 ――私が来たいから。だから今、私はここにいる。


 そう力強く言える自分のことを、知世は誇りに思っていた。

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